金本誠吉の情報(かなもとせいきち) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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金本誠吉の情報まとめ
金本 誠吉(かなもと せいきち)さんの誕生日は1956年5月22日です。愛知出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。金本誠吉の現在の年齢は68歳のようです。
金本誠吉のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 金本 誠吉(かなもと せいきち、1956年5月22日 - )は、愛知県・瀬戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 中京高校に入ってからアンダースローに転向した。1972年、1年生の時に夏の甲子園に出場。東海大相模、足利工を連続完封し準々決勝に進むが、この試合では登板せず、高知商に敗退。1974年の春の選抜にも出場するが、1回戦で滝川高に敗れた。在日韓国人である金本は同年、鳳凰大旗全国高校野球大会に在日同胞チームのエースとして参加し、準優勝を飾る。卒業後は本田技研工業に入社して鈴鹿野球部に所属。 1977年のドラフト6位で阪急ブレーブスに入団。カーブ、シュート、シンカーを武器にアンダースローの中継ぎ投手として起用される。1983年に初勝利を記録。木下智裕と共に左右の中継ぎコンビとしてチームを支えた。以降は二軍と行き来する状況が続き、アンダースローの投手が活躍していた韓国プロ野球(KBO)からオファーが届き、1986年限りで阪急を退団。 新浦壽夫らの同胞選手が活躍した実績のある三星ライオンズが好条件を提示して入団、1987年から金 誠吉(キム・ソンギル、김성길)の登録名でKBOでプレー。1990年代以降のKBOにおいて在日韓国人の投手が二桁勝利を記録したのは彼が唯一である。1991年は金星根監督の信頼を得てリーグ最多の52試合に登板、1試合で198球を投げた試合もあった。こうした酷使の影響で翌年以降は不調で、1993年はサンバンウル・レイダースでプレーしたが同年に現役引退。 引退後は千葉県にて会社員となっていた。 初登板:1980年6月24日、対南海ホークス前期12回戦(阪急西宮球場)、4回表から2番手で救援登板、5回2失点 初セーブ:1980年6月27日、対近鉄バファローズ前期12回戦(西京極球場)、8回表1死から3番手で救援登板・完了、1回2/3無失点 初先発登板:1980年10月10日、対西武ライオンズ後期13回戦(阪急西宮球場)、2回1/3を6失点で敗戦投手 初勝利:1983年9月3日、対西武ライオンズ21回戦(阪急西宮球場)、3回表から2番手で救援登板、3回1/3を2失点 オールスターゲーム出場:2回 (1989年、1990年) 57 (1978年 - 1987年) 17 (1988年 - 1992年) 18 (1993年) 金本 誠吉 (かなもと せいきち、1978年 - 1986年) 金 誠吉 (キム・ソンギル、김성길、1987年 - 1993年) ^ <韓国文化>祖国の野球発展に貢献した在日 愛知県出身の人物一覧 オリックス・バファローズの選手一覧 個人年度別成績 金本誠吉 - NPB.jp 日本野球機構 statiz.co.kr(KBOでの成績) 表 話 編 歴 1位:松本正志 2位:三浦広之 3位:米村理 4位:小林晋哉 5位:工藤博義 6位:金本誠吉 韓国の野球選手 サムスン・ライオンズの選手 サンバンウル・レイダースの選手 在日韓国・朝鮮人の野球選手 中京大学附属中京高等学校出身の野球選手 Honda鈴鹿硬式野球部及びその前身チームの選手 オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手 愛知県出身の人物 1956年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにある日本野球機構選手識別子
2024/11/20 02:15更新
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kanamoto seikichi
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