鈴木銀一郎の情報(すずきぎんいちろう) ゲームデザイナー 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
鈴木 銀一郎さんについて調べます
■名前・氏名 |
鈴木銀一郎と関係のある人
鈴木理華: 小説 ファイアーエムブレム 聖戦の系譜・シグルド編(鈴木銀一郎・著)上下巻 九月姫: 鈴木銀一郎 九月姫: モンスターメーカーRPG ホリィアックス (1992年、著・鈴木猛 / 鈴木銀一郎、富士見書房) 九月姫: モンスターメーカー学園RPG シナリオ 学園祭編 (1995年、著・藤浪智之 / 鈴木銀一郎、富士見書房) 九月姫: マジック・マスター 赤い髪の魔女 (1995年、著・鈴木銀一郎、ログアウト冒険文庫) 九月姫: モンスターメーカーRPG ブルガンディ・ドリーム (1993年、著・鈴木猛 / 鈴木銀一郎、富士見書房) 九月姫: モンスターメーカー 嘲笑う石像 (1994年、著・鈴木銀一郎、富士見ファンタジア文庫) 九月姫: モンスターメーカー ドラゴンライダー 上・下巻 (1991年,1992年、著・鈴木銀一郎、富士見ファンタジア文庫) 九月姫: マジック・マスター 闇の騎士団 (1996年、著・鈴木銀一郎、ログアウト冒険文庫) 鈴木理華: 小説 ファイアーエムブレム 聖戦の系譜・最後の地竜族(鈴木銀一郎・著) 九月姫: モンスターメーカー カードの国の大冒険 (1995年、著・鈴木銀一郎、富士見ファンタジア文庫) 鈴木理華: 小説 ファイアーエムブレム 聖戦の系譜・森と湖の国(鈴木銀一郎・著) 九月姫: モンスターメーカー ナルド予言書 上・下巻 (1992年,1993年、著・鈴木銀一郎、富士見ファンタジア文庫) |
鈴木銀一郎の情報まとめ
鈴木 銀一郎(すずき ぎんいちろう)さんの誕生日は1934年11月24日です。東京出身のゲームデザイナーのようです。
ゲーム界との関わり、人物などについてまとめました。現在、家族に関する情報もありますね。86歳で亡くなられているようです。
鈴木銀一郎のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)鈴木 銀一郎(すずき ぎんいちろう、1934年11月24日 - 2021年1月6日)は、日本の作家、ゲームデザイナー。有限会社翔企画取締役。愛称は「G大佐」「(ヒゲの)大佐」「銀爺」など。妻を将軍と称していたために、「大佐」を名のったという。 日本におけるカードゲーム・ブームの火付け役となった『モンスターメーカー』シリーズのデザイナーとして知られるほか、ボードゲーム(ウォー・シミュレーションゲーム)、テーブルトークRPG(モンスターメーカー関連など)のデザインも手がけている。 同じゲームデザイナーである鈴木一也は実子である。 1934年(昭和9年)11月24日、東京生まれ。早稲田大学高等学院卒、早稲田大学政治経済学部中退。 実家は3代続いた履物商。中学時代には声優もしていたという。大学中退後、実家の仕事を手伝いながら商売を憶える。代替わりの際に実家をバーに商売替え。店は繁盛するもツケを断り切れない性格から金策に追われ、商売を畳む。その後大手出版社の子会社で百科事典の編集者となる。自伝によれば優秀な中間管理職であったというが、上司である雇われ社長に疎まれて49歳の時に退職に追い込まれる。その後、編集プロダクション「翔企画」を設立。小学館の百科事典『ニッポニカ』やキリンビール社内報の編集を手がける。同時に『シミュレイター』誌刊行、安価なシミュレーションゲームの「SSシリーズ」製作販売、カードゲーム『モンスターメーカー』シリーズ製作販売なども。しかしシミュレーションゲーム・ブームの終焉とトレーディング・カード・ブームの勃興を読み切れず、1990年代半ばに会社経営は行き詰まり、以後はフリーの著述家として活動を続けている。その後最近までゲーム開発の専門学校 デジタルエンタテインメントアカデミー にコンピュータAIの講座を持ち、後進の育成にも努めてきた(2009年3月閉校)。 (有)銀河企画・顧問(2002年4月~2005年3月)。 翔エンタープライズ・顧問(2012年7月~)。 2021年1月6日、老衰のため死去。86歳没。 ゲーム界との関わり幼少時から将棋などの盤ゲームを愛好し、自作の野球ゲームなどをつくって遊んでいたこともあるという。中学時代に麻雀も覚える。40歳の時に海外から輸入されたウォー・シミュレーションゲームに触れ、衝撃を受ける(最初に購入したのは『タクテクスII』)。同時に翻訳ルールの出来の悪さや輸入品ゆえの価格の高さに着目し、「日本人好みのテーマで、質のよい低価格の国産製品を作れば、商品になる」と企画を思い立つ。 ゲームショップでたまたま出会った黒田幸弘と知り合って意気投合し、共同でゲームデザイン組織「レック・カンパニー」を1981年に設立。エポック社に企画を持ち込み、『ワールド・ウォーゲーム』のブランドを築く。鈴木曰く、ゲームを制作する専門職の認知のために、「ゲームデザイナー」を名乗り、(おそらく日本で初めて)その肩書きの名刺をつくったという。黒田と共にレック・カンパニーの主幹として、またメインデザイナーとして、シミュレーション・ゲームの制作に関わり、いくつかの作品を残した。翔企画創業時(1984年)の多忙により「レック・カンパニー」から一時離れる。 その後は、経営が安定した翔企画で、ゲーム関連の制作・出版を自ら行うことになり、従来の業務の傍ら、ゲームの企画・制作や自社出版を開始する。レック・カンパニーが発行していた、シミュレイターを新生創刊して、自ら編集・出版し、これを活動の中心とした。この時期、鈴木銀一郎が編集長を務めるシミュレイター誌の元、多くのライター、ゲームデザイナーが集うことになった。佐藤大輔の小説『レッドサン・ブラッククロス』に登場する「鹿内靖」「山田道夫」「高梨俊一」なるキャラは、いずれも『シミュレイター』誌で活動していたライターである(鹿内靖は後に編集長になる。高梨は現在日本大学理工学部教授)。また「赤城毅」としてデビューする以前の赤城毅が本名で執筆活動を行っていたこともある。 その後シミュレーションゲームの市場が冷え込むと共に、制作と出版の規模は縮小してしまうが、1988年、『モンスターメーカー』の大ヒットにより、さらに広い層に認知されることになる。モンスターメーカーの関連商品として、自ら執筆した小説も、単なるキャラクター小説に留まらない重厚なエピック・ファンタジーとして評価を受け、小説家としての力量も示した。 晩年は、フリーランスのゲームデザイナーとして、シミュレーションゲーム、ボードゲーム、カードゲーム、TRPGなどを広くデザインしていた。 人物『パンツァーグルッペ・グデーリアン(英語版)』(1976年発売)を特に好み、プレイ回数と作戦研究はアメリカのゲーマー以上だろうと自負する。 戦略性の高い対人ゲームにおける実力の高さも非常に有名で、ボードゲームはもちろん、麻雀では「一時は麻雀で食っていた」と噂されるほど高い実力を持つ。自らの著書「ゲーム的人生ろん」でも、会社勤めで家族を抱えて薄給の時代に、麻雀の勝ちで糊口をしのいでいたことが述懐されている。 一部のウォー・シミュレーションゲーム愛好者から「神様」と称される。 伝説の雀鬼こと桜井章一の著書にしばしば登場する「鈴銀」は、鈴木銀一郎だという風説があるが、本人は否定している。 編集長を務めた雑誌『シミュレイター』は創刊当初、発売が常に遅延した。ついに鈴木は「次号の発売日が遅れたら坊主頭になる」と誌面で公約したものの、やはり発売日を守ることはできなかった。後日、頭を丸めた鈴木の写真が同誌に掲載された。 自らデザインしたゲームのテストプレイにおいては、練達のプレイヤーとの対戦においては強敵であったものの、初心者に負けることも多々あり、「サドンデス鈴木」と揶揄されたこともある。 2024/06/14 20:38更新
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suzuki ginichirou
鈴木銀一郎と同じ誕生日11月24日生まれ、同じ東京出身の人
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