長松純明の情報(ながまつすみあき) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
長松純明と関係のある人
宮崎弘教: 初盗塁:同上、8回裏に二盗(投手:スティーブ・シャーリー、捕手:長松純明) |
長松純明の情報まとめ
長松 純明(ながまつ すみあき)さんの誕生日は1952年6月4日です。大分出身の野球選手のようです。
卒業、引退に関する情報もありますね。長松純明の現在の年齢は72歳のようです。
長松純明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 長松 純明(ながまつ すみあき、1952年6月4日 - )は、大分県中津市出身の元プロ野球選手(捕手)。 中津工高では、1970年夏の甲子園県予選準決勝で津久見高に敗れ、中九州大会には進出できなかった。卒業後は福岡工業大学へ進学。福岡六大学リーグでは1972年秋季リーグから4季連続優勝。リーグ通算16本塁打、首位打者2回、3年春から4季連続ベストナイン。1973年には5試合連続本塁打を放ちリーグ記録を更新。高校、大学の同期に筧文夫(日本ハム)がいた。 1974年ドラフト2位で、ロッテオリオンズに入団。強肩強打の捕手として期待されるが、村上公康、高橋博士らの控えに甘んじる。しかし1983年には20試合に先発マスクを被り、袴田英利、土肥健二と正捕手の定位置を争った。1985年限りで現役引退。 1986年よりバッテリーコーチに就任するが僅か1年で退団した。 初出場・初先発出場:1975年4月10日、対日本ハムファイターズ前期2回戦(後楽園球場)、3番・指名打者で先発出場 ※偵察メンバー、1回表に得津高宏に交代 初打席:1975年6月26日、対近鉄バファローズ前期13回戦(藤井寺球場)、9回表2死から前田益穂の代打で出場、柳田豊の前に凡退 初安打:1975年8月5日、対南海ホークス後期4回戦(県営宮城球場)、山内新一から単打 初本塁打:1983年7月9日、対阪急ブレーブス14回戦(川崎球場)、1回裏に永本裕章から3ラン 39 (1975年 - 1985年) 76 (1986年) 大分県出身の人物一覧 福岡工業大学の人物一覧 千葉ロッテマリーンズの選手一覧 表 話 編 歴 1位:菊村徳用 2位:長松純明 3位:芦岡俊明 4位:若林仁 5位:入沢淳 6位:石毛宏典(入団拒否) 日本の野球選手 福岡工業大学硬式野球部の選手 千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手 日本の野球指導者 大分県出身の人物 福岡工業大学出身の人物 1952年生 存命人物 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目
2024/11/12 00:55更新
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nagamatsu sumiaki
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