もしもし情報局 > 1974年 > 7月4日 > 相撲

闘牙進の情報 (とうきすすむ)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【11月22日】今日誕生日の芸能人・有名人

闘牙進の情報(とうきすすむ) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

闘牙 進さんについて調べます

■名前・氏名
闘牙 進
(読み:とうき すすむ)
■職業
相撲
■闘牙進の誕生日・生年月日
1974年7月4日 (年齢50歳)
寅年(とら年)、蟹座(かに座)
■出身地・都道府県
千葉出身

(昭和49年)1974年生まれの人の年齢早見表

闘牙進と同じ1974年生まれの有名人・芸能人

闘牙進と同じ7月4日生まれの有名人・芸能人

闘牙進と同じ出身地千葉県生まれの有名人・芸能人


闘牙進の情報まとめ

もしもしロボ

闘牙 進(とうき すすむ)さんの誕生日は1974年7月4日です。千葉出身の相撲のようです。

もしもしロボ

趣味、卒業、引退、病気、離婚、事故、兄弟、テレビ、父親に関する情報もありますね。今年の情報もありました。闘牙進の現在の年齢は50歳のようです。

闘牙進のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

闘牙 進(とうき すすむ、1974年7月4日- )は、千葉県市川市行徳出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は玉城 順(たまき じゅん)。最高位は東小結(2003年9月場所)。現役時代の体格は189cm、174kg。得意手は突き、押し。趣味は音楽鑑賞。血液型はA型。

父は、高砂部屋の元序二段だった高勇。長く伸びた揉み上げが特徴で、NHKの大相撲中継では「もみあげの闘牙」と評されたこともある。父の開設していた道場で柔道を習い、中学校時代は父の故郷である沖縄県で過ごした。1年先輩には阿嘉(後の元幕内・若ノ城)がいる。中学卒業後、柔道の強豪・東海大学付属相模高校に入学するも、腰を痛めて柔道の道を断念した。それでも高校は卒業するつもりだったが、学校から留年させない代わりに大量の宿題を与えられ、結局1年中途で中退した。その後、高砂部屋関係者の勧誘を受けた際に、最初は腰の持病を理由に断るも、左膝の大怪我を抱えて土俵に上がり続ける小錦の例を聞いて、小錦に対する尊敬が芽生えたことで入門に至り、1991年1月場所において初土俵を踏んだ。

三段目でやや苦労したものの、1994年3月場所に7戦全勝で三段目優勝を果たし、翌5月場所に幕下へ昇進した。途中で三段目へ陥落することもあったものの、その後は幕下中位に定着し、1996年1月場所からは四股名を本名から取った「玉城(たましろ)」から「闘牙」へと改めた。自己最高位となる東幕下11枚目まで番付を上げた1997年1月場所では5勝2敗と勝ち越し、西幕下4枚目の位置で迎えた翌3月場所でも5勝2敗と勝ち越し、東幕下筆頭の位置で迎えた翌5月場所では6勝1敗の好成績で優勝決定戦まで進出し、7人によるトーナメントを制して幕下優勝を果たした。そして翌7月場所において新十両へ昇進した。

新十両となった1997年7月場所では6勝9敗と負け越して1場所で幕下へ陥落するが、翌9月場所に6勝1敗の好成績を挙げて翌1月場所に再十両を果たすと、その9月場所と続く11月場所を連続して勝ち越し、続く1998年3月場所では西十両2枚目の位置で12勝3敗と大きく勝ち越して優勝決定戦まで進出した。優勝決定戦では久島海に敗れて優勝は逃したものの、翌5月場所にて新入幕を果たした。

新入幕となった1998年5月場所では7勝8敗と負け越して1場所で十両へ陥落したが、翌7月場所で勝ち越して翌9月場所に1場所で再入幕し、以降は幕内へ定着した。1999年5月場所と11月場所で初日から6連勝し一時優勝争いに加わるなど活躍。2003年5月場所から2場所連続で10勝を挙げ、同年9月場所では新三役となる東小結へ昇進したが、その場所は7勝8敗と負け越した。その後、左肩の故障の影響から2005年5月場所を最後に幕内から遠ざかるものの、同年11月場所には12勝3敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たした。しかし、翌2006年1月場所が始まる直前に元々悪くしていた腰を痛めて初日から休場し、8日目から途中出場してこの場所を4勝5敗6休の成績で終えて幕下への陥落は免れたものの、翌3月場所では序盤から7連敗を喫して結果的には2勝13敗と大敗し、翌5月場所において幕下へ陥落した。

取り口としては、腰痛のためあまり前に出ることができず、諸手のど輪で相手の動きを止めた後で叩き込んだり引き落とすことが目立った。腰痛が悪化してからは、引いたところを前に出られてあっけなく土俵を割ることも多かった。

長らく腰の持病と付き合ってきたものの、これ以上の回復は見込めないことから、幕下へ陥落した2006年5月場所が始まる直前の同年5月5日付で日本相撲協会に引退届を提出し、準年寄・闘牙として高砂部屋の部屋付き親方となった。

なお、幕内を計38場所も務め、三役にも昇進したが、三賞受賞の機会には恵まれなかった。1999年5月場所・11月場所、2003年7月場所など三賞受賞のチャンスはあった。特に2003年7月場所は優勝の大関魁皇に大関武双山も破ったが受賞はならなかった。

2007年1月27日に断髪式が両国国技館本土俵にて行われ、同部屋の後輩でもある横綱・朝青龍をはじめ320人以上が鋏を入れた。整髪時にはトレードマークの揉み上げも切り落とした。

2007年5月に準年寄の期限が切れる前に大関・千代大海から名跡を借りて年寄・19代佐ノ山を襲名し、2008年2月にはその千代大海が在籍する九重部屋へ移籍した。2010年1月13日には千代大海が引退して年寄・20代佐ノ山を襲名したため、大関・魁皇から名跡を借りて年寄・13代浅香山を襲名した。同年9月には幕内・豪風から名跡を借りて年寄・20代押尾川を襲名し、2012年4月には2010年3月に日本相撲協会を定年退職した17代千田川(元大関・前の山)が保有する名跡を借りて年寄・20代千田川を襲名した。2012年6月5日に錦戸部屋へ移籍し、同年6月25日(同年7月場所番付発表日)までに襲名中の年寄名跡・千田川を正式に取得した。

2012年11月場所から2013年3月場所までの約半年間は、病気のため入院した13代東関(元幕内・潮丸)の代理として勝負審判を務めた。ただし2013年1月場所は途中でインフルエンザのため数日間休場し、他の審判委員が代理の代理に立てられた。2016年3月場所でも、7日目に負傷した10代錦戸(元関脇・水戸泉)の代理として8日目から勝負審判を務めた。 7月場所でも体調不良のため審判部の職務から外れた錦戸に代わり勝負審判を務め、その後8月30日付で審判部から外れた錦戸の後任として巡業部と兼任の形で審判部所属となった。 また2020年3月25日、同じ高砂一門である朝乃山の大関昇進伝達式では、出羽海理事に同行し、使者を務めた。

2022年3月30日に協会は新職務分掌を発表し、千田川が勝負審判に正式に就任したことが明らかとなった。

2023年9月7日、日本相撲協会を退職した。貴闘力は、あくまで噂と断りを入れながら、取得していた年寄名跡の実態は借株で、離婚した妻への慰謝料や年寄名跡の代金の支払いに疲れて年寄名跡を手放して協会退職に至ったのだと主張している。また、退職後は土俵設営会社に勤務しているという。

隆の鶴(鳴戸部屋)とは、揉み上げと濃い胸毛から非常によく似た容貌をしており、2人が取組で土俵に上がると場内から歓声が上がった。また、闘牙が引退した場所で隆の鶴も引退を表明し、この2人は何かと縁があった。なお、2人の間ではお互いに「間違われても怒らない」という申し合わせをしていたという。

2000年12月18日午後9時頃、大阪市福島区吉野1丁目の国道2号交差点で自身の運転する自動車で歩行者をはねる人身事故を起こし(相手は死亡、先方に赤信号無視。先方は認知症患者で、完全に赤信号のタイミングで車道を徘徊していた)、2001年1月場所の出場を辞退した。これにより、師匠である6代高砂(元小結・富士錦)が降格(役員待遇→平年寄)処分を受けた(相手に過失があったため、略式起訴で罰金20万円の有罪判決。協会側は力士の自動車運転を禁止しているために処分が重かった)。

自分の兄弟子である小錦を尊敬し、小錦が大関から平幕に陥落した以降も引退するその日まで「大関」と呼び続けていた。また、小錦が日本相撲協会を退職した後にプライベートで本場所を観戦中、自身の取組後に小錦の席まで出向いて挨拶をする姿が大相撲中継に映し出されたこともある。

2000年に放送された日本テレビ『THE独占サンデー』におけるコーナー「パワーの楽園超人王国」で、力士最高記録を叩き出した。しかし、前述の人身事故を起こしたため、出演自体がなかったことにされて記録も抹消された。この時の記録は、後に曙が出した最高記録を100kg以上も上回っている。

非常に饒舌で、しばしばテレビのバラエティ番組に出演しており、趣味のサーフィンなどを披露している。フジテレビ『ジャンクSPORTS』に出演した際には、アシスタントの内田恭子から四股名をひっくり返した「牙闘(きとう)関」と呼ばれたことがある。

2000年の福祉大相撲のお楽しみ歌比べで、他の力士が演歌系歌手と共演する中で「モーニング娘。」と共演し、『LOVEマシーン』を一緒に踊った。

幕下時代は水戸泉の付け人を務めていた。ゲームファンでも有名だった水戸泉は『ドラゴンクエスト』に熱中するあまり、当時付け人だった闘牙にレベル上げを頼んだという逸話が残るほど、公私にわたって闘牙に信頼を置いていた。こうした縁もあり、闘牙は年寄・千田川を襲名した後に水戸泉が創設した錦戸部屋へ移籍している。

対横綱戦は29戦全敗と、2003年1月場所に記録してから2017年11月場所終了時点で魁聖が1位タイに並ぶまで対横綱戦未勝利の記録としては長らく単独ワースト1位の連敗記録となっていた。

2001年5月場所、千秋楽の琴光喜戦で闘牙の張り手により、琴光喜が脳震盪を起こし勝った事もあった。

2008年9月9日発売の『週刊朝日』で、錦糸町で父親が経営していたレゲエバーで大麻を吸引していたとする疑惑を報じられた(本人は否定)。

通算成績:511勝518敗24休 勝率.497

幕内成績:249勝303敗18休 勝率.451

現役在位:92場所

幕内在位:38場所

三役在位:1場所 (小結1場所)

三賞・金星:無し

各段優勝

    十両優勝:1回(2005年11月場所)

    幕下優勝:1回(1997年5月場所)

    三段目優勝:1回(1994年3月場所)

    玉城 順(たましろ じゅん)1991年3月場所- ※本名とは姓の読みが異なる。

    闘牙 進(とうき すすむ)1996年1月場所-2006年5月場所

    闘牙 進(とうき すすむ)2006年5月-2007年5月(準年寄)

    佐ノ山 進(さのやま-)2007年5月-2007年6月

    佐ノ山 順(さのやま じゅん)2007年6月-2010年1月

    浅香山 順(あさかやま じゅん)2010年1月-2010年9月

    押尾川 順(おしおがわ じゅん)2010年9月-2012年4月

    千田川 順(せんだがわ じゅん)2012年4月-2023年9月

    ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p20

    ^ 入門時は若松部屋であるが、師匠は元大関・朝潮太郎 (4代)のままであった。

    ^ “元闘牙の千田川親方 インフルエンザで休場”. スポニチアネックス. (2013年1月18日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/01/18/kiji/K20130118005010260.html 2016年3月20日閲覧。 

    ^ “錦戸審判委員が左脚負傷 8日目から休場 土俵下で力士と激突”. スポニチアネックス. (2016年3月19日). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/03/19/kiji/K20160319012243470.html 2016年3月20日閲覧。 

    ^ “朝乃山、新大関へ口上「正義を全うし一生懸命努力」” (2020年3月25日). 2020年3月25日閲覧。

    ^ 伊勢ノ海親方は大阪場所担当部長、佐渡ケ嶽親方は審判部長 日本相撲協会が新職務分掌を発表 日刊スポーツ 2022年3月30日14時30分 (2022年3月31日閲覧)

    ^ 元小結闘牙の千田川親方が7日付で退職 日本相撲協会が発表 日刊スポーツ 2023年9月7日15時32分 (2023年9月7日閲覧)

    ^ 【闘牙】千田川親方の若すぎる退職理由は?借株と金の関係 貴闘力部屋 2023/10/31 (2023年11月30日閲覧)

    ^ 大空出版『相撲ファン』vol.06 p51

    ^ 佐ノ山親方が大麻疑惑を否定 日刊スポーツ 2008年9月9日9時48分 紙面から (2024年6月12日閲覧)

    ^ “Rikishi in Juryo and Makunouchi” (English). szumo.hu. 2007年6月7日閲覧。

    ^ 左肩関節挫傷により5日目から途中休場、9日目から再出場。

    小結一覧

    闘牙 進 - 日本相撲協会

    千葉県出身の大相撲力士

    高砂部屋

    1974年生

    存命人物

    千葉県出身の人物

    ウィキデータにある日本相撲協会識別子

2024/11/16 02:55更新

touki susumu


闘牙進と同じ誕生日7月4日生まれ、同じ千葉出身の人

海宝 直人(かいほう なおと)
1988年7月4日生まれの有名人 千葉出身

海宝 直人(かいほう なおと、1988年7月4日 - )は、日本の男性ミュージカル俳優、歌手、声優。ロックバンド「CYANOTYPE シアノタイプ」のボーカル。千葉県出身。オフィスストンプ所属。 身…

清浦 夏実(きようら なつみ)
1990年7月4日生まれの有名人 千葉出身

2003年 - 清浦 夏実 (きようら なつみ、1990年7月4日 - )は、日本の歌手、女優であり、バンドTWEEDEESのボーカルである。 千葉県出身。第23代内閣総理大臣・清浦奎吾の玄孫にあ…

石丸 椎菜(いしまる しいな)
1994年7月4日生まれの有名人 千葉出身

石丸 椎菜(いしまる しいな、1994年7月4日 - )は、日本の女優、タレント、歌手である。 千葉県出身。東宝芸能所属。 趣味はミサンガ作り、読書、観劇。 特技は歌、ジャズダンス、タップダンス。…

田中 雄士(たなか ゆうじ)
1977年7月4日生まれの有名人 千葉出身

田中 雄士(たなか ゆうじ、1977年7月4日 - )は、日本のキックボクサー、会社経営者、歌手。 世界雪豹キックボクシング連盟 (WBKF) 初代世界スーパーフェザー級王者、第3代GRACHANキ…

板沢 峰生(いたざわ みねお)
1961年7月4日生まれの有名人 千葉出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 板沢 峰生(いたざわ みねお、1961年7月4日 - 1980年12月3日)は、千葉県東葛飾郡流山町(現在の流山市)出身のプロ野球選手…


長島 進(ながしま すすむ)
1920年7月4日生まれの有名人 千葉出身

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート 長島 進(ながしま すすむ、1920年7月4日 - 没年不明)は、千葉県出身の元プロ野球選手(捕手)。 関東中学校、日本大学を経て、…


TOPニュース

動画を見るだけで10万円稼げる!?

闇バイトに引っかからない方法

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去


注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
闘牙進
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

こっちのけんと 斎藤元彦 松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人

グループ

やるせなす Kis-My-Ft2 さくら学院 Snow Man 東京女子流 ココリコ タッキー&翼 TEAM★NACS GReeeeN 新選組リアン 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「闘牙進」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました