黒咲一人の情報(くろさきかずと) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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■名前・氏名 |
黒咲一人の情報まとめ
黒咲 一人(くろさき かずと)さんの誕生日は不明です。佐賀出身の漫画家のようです。
卒業、現在に関する情報もありますね。
黒咲一人のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)黒咲 一人(くろさき かずと、1948年 - )は、日本の漫画家。佐賀県出身。「放浪の漫画家」として知られる。 中学を卒業後、集団就職で名古屋の鉄工所に就職。その傍ら、プロをめざしてボクシングジムに通った。漫画を描き始めたのは「元手がなくてもできる」という理由からだという。 投稿した漫画が採用されたことをきっかけに上京し、19歳で単行本デビュー。ボクシング漫画『傷だらけの挑戦』だった。ただ、本はほとんど売れなかったという。しかし、このままでは終われんと一念発起、漫画に集中できるだけのカネを貯めようと川崎の工事現場で働き、それをネタにした漫画を『週刊少年ジャンプ』に持ち込み、そのままジャンプ編集部に居候のようなかたちで転がり込んだ。 1979年、『週刊ヤングジャンプ』が創刊され、飯場やホームレスの男性がけんかの代理業で稼ぐ『無頼風』を連載。毎週、本宮ひろ志と人気トップを争うなど、連載は3年間続いた。 しかし、2003年には仕事が途絶え、漫画家を一旦廃業。すべての原稿を処分し、「遺書と、万が一の場合の埋葬費10万円をバックに忍ばせて」四国遍路の旅に出る。 2004年1月、88の札所を回り終える。7月からは旅の体験を「55歳の地図 実録!リストラ漫画家遍路旅」として『週刊漫画ゴラク』に連載。その後、単行本化・電子書籍化もされた。 2013年9月、自転車で日本列島縦断の旅に出る。高知県高知市の種崎千松公園で野宿中の翌年5月、高知新聞の取材を受け、5月16日付けの「金曜フリースペース」で報じられる。記事の最後は「この腕が動かなくなるまで描き続けますよ。誰も見たことがない、自分しか描けない漫画を」という本人の言葉で締め括られている。 2020年4月現在、高知県土佐清水市にある民宿で働いていることが確認されている。 ファイター幻(1977年、集英社、全4巻) 風のがくらんらん(1983年、ジェッツコミックス、白泉社、全1巻) 吹けよ!疾風(1985年、全2巻) ハスラー・ザ・キッド(全5巻) 無頼風(全7巻) 宇宙遊撃隊 りぼるばあ(1988年、ぶんか社、全1巻) ザ・ボクサー(全2巻) 激駿ドンガメオー(1992年、全2巻) 黄土の奔流(1992年、ヤングジャンプ・コミックス、全1巻)※生島治郎の冒険小説『黄土の奔流』のコミック化 がくらん無頼(全2巻) 風の隼(全1巻) 野球無頼(全1巻) 55歳の地図(2005年、週刊漫画ゴラク、日本文芸社、全1巻) 55歳の地図 Again(全1巻) - 特製ネームブック 55歳の地図 Again~虹の峠から~(全1巻)- 特製ネームブック YABU(1990年、ヤングジャンプ30 1990.9.10増刊、集英社) ^ “放浪漫画家 遍路を描く 黒咲一人さん”. 高知新聞. (2014年5月16日) ^ “Jコミで扉を開けた男“漫画屋”赤松健――その現在、過去、未来(後編)”. ITmedia eBook USER (2010年12月9日). 2021年4月20日閲覧。 ^ “四国遍路の旅 高知編16日目「民宿大岐の浜から三原村農家民宿くろうさぎ」”. 2021年4月20日閲覧。 笠間しろう 山松ゆうきち 中島徳博 ISNI VIAF 日本 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。 日本の漫画家 佐賀県出身の人物 1948年生 存命人物 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 すべてのスタブ記事 漫画家に関するスタブ
2024/11/13 06:22更新
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kurosaki kazuto
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