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yukihiroの情報 (ゆきひろ)
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【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

yukihiroの情報 (ゆきひろ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]

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yukihiroさんについて調べます

■名前・氏名
yukihiro
(ゆきひろ)
■職業
ミュージシャン
■yukihiroの誕生日・生年月日
1968年11月24日 (年齢55歳)
申年(さる)、射手座(いて)
■出身地・都道府県
千葉出身

yukihiroと同じ年に生まれた芸能人(1968年生まれ)

yukihiroと同じ誕生日の人(11月24日)

yukihiroと同じ出身地の芸能人(千葉県生まれ)


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yukihiro

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yukihiro(ゆきひろ)さんの誕生日は1968年11月24日です。千葉出身のミュージシャンのようです。

もしもしロボ

音楽性、acid androidなどについてまとめました。ドラマ、脱退、現在、卒業、解散、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。現在の年齢は55歳のようです。

yukihiro(ユキヒロ、1968年11月24日 - )は、日本のドラマー、DJ、シンガーソングライター。

ロックバンド・L'Arc〜en〜Ciel、geek sleep sheep、Petit Brabanconのドラマー。元ZI:KILL、元DIE IN CRIESのドラマー、元OPTIC NERVEのメンバー、元P'UNK〜EN〜CIELのベーシスト。

学生時代から様々なバンド活動を行っているが、本格的な活動は1989年にZI:KILLへ加入した頃から始まる。yukihiroの演奏したドラムが入ったスタジオ音源が販売されたのは、同バンドのアルバム『CLOSE DANCE』が初となる。そしてZI:KILLを脱退した後は、1991年に室姫深(THE MAD CAPSULE MARKETS)と音楽ユニット、OPTIC NERVEを結成している。このユニットでは、エレクトリック・ボディ・ビートを志向したアルバムを制作し「ABSTRACTION」「RED MOON」などの楽曲で自身が作曲を担当。その後加入するDIE IN CRIESにおいても、いくつかの楽曲の制作でコンポーザー、更にはリミキサーを務めている。そして1998年にはL'Arc〜en〜Cielへドラマーとして加入し、メインコンポーザーの一人として、現在までに「New World」や「DRINK IT DOWN」「Cradle」「trick」「get out from the shell -asian version-」「REVELATION」「shade of season」などの楽曲を作曲している。また、2000年には自身が単独でプロデュースした、L'Arc〜en〜Cielのリミックスアルバム『ectomorphed works』が発表されている。

2001年からは、新たなソロプロジェクト、acid androidの活動を開始。このプロジェクトでyukihiroは基本的にボーカルを務め、シンセサイザーも担当している。なお、楽曲によってはギター、ドラム、プログラミング、ミキシングを担当している。また、プロジェクトを開始してしばらくの音源は、インダストリアル・ミュージックやギターリフが印象的なヘヴィ・ロック・サウンドから影響を受けたものが多く、こういった音楽性にエレクトロニック・ボディ・ミュージック的な構成を掛け合わせていくことが基本の形となっていた。ただ、近年は自身のルーツである1980年代のニュー・ウェイヴやシンセポップ、エレクトロ・ポップからの影響を色濃く反映した楽曲の制作にシフトしてきている。なお、acid androidは現在までに、アルバム7作品、シングル・単曲配信8作品、映像作品4作品を発表している。

そして2012年には、百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)、345(凛として時雨)とスリーピースバンド、geek sleep sheepを結成。活動当初は"1990年代のシューゲイザー、グランジ、オルタナティヴ・ロック"をテーマとした音源をリリースしていたが、徐々に様々なアプローチで楽曲制作を行うようになり、現在まで不定期で活動が続けられている。また、2021年には京(DIR EN GREY)が主導し結成した、ヘヴィ・サウンドを鳴らすロックバンド、Petit Brabanconに参加している。

他には、DJとしても時折活動しており、自身が企画するDJ&ライヴイベント以外に、hide(X JAPAN、zilch)の主催イベントや、Lillies and RemainsとPLASTICZOOMSとTHE NOVEMBERSの3組が企画したライヴイベントなどにDJで出演したことがある。また、1996年にはTHE MAD CAPSULE MARKETS、2020年にはTHE NOVEMBERSのアルバム制作に参加し、プログラミングもしくはシーケンスサウンドデザインを担当。ドラマーとしては、上領亘(ex.GRASS VALLEY、ex.P-MODEL)が在籍するCROWのライヴや、SUILENのレコーディング、SCHAFTの楽曲制作およびライヴに参加している。さらに、D'ERLANGERやSOFT BALLET、sukekiyo、People In The Boxの楽曲のリミックスワークも行っている。

マネジメントは、L'Arc〜en〜Cielと同様に、MAVERICKが担当。所属レーベルは、2001年に自主レーベルとして立ち上げた、track on drugs records。

1968年11月24日に千葉県市川市にて生まれる。血液型はA型。

バンドメンバーやファンからの愛称は「ユッキー」。

yukihiroがドラムを始めたのは高校の入学前だったという。入学祝いを貰い、それを元手にギターを買おうと楽器店へ向かったが気に入るものが見つからず、ギターと同じフロアに置いてあったドラムセットに一目惚れし、ドラムを始める。このドラムセットにはきっちりとタムやシンバルが組み込まれており、それを気に入ったことが購入の決め手だったという。その後ドラムを家で演奏・練習するようになるが、「跳ね返りが悪くなる」という理由で防音マットも敷かずフルセットで叩いていたことで、近所から苦情が来たため市役所の訪問を受け、時間を決めて叩くことになったという。そして高校入学後から髪を伸ばし始め、バンド活動を始めていく。

高校時代はバンド活動に没頭し、次第に学校へ行く意味を見失い、親に退学したいと相談したこともあったという。ただ、親にそのことをかなり怒られたため、結局高校を卒業し、千葉商科大学へ進学することを決断する。なお、大学合格時も進学を辞退しようとしたが、高校の教師から「入りたくても入れなかった人もいる。お前が合格した代わりに誰かは落ちているんだ」と諭され、大学に進学することにしている。ちなみに大学を選んだ理由は「家から通えるから」だったという。

そして大学在学中に、東京ヤンキースを結成する前のUME、NORIとハードコアバンド、GUERRILLAを結成。1989年6月11日には、GUERRILLAとして目黒鹿鳴館でライヴを行っている。この鹿鳴館でのライヴを見ていたZI:KILLのギタリスト、KEN(注:L'Arc〜en〜Cielのギタリスト、kenとは全くの別人)に誘われ、ZI:KILLへ加入する。ZI:KILL加入後、『CLOSE DANCE』と『DESERT TOWN』の2枚のアルバム制作に参加しているが、イギリス・ロンドンでのメジャーデビューアルバムのレコーディングが終わった後の1990年12月28日に、ZI:KILLを脱退することになる。バンドから脱退することになった理由は、yukihiro曰く、レコーディング中にボーカルのTUSKが「バンドを辞める」「yukihiroがいなければ残る」と言い出したことがきっかけで、結果的に途中からバンドに加入した自分が抜けることにしたという。

ZI:KILLを脱退することになった背景を振り返り、yukihiroは2006年に受けた音楽雑誌のインタビューで「その頃の僕のフェイバリットはミニストリーで。もっと極端なものがカッコ良いと思ってたんですよね。だけどその頃のZI:KILLは、もっと普遍的なものを目指そうとしてるような、そんなふうに感じて。僕は後から入ったっていうのもあったけど、もっと突き詰めたかった。まぁ、その時は若かったんで、妥協できなくなっちゃった。話も合わなくなってきちゃうし、曲作ってても俺だけ違うアプローチをしちゃったり、そんな中で、だんだんメンバー間で距離が出来るのを感じてたし。誰が悪いってわけでもないんだけど…」「僕以外のメンバーも、違和感を感じてたと思うんですけどね、音楽的な部分でも。何であの曲にあんなドラムのパターンをつけるんだ、って。もうちょっとシンプルなドラム付けてくれればシングルになるのに!とか。(中略)でも、僕はその頃そういうのがイヤだったから」と述べており、他のメンバーとの間で音楽性の面で隔たりが生じていたと振り返っている。ただ、脱退後もZI:KILLとして活動していた時期を否定的に捉えておらず、後年yukihiroは「(自分がいた)その頃のZI:KILLは、色んな音楽の要素を混ぜ合わせてたと思うんですよ。でも、真ん中に柱としてあるのは、僕の解釈ではアンダーグラウンドのもので。そういう空気とか匂いがすごいカッコいいと思ったし。例えば、色んな楽器へのアプローチにしても、普通そうしないだろっていうことをいっぱいやってたんです、彼らは」と述べている。

こうしてZI:KILLから脱退することになったyukihiroだが、脱退が決まった途端、レコード会社の人間に見放されたため、初めて訪れた海外で単身放り出されることになってしまう。

1990年12月にZI:KILLを脱退した後、ロンドンに残ることにしたyukihiroは、現地の通訳と色々な場所に出かけていたという。また、yukihiroはロンドンからD'ERLANGERを解散したばかりのKYOに電話をしたという。これを機に、新たなバンドを結成していく方向へと進んでいくことになる。

まず、yukihiroは1991年に室姫深(ex.THE MAD CAPSULE MARKET'S)と音楽ユニット、OPTIC NERVEを結成し、同年9月10日にアルバム『OPTIC NERVE ABSTRACTION』を発表する。この作品は、当時yukihiroが目指していた「打ち込みとの同期を採り入れた音楽」を志向した仕上がりになっており、エレクトロニック・ボディ・ミュージックに傾倒した楽曲や、バンドサウンドとテクノロジーを融合させたような楽曲が収録されることになった。また、この作品のレコーディングにはエレクトロ・ミュージックに精通する面々を招聘しており、小西健司(4-D、ex.P-MODEL)とTAKA(山口貴徳)の他、エンジニアの杉山勇司や百々政幸らが制作に参加していた。

一方、KYOはソロプロジェクトとして、1991年8月10日にDIE IN CRIESを始動し、OPTIC NERVEの2人が制作に参加したアルバム『NOTHINGNESS TO REVOLUTION』を発表する。このアルバムリリース後、OPTIC NERVEの2人とベーシストのTAKASHIを加え、新たにバンドとしてDIE IN CRIESの活動を進めていく。そして翌1992年3月11日に、アルバム『VISAGE』でメジャーデビューを果たす。以降、DIE IN CRIESとしてスタジオ・アルバム4作品(前述の1991年のアルバムを含めると計5作品)、シングル7作品をリリースしている。なお、これは余談だが、yukihiroはDIE IN CRIESとしての活動を本格的に始める前の1991年初めごろに、ROSEN KREUZというバンドでサポートドラマーを務めていたことがある。ただ、yukihiroは1年未満でこのバンドのサポートから抜けており、後任には、のちに特撮のドラマーとなるArimatsuが入っている。

DIE IN CRIESの活動は順調に進んでいき、日本の代表的な会場である日本武道館にも立てるようになっていったが、楽曲制作の場において外部の力が強くなってきたことに不満が募り始め、そこから音楽性の違いなどが生まれ、1995年7月2日に東京ベイNKホールで行うライヴ「LAST LIVE」をもってバンドを解散させることになった。後年yukihiroは、2006年に受けた音楽雑誌のインタビューで、DIE IN CRIESの活動を振り返り「DIE IN CRIESはカッコいいことやってたと思うけどね。ああいうバンドいなかったでしょう。今でなら同期モノなんか当たり前みたいな考え方があるけど、あの頃はほんとにいなかったから。バンド4人いて、さらに打ち込みの音もちゃんと鳴らして、それもひとつの要素として必要不可欠なものだって存在してるバンドは少なかったと思う。最後のアルバム(注:『Seeds』)出して納得できたかな」と述べている。なお、DIE IN CRIESで活動するにあたり所属することになった事務所は、L'Arc〜en〜Cielも在籍していたデンジャークルーであり、これが後にドラマーを探していたL'Arc〜en〜Cielに誘われるきっかけとなる。

1995年にDIE IN CRIESが解散してからはソロ活動を開始し、同年8月19日にはソロ名義で日清パワーステーションにおいて、DJ&ライヴイベント「case in Water 〜invitation from yukihiro〜」を開催している。このイベントは、前半がyukihiroによる<DJタイム>、後半がソロ名義で制作した楽曲を生で披露する<ライヴタイム>という2部構成になっており、DJタイムではアート・オブ・ノイズのリミックス盤やマッシヴ・アタック、トリッキーなどのダンス・ミュージックのレコードがかけられている。なお、このイベントの模様の一部は、1995年11月21日に発表したライヴビデオ&ライヴアルバム『「8.13」LIVE AT NISSIN POWER STATION '95.8.13』に収録されている。

ちなみに、yukihiro曰く、DIE IN CRIESが解散した後、新たなバンドを結成すべくメンバー探しも行っていたという。そのバンドは、鮎貝健をボーカルにした編成となる予定だったが、形にならずに実現しないまま終わってしまう。他にも、女性ボーカルを据えたバンドを動かしていたこともあったという。

また、この時期はソロ活動の傍ら、飯島直子の2枚目のシングル「Change my mind」のレコーディングにドラマーとして参加したり、大友康平のバックバンドのドラマーとしても活動を行っている。ちなみに飯島直子のレコーディングに参加したのは、後藤次利がドラマーを探していたことがきっかけだったといい、後年yukihiroは「1回やったらちょっと気に入ってくれたみたいで、何度か(仕事の)話振ってくれましたね」と述懐している。さらに、1996年1月24日には、THE MAD CAPSULE MARKETSのアルバム『4 PLUGS』の制作にプログラミングで参加。1997年8月26日には、hide(X JAPAN、zilch)が都内のクラブ複数店舗を貸切って企画したイベント「MIX LEMONed JELLY」にDJとして参加している。

ただ、DIE IN CRIESの解散後しばらくは、音楽以外の仕事を一切行わなかったこともあり、貯金が尽きかけギリギリの生活が続いていたという。そのため、デンジャー・クルーのギターテックの家に居候させてもらう生活を一年ほど続けている。この時期を振り返り、yukihiroは「僕は(音楽以外の)仕事したらダメだと思ったんですよ(笑)。で、どうしようってなったときに"じゃ、居候していいよ"って人が出てきてくれて…ダメな人間だなぁ(笑)」と述懐している。

yukihiroがソロアーティストあるいはバックバンドドラマーとして活動している中、1997年2月24日に、所属事務所の後輩にあたるL'Arc〜en〜Cielにおいてドラマーを務めるsakuraが、覚醒剤取締法違反により逮捕されてしまう。この逮捕を受け、ドラマー不在となった同バンドから、サポートドラマーとしてyukihiroに声がかかることになる。後年yukihiroは、この時期のL'Arc〜en〜Cielを外から見ていた印象について「同じ事務所だし、知らないわけないじゃないですか。だから、大変そうだよなぁ、とは思ってて」と述懐している。

そしてhyde、ken、tetsuyaの3人体制になったL'Arc〜en〜Cielが久々に発表するシングル「虹」のレコーディングで、yukihiroがドラムを担当することになった。なお、このシングルのカップリングには、ホワイト・ファンクのようなギターが印象的な明るいダンサンブルな楽曲「THE GHOST IN MY ROOM」が収録されているが、yukihiroはこの曲の制作で自身が好むブレイクビーツを採り入れたアレンジを施している。ただ、ブレイクビーツを手掛けたyukihiro自身、とまどいがあったようで、「"こんなこと俺やっていいのかな"とか思いながらやってたんですけど、メンバーでもないのに」と感じていたという。

前述のシングルを発表した直後からyukihiroは、L'Arc〜en〜Cielの変名バンド、"the Zombies(読み:ザ・ゾンビーズ)"が1997年12月に開催したライヴツアー、さらに同年12月23日に東京ドームで実施されたL'Arc〜en〜Cielの復活ライヴ「1997 REINCARNATION」にサポートドラマーとして参加する。そして翌1998年1月1日付けで、L'Arc〜en〜Cielへドラマーとして正式加入することになった。

さらに、2021年には、京(DIR EN GREY)が主導し結成したバンド、Petit Brabanconに参加している。このバンドには、京とyukihiroに加え、ミヤ(MUCC)、antz(Tokyo Shoegazer)、高松浩史(THE NOVEMBERS)がメンバーとして参加しており、antzと高松に関してはyukihiroの推薦により加入している。そして、同年12月27日に日本武道館で行われた所属事務所主催のライヴイベント「JACK IN THE BOX 2021」でPetit Brabanconとして初ステージに立っている。なお、バンド結成の背景には、京からyukihiroに対するアプローチがあったという。京はバンド結成の経緯について、結成直後に受けたインタビューで「ZI:KILLのときからyukihiroさんがすごい好きで、ドラマーとして一番好きじゃないのかなというぐらい。DIR EN GREYのライブをyukihiroさんが観に来てくれたりもしていたので、何回か話したこともあったんです。それで、新しいバンドをやるならやっぱ一番にyukihiroさんとやりたいと」と述べている。なお、このバンドではオルタナティヴ・メタルやニュー・メタルなど、京が「トゲトゲしているもの」と表現するような音源が多く制作されている。

また、1998年にL'Arc〜en〜Cielへ加入して以降も、他のバンドのレコーディングや、ライヴサポートに時折参加している。2002年には上領亘(ex.GRASS VALLEY、ex.P-MODEL)と白石元久が結成した音楽プロジェクト、CROWが開催したライヴ「Surround Space Perception」にゲストドラマーとして出演している。さらに、2016年1月には今井寿(BUCK-TICK)と藤井麻輝(minus(-)、SUILEN、ex.SOFT BALLET)による音楽ユニット、SCHAFTが発表したアルバム『ULTRA』および『Deeper and Down』のレコーディングにドラマーとして参加し、同年に開催されたライヴツアー「TOUR ULTRA -The Loud Engine-」に上田剛士(AA=、ex.THE MAD CAPSULE MARKETS)、YOW-ROW(GARI)とともにサポートメンバーとして同行している。他にも2020年には、THE NOVEMBERSが発表したアルバム『At The Beginning』の制作に、シーケンスサウンドデザイン、プログラミングで参加している。

ちなみにyukihiroは、かつて音楽雑誌『音楽と人』で「yukihiro牛乳」と題したコラムを担当していたことがある。このコラムの番外編として、2014年5月23日に単行本『yukihiro milk another story』が発表されている。この本には、yukihiroがセレクトしたフェイバリットアルバム100枚のリストの他、ken(L'Arc〜en〜Ciel)やShinya(DIR EN GREY)、百々和宏(MO'SOME TONEBENDER、geek sleep sheep)、345(凛として時雨、geek sleep sheep)、ミヤ(MUCC)、ヤノマサシ(POLYSICS)、山口大吾(People In The Box)、KENT(Lillies and Remains)、小林祐介(THE NOVEMBERS)といった親交のあるアーティストたちとの対談が掲載されている。また、yukihiroは2011年に、自身の音楽活動の歴史を振り返る写真集&証言集『beautiful days』を完全受注生産で発表している。さらに、yukihiroは2012年から2014年まで、音楽雑誌『サウンド&レコーディング・マガジン』で「oscillator lover」と題し、シンセサイザーに関するコラムを書いていた。なお、同雑誌の2015年5・6月号からは、「oscillator lovers by yukihiro」と題した、"さまざまなクリエイターをゲストに招き、1つのテーマについてじっくりと対談する"という不定期連載に移行している。

(※) 太字はバンドもしくはユニット。正式メンバーとして参加していないROSEN KREUZ、SCHAFTなどのバンドに関しては除外。

GUERRILLA

ZI:KILL (1989年 - 1990年)

OPTIC NERVE (1991年)

DIE IN CRIES (1991年 - 1995年)

yukihiro (1995年、2001年)

L'Arc〜en〜Ciel (1998年 - 現在

    P'UNK〜EN〜CIEL (2004年 - 2012年)

    acid android(2001年 - 現在

    geek sleep sheep (2012年 - 現在

    Petit Brabancon (2021年 - 現在

    音楽性

    1989年に加入したZI:KILLでは、メンバーとして2作のアルバム制作及びライヴに、本職のドラムで参加していたが、1991年に室姫深(ex.THE MAD CAPSULE MARKET'S)と結成した音楽ユニット、OPTIC NERVEで発表したアルバム『OPTIC NERVE ABSTRACTION』では、初めてボーカルを担当している。また、このアルバムでは、本職であるドラムとパーカッションの他、シンセサイザーや、サンプラーを使ったプログラミング、そして一部の楽曲ではギターも演奏している。そして、OPTIC NERVEの作品を発表した直後に加入したDIE IN CRIESにおいても同様に、ドラム、シンセサイザー、プログラミングを担当している。

    1998年に加入したL'Arc〜en〜Cielでも上記バンドの頃から引き続き、ドラムやパーカッションだけでなく、楽曲によってはギターやキーボード、シンセサイザー、サンプリング、プログラミングをレコーディングで担当している。他にも、タンバリンやシェイカーをレコーディングで扱っている。さらに、2004年に始動したL'Arc〜en〜Cielのパートチェンジバンド、P'UNK〜EN〜CIELではYUKI P'UNK名義でベースを担当している。ちなみに2012年に結成したgeek sleep sheepおよび、2021年に結成したPetit Brabanconでも、ドラムを本職としながら様々な楽器・機材を制作作業で扱っている。

    なお、前述のOPTIC NERVEや、後述の1995年に開催したソロイベント、そして2001年に始動したソロプロジェクト、acid androidでボーカルを担当しているが、バンド名義の活動においては基本的にボーカルを担当していない。特にL'Arc〜en〜Cielに関しては、前ドラマーのsakuraがドラムセットの前にマイクを置いていたため、対照的なスタイルとなっている。ただ、2003年に開催されたライヴ「Shibuya Seven days 2003」において、自身が作曲を担当した「trick」をhyde、ken、tetsuyaとともに、ギターを演奏しながらマイクスタンドの前で歌唱しており、以後のL'Arc〜en〜Cielのライヴでも自作曲のボーカルを一部担当することが増えている。ちなみにyukihiroは、2004年に発表したアルバム『SMILE』に収録された「REVELATION」のレコーディングで、初めてL'Arc〜en〜Cielとしてコーラス録りを行っている。

    さらにyukihiroは、1995年にyukihiro名義で開催したDJ&ライヴイベント「case in Water 〜invitation from yukihiro〜」以降、自身もしくは他のアーティストが主催するイベントにおいて、ディスクジョッキーとしてもステージに立つようになっている。yukihiroは、自身のDJプレイについて「僕のDJは、自分が最近好きな曲とか、今日はこんな気分のセットリストがいいんじゃないかなぁみたいなので…本当に曲をかけてるだけなんです。あんまりその、スクラッチとかはやってないので…」と述べている。ちなみにyukihiroは、DJをする際、自身が収集しているレコードをかけることを基本としている。なお、yukihiroは、1999年に発表したL'Arc〜en〜Cielのアルバム『ark』に収録された自作曲の「Cradle」の制作で、ターンテーブルを担当している。他には、2005年発表の同バンドのアルバム『AWAKE』収録された「AS ONE」の制作において、yukihiroがDJとしてスクラッチ音を入れており、L'Arc〜en〜Cielの楽曲のいくつかで、yukihiroの嗜好の一部を垣間見ることができる。

    2001年から活動を開始したソロプロジェクト、acid androidでは、ほぼすべての楽曲の作詞・作曲、そして全作品のプロデュースを自らの手で行っている。また、アルバム『acid android』『faults』『GARDEN』では、すべての楽曲のミキシングを自身が単独で行っている。ちなみに、2000年に発表したL'Arc〜en〜Cielのリミックスアルバム『ectomorphed works』でも、すべてのミックス作業をyukihiroが単独で行っている。

    他には、1996年に参加したTHE MAD CAPSULE MARKET'Sのアルバム制作でプログラミングを担当。2019年に発表されたロックバンド、GRASS VALLEYの復刻アルバムボックス『Original Album Remastered Edition Box』で、リマスタリング作業の監修を実施。2020年にはTHE NOVEMBERSのアルバム制作に参加し、シーケンスサウンドデザインとプログラミングを行っている。

    1989年に加入したZI:KILLではドラマーとして楽曲制作に関わっていたが、1991年に音楽ユニット、OPTIC NERVEを結成した頃から作詞・作曲も自身で行うようになっている。OPTIC NERVEでは室姫深(ex.THE MAD CAPSULE MARKET'S)とyukihiroがそれぞれ自作曲を持ち寄っており、yukihiroは「ABSTRACTION」「RED MOON」などの楽曲を手掛けている。ちなみにyukihiroが作曲を行うようになったのは、自身の尊敬するドラマー、上領亘(ex.GRASS VALLEY、ex.P-MODEL)から「ドラマーでも曲を書いた方がいい」というアドバイスをもらったことがきっかけだったという。後年yukihiroは、このユニットのコンセプトについて「OPTIC NERVEは、純粋にエレクトリック・ボディ・ビートと呼ばれている音楽と、当時のジーザス・ジョーンズなどに代表されるようなロック・バンドにテクノロジーを持ち込んで融合させる試みのふたつを、実験的にやってみたくて組んだユニットでした」と音楽誌のインタビューで述べている。その後、OPTIC NERVEの活動から地続きで、室姫とともにDIE IN CRIESへ加入しているが、このバンドではKYOや室姫がメインソングライターを務めている。ただ、いくつかの楽曲でyukihiroが作曲を担当しており、「Die of Cold」「Eroto・manie」のようなインストゥルメンタルや、他メンバーとの共作曲「慈悲の椅子」「If…」を手掛けている。他にも、1995年にDIE IN CRIESで名義で発表したリミックスアルバム『re-make』において、yukihiroが全曲リミックスを行っている。

    DIE IN CRIESの活動に区切りをつけた後に始めた、1995年からのソロ名義での活動では、バンド活動の中で自身が作りためていた楽曲を含め、様々な音源がライヴで披露されている。この時期のソロ名義の音源は、アンビエントな質感のある「CLOSED SPACE」や、エスノやジャングルの要素を含んだ「Controled Circles」など、当時yukihiroが好んでいた音楽の雰囲気を内包したようなものが多い。なお、これらのライヴテイクは1995年11月21日発表のライヴビデオ&ライヴアルバム『「8.13」LIVE AT NISSIN POWER STATION '95.8.13』に収録されている。

    1998年に加入したL'Arc〜en〜Cielでは、"メンバー全員がソングライター"というバンドスタイルを採っていることもあり、他のメンバーと比較すると数は少ないものの、1999年発表の『ark』『ray』以降にリリースしたすべてのスタジオ・アルバムに、自身が作曲した楽曲が収録されている。L'Arc〜en〜Cielでソングライティングを行うことに関し、yukihiroは2004年に受けた音楽雑誌『ROCKIN'ON JAPAN』のインタビューで「"みんな書くから書かなきゃなあ"」と思っていたと述べている。一方で、yukihiroは同誌のインタビューで「他のバンドとかでダメって言われてた曲がアルバムに入って嬉しかった」とも示唆している。そして現在までに、様々なサンプリング音を採り入れたオカルティックでダークなナンバーの「a swell in the sun」や、トリップ・ホップの要素やインダストリアルなギターサウンドが採り入れられた「L'heure」、不穏なストリングス・サウンドが印象的なインストゥルメンタル「hole」といった、以前に在籍していたバンドで採用されなかった曲やソロ用で温めていた曲が、L'Arc〜en〜Cielの作品として音源化されている。

    また、L'Arc〜en〜Cielでyukihiroが作曲を手掛けた楽曲には、「New World」や「trick」「get out from the shell」に代表されるように、ハウスやブレイクビーツなどを下敷きにしたマシーン・ビートとバンドサウンドを同期させたプレイを採り入れたものが多くある。他にも、yukihiro作曲の楽曲の特徴として、ブリストル・サウンドを意識し制作された「Cradle」や、ポストパンク・リバイバルを受けて制作された「spiral」など、海外のムーブメントからの影響を受けて作られたものが多いことがあげられる。また、1998年から2000年の間に発表されたほぼすべてのL'Arc〜en〜Cielのシングルのカップリングには、yukihiroの手によるリミックス音源が収録されており、2000年に集大成としてリミックスアルバム『ectomorphed works』が発表されている。このアルバムは、yukihiroがマンチェスター・ムーブメントに憧れていたこともあり、L'Arc〜en〜Cielの楽曲をハウスなどのダンス・ミュージックに再構築した楽曲が収められており、ダブの要素が感じられる「真実と幻想と [out of the reality mix #2]」や、スロウなハウスにミックスし直した「metropolis [android goes to be a deep sleep mix]」などが収録されている。他にも、2016年には、自作曲「Cradle」をアンビエント/チルアウトの雰囲気でリアレンジした「Cradle -L'Acoustic version-」がシングルのカップリングとして発表されている。さらにyukihiroは、他のメンバーが作曲した楽曲の打ち込みによるアレンジを担当することも多く、「winter fall」(ken作曲)、「SEVENTH HEAVEN」(hyde作曲)、「AS ONE」(hyde作曲)などでサウンドデザインを行っている。

    なお、yukihiroがL'Arc〜en〜Cielとして楽曲を作曲する際は、原曲を提示した後に他のメンバーと共同でメロディ制作やアレンジを行うこともある。例えば、「New World」ではサビをhydeが制作しているため共作としてクレジットされていたり、「REVELATION」ではメロディの制作をhydeが行っている。また、ポストロックを意識し制作された「shade of season」では、kenと共同でアレンジ作業を実施している。ちなみにyukihiroは、L'Arc〜en〜Cielに加入してから初めて、歌メロから作曲することも始めたと、1999年に受けたインタビューで述べている。

    一方、2001年から開始したソロプロジェクト、acid androidにおける楽曲制作では、自身が所有するギターやアナログ・シンセサイザー、サンプラーを駆使し、ギターリフあるいは採り入れたい音色、サンプリングから作り始めることが多い。特にacid androidの活動初期の頃は、「intertwine」「enmity」「imagining noises」などに代表されるように、ラウドなギターリフとグルーヴィーなマシーン・ビートを融合したインダストリアルなサウンドを追求したり、「switch」のようなテクノ・サウンドを採り入れた楽曲が発表されている。ただ、2006年に発表した2ndアルバム『purification』の頃からは、曲を作るうえで歌メロも意識し始めたといい、「let's dance」や「chill」「daze」など、ヘヴィかつメロディアスな楽曲が増えてきている。他にも、acid androidでは、トニ・ハリディ(カーヴ)とのコラボレーションソング「faults feat.toni halliday」や、yukihiroなりにシューゲイザーを解釈しフルカワミキ(LAMA、ex.SUPERCAR)と百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)を迎え制作された「swallowtail」、チルアウトの雰囲気を内包した「a lull in the rain」や「a moon tonight」など様々な楽曲を手掛けている。yukihiroは2006年に受けたインタビューにおいて、acid androidの音楽性に関し、「インダストリアルだけじゃなくて、マイブラ(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)みたいなシューゲイザー系のこだわりもあるし、あとゴスのこだわりもあるし、そういうこだわりも同じくらいある」「インダストリアル大好きです、っていう公言はしてましたけど(笑)。でもacid androidはインダストリアルやるんです、っていう存在ではない。そう自分では思ってました」と語っている。そして、2017年に発表したアルバム『GARDEN』以降は音楽性が大きく変わり、「roses」や「ashes」のような、バンドサウンドよりもシーケンスの音色を主体とした、1980年代のニューウェイヴやシンセポップ、エレクトロ・ポップを意識した楽曲を発表するようになっている。また、2023年には、デペッシュ・モードが1984年に発表したアルバム『サム・グレート・リウォード』に収録された楽曲「ピープル・アー・ピープル」の金属音をサンプリングした楽曲「idea」がリリースされている。

    2012年に始動したスリーピースバンド、geek sleep sheepでは、バンドメンバーの百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)がメインソングライターを務めているため、yukihiroと345(凛として時雨)がコンポーザーを務めた楽曲は数曲となっている。なお、yukihiroは現在までに「Last Scene」「lost song」「kakurenbo」の3曲を作曲している。また、2021年に京(DIR EN GREY)が主導し結成したバンド、Petit Brabanconでは、ミヤ(MUCC)やantz(Tokyo Shoegazer)がメインで作曲を行っている。ただ、yukihiroも自身が作曲した楽曲をいくつか提供しており、リチュアルなインストゥルメンタル「mind-blow」や、ヘヴィなギターリフに加え、打ち込みのリズム・シンセベースと生楽器の融合が印象的な「come to a screaming halt」、自身が所有するハードのアナログシンセを駆使したヘヴィかつダンサンブルな楽曲「surely」などを手掛けている。

    yukihiroは、自身の楽曲制作の姿勢について「自分は感情を曲で表現しようというのはあんまりないんですよね。ただ格好良い音を純粋に出したいし、それが聴きたいんです。例えばディストーションのギターを聴きたいならどういう音にすればいいのか、ドラムの音やベースの音をどういじれば最大限の効果を出せるのかっていうほうに興味があるんですよ。設計に近い感じですね」と述べている。また、yukihiroは2019年のインタビューで、楽曲制作で意識していることのひとつについて「リズム周りはもちろんですけど、一時期、音楽のジャンルというか種類はリズムで決まるんじゃないかと感じてました。今もそこは意識しますね。こういう音色にしたら、音楽を聴く人はこういうジャンルだっていうことを想像するんじゃないかなとか」と述べている。ちなみに、小林祐介(THE NOVEMBERS)は、yukihiroが作る楽曲の印象について「音の世界観、インダストリアルやニューウェイヴなどを通ったようなセンスが今の自分にもピッタリきます」と語っている。

    主に1970年代後半から1980年代に隆盛だったニューウェイヴやポストパンク、1990年代以降のオルタナティヴ・ロックやシューゲイザー、インディー・ロック、他にはインダストリアル、エレクトロニック・ボディ・ミュージック、エレクトロ・ポップ、テクノ、ハウスなどのクラブ・ミュージックに寄った音楽を好んで聴いており、自身が制作する楽曲もこれらの影響を受けている。

    自身の音楽の原体験として、yukihiroは一風堂の楽曲「すみれ September Love」をあげており、同バンドがこの曲をテレビで披露している姿を見たことがきっかけで音楽に興味を持ったという。ちなみにyukihiroが初めて買ったレコードも、前記のバンドの同シングルだったという。なお、一風堂でボーカル兼ギターを担当していた土屋昌巳とは、2016年に自身が企画したイベントで「ウォーキング・イン・マイ・シューズ」や「ネヴァー・レット・ミー・ダウン・アゲイン」など、デペッシュ・モードの楽曲5曲をセッションしており、同年に対談も行っている。また、小・中学生の頃はMTVなどが発表するヒットチャートにランクインしていた音楽をよく聴いていたといい、ジャパンやデュラン・デュランなどを好んでいたという。

    バンドを始めた高校生の頃からは、当時ブームだったヘヴィ・メタルからの影響もあり、LOUDNESSや44MAGNUM、EARTHSHAKER、DEAD ENDといった、日本のインディーメタルシーンにいるバンドを聴き始めたという。そして前述のメタルバンドを聴いていく中で、スラッシュ・メタルであったり、GASTUNKやGAUZEのようなハードコア・バンドに興味が移り、こういったバンドのカバーバンドをやるようになったという。その後、ニューウェイヴやポストパンク、ゴシック・ロックにのめり込んでいくことになる。この当時聴いていた、いわゆるニューウェイヴあるいはポストパンクと言われていたアーティストでは、デペッシュ・モードやザ・キュアー、ジョイ・ディヴィジョン、バウハウス、エコー&ザ・バニーメン、U2などを好んで聴いていたという。特に、デペッシュ・モードは、現在も新譜を追っているほどフェイバリットのようで、自身がacid android名義で開催するDJ&ライヴイベントにおいて、DJとして頻繁に同バンドの楽曲をフロアでかけている。また、yukihiroは2017年に同バンドが行うライヴを観るため、ドイツ・ベルリンのオリンピアシュタディオン会場に足を運んでいる。

    そして20歳頃には、東京・新宿にあるUK EDISONというレコード店へ頻繁に赴き、アンダーグラウンドシーンの情報を集めていたという。この当時を振り返り、yukihiroは2010年に受けたインタビューで「新宿エジソン(当時パンク/ニューウェイヴの聖地として知られていたレコード屋)で<ボディー・ミュージック>と書いてあれば何でも買ってましたね。そうやって聴いていた音楽をどうやってバンドに採り入れるかをいろいろ試行錯誤してました」と語っている。なお、のちに傾倒していくことになるインダストリアル・ミュージックもレコード店で知ったという。ちなみに、yukihiroは音楽誌のインタビューなどで、自身がインダストリアルに目覚めるきっかけになったアーティストとしてミニストリーの名前を頻繁にあげており、「(ミニストリーを)聴いてすぐにサンプラーを買いに行った」とその影響を述懐している。

    また、この当時のインタストリアル・ミュージックに該当されるようなアーティストではミニストリーの他に、ニッツァー・エブやフロント 242、フロント・ライン・アッセンブリー、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなどを聴いていたという。さらにこの頃からアンビエント・ミュージックやチルアウトといったジャンルの音楽も好んで聴くようになり、KLFやアート・オブ・ノイズなどを愛聴していた。なお、2006年にyukihiroがacid androidとして発表したアルバム『purification』に収録された「a lull in the rain」は、DIE IN CRIES在籍時に前述のチルアウトというジャンルに感化され、当時自身が制作していた音源が元ネタになっている。ちなみにこの当時出てきた日本のアーティストでは、BUCK-TICKやSOFT BALLET、GRASS VALLEYといったバンドを好んで聴いていたという。余談だが、前記の日本の3バンドに在籍する一部のメンバーとは、後年に共演を果たしている。

    他にも、yukihiroは1980年代後半から1990年初頭にかけて流行したマンチェスター・ムーブメントから大きな影響を受けており、このムーブメントに憧れてリミックスを始めるようになったという。このジャンルのアーティストでは、ムーブメントの代表格であるザ・ストーン・ローゼズの他、ハッピー・マンデーズや808ステイトなどをフェイバリットとしてあげている。なお、yukihiroは現在までに、自身がリミキサーを担当したアルバムを2作発表しており、DIE IN CRIES在籍時の1995年に『re-make』、2000年にL'Arc〜en〜Cielの作品として『ectomorphed works』をリリースしている。また、ブリストルで生まれたトリップ・ホップも好んでおり、マッシヴ・アタックやトリッキー、ポーティスヘッドなどの楽曲を、自身が企画するDJ&ライヴイベントでDJとしてフロアで頻繁にかけている。

    1990年代には、ナイン・インチ・ネイルズやピッチシフター、ケミカル・ブラザーズ、アンダーワールド、ミート・ビート・マニフェスト、オウテカ、オービタルなどのエレクトロニカやインダストリアル色の強いアーティストであったり、プライマル・スクリームやジーザス&メリーチェイン、レディオヘッド、ピクシーズ、ジーザス・ジョーンズ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ニルヴァーナ、スマッシング・パンプキンズ、ザ・ヴァーヴ、デフトーンズ、カーヴ、プロディジー、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、コーン、ミシェル・ンデゲオチェロ、マンサン、ロニ・サイズ・レプラゼントといったバンド・アーティストを好んで聴いていた。なお、レディオヘッドに関しては、ライヴ鑑賞に訪れた際にグッズ売り場で購入したポスターを、額縁に入れて家に飾っていたほどである。また、yukihiroは、acid android名義で発表した1stミニアルバム『faults』収録の「faults feat.toni halliday」の制作で、カーヴのボーカル、ギターであるトニ・ハリディとコラボしている。さらに、他のジャンルでは、ガリアーノやシャーデー、ヤング・ディサイプルズ、マザー・アースなどのアシッド・ジャズあるいはジャズの要素を含んだポップスも好んで聴いている。

    2000年代・2010年代以降では、アークティック・モンキーズやThe 1975、ザ・エックス・エックス、イヴ・トゥモア、ウォーペイント、ナッシング・バット・シーヴス、ザ・ジャパニーズ・ハウス、ペール・ウェーヴス、ケリー・リー・オーウェンス、FKAツイッグス、イリース・トルウなどを聴いているようで、これらアーティストの楽曲は、音楽ストリーミングサービスで自身が公開したプレイリストに組みこまれている。また、2010年に受けたインタビューでは、ルチアーノやグリンプスを好んでよく聴いていると述べていた。さらにyukihiroは、2023年に受けたインタビューで、若いアーティストが過去の音楽を再解釈して制作した楽曲について「こういう表現の仕方もあるんだなぁという、驚きというか発見みたいなものはありますね」と述べている。なお、yukihiroは同年に受けたインタビューで、好んで聴いているバンドとしてドライ・クリーニングとPVAの名前をあげている。

    ちなみに邦楽では、前述のBUCK-TICKやSOFT BALLETの他に、Corneliusやzilch、フィッシュマンズ、Original Love、ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイションなどを好んで聴いており、2014年に発行された単行本『yukihiro milk another story』の「yukihiro Album selection 101」というコーナーでこれらのアーティストのアルバムがピックアップされている。また、自身がメジャーレーベルでの活動を始めた後に出てきたアーティストでは、ACOやCocco、スガシカオ、椎名林檎、ASIAN KUNG-FU GENERATION、BUMP OF CHICKEN、FACTなども好んで聴いていたという。

    なお、音楽を探す際にyukihiroは、好みのエンジニアあるいはプロデューサーがクレジットされているものを探して聴くことが多く、アラン・モルダーやテリー・デイト、ロス・ロビンソン、スティーヴ・アルビニなどが関わっていた作品に関しては、ほぼすべてを買い集めて聴いていたことがあったという。また、好みのレーベルから出る作品をまとめて聴くこともあり、yukihiroは1995年に受けた音楽雑誌のインタビューで「アーティスト単位でよりもレーベル単位で選ぶことが多いんですよ。レーベルで言うと最近はClean UpとかCup Of Teaとかがいいですね」と述べている。ちなみにyukihiro曰く、近年は音楽ストリーミングサービスを使い、新しい音楽を探すことが多いという。そして特に気に入ったアーティストに関しては、ヴァイナルを買うこともあるという。

    L'Arc〜en〜Cielのライヴ開演前に流されたyukihiro選曲のオープニングBGMのプレイリスト一覧

    Petit Brabanconのライヴ開演前に流されたyukihiro選曲のオープニングBGMのプレイリスト一覧

    1. ポップ・グループ / Force Of Oppression 2. ダムド / New Rose 3. フロント242 / Tragedy >For You< 4. バウハウス / Double Dare - Remastered 2008 5. ヒルト / Hilter 6. ミート・ビート・マニフェスト / Strap Down, Pt.2 7. オウテカ / Gantz Graf 8. ザ・スマイル / Thin Thing 9. デペッシュ・モード / Blasphemous Rumors 10. ピッチシフター / Microwaved 11. スージー・アンド・ザ・バンシーズ / Spellbound 12. ドライ・クリーニング / Hot Penny Day 13. フロント・ライン・アッセンブリー / Overkill 14. ナイン・インチ・ネイルズ / Dead Souls 15. ガールス・アゲインスト・ボーイズ / Park Avenue 16. ミニストリー / Thieves

    1. トーキング・ヘッズ / Once in Lifetime 2. ビッグ・ピッグ / In the Dark 3. Spiral Drive / Space Train 4. ヤー・ヤー・ヤーズ, パフューム・ジーニアス / Spitting Off the Edge of the World 5. マッシヴ・アタック, エリザベス・フレイザー / Teardrop - Remastered 2019 6. メン・アイ・トラスト / Billie Toppy 7. ヤング・ファーザーズ / Geronimo 8. イヴ・トゥモア / Echolalia 9. アノーニ, アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ / It Must Change 10. シットキッド / "real studio" 11. ビースティ・ボーイズ / Root Down 12. Pol / Boys Are 13. メトリック / Just The Once 14. デペッシュ・モード / Ghosts Again 15. レディオヘッド / Creep 16. ポーティスヘッド / Machine Gun 17. ポップ・グループ / We Are All Prostitutes 18. PVA / Untethered

    1. ヒアーズ・コレクティヴ / Sweet Like Candy (feat. No Man, Thou & Jessica Joy Mills) 2. インフェクシャス・グルーヴス / Violent & Funky 3. スージー・アンド・ザ・バンシーズ / Monitor 4. ステラ・ローズ / Death Rattle 5. クイーンアドリーナ / Princess Carwash 6. スワンズ / Why Hide 7. モデル/アクトリス / Amaranth 8. ウォーガズム / Rage All Over 9. セックス・ギャング・チルドレン / Sebastiane 10. コクトー・ツインズ / Cherry-coloured Funk 11. Marta, トリッキー / When It's Going Wrong 12. ザ・キュアー / One Hundred Years 13. バウハウス / Dark Entries 14. ナイン・インチ・ネイルズ / Gave Up 15. ロロ・トマーシ / I Love Turbulence 16. コンヴァージ / Concubine 17. スレイヤー, アタリ・ティーンエイジ・ライオット / No Remorse (I Wanna Die) 18. ポピー / Spit

    acid android

    acid androidは、2001年5月23日にL'Arc〜en〜Cielのファンクラブ会員限定の一環で、yukihiroがソロ名義で開催したDJイベント「acid android in an alcove」に端を発し始動したソロプロジェクトである。前記のイベント終了直後に、yukihiro名義でシングル「ring the noise」を発表しているが、2001年11月19日にacid android名義で初となるワンマンライヴ「acid android act in november」を新宿リキッドルームで開催。このワンマンライヴから、acid androidというプロジェクトが本格的に始まっている。翌2002年には、acid android名義として初のアルバム『acid android』をリリースし、現在に至るまでバンド活動と並行しながら、作品リリースとライヴ活動を続けている。なお、現在までにacid androidとして、アルバム7作品(内ミニアルバム2作、ボックスセット1作)、シングル8作品(yukihiro名義及び単曲配信含む)を発表している。

    ちなみにアーティスト名は、プロジェクトを開始してしばらくは"acid android"と小文字表記だったが、2017年7月1日に大文字表記の"ACID ANDROID"に変更している。なお、yukihiro本人は、表記変更時に受けた音楽雑誌のインタビューにおいて「プロジェクトの表記は大文字、小文字表記のどちらを用いてもいいと思っている」「もちろんこだわっていますよ。大文字のフォントも一から作ってデザインしてますし。でも小文字でもいいんですよ。そこはお任せです」と述べている。

    このプロジェクトでyukihiroは、基本的にボーカルを務めており、楽曲によってギター、ドラム、プログラミング、ミキシングをレコーディングで担当している。なお、acid androidの楽曲は、yukihiroが昔から好んで聴いていたミニストリーやナイン・インチ・ネイルズに代表されるようなインダストリアル・ミュージックや、コーンやデフトーンズのようなギターリフが印象的なヘヴィー・ロック・サウンドに影響を受けたものが多く、こういった音楽性にエレクトロニック・ボディ・ミュージック的な構成を掛け合わせていくことが基本の形となっている。ただし、2006年のインタビューにおいて、yukihiroは「インダストリアル大好きです、っていう公言はしてましたけど(笑)。でもacid androidはインダストリアルやるんです、っていう存在ではない。そう自分では思ってました」と語っている。事実、acid androidでは、インダストリアルに傾倒した楽曲の他に、エレクトロ、ゴシック・ロック、シューゲイザー、チルアウトなど、様々な要素を採り入れた楽曲が制作されている。

    ただ、2010年に発表した2ndミニアルバム『code』あたりから、ギターリフ中心で制作された楽曲が減ってきており、音楽性に変化がみられるようになった。2010年頃の作品から歪んだギターリフを採り入れた楽曲が減ってきた背景について、yukihiroは「(インダストリアルは)やり尽くしたとまでは言えないですけど、自分のなかでやりたいと思っていたことはやったかな」「(インダストリアルは)今でも好きだし、もしかしたらまたそういう方向性のものを作るかもしれないですけど、今回はそこから1回離れてみようかな、と思ったんですよ」とインタビューにて述べており、この頃からダークなエレクトロ・ポップを基調としたサウンドが音源に採り入れられるようになった。こうして徐々に音楽性が変化していき、2017年11月に発表した4thアルバム『GARDEN』は、1980年代のニュー・ウェイヴ、シンセポップからの影響を色濃く反映した作品として仕上げられることになった。そしてこのアルバム以降も、ダークウェイヴを背景に、テクノやエレクトロ・ポップに昇華させたサウンドを基調とした楽曲を多く発表している。

    ちなみに、acid androidのアルバムレコーディングでは、ゲストミュージシャンを招くことも多く、これまでにトニ・ハリディ(カーヴ)、フルカワミキ(LAMA、ex.SUPERCAR)、百々和宏(MO'SOME TONEBENDER)、藤井麻輝(minus(-)、SUILEN、ex.SOFT BALLET)、今井寿(BUCK-TICK)、小林祐介(THE NOVEMBERS、THE SPELLBOUND)、KAZUYA(Lillies and Remains)など、多くのアーティストが作品制作に参加している。なお、2009年11月24日には、13ヶ月間の期間限定のモバイルサイトをオープンし、藤田勇(MO'SOME TONEBENDER)、O.N.O(THA BLUE HERB)、ミヤ(MUCC)、TK(凛として時雨)、朝本浩文といった、ゲストミュージシャンがリミックスしたacid androidの音源が発表されている。

    また、このソロプロジェクトを開始する発端となったイベント「acid android in an alcove」は定期的に企画されている。このイベントは、回数を重ねるにつれ、<ライヴイベント>と<DJイベント>に分けられるようになり、オールナイトで行われることも多くなっている。ちなみに、これまでにライヴアクトとしてMUCC、MO'SOME TONEBENDER、minus(-)、 agraph、THE NOVEMBERS、Lillies and Remainsらが、DJアクトとして石野卓球(電気グルーヴ)、砂原良徳、THE LOWBROWSらがイベントにゲスト出演している。

2024/05/13 22:20更新

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