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さかもと未明の情報 (さかもとみめい)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【6月18日】今日誕生日の芸能人・有名人

さかもと未明の情報(さかもとみめい) 漫画家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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さかもと 未明さんについて調べます

■名前・氏名
さかもと 未明
(読み:さかもと みめい)
■職業
漫画家
■さかもと未明の誕生日・生年月日
1965年10月21日 (年齢58歳)
巳年(へび年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
神奈川出身

(昭和40年)1965年生まれの人の年齢早見表

さかもと未明と同じ1965年生まれの有名人・芸能人

さかもと未明と同じ10月21日生まれの有名人・芸能人

さかもと未明と同じ出身地神奈川県生まれの有名人・芸能人


さかもと未明と関係のある人

とりのなん子: メディアには顔出ししていないが、漫画家のさかもと未明とは友人で、さかもとのブログに顔写真が掲載されている。


倉田真由美: 女性解放区(杉本彩、さかもと未明共著) - PHP研究所 2009年 ISBN 978-4569771731


大原麗子: また、かとうかず子も「変な言い方ですが、とても女優さんらしい亡くなりかた」とし、さかもと未明は「森進一さんとの離婚で『男が2人いた』というのを (自分は子供ながらも) 仕事をするとはこういうことなんだなと感じた。


さかもと未明の情報まとめ

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さかもと 未明(さかもと みめい)さんの誕生日は1965年10月21日です。神奈川出身の漫画家のようです。

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受賞歴/絵画展示会、人物・経歴などについてまとめました。卒業、テレビ、現在、父親、母親、事故、結婚、離婚、家族、病気、解散、再婚に関する情報もありますね。さかもと未明の現在の年齢は58歳のようです。

さかもと未明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

さかもと 未明(さかもと みめい、1965年〈昭和40年〉10月21日 - )は、日本のアーティスト、画家、漫画家、歌手、作家。「株式会社MIMEIDIA」代表取締役社長。

本名は武田 明美(たけだ あけみ)。旧姓、安西(あんざい)。神奈川県横浜市出身。神奈川県立厚木高等学校を経て、玉川大学文学部英文学科卒業。夫は横浜市にある最先端ガン治療センター南クリニック院長の武田茂。

神奈川県横浜市生まれ。玉川大学文学部英文科卒業後、商社勤務、主婦を経て、1989年(平成元年)漫画家デビュー。その後、エッセイ、ルポルタージュ、小説、評論の執筆、テレビのコメンテーターなど活躍の場を広げる。

2006年(平成18年)に膠原病を発症。難病認定をきっかけに、「体が動かなくなってもできる表現を」と歌手活動を開始。2009年(平成21年)「人生~いのち~」(ランブリング・レコード)で歌手デビューを果たした。

2011年(平成23年)、2012年(平成24年)は、将棋の名人戦開幕戦公式ナビゲーターを務める。2013年(平成25年)は着物デザイナーとして花嫁衣裳を発表。

一時期は死を覚悟するが絵を志し、2017年(平成29年)名門・吉井画廊で本格的画家デビュー。2018年(平成30年)3月には、バチカンの聖マリア・マッジョーレでロッシーニ・オーケストラと共演。同年、乃木会館の広告で写真家デビューを果たした。現在も多彩な表現者として各ジャンルの枠を飛び越える活動を行う。

著書に『マンガローマ帝国の歴史』(全三巻、講談社)、『神様は、いじわる』(文春新書)、『まさか発達障害だったなんて』(PHP新書)、『わたしの居場所はここにある』(海竜社)など多数。多彩な自己表現の傍ら、自らが指揮をとるクリエイター集団「株式会社MIMEIDIA」の代表取締役社長として、愛と美を具現化する新たなメディアとアートの可能性を追求し続けている。

受賞歴/絵画展示会

2015年(平成27年) 上野 東京都美術館 ベラドンナ・アート展展 

2016年(平成28年) 日本橋・不忍画廊で「現代女流三人展」

2016年(平成28年) 上野、東京都美術館 ベラドンナ・アート展で特別賞 

2017年(平成29年) 吉井画廊 初個展「祈り」

2019年(令和元年) ホテル椿山荘東京 アートギャラリーで個展 「L’esprit de Paris」

2020年(令和2年) 第21回日本・フランス現代美術世界展 ~サロン・ドートンヌ特別協賛~に「Montmartre」で入選

2021年(令和3年)

    10月 第53回スペイン美術賞展 推薦展示

    10月 サロン・ドートンヌに「Bateau L’avoir」で入選

    11月 ESPAS SORBONNE 4(PARIS)で個展 「Le paris rêvé d’une japonaise」

    2022年(令和4年)

      2月 第35回 バリ国際サロン 個展部門に出展

      サロン・ドートンヌに「Lapin Agile」で入選

      33回日本・フランス現代美術世界展 エスパス・ブリュヴェ部門出展

      人物・経歴

      子供時代

      絡み合った発達障害を抱えながら、それが「甘え」だとして両親に理解されず、幼少期より苦しみ続けた。加えて、普段は温和な父親が酒を帯びると一変し、母親に激しい暴力をふるい、家財を壊していった。怒号や悲鳴が響き、物の壊れる音が飛び交う中、さかもとは妹たちとその都度家の隅に固まって、胃が縮み上がる思いをしながら嵐が過ぎ去るのを待つ恐怖感を味わい続ける。やがて、自分が父や母を殺してしまう夢を何度も見るようになった。

      厚木市内に引っ越してきた9歳のころより、試験では百点ばかり取る半面、運動がまるで苦手で「変わった子」とからかわれ、いつもクラスメイトに泣かされいじめにおびえる毎日、ひとりぼっちでコンパスや定規を用いて幾何学模様を描いたり、藤城清治の絵本を読んだりして過ごす。産経新聞に連載されていた手塚治虫の『海のトリトン』や『きりひと讃歌』に触れ、また学級文庫の漫画や、児童館の図書室にて大人向けの内外の名作小説を次々に読み、「漫画家になりたい」「ものを書く人間になりたい」と意識するようになった。学年が進むにつれていじめの被害は軽減し、友人も得るようになった。中学時代は保健室で寝ている日が多かったものの、体育を除いて学年で一、二を争う優秀な成績を収める。3年生の折に集英社の別冊マーガレットに漫画を応募し、入賞を果たした。

      神奈川県立厚木高等学校に入学後、美術部の入部を希望したが、出費がかさむと母親に猛反対される。「わたしの夢は、母の負担になること」と意識するこのころ、中学時代からの親友が不慮の事故死を遂げる。やがて何事にも無気力になり、常に倦怠感に包まれるようになった。頭痛や腹痛に悩まされ、布団から起き上がれず、夜も眠れずリストカットを繰り返すようになったほか、体重が40キロを切るほどの摂食障害になり、しばしば朝礼や授業中に倒れ、不登校にもなっていた。毎週のように母親に病院へ連れていかれるも脳や胃腸に何の疾患も見つからず、精神科に回されることになったが、母親からは「うつ病なんてただの甘え」、「みっともない」と取り合ってもらえなかった。その後、学校からの要請も入り、隔週程度での投薬とカウンセリングで精神科への通院を開始。カウンセラーとの面談を通じて心の隙間を埋めていったものの、その辛さをまったく理解しようとしない母親への嫌悪感は募るばかりだった。

      高校ではほとんど授業を受けず惨憺たる成績だったが、推薦入試で玉川大学文学部英文学科に入学。ふんわりとした柔らかな学風が合い、夢中で勉強し、休みには家を出るための資金作りとしてアルバイトで働き詰め、卒業までに250万円を貯めこんだ。そして、母親に急き立てられるままに就職と下宿先を決めた。しかし、引っ越しを前に「就職するより漫画を描いていたい」と後悔し始める。その胸の内を両親に打ち明けたところ烈火のごとく怒られて、翌日には母親から家中のさかもとの荷物を外に放り出された。海上自衛官だった中学時代の同窓生に連絡して荷物を下宿先に運んでもらい、この日限りで実家を出ることを決意した。

      漫画家デビュー

      玉川大学卒業後の1988年(昭和63年)、アパレル商社のOLとなったものの、不安や神経症状にさいなまれて業務を遂行することができず、2度の退職勧告を受けて入社3か月後に自主退職。退職してほどなく「漫画を応援したい」と言ってくれた件の同窓生と結婚した。日中は主婦業の傍ら義父の営む設計事務所の事務仕事を手伝い、夕方から夫の帰宅する午後10時過ぎまで投稿漫画を描き続けた。あいにく仕事には結びつかず、レディースコミック誌の編集者に電話をして3回限りで使ってもらうこととなった。1989年(平成元年)、日本文芸社『ノワール』に官能漫画『セカンドフライト』を発表し、漫画家としてデビューする。描き手がいくらでも求められたバブル時代において、またたく間に人気を博した。いきおい義父の手伝いはできなくなり、夜通し漫画を描き続ける毎日となった。夫はさかもとの描く官能漫画に困惑し、子供がほしいと希望。学童期や思春期の辛い記憶から「子供を産むことが善だと納得できなかった」さかもとは漫画を描き続ける道を選び、これがために2年で離婚することとなった。

      離婚後、単身で小金井市内に住まいを移し、大量のコーヒーと煙草を手に、夕方前から朝まで原稿を描く生活を続けた。多忙を極めたが仕事が舞い込み、この時期はほとんど精神科を受診することはなかった。ごくたまに、近所のレストランでジャズの生演奏をしていたギタリスト光井靖から、ギターのレッスンを受けるのが息抜きのひととき。結婚を意識するような出会いに恵まれるも、交際自体を負担に感じてしまい、相手の気持ちに沿うことができず、恋愛を実らせることはできなかった。「(わたしには)誰かを好きになる資格なんかない」と、次々に仕事を埋めていく毎日を過ごした。

      活躍の場の拡大

      「官能」出身と色をつけて見られることに反発し、漫画執筆の傍ら2000年(平成12年)に新潮社から『突撃!自衛隊』を上梓。同年、文芸雑誌 『文學界』(文藝春秋)にも処女作『花悩』を発表して作家デビューするなど、硬派な仕事を好んで受けるようになった。この時期に『新潮45』に体験ルポやエッセイを発表し始める。取材の過程で訪れた西村眞悟の出陣式にて、西村より北朝鮮拉致問題について取材してほしいと要望を受け、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の街宣活動に参加し、その場で横田滋・早紀江夫妻と面会。横田夫妻とはこのときより親交を深めている。後日、扶桑社『週刊SPA!』の編集長に、この取材を基にした拉致問題に関する漫画コラムの資料を提出し、時事批評漫画の連載話がまとまる。ここでさかもとは自身のヌード写真の口絵掲載を提案。編集長より快諾を受けて、2003年(平成15年)に『ニッポンの未明』連載を開始した。4年半にわたって続いたこの連載を通じて数々の国会議員や著名人と交流し、ニュータイプの保守論客漫画家として脚光を浴びた。

      その他、和風情緒に惹かれ、向島にある料亭のお座敷係を経て、銀座のクラブでヘルプとしても働くようになる。ブログ『さかもと未明のアメーバ的告白』とサイト『さかもと未明愛の教習所』の運営も開始。女性誌の人生相談でも人気を得て、初の美容本『さかもと未明の美人革命』が10万部を越えるヒットとなる。並行して、禁煙の動機をつくろうと歌のレッスンを始め、一日60本消費していた煙草をきっぱりと止めた。

      扶桑社の編集者平田静子の提案により、2005年(平成17年)10月1日から産経新聞にて時事漫画『憂ちゃんの おしえてプリーズ!』の連載を始める。同年に平田の紹介から芸能事務所サニーサイドアップに所属し、その結果2006年(平成18年)より『スッキリ!!』(日本テレビ)に、金曜日担当のレギュラーコメンテーターとして出演することとなった。4人の常駐アシスタントと数人の主婦アルバイトを雇っていたが、仕事は多忙を極め、湯船につかる時間もなく睡眠時間は5時間未満、一日のうち15時間から18時間を仕事に充てた。事務所社長次原悦子の指示を受け、長年続けてきた官能漫画の仕事を整理し、歌のレッスンも中止。また毎日の大量飲酒によりアルコール依存症を疑われるほどだったが、この機会に断酒も果たす。著名人との交流の場では和装を常としてエルメスのバッグを合わせ、上品なふるまいを意識するようになった。仕事環境の変化に伴って交流する人間は激変した一方で、プライベートにて横田夫妻や漫画家槇村さとるとの変わらぬ付き合いを楽しんだ。

      2007年(平成19年)には、中断していたブログを一新して『さかもと未明の和みカフェ?』として再開し、18年ぶりに実家への帰省を果たした。講談社より神話や歴史をテーマにした書き下ろし『マンガ ローマ帝国の歴史』全3巻を刊行。制作費450万円を投じ、7年をかけたこの書籍は、海外でも翻訳出版された。また、同年初秋より講談社『MiChao!』に連載する子供向け漫画のオファーを二つ返事で受諾し、『のんのんのんちゃん』に没頭する。レディースコミックの枠を越え、子供を勇気づけるテーマで漫画を描けることに喜びを抱いた。

      膠原病と歌

      2005年半ばより、目の異常な乾きでコンタクトレンズが使用できなくなった。これを皮切りに、さまざまな疾患を意識するようになる。2006年には何日も40度を超える高熱が続いたが、原因はつかめなかった。疲労感を覚え、脱毛症や発疹、手足の冷えに悩まされて自宅の掃除もままならず、大量の着物も脱ぎっぱなしでさながらごみ屋敷同然になる。睡眠薬を手放せなくなり、戸締りを執拗に確認せずにはいられなくなる強迫神経症にも悩まされ、徐々に仕事に支障をきたすようになった。『マンガ ローマ帝国の歴史』刊行後には三枝成彰らに誘われ海外旅行に出かけるも、青い海を見るにつけ倦怠感に襲われ、激しい吐き気や頭痛に悩まされて、一人ホテルで休養せざるを得なくなった。

      2007年11月、ひどい疲労感とともに両手指が腫れて痛み、指先に暗褐色の出血点が見つかる。意を決し山王病院を経由して東京大学医学部付属病院にて検査を受けた結果、膠原病(全身性エリテマトーデス、全身性強皮症、シェーグレン症候群)と診断され、手が動かなくなる可能性が高いことと、日常生活におけるさまざまな注意事項を告げられる。その数日後、自宅に両親を呼んで診察結果を説明しながら、自らの心の鎮静に努めた。複数の病院を受診して治療に関する情報を収集し、知己である日野原重明からの手紙も受けたうえで、最終的に東大病院への通院治療を決める。

      所属事務所はさかもとの病気に理解を示し、契約を維持しつつ各種検査をスムーズに受けられるように取り計らった。両親やアシスタントたちの支えを得て仕事は続け、特定疾患医療費助成制度の認定も受けた。しかし、その後も症状や体調の悪化は進み、あまりの痛みに字を書きづらくなり、仕事以外では誰にも会わず、原稿に臨む時間を除けば自宅就寝、通院に限られる生活となり、空を見上げては涙がこぼれて止まらなくなった。

      仕事の柱であった『ニッポンの未明』『憂ちゃんの おしえてプリーズ!』の連載終了が相次いで決まる。論壇系の仕事依頼も途絶え、ひたすらに病気の回復を願いながらも「人間関係も仕事の仕方も切り替えて、新しく生き直さなければいけない」と決意、自分と向き合いながら、相手に共感の言葉を与えられる存在になりたいと思い至る。

      まず、槇村さとるを訪れ、病状説明とともに漫画家の続行意志と歌の勉強再開の意欲を話し、集英社の雑誌への漫画掲載の助力を得る。翌日に光井靖のもとへ行き、ジャズボーカルをやりたい旨を懇願。光井はさかもとに合いそうな曲を作曲してはその楽譜をさかもとの自宅まで持参し、光井の伴奏で歌ってみるレッスンを始めることとなった。その後、光井の提案から門下の女性ジャズバンド鳥尾さんを紹介され、毎週のように彼女たちが出演するライブハウスで飛び入りで歌わせてもらったり、レッスンを受けたりした。さかもとがライブハウスで歌う際には、帽子にハイウエスト切り替えのワンピースを着用し、キャンディーのように甘い声で歌いたいとの思いを込めて、自身を「チェルシー」と名乗る。そこで玉川大学の後輩であるピアニスト遠藤征志とも合流し、シンガーとしての活動の幅を広げてゆく。彼らとの交流を経て、「歌うことが生きるための杖になる」と意識するようになった。

      槇村さとるから紹介された集英社の編集者との打ち合わせにて、将棋をテーマにした漫画を模索。日刊スポーツ主催の女流王将戦観戦記を描く仕事を得て、2008年(平成20年)1月に日本将棋連盟へ棋士島朗、森下卓を訪ね、棋士生活について取材した。2回目のインタビューの席でさかもとの病状を窺い知った島より将棋の習得を勧められ、島の十数回に及ぶ指導の下で将棋を指すようになる。同年8月より小規模事務所に円満移籍した。

      不況風の吹く2009年(平成21年)秋、講談社は採算の取れない『MiChao!』の閉鎖と全作品の連載中止を決定。これに伴い、この時点で唯一残っていた連載『のんのんのんちゃん』を失うことになった。やむなくアシスタントに頭を下げて解散を通告し、彼女たちの理解を得た。これ以降、シンガー「チェルシー」としてのライブ活動を加速させる。『シェルブールの雨傘』の曲に乗せて横田めぐみへの思いを音楽に託して歌ったりもした。また、新しい事務所社長のつてでジャズピアニストクリヤ・マコトに会い、自身の病気や歌への思いを伝えたところ、髙階恵美子作詞作曲の『人生(いのち)』をCD化するにあたり、さかもとに歌ってほしいとの連絡を得る。高階と面会したうえで、「本当にお願いをすれば叶うのよと、今苦しんでいるいろんな人に伝えたかった」さかもとの希望に沿って『星に願いを』を加え、クリヤ・マコト・トリオとともにCDを制作した。

      現夫との出会い

      2009年10月、銀座のクラブでホステスのアルバイトをしていた折に、ママと共に男性客の接待をした。そのうちの一人、横浜市内の開業医がさかもとの膠原病の病状に気づき、これをきっかけに病気に苦しむさかもとを助けようと、私財を投じて一方的に援助を行うようになった。この開業医には妻子がおり、開業医はさかもとに妻の了解のもとで支援している旨を話していたが、実際には秘密にしていた。さらに彼の提案を受け、2010年(平成22年)5月に、さかもとはクリヤや鳥越啓介と彼の営む病院でチャリティーコンサートを行う。それが妻の知るところとなり、夫がさかもとと不倫をしているものと思い込んで、さかもとを相手に1,100万円の慰謝料を求めて東京地裁に提訴した。ストレスを感じたさかもとは、夏から再び煙草に手を出すようになった。開業医は週刊ポストの取材に対して、不倫関係を否定しつつ「(さかもとへの思いは)信仰に近い。私としては“未明観音”として崇めたいほどです」と語ったという。提訴から7か月後の12月に、開業医夫妻の離婚が成立するとともに、さかもとへの訴訟は取り下げられることとなった。

      たまたま精神科医星野仁彦の著した『発達障害に気づかない大人たち』の新聞広告を目にしたさかもとは、そこに記されていた特徴が自らのものと酷似していたため、9月に取材目的で雑誌編集者と星ヶ丘病院に勤務する星野のもとへ訪問。そこで自らの半生を話し、ADHD、ACが複雑に絡み合った症状を抱えていると星野より診断を受け、食事療法(星野式ゲルソン療法)を勧められるとともに、治療のために新幹線で通院することとなった。

      2012年(平成24年)1月に、件の開業医と再婚。 2010~2015年はほとんどの活動を休止。漫画家でありながら手が動かなくなったため、歌手活動を開始したが、やがて声も出にくくなる。歩行や着替えも困難になり、折り合いの悪かった両親に助けを求めるが拒否される。その時助けてくれた横田滋・早紀江夫妻の媒酌で、2013年(平成25年)6月に、現夫の武田茂と靖国神社で挙式。戸籍上は武田明美となる。披露宴をホテル椿山荘東京で催行。横田夫妻が媒酌人を、南美希子が司会を務めた。同日、日本将棋連盟より二段の免状を授与される。さかもとが「兄ちゃん」と呼ぶ「私を起こしてくれて、着替えさせてくれる。靴下や下着もはかせてくれる」現夫の献身的な支えを得て、結婚後も変わらず療養を続ける。病状は一進一退だったが、夫の献身的な介護と協力を得て、レコード制作は進められ、2012年に『La Magie de l’amour』(JAZZ JAPAN)、2013年に『Blue Legend ~青い伝説』(JAZZ JAPAN)をリリース。

      2012年『Voice』12月号にて、『再生JALの心意気』と題されたコラムを発表。11月に、聴覚過敏を抱えるさかもとが飛行機の機内で泣き叫ぶ赤ちゃんにパニックを起こし、母親に対して赤ちゃんがもう少し大きくなるまで飛行機には乗せるべきではないと告げたうえで、「もうやだ、降りる、飛び降りる!」と着陸準備中の機内を出口に向かって走り始めたことを記している。さかもとは陸に降りても激しくクレームをし続けたとのこと。さかもとによる母子への対応、機内での行動が話題となった。この件を星野のもとへ受診した折にまくしたてて、コンサータ服用の副作用として発症した双極性障害との診断を受けた。

      身体障害者手帳2級の認定を受けるほどに全身の筋肉が硬直し、入退院を繰り返すことで精神状態も悪化。何度となく希死念慮に襲われてきたさかもとだが、発達障害に理解を示し、全面的にサポートしてくれる夫との療養生活を通じて、チャリティー活動を進める決意を固めた。生涯の仕事として改めて絵画を選択。ジャン・コクトーのシンプルな作品群に惹かれて版画に取り組み、個展を開催するほか、コンサートを企画したり、定期的に自らボーカルを担うライブを開催したりするなど活動の幅を広げている。

      2013年に自信のYouTubeチャンネル『さかもと未明オフィシャル動画サイト』を開設。

      北朝鮮日本人拉致問題の取り組み

      闘病中に助けてもらい、親しくなった横田滋・早紀江夫妻に恩返しをしたいと考え、2013年に「青い伝説」(作詞:さかもと未明/作曲:遠藤征志)というタイトルの楽曲を贈る。次第に手が動くようになり、自らの手で版画制作に勤しみ拉致問題の解決を訴えようと試みた。2017年(平成29年)吉井画廊(ピカソやマチスを紹介したフランスにゆかり深い画廊)で初の個展。拉致被害者家族の横田滋・早紀江夫妻の肖像を中心にした版画を展示販売することで、売り上げの一部を拉致被害者家族会に寄付する。同年、歌手活動を再開。サントリー・ホールのブルーローズで、拉致被害者の帰国と、震被災地の復興を祈り、コンサート。「3.11塾」(3.11東日本大震災で親を失った子供たちの養育費を援助する団体)と、拉致被害者の「家族会」に大半の売り上げを寄付した。2018年(平成30年)拉致被害者の帰国を祈り、イタリア・ローマにあるカトリック教会の聖堂「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」で「青い伝説」を歌唱する。2019年(令和元年)ホテル椿山荘で二回目の個展を実施。

      写真家として、乃木会館の花嫁写真を担当、看板とパンフレットに作品採用。2019年(令和元年)に来日したローマ法王の写真撮影を講談社のOfficial Cameramanとして担当する。その他に記事多数を執筆。カトリック教会公認「ローマ法王の言葉」(講談社)に写真、あとがき、編纂で協力した。

      海外進出

      2020年(令和2年)横田滋氏の訃報を受け、悲しみを忘れたいと制作中のCD音源、PV制作に熱中。10月には紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAでコンサート。また、ミシェル・ルグランの息子、Benjamin LegrandとのDuet映像をバリで制作、披露した。同年、3枚目のCD「MOULIN ROUGE」(MIMEIDIA)、小説つきフォトブック「Histoires d’amours」(MIMEIDIA)を発売。

      夏の国立新美術館で開催されたサロン・ドートンヌ後援・日仏世界美術展で”Montmartre”が入選。2021年(令和3年)バリのモンマルトルの老舗キャバレー「Au Lapin Agile」を3年かけて取材。その歴史の記事を、芸術新潮(新潮社)で6か月連載。同年”Bateau l’avoir’で、サロン・ドトーヌ初入選。スペイン・世界美術展にて「Montmartre」が推薦出品。11月よりパリのESPACE SOEBONNE4で個展を実施。同年、さかもと未明と遠藤征志の母校、玉川学園の支援を得て、2人のコンサートと、さかもと未明の講演会が開催。2022年(令和4年)サロン・ドトーヌにて2年連続入選を果たす。現在、病状は現在安定しており、制限がある中の活動だが、その分真剣にアート活動に向き合っている。

2024/06/17 13:22更新

sakamoto mimei


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さかもと未明と近い名前の人

坂本 太郎_(テレビドラマ監督)(さかもと たろう)
1939年9月20日生まれの有名人 岡山出身

坂本 太郎(さかもと たろう、1939年9月20日 - )は、特撮テレビドラマ作品の元監督・演出家である。岡山県出身。日本大学藝術学部卒業。 1964年、東映テレビプロで『廃虚の唇』より助監督とし…

坂本 太郎_(歴史学者)(さかもと たろう)
1901年10月7日生まれの有名人 静岡出身

坂本 太郎(さかもと たろう、1901年(明治34年)10月7日 - 1987年(昭和62年)2月16日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授、國學院大學名誉教授。学位は、文学博士(東京帝国大学・19…

阪本 時彦(さかもと ときひこ)
1942年9月22日生まれの有名人 東京出身

阪本 時彦(さかもと ときひこ、1942年〈昭和17年〉9月22日 - 2020年〈令和2年〉)は、元毎日放送アナウンサー・フリーアナウンサー。愛称は「時さん」。 東京都台東区出身。1965年に日…

坂本 朝一(さかもと ともかず)
1917年3月28日生まれの有名人 東京出身

坂本 朝一(さかもと ともかず、1917年3月28日 - 2003年12月31日)は、日本の放送人。第12代日本放送協会(NHK)会長。「朝の連続テレビ小説」の生みの親として知られる。 東京都千代…

坂本 結菜(さかもと ゆな)
2004年4月8日生まれの有名人 神奈川出身

坂本 結菜(さかもと ゆな、2004年4月8日 - )は慶應義塾大学に在学する日本の女子大生タレント。 母親に勧められてフジコーズ2期生募集オーディションに締切1時間前で応募。見事合格し、2023…

坂本 コウルド(さかもと こうるど)
1985年7月1日生まれの有名人 東京出身

坂本 コウルド(さかもと コウルド、1985年7月1日 - )は、日本の俳優、モデルである。占い師としても活動。東京都出身。血液型はA型。かつては麗タレントプロモーションに所属していたが現在はフリーで…

阪本 一樹(さかもと いつき)
1998年5月6日生まれの有名人 兵庫出身

阪本 一樹(さかもと いつき、1998年5月6日 - )は、日本の元俳優。2020年までホリプロに所属していた。 小田学が監督する初長編作品『サイモン&タダタカシ』(2018年)で、須賀健太と共に主…

阪本 麻美(さかもと まみ)
1983年9月6日生まれの有名人 兵庫出身

阪本 麻美(さかもと まみ、1983年9月6日 - )は、日本のタレント、元グラビアアイドル。元所属事務所はJMO。 兵庫県出身。 中学生の時は3年間、バスケットボールをしていた。 芸映に所属。 …

坂本 スミ子(さかもと すみこ)
1936年11月25日生まれの有名人 大阪出身

坂本 スミ子(さかもと スミこ、本名:石井 寿美子、旧姓:坂本、1936年〈昭和11年〉11月25日 - 2021年〈令和3年〉1月23日)は、ラテン・歌謡曲の歌手、俳優。愛称は「おスミ(さん)」。異…

坂本 將貴(さかもと まさたか)
1978年2月24日生まれの有名人 埼玉出身

坂本 將貴(さかもと まさたか、1978年2月24日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市緑区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 名前は「将貴」…

坂本 紘司(さかもと こうじ)
1978年12月3日生まれの有名人 滋賀出身

坂本 紘司(さかもと こうじ、1978年12月3日 - )は日本の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。湘南ベルマーレ代表取締役GM。 静岡学園高校三年生の秋、高校選手権…

坂本 咲子(さかもと さきこ)
1963年11月12日生まれの有名人 東京出身

坂本 咲子(さかもと さきこ、1963年11月12日 - )は、女性フリーアナウンサー。東京都武蔵野市出身。 1986年 共立女子大学文芸学部卒業後、札幌テレビ放送入社。 1995年 札幌テレビ放…

坂本 三佳(さかもと みか)
1980年9月13日生まれの有名人 神奈川出身

坂本 三佳(さかもと みか、1980年9月13日 - )は、日本の女優、タレント。所属事務所は青柳肇事務所→オフィスコバック。神奈川県出身。玉川学園高等部卒業。 1980年09月13日、誕生。 …

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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「さかもと未明」を素材として二次利用しています。

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