エリザベス=テイラーの情報(ElizabethTaylor) 女優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


エリザベス=テイラーさんについて調べます
■名前・氏名 |
エリザベス=テイラーの情報まとめ

エリザベス=テイラー(Elizabeth Taylor)さんの誕生日は1932年2月27日です。

子役、映画、結婚、テレビ、父親、母親、引退、事故、離婚、事件、ドラマ、家族、病気、現在に関する情報もありますね。今年の情報もありました。2011年に亡くなられているようです。
エリザベス=テイラーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)エリザベス・テイラー(Dame Elizabeth Rosemond Taylor, DBE、1932年2月27日 - 2011年3月23日)は、イギリス出身の女優。少女時代からメトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) で子役として映画出演しており、成人後には「ハリウッド黄金時代」(en:Hollywood's Golden Age) を代表する大女優の一人となった。世界的にもっとも有名な女優の一人であり、優れた演技力、美貌、豪奢な私生活、そして珍しいスミレ色の瞳で知られていた。 『緑園の天使』(1944年)が最初に成功したテイラーの映画出演作品となった。その後、『花嫁の父』(1950年)、『陽のあたる場所』(1951年)、『ジャイアンツ』(1956年)、『熱いトタン屋根の猫』(1958年)、『去年の夏 突然に』(1959年)などに出演している。1960年の『バターフィールド8』でアカデミー主演女優賞を受賞し、『クレオパトラ』(1963年)では主題役を演じ、この作品で共演したリチャード・バートンと結婚した。バートンとの共演作は『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)など11本におよび、テイラーはこの『バージニア・ウルフなんかこわくない』で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞している。1970年代半ばからテイラーの映画出演は減っていき、ときおりテレビや舞台に出演するようになった。 テイラーの私生活は、8度の結婚と生命に関わる闘病生活で知られている。また、1980年代半ばからエイズ撲滅運動を支持し、1985年に米国エイズ研究財団 (en:amfAR, The Foundation for AIDS Research) の創設メンバーの一人となり、1993年にはエリザベス・テイラー・エイズ基金を創設した。大統領メダル (en:Presidential Citizens Medal)、レジオンドヌール勲章、ジーン・ハーショルト友愛賞、AFI生涯功労賞 (en:AFI Life Achievement Award) を受賞し、AFIが選定した映画スターベスト100の女優部門では第7位にランクされている。テイラーは長い闘病生活の末、2011年3月に鬱血性心不全のために79歳で死去した。 テイラーは1932年2月27日に二人兄妹の妹として、ロンドン北西部のハムステッド・ガーデン・サバーブにあるウィルウッド通り8番の両親の家で生まれ、エリザベス・ロズモンド・テイラー (Elizabeth Rosemond Taylor) と名付けられた。父親はフランシス・レン・テイラー (en:Francis Lenn Taylor)(1897年 - 1968年)、母親はサラ・サザーン (en:Sara Sothern) (1895年 - 1994年)で、両親ともにカンザス州アーカンザスシティ出身のアメリカ人だった。テイラーの兄ハワード・テイラーは1929年生まれである。父フランシスは画商で、母サラは舞台女優をしていたが、ニューヨークでフランシスと結婚した1926年に芸能活動から引退している。 テイラー家の親しい友人だったヴィクター・カザレット (en:Victor Cazalet) は、一家に大きな影響を与えた人物で、エリザベスの名付け親となった。ウィンストン・チャーチルの親友でもあったカザレットは裕福な国会議員で、有力な縁故を持つ独身男性だった。カザレットは美術と観劇を深く愛した人物で、テイラー一家にイングランドに永住することを強く勧めた。また、クリスチャン・サイエンスの信者で在家の説教師を務めており、テイラー家とのつながりには宗教的な側面もあった。エリザベスがひどい小児性伝染感染症に罹患し、数週間寝込んだときにエリザベスは「お母さん、ヴィクターを呼んでくれないかしら。一緒にここにいてくれるように頼んで」と懇願している。 伝記作家のアレクサンダー・ウォーカー (en:Alexander Walker) は、エリザベスが27歳のときにユダヤ教に改宗しその生涯を通じてイスラエルを支持していたのは、幼少期の体験が原因ではないかとしている。ウォーカーは、カザレットがユダヤ人の祖国建設の積極的な推進者だったことと、エリザベスの母サラがさまざまな慈善活動に参加しており、その活動のなかにシオニズム資金団体への支援があったことを指摘している。サラはエリザベスがカザレットから受けた影響について次のように振り返っている。 テイラーは出生国イギリスと両親の出身国アメリカとの二重国籍を持っていた。1965年10月にパリのアメリカ大使館でアメリカ国籍放棄の手続きを行ったが、証明書の「合衆国へのあらゆる義務と忠誠を放棄する」という一文には抹消線が引かれていた。このためアメリカ合衆国国務省は、書類が改竄されているためテイラーの国籍放棄を認めないという見解を公式に公表している。テイラーは翌年の1966年に、改めて正式なアメリカ国籍放棄の証明書にサインした。しかしながら1977年にテイラーは、当時の夫だった政治家ジョン・ウォーナーの上院議員選挙運動の際にアメリカ国籍取得を申請している。 第二次世界大戦が勃発する直前に、両親は戦火を避けてイギリスからアメリカへと戻ることを決めた。母サラと二人の子供が一足先にニューヨークへ到着したのは1939年4月のことで、ロンドンで仕事の後始末に追われていた父フランシスがアメリカへ帰国したのは11月になってからだった。一家はカリフォルニア州ロサンゼルスに落ち着き、父フランシスはイギリスから持ち込んだ多くの絵画を展示するアート・ギャラリーを建てた。そしてすぐにこのギャラリーは現代ヨーロッパ絵画を好む多くの著名なハリウッド関係者たちの間で評判になり、伝記作家ウォーカーはギャラリーが「テイラーを金銭と名声に満ちた(ハリウッドの)世界へと誘う、多くの扉を開いていくことになった」としている。 テイラーの母サラは、ロサンゼルスに居を構えて間もなく、ハリウッド関係者が「つねに未来のスターを探している」ことに気づいた。サラは友人をはじめ見ず知らずの人々からも、当時撮影中だった映画『風と共に去りぬ』の主役スカーレット・オハラの子供ボニー・ブルー役のスクリーン・テストを、テイラーに受けさせるように勧められた。しかしながらサラは、テイラーには映画の子役は向いていないとしてこれらの誘いを断った。また、テイラー一家が世界大戦終結後にはイングランドへ戻るつもりでいたことも背景にあった。 あるとき、ハリウッドの芸能コラムニストのヘッダ・ホッパーが、映画製作会社ユニバーサル・ピクチャーズの役員で大株主だったジョン・チーヴァー・カウディンの婚約者アンドレア・ベレンスとテイラーを引き合わせた。ベレンスはサラに、テイラーをカウディンに会わせれば、間違いなくカウディンはテイラーの驚くほどの美貌に魅せられるだろうと請合った。別の映画製作会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) もテイラーに関心を示しており、MGMの社長ルイス・B・メイヤー自らが自社のプロデューサーに「彼女(テイラー)と契約しろ。さっさとするんだ。何をぼやぼやしている」と催促したといわれている。そしてテイラーを巡ってユニバーサルとMGMの争奪戦となった。MGMも自分たちと同じくテイラーに興味を持っていることを知ったカウディンは、ニューヨークからユニバーサルへ「彼女と契約するんだ。これは命令だ。スクリーンテストも省いていい」という電話をかけている。そしてユニバーサルはテイラーと7年間の契約を結んだ。 テイラーが初めて映画作品に出演したのは『There's One Born Every Minute』(1942年)で、結局この作品がテイラーが出演した唯一のユニバーサル製作映画となった。 『There's One Born Every Minute』公開後、一年足らずでユニバーサルはテイラーとの契約を解消した。契約が解消された理由は不明だが、カウディンが期待するほどの成果をテイラーが挙げられなかったのではないかとする説がある。伝記作家ウォーカーは「ユニバーサルに歓迎されていない」とテイラーが直感的に思ったのだとしている。たとえば、配役担当ディレクターが、スクリーン・テストを終えたテイラーについて「この子には何もないよ」と漏らしたことをテイラーは知っていた。テイラーに出会う人々を驚かせたすみれ色にも見える深い青色の美しい瞳と先天的な二重まつげは,このディレクターにとって印象的には感じられず、「彼女(テイラー)の目はあまりに大人びすぎている。子供の顔じゃない」と言ったとされている。ウォーカーも「外見に関する限りはそう的外れな意見でもない」としている。 確かにエリザベスの容姿にはちょっと変なところが「あった」。年齢のわりには大人びており、実年齢よりも年上だと考える人々も多かっただろう。すでに母親と同じような集中力をみせていた。後にこのことは(テイラーの)大きな財産となっている。当時の人々は、シャーリー・テンプルの清純な愛らしさや、ジュディ・ガーランドの飾り気のない子供らしさに比べれば、テイラーが劣っていると思ったのだろう。 テイラーは幼少時代をすごしたイングランドでは「大人びて」いると言われていたと振り返っており、それは自身が「率直でひどく遠慮がなかった」からだとしている。さらに生まれたばかりの娘にも、自分とよく似た特徴がみられることにも触れている。 まだ一歳にもならない娘がじっと他の人を見つめると、その人は落ち着きをなくし逃げ出したくなるのです。娘の熱のこもった視線に耐えられずに、遂には部屋を出て行ってしまいます。 MGMのプロデューサーであるサム・マルクス (en:Sam Marx) の火災警備員も務めていたテイラーの父フランシスは、MGMが名犬ラッシーの映画に出演するイギリス人子役を探していることを知った。テイラーはこの映画への出演を決め、1943年からの長期契約をMGMと結んだ。テイラーがMGMとの契約を決めた理由は「オーディションに行ったときに、MGMの関係者がみんな親切だったから」とテイラーは振り返っている。MGMの製作責任者ベニー・タウを、テイラーはその後数年にわたって全面的に信頼していた。「彼(タウ)は 細やかな気遣いが出来る人物で、その身振りからも彼女(テイラー)が愛されているということがわかった」とウォーカーは語っている。タウは当時のテイラーのことを「小さな黒髪の美人で、風変わりで美しい目がみなの注目を集めていた。妙に元気な子供だったよ」と評している。さらに、当時のMGMは「魅力的な製作会社」だとみなされており、「天国よりも多くのスターを抱えている」と自負していた。しかしながらテイラーの母サラは、テイラーには女優としての「天賦の才能」があると信じていたが、MGMとの契約書にサインするのをためらっていた。ウォーカーはテイラーがMGMとの契約を結ぶに至った理由を次のように述べている。 MGMはテイラーを『名犬ラッシー 家路』(1943年)に、その後終生の友情を結ぶことになる子役ロディ・マクドウォールと共演させた。後年マクドウォールはテイラーの美貌について「大きなスクリーンに映し出されるために生まれたこの少女以外の誰が二重まつげをしているだろう」と回想している。『名犬ラッシー 家路』でのテイラーとマクドウォールの演技はどちらも好評を博し、MGMは定時昇給を確約した週給100ドルの条件でテイラーと7年間の出演契約を結んだ。MGMとの契約下で初めて与えられたのは外部出演作品であり、20世紀フォックスが製作する『ジェーン・エア』(1943年)のヘレン・バーンズ役だった。翌1944年にはイギリスを舞台とした『ドーヴァーの白い崖』で、テイラーは再びマクドウォールと共演している。 粘り強く交渉して射止めた『緑園の天使』のヴェルヴェット・ブラウン役で、12歳のテイラーは子役スターとなった。テイラーの役は、愛する馬を調教してグランドナショナルで優勝することを夢見る少女だった。若きミッキー・ルーニーやイギリスの新人女優アンジェラ・ランズベリーらが共演し、1944年12月に公開されたこの作品は大成功を収めた。後年になってテイラーは『緑園の天使』のことを、今までで「もっとも興奮した映画』と呼んでいるが、映画撮影中に落馬事故で痛めた背中は、後に様々な悪影響をテイラーにおよぼすこととなった。 観客も批評家も「一目でエリザベス・テイラーに魅入られた」。ウォーカーは『緑園の天使』が大ヒットした理由として次のように記している。 『緑園の天使』の興行収益は400万ドル以上を記録し、MGMはテイラーと更なる延長出演契約を結んだ。『緑園の天使』の成功により、テイラーは同じく動物映画である『ラッシーの勇気 (en:Courage of Lassie)』(1946年)に出演している。この映画もヒットし、テイラーのギャラは週給750ドルまであがった。この後もワーナー・ブラザースに貸し出されて出演した『ライフ・ウィズ・ファーザー (en:Life With Father)』(1947年)を始め、『シンシア』(1947年)、『スイングの少女』(1948年)、『奥様武勇伝』(1948年)と全ての出演作がヒットしている。テイラーは確実にヒットを飛ばす子役女優として高く評価され、撮影でNGを出さずに一度のテイクで決めてしまうところから「ワンショット・リズ」と呼ばれるようになった。そして南北戦争時代の一家を描いた古典的名作『若草物語』(1949年)のエイミー・マーチ役が、テイラーの最後の少女役となった。 当時のMGMはスタジオ内に教室を設置しており、子役たちに学校教育を施していた。しかしながらテイラーは、スターとして扱われない普通の子役たちから疎外されるようになり、この教室に嫌気がさすようになっていった。テイラーは子役として映画に出演する前が、子供時代でもっとも幸福な時期だったと振り返っている。 私の人生で、数少ない本当に幸せだった時期のひとつに、女優を始める前の子供時代があります。同級生とゲームをし、お人形遊びやごっこ遊びに夢中になったものです。……『緑園の天使』に出演して有名になったのは私が12歳のときです。今でも私は普通の生活が送りたかったと思うときがあります。でも多分そのころから私は風変わりな変人だという目で見られるようになっていったのでしょう。 私は学校が嫌いでした。少なくともあれは学校ではありませんでした。私は子供たちと一緒にすごすこと自体は大好きでした。でも教師が舞台セットにいる私の耳をつかんで引き摺り下ろし、教室に叩き込もうとするのです。私はよく激高しました。そのころ16歳だった私と真面目に接してくれる級友もいなかったのです。15分もしたら教室を抜け出して、ロバート・テイラーの妻役として情熱的なラブシーンを演じたものです。 10歳代のころのテイラーは、映画出演に嫌気が差していた。ステージママとなった母親サラは、テイラーが即興で泣けるようになるまで容赦なく稽古を続けさせ、撮影中のテイラーを監視し続けては、発声やミスを指摘した。撮影所で同年代の人間と出会うことはほとんどなく、貧弱な教育しか受ける機会を与えられなかったため、テイラーは簡単な算数であっても指を使わないと計算できなかった。16歳のときにテイラーは、両親に普通の子供に戻りたいから女優をやめると告げたことがある。母親のサラはテイラーには感謝の心がないと諭し「貴方には責任があるのよ、エリザベス。私たち一家にだけではなく、この国、さらには全世界に対してのね」と言って聞かせている。 1948年10月にテイラーは『Conspirator』の撮影のために、客船クイーン・メリーでイギリスへ向かった。他の子役と違って、テイラーは成人女性役への転身に苦労することはなかった。『Conspirator』が公開される1949年以前に、雑誌『タイム』がテイラーのことを「非常に高価な宝石、サファイアのような本物のスター」と呼んで、モンゴメリー・クリフト、カーク・ダグラス、エヴァ・ガードナーらと並ぶ、次代のハリウッド・スターだと紹介している。成長してもテイラーは小柄で華奢な体格のままで、ウェストサイズは19インチしかなかった。 『Conspirator』の興行成績は悪かったが、当時38歳のロバート・テイラー演じる共産主義のスパイと、そのことを知らずに結婚してしまうという、メリンダ・グレイトン役を演じた。当時16歳だったテイラーが演じたこの21歳の女性の役は、テイラー初の成人女性役として評論家から高い評価を得た。新たに週給2,000ドルとなったテイラーが出演した映画が人気俳優ヴァン・ジョンソンと共演した『The Big Hangover』(1950年)だったが、この作品は興行成績も批評家からの評価もよくなかった。また、この映画では成長したテイラーの性的魅力を描写しようとしていたが、その面でも成功したとはいえない作品だった。 テイラーが成人女性を演じた映画で、最初に興行的にヒットしたのがコメディ映画の『花嫁の父』(1950年)である。テイラーはスペンサー・トレイシーが演じるスタンリー・T・バンクスの娘ケイ・バンクス役で、ほかにはジョーン・ベネットらが共演していた。『花嫁の父』の続編として製作されたコメディ映画『可愛い配当 (en:Father's Little Dividend)』(1951年)でテイラーは再びスペンサー・トレイシーと共演した。トレイシーはこの映画について「退屈、退屈極まりない」と評している。『可愛い配当』の興行成績は非常によく、二作続けてコメディ映画でヒットを飛ばしたテイラーだったが、次作の『陽のあたる場所』が、以降のテイラーの女優としてのキャリアを方向付けることとなる。 1949年の終わりにテイラーは、ジョージ・スティーヴンス監督作品『陽のあたる場所』の撮影に入った。この作品が公開されたのは1951年で、テイラーは資産家令嬢のアンジェラ・ヴィッカース役を演じた。共演したのはジョージ・イーストマン役のモンゴメリー・クリフトと、イーストマンの恋人で妊娠しながらも工場で働く貧しいアリス・トリップ役のシェリー・ウィンタースだった。『陽のあたる場所』はセオドア・ドライサーの小説『アメリカの悲劇』を原作としており、「アメリカン・ドリーム」への批判とその悪影響をテーマにしていた。 当時のテイラーはまだ17歳であり、『陽のあたる場所』にこめられた心理的な影響力やテーマ性を理解できてはいなかったが、この作品はテイラーの女優としてのキャリアに極めて重要なものとなった。伝記作家キティ・ケリーは、監督のスティーヴンスがテイラーのことを若く美しいスターだと認識しており、そのことによって「(クリフト演じる)ジョージ・イーストマンが、彼女(テイラー演じるアンジェラ・ヴィッカース)と陽のあたる場所を手に入れるためなら何でもすると思いつめた理由を、観客たちにはっきりと理解させる」効果があったとしている。ケリーは『陽のあたる場所』の撮影現場の見学を許された芸能コラムニストのヘッダ・ホッパーが「『緑園の天使』に出演していた少女が、カメラの前でモンゴメリー・クリフトを誘惑しているシーンを食い入るように見つめていた」と書いている。さらに、このシーンの撮影後にホッパーがテイラーのところへ行って「エリザベス、あんなふうに男を誘惑する手管をいったいいつ覚えたの」と尋ねていたとしている。批評家たちは『陽のあたる場所』を傑作と評価し、映画史に50年以上残る作品だとして高く称賛した。『ニューヨーク・タイムズ紙』のA・H・ワイラーは「裕福で美しいアンジェラを演じたエリザベスの演技は、彼女のキャリア中で最高だった」と書いた。また、『ボックスオフィス誌 (en:Boxoffice)』はその劇評で「ミス・テイラーはアカデミー賞に値する」と断言している。 1950年ごろから、テイラーは自身に振られる配役に対して徐々に不満を持つようになっていった。テイラーが望んでいたのは『裸足の伯爵夫人』でエヴァ・ガードナーが演じたマリア・バルガスや『明日泣く』でスーザン・ヘイワードが演じたリリアン・ロスのような役柄だった。しかしながらMGMは、テイラーがカメオ出演した『Callaway Went Thataway』(1951年)や、『Love Is Better Than Ever』(1952年)、『黒騎士』(1952年)、『en:The Girl Who Had Everything』のような、どちらかというと愚かしく、記憶に残らないような映画への出演しか認めなかった。 1954年に出演した『ラプソディー (en:Rhapsody)』も、テイラーにしてみれば飽き飽きするような恋愛映画で、不満が残る役どころだった。テイラーが演じたルイーズ・デュラン役は、ヴィットリオ・ガスマン演じる気難しいヴァイオリニストと、ジョン・エリクソン演じる真面目な若きピアニストの間で揺れ動く裕福で美しい娘という役どころだった。『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙』は「全編が美しさに満ちた作品で、ミス・テイラーはあらゆる角度から輝いている。……台詞は高尚で出演陣も優れた容姿ではあるが、いかんせん内容に乏しい」と評している。 『ラプソディー』、『巨象の道』と同じく1954年に公開された『騎士ブランメル (en:Beau Brummell)』で、テイラーは凝った衣装に身を包むレディ・パトリシアを演じた。しかしながらこの魅惑的な美女役は、スチュワート・グレンジャーが演じる主役ボー・ブランメルに恋愛風味を加えるだけの美しい添え物に過ぎなかった。『The Big Hangover』で共演したヴァン・ジョンソンと再びコンビを組んだ『雨の朝巴里に死す』(1954年)でテイラーが演じた役はそれまでの作品に比べるといくぶんましな役どころだった。テイラーが演じた役であるヘレン・エルスワース・ウィリスは、アメリカの小説家F・スコット・フィッツジェラルドの妻ゼルダ・セイヤーをモデルにしている。当時のテイラーは1952年に結婚したマイケル・ワイルディングの二人目の子供を妊娠していたが、この作品の撮影に4ヵ月間を費やした。『雨の朝巴里に死す』の興行成績は悪くなかったが、テイラーはより存在感がある役を切望していた 。 ジョージ・スティーヴンス監督作品で、ロック・ハドソン、ジェームズ・ディーンと共演した大作『ジャイアンツ』(1956年)で、テイラーはハドソン演じる富豪ジョーダンの妻レズリーという、シリアスで存在感のある役どころを得た。そしてテイラーは、モンゴメリー・クリフトと共演した『愛情の花咲く樹』(1957年)で演じたスザンナ・ドレイク役で、初めてアカデミー主演女優賞にノミネートされた。以降テイラーは、ポール・ニューマンと共演した『熱いトタン屋根の猫』(1958年)、モンゴメリー・クリフト、キャサリン・ヘプバーン、マーセデス・マッケンブリッジと共演した『去年の夏 突然に』(1959年)、『バターフィールド8』(1960年)と4年連続でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、最後の『バターフィールド8』でアカデミー主演女優賞を獲得した。『バターフィールド8』は当時テイラーの夫だったエディ・フィッシャーと共演した作品で、テイラーに自身のことを18年間にわたる「MGMの家財」と言わしめた、MGMとの契約における最後の作品となった。 『熱いトタン屋根の猫』『去年の夏 突然に』の大ヒットによって、テイラーは興行成績上位10位に入る俳優となり、その後も10年にわたってほぼ毎年上位10位にランクインした。1960年にテイラーは、20世紀フォックスと100万ドルで『クレオパトラ』(1963年)の出演契約を結び、当時最高額の出演料を得る女優となった。最終的にはテイラーはこのクレオパトラ役で700万ドルを手にしている。テイラーはこの『クレオパトラ』の撮影中に、共演者でマーク・アントニー役のリチャード・バートンと恋愛関係になった。両者ともに結婚していた不倫関係であり、タブロイド紙に大きく取り上げるスキャンダルとなってしまった。 テイラーに二度目のアカデミー主演女優賞をもたらしたのは、当時の夫だったリチャード・バートンと共演した『バージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)のマーサ役だった。この映画はテイラーにとってもバートンにとっても大きな転機となった作品で、ウォーカーは「二人のキャリアのなかで、もっともやりがいがある作品であり、もっとも手ごわかった作品」だと評している。テイラーはこの作品を「本物の演技」を試すいい機会だととらえ、さらに、自身の憧れの女優ヴィヴィアン・リーが演じてきた「悲劇のヒロイン」と張り合うチャンスだと考えた。しかしながらテイラーは、自身の実年齢より20歳以上年長のマーサ役を演じるには自身の外見が若すぎることを気にかけていた。テイラーは役の年齢相応に見せかけるために白髪を足すなど、肉体的にも声質的にもマーサに近づけようとした。意図的に体重を増やし、過度に濃いマスカラ以外はほとんど化粧をせず、薄汚れたバッグを持つという出で立ちで役作りを行った。 テイラーとその5番目、6番目の夫リチャード・バートンとは、『予期せぬ出来事』(1963年)、『いそしぎ』(1965年)、『じゃじゃ馬ならし』(1967年)など、10年間で6本の映画で共演している。1967年までに二人の共演作品は200万ドル以上の興行成績をあげた。『じゃじゃ馬ならし』に続いて『ファウスト悪のたのしみ (en:Doctor Faustus)』(1967年)、『危険な旅路 (en:The Comedians)』(1967年)、『夕なぎ』で、テイラーとバートンは共演しているが、いずれも興行成績は振るわなかった。 テイラーはジョン・ヒューストン監督作品『禁じられた情事の森』(1967年)でマーロン・ブランドと共演し、翌年にはミア・ファローと『秘密の儀式』(1968年)で共演した。1960年代の終わりにはテイラーの集客力は落ちていき、出演作の興行成績は大幅に下がってしまった。ウォーレン・ベイティと共演した1970年の『この愛にすべてを』も興行的には失敗作となっている。 加齢とともに「か細く柔軟性のない声」しか出なくなったテイラーだったが、1970年代も多くの映画作品に出演するスターであり続けた。マイケル・ケインと共演した『ある愛のすべて (en:X, Y and Zee)』(1972年)、ヘンリー・フォンダと共演した『別離』(1973年)、ジェーン・フォンダ、エヴァ・ガードナーと共演した『青い鳥 (en:The Blue Bird)』(1976年)、夫リチャード・バートンと共演した『リトル・ナイト・ミュージック (en:A Little Night Music)』(1977年)などに出演し、1973年にはテレビ映画の『離婚・男の場合 離婚・女の場合 (en:Divorce His, Divorce Hers)』にも出演している。 テイラーは1980年にアガサ・クリスティのミステリ小説『鏡は横にひび割れて』を原作とした映画『クリスタル殺人事件』に出演した。1985年には、実在の芸能ゴシップコラムニストのヘッダ・ホッパーとルエラ・パーソンズをモデルとしたテレビ映画『Malice in Wonderland』で、ルエラ・パーソンズを演じている。1987年にトム・スケリット、ジョージ・ハミルトンとの共演でテレビの西部劇『ポーカー・アリス (Poker Alice)』に出演し、1989年にはテレビのミニドラマシリーズ『南北戦争物語 愛と自由への大地』に出演した。そしてテイラーの最後の劇場映画作品となったのは1994年の『フリントストーン/モダン石器時代』だった。 テイラーは1996年2月にテレビのシットコム番組『ナニー (en:The Nanny)』に本人役で出演した。このとき出演者のフラン・ドレシャーに、テイラーがこれまでに結婚した相手の全ての姓をつなげて「エリザベス・テイラー=ヒルトン=ワイルディング=トッド=フィッシャー=バートン=バートン=ウォーナー=フォーテンスキー」と呼びかけられている。2001年にはテレビ映画『だって女優ですもの! (en:These Old Broads)』に出演した。テイラーは多くのテレビシリーズ作品に出演しており、ソープオペラの『ジェネラル・ホスピタル』、『オール・マイ・チルドレン』などのほか、アニメシリーズ『ザ・シンプソンズ』の登場人物マギー・シンプソンに一度だけ「ダディ」という台詞をあてたことがある。 テイラーは映像作品だけではなく舞台作品にも出演したことがあり、1982年に劇作家リリアン・ヘルマン原作の『子狐たち (en:The Little Foxes)』で、ブロードウェイとイースト・エンドにデビューした。1983年にはノエル・カワードの戯曲『プライヴェート・ライヴズ (en:Private Lives)』で、前夫のリチャード・バートンと共演している。オクスフォード大学に生徒主体で建てられた小劇場バートン・テイラー・スタジオ (en:Burton Taylor Studio)は、テイラーとバートンにちなんで名付けられている。これは、オックスフォード大学演劇部の舞台に、バートンがドクトル・ファウスト役で客演したことを記念したものである。 1980年代初めに、テイラーはロサンゼルス西部の高級住宅街ベル・エア (en:Bel Air, Los Angeles) に邸宅を購入し、その後の生涯をここで過ごした。テイラーの持ち家はほかに、パーム・スプリング、ロンドン、ハワイにもあった。同じ幼年時から人気者になった事からマイケル・ジャクソンと親交を深めた。93年からマイケルがトラブルに見舞われた時、彼を弁護した。その映像はマイケルのドキュメンタリーに引用されている。 テイラーは第75回アカデミー賞式典に招待されたが、2003年3月にイラク戦争反対の立場からこの招待を辞退した。テイラーは当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュを公然と非難しており、イラク大統領サッダーム・フセインのイラク国外へ退去を要求するアメリカの強硬姿勢が第三次世界大戦の引き金になるのではないかと危惧していた。 2007年12月1日にテイラーは、ジェームズ・アール・ジョーンズとの共演で、A・R・ガーニー (en:A. R. Gurney) 原作の舞台朗読劇『LOVE LETTERS (en:Love Letters)』に出演した。この舞台はテイラーのエイズ基金の創設資金として、100万ドルを集めることを目的として上演されたものである。入場チケットは2,500ドルで500人以上の観客が集まった。この舞台の上演は全米脚本家組合ストライキとほぼ同時期の出来事で、各地の演劇関連施設が閉鎖、あるいはピケラインが張られていた。そこでテイラーは全米脚本家組合に「一夜だけの免除」を求めた。全米脚本家組合はこのテイラーからの依頼を聞き入れ、この劇場にピケラインは張られることなく舞台は無事に上演された 。 テイラーは7人の相手と8回結婚した。結婚離婚を繰り返す理由を聞かれたテイラーは「分からない。私にもさっぱり分からないの」と応えている。また、別の機会には「私は両親から、誰かを本当に好きになったのなら結婚しなさいと教えられたのよ。多分私は古風な女なんでしょうね」と話したこともある。 テイラーは以下の男性たちと結婚した。 コンラッド・ヒルトン・ジュニア (en:Conrad Hilton, Jr.)ホテル王コンラッド・ヒルトンの息子。1950年5月6日 - 1951年1月29日) マイケル・ワイルディング (en:Michael Wilding) (イギリス人俳優。1952年2月21日 - 1957年1月26日) マイク・トッド (en:Mike Todd) (アメリカ人舞台、映画プロデューサー。1957年2月2日 - 1958年3月22日) エディ・フィッシャー(アメリカ人歌手。1959年5月12日 - 1964年3月6日) リチャード・バートン(イギリス人俳優。1964年3月15日 - 1974年6月26日) リチャード・バートン(1975年10月10日 - 1976年7月29日) ジョン・ウォーナー(アメリカ人政治家。1976年12月4日 - 1982年11月7日) ラリー・フォーテンスキー (en:Larry Fortensky) (アメリカ人土木作業員。1991年10月6日 - 1996年10月31日) テイラーは結婚以外にも多彩な恋愛遍歴を持っている。最初の夫であるヒルトンと結婚する前に、ハイズマン賞の受賞経験があるアメリカン・フットボール選手グレン・デイヴィス (en:Glenn Davis) と婚約していた。デイヴィスは婚約が解消されるまで、テイラーの母サラが二人の婚約をテイラーの宣伝活動に利用していたことを知らなかった。また、デイヴィスのほかにも、駐ブラジル大使ウィリアム・D・パウリー (en:William D. Pawley) の子息と婚約していたこともある。億万長者で映画プロデューサーのハワード・ヒューズは、テイラーの両親にテイラーとの結婚を応援してくれるのであれば、テイラーのための映画スタジオ創設に資金協力することを申し出た。母サラはこの申し出に応じたが、テイラーがヒューズとの結婚を拒否している。テイラーとヒルトンとの離婚後に、ヒューズは突然ヘリコプターで姿を見せテイラーにダイアモンドを贈って結婚を申し込んだこともあった。ほかにもテイラーは、人気歌手フランク・シナトラ、外交官ヘンリー・キッシンジャー、億万長者マルコム・フォーブスと浮名を流したことがある。2007年には、当時付き合っていたジェイソン・ウィンタースと9回目の結婚をするのではないかという噂を否定したが、ウィンタースのことを「今まで出会ったなかで最高の男性の一人」と語っている。 テイラーにはマイケル・ワイルディングとの間に、マイケル・ハワード(1953年1月6日生)とクリストファー・エドワード(1955年2月27日生)の二人の息子がいる。また、マイケル・トッドとの間には娘エリザベス・フランシス(1957年8月6日)がいる。エディ・フィッシャーと結婚していたときに、マリア(1961年8月1日)というドイツ出身の当時2歳の女児を養女にしようとしたことがあるが、1964年にフィッシャーと離婚したために、この養子縁組の話はなくなった。後にリチャード・バートンが、エリザベス・フランシスとマリアを養女にしている。 1971年にテイラーは39歳で祖母となった。テイラーが死去する2011年時点で、マリアも含めて4人の子供たちは存命で、テイラーの孫が10人、曾孫が4人いた。 1959年に当時27歳のテイラーは、9ヵ月にわたる熟慮の末にクリスチャン・サイエンスからユダヤ教に改宗し、エリシェバ・ラケル (Elisheba Rachel) というヘブライ名を名乗った。テイラーはこの改宗について、長い間考えてきたことであってそれまでの結婚生活とは無関係だと主張している。マイケル・トッドと死別したテイラーは「形だけの宗教に絶望を感じた」と語り、カトリックもクリスチャン・サイエンスも多くの「生と死に関する疑問」に答えてくれることはなかったと説明している。 伝記作家ランディ・タラボレッリは、9ヵ月にわたってユダヤ教の根本原理を研究したテイラーが「真実への直接的な回答があると感じた」と指摘している。ユダヤ教の会堂であるシナゴーグへとテイラーが行くことはほとんどなかったが、「私は神がつねにそばにいてくださると考えている一人です。礼拝のために建てられた場所に足を運ぶ必要性を感じません」と語っている。テイラーのユダヤ教への改宗祭式のときには両親が立会い、テイラーの改宗を全面的に支持した。この祭式でテイラーは『旧約聖書』の『ルツ記』からの一節を読み上げている。 ……わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です『ルツ記』(1:16)。 テイラーはユダヤ教の神秘主義思想であるカバラにも傾倒し、ロサンゼルスのカバラ・センター (en:Kabbalah Centre) に参加している。また、テイラーは55歳のときに応じたインタビューで、役に合わせて外見を変えることを強いられるなど、子役時代に撮影現場で要求されたさまざまな事柄に押しつぶされないために、どのように心の中での折り合いをつけていたのかを語っている。 神は自己に反する行動や、一時的な流行を追うことを戒めています。しかしながら私はそのようなことをして来ました。当時の私は外見を変えたりするのは、馬鹿げていると思っていました。私のもじゃもじゃの眉毛や黒髪も、何らかの理由で神が与えてくださったものだという父の言葉に同意していたのです。おそらく私は自意識が強かったのでしょう。そんな子供でした。うまく説明できませんが自意識を持つことは当然だと思っていました。肉体とは全く無関係な内なる心があることにはっきりと気付いていたのですから。 さらにテイラーは、大人になってから自身の「心の在りよう」を理解し始めたと語っている。 ある程度の年齢になると心が外見に表れます。神は一定の法則でよく似た外見を複数の人々に分け与えています。しかしながら40歳くらいになると、それぞれの内面が外見を象っていくようになるのです。……人生には様々なことが起こります。外科医も手術用メスも、どうすることもできません。生まれながらの性格にもよりますし、それまでの生き方あるいは神のみ業が今のあなたの外見を作ったといえましょう。 1964年に、当時32歳だったテイラーは自身の女優キャリアについて「映画に出演している有名な『エリザベス・テイラー』は、私にとって何ら深い意味はありません。単にうわべだけの商品だと言えます」と語っている。さらに自身の演技力に関しても「技能といえるような大したものではありません。私が生まれ持った素養であり、集中力という能力に恵まれていただけです」としている。このとき以前にテイラーが演じた役柄は美しさと性的魅力を表に出したものだったが、それは実際の自分よりもはるかに誇張された似ても似つかないものであり「私はセックス・クイーンでもセックス・シンボルでもありません。そんなものになりたいと思ったことはないのです。私の夫がそのように思ってくれれば、それはとても嬉しいことでしょうけれども」と不満を漏らしている。また、テイラーは男性の性的魅力についても、同じようなことを語っている。 テイラーはこのような魅力を持つバートンを5番目の夫に選んだ。飛行機事故で死別した三番目の夫であるマイケル・トッドを除いて、テイラーは自身の「幼少期に受けた厳格なしつけや信条」に照らし合わせて、若かりしころの恋愛相手や結婚相手を振り返っている。 テイラーはリチャード・バートンが自身の子供たちとの間に築いた強い絆を信じ、バートンとの結婚を望んだ。バートンは「絶対的な家長であり、家族はみんな彼を尊敬していました」。後にテイラーは、バートンと初めて出会ったときからどのように恋愛関係に発展していったのかを回想している。 テイラーは宝石を愛し、その死後に残された宝石コレクションの価値はおよそ1億5千万ドルと鑑定された。コレクションにはリチャード・バートンがテイラーに贈った33.19カラットのクルップ・ダイアモンド (en:Krupp Diamond) や、69.42カラットのテイラー=バートン・ダイアモンドなど、非常に有名な宝石が含まれている。テイラーはその他にも、イングランド女王メアリー1世が所有していたことで知られる、ラ・ペレグリーナと呼ばれる50カラットの真珠も所有していた。この真珠は、バートンがサザビーのオークションで3万7千ドルで落札し、1969年のバレンタインデーにテイラーに贈ったものである。 映画スターだった時期のテイラーはファッション・アイコンだった。テイラーの衣服の購入には、パラマウント映画の衣裳デザイナーだったイーディス・ヘッドやMGMの衣裳デザイナーヘレン・ローズが、テイラーの顔、胸、腰に合うデザインのものを選ぶように助言していた。また、テイラーはファッション・デザイナーのヴァレンチノ・ガラヴァーニ (en:Valentino Garavani) や、ロイ・ハルストン (en:Halston) の知名度を上げることにも貢献しており、1980年代に製薬会社のシェリング・プラウが開発したスミレ色のカラーコンタクトレンズは、テイラーの瞳をイメージしたものだった。 生涯を通じてテイラーは一貫して人道活動に献身し、豊富な資金援助も行っていた。HIVとエイズ関連の基金を創設し、総額2億7千万ドル以上の収益をあげたチャリティを主催している。テイラーはエイズに関する知見がほとんどなかった時代から、積極的に支援活動を行った最初期の著名人の一人であり、1984年にエイズ基金を創設してエイズプロジェクト・ロサンゼルス (en:AIDS Project Los Angeles) に貢献した。 1985年にテイラーは、マイケル・ゴットリーブ (en:Michael S. Gottlieb) とマティルド・クリム (en:Mathilde Krim) とともに、米国エイズ研究財団 (en:amfAR, The Foundation for AIDS Research) の共同創設メンバーとなっている。この1985年は、テイラーの長年の旧友で共演経験もあるロック・ハドソンがエイズを発症したことが公表され、そして死去した年でもあった。テイラーは1993年にエリザベス・テイラー・エイズ基金を創設し、HIVキャリアやエイズ患者への緊急支援体制を整えた。1991年にクイーンのフレディ・マーキュリーがエイズが原因となって引き起こされたニューモシスチス肺炎で死去した際には翌年に開かれたフレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演、エイズの危険性に対するスピーチを行った。2006年には診察台とX線撮影装置を備えた、全長11メートルの介護車両を購入し、エリザベス・テイラー・エイズ基金とメイシーズの名前で、ニューオーリンズに寄付した。この2006年は、前年にニューオーリンズを含むアメリカ南東部に多大な被害をもたらしたハリケーン・カトリーナの爪あとが残っている時期であり、テイラーはニューオーリンズの非営利エイズ対策委員会にも50万ドルを寄付している。この寄付はテイラーの74歳の誕生日にあわせて行われ、ニューオーリンズ周辺のエイズ対策委員会が今までどおりに対エイズ患者救済活動を続けられるようにという願いがこめられたものだった。 テイラーは対HIV/エイズ患者に対する人道活動で、1992年にアカデミー賞のジーン・ハーショルト友愛賞を受賞した。テイラーが死去したときに、これらの人道活動について前アメリカ大統領のビル・クリントンが「エリザベスの遺志は、いつまでも世界中の人々の心に素晴らしいものとして生き続けるだろう。彼女はそれだけの業績を残し、たゆむことのない努力を続けたのだ」とコメントしている。 ユダヤ教に改宗した後のテイラーは、その生涯を通じてユダヤ教義の普及に尽力した。1959年には、テイラーが多額のイスラエル国債 (en:State of Israel Bonds) を購入したことから、アラブ諸国でテイラーの映画がボイコットされている。また1962年には、『クレオパトラ』の最終ロケ地となったエジプトへの入国を拒否された。このときエジプト政府は、テイラーがユダヤ教信者で「イスラエルの大義を支持している」ためにエジプトへの入国を禁じたという声明を出している。しかしながら『クレオパトラ』はエジプトの大衆に受け入れられ、テイラーのエジプト入国禁止措置も1964年に解除された。 1974年に、テイラーとバートンは二度目となる結婚式をイスラエルで挙げることを望んだが、バートンがユダヤ教徒ではなかったためにこの希望は叶えられなかった。テイラーはユダヤ民族基金 (en:Jewish National Fund) のようなユダヤ教組織に資金援助をしていた。イスラエルへの移住を希望するソ連のユダヤ教徒たちを支持し、1967年に勃発した第三次中東戦争でイスラエルを激しく非難し、シオニズムが人種差別主義だとする1975年の国連総会決議3379号 (en:United Nations General Assembly Resolution 3379) に賛成したソ連に対する抗議として、ソ連訪問を取りやめたこともあった。 1976年のエンテベ空港ハイジャック事件では、人質となったユダヤ人100人以上の身代わりになることを申し入れたこともある。そしてイスラエル軍によって人質のほとんどが無事に解放された後の1977年1月に、テイラーはカーク・ダグラスらともに『エンテベの勝利』というテレビ特番及び映画に出演した。この番組でテイラーは「この事件を見過ごすことはできませんでした。私はイスラエルに強い親近感を抱いており、エンテベの救出作戦が成功することを心のそこから堅く信じていました」と語っている。 テイラーはその生涯の多くの時期を健康問題に悩まされていた。ヒルトンとの離婚を初めとして、私生活で問題が起きたときにはつねに深刻な病苦に襲われる暮らしを送っていた。テイラーは70回以上の入院経験があり、20回以上の大手術を受けている。テイラーが危篤だという間違った報道が幾度となく新聞の一面に掲載されたが、テイラー自身は危篤状態に陥ったのは4度だけだったと主張している。 身長5フィート4インチ(約162センチ)のテイラーは1980年代に大幅な体重の増減を繰り返し、軽いときには119ポンド(約54キログラム)から重いときには180ポンド(約82キロ)に及んでいる。50歳代半ばまで喫煙しており、1975年10月にX線検査を受けたときには肺に影が見つかって肺がんではないかと診断されたが、のちに病巣ではなかったことが判明している。テイラーは五度にわたって背中を痛めたことがあり、人工股関節置換手術(英語版)と子宮摘出手術(英語版)を受け、赤痢や静脈炎、食道穿孔の罹病経験もあるほか、1997年には良性だが脳腫瘍摘出手術を受けている。肺炎の発作で生死をさまよったことが二度あり、1961年の発作時には緊急の気管切開で一命を取りとめた。1983年には、35年間にわたって睡眠薬と鎮痛剤を常用して、中毒症状となっていることを告白している。1983年12月から1984年1月にかけての6週間と、1988年秋から1989年初頭にかけて、アルコール依存症と処方薬乱用の治療のためにベティ・フォード・センターに入院したこともあった。 2006年5月30日に、テイラーは自身の重病説を否定するためにテレビの生番組『ラリー・キング・ライブ』に出演し、アルツハイマー型認知症に苦しんだ瀕死の状態にあるという噂を一蹴した。しかしながら最晩年のテイラーは隠遁生活を好み、病気や個人的な理由で約束を違えることも多かった。車椅子を使用するようになり、その理由を尋ねられたテイラーは骨粗鬆症であることと、生まれながらに脊椎側彎症を患っていることを理由に挙げている。 テイラーの外見上の特徴でもある二重まつげは一種の突然変異によるものだが、同じような突然変異がその後の心臓疾患にも影響を与えた可能性がある。テイラーは2004年11月に鬱血性心不全と診断され、身体全体、とくに足首と脚に十分な血液を循環させるには心臓が弱まりすぎていると告げられた。2009年には心臓外科手術を受け、弱っていた心臓弁を交換している。2011年2月に新たな心疾患の兆候が現れ、ロサンゼルスのシダーズ=シナイ医療センター(英語版)に入院したが、4人の子供たちに看取られながら2011年3月23日に79歳で病院内で息を引き取った。 テイラーは死去した翌日に、ラビであるジェリー・カトラーが主催するユダヤ教式葬礼(英語版)のもと、カリフォルニア州グレンデールのフォレスト・ローン・メモリアル・パークに埋葬された。テイラーの遺体は壮大な霊廟に収められているが、一般人の立ち入りは禁止されている。テイラーの葬式は予定時間よりも15分遅れて開始された。これはテイラーの要望によるもので、「彼女(テイラー)は自身の葬式でさえも遅れることを望んだのです」と代理人がマスコミに語っている。 テイラーは「最高の映画スター」と呼ばれている。MGMの映画に出演して大衆から注目されたテイラーは、すぐに12歳で子役スターとなり、その後も成功した映画に出演し続けて、その作品の多くは現在でも「傑作」だと考えられている。映画界で名声を得てハリウッドの象徴となったテイラーは、ハリウッドの名声を高めることに貢献し「スターに昇り詰めた典型例」といわれるようになった。 女性社会学者のカミール・パーリアはテイラーを「映画史上最高の女優」と評している。さらにパーリアは、テイラーが自身の出演作に次のような効果をもたらしたとしている。 彼女(テイラー)の表情とカメラの間には、刺激的で官能的な、帯電して震えているかのような空気があった。それは超感覚的で異教じみた出来事だった。 テイラーは1960年代の性革命にも大きな役割を果たした。『PLAYBOY』にほぼ全裸のグラビアを掲載した最初の有名人の一人であり、映画で脱衣シーンを見せた最初の映画女優の一人でもあった。1951年の映画『陽のあたる場所』に出演したときのテイラーは17歳だったが、その成熟振りはハリウッドのコラムニストであるヘッダ・ホッパーに衝撃を与え、ホッパーはテイラーの早熟な官能性について一文をものしたほどである。映画史家のアンドリュー・サリスは、テイラーがモンゴメリー・クリフトと演じたラブシーンについて「チョコレートサンデーを貪っているかのような、あまりに激しい性愛演技に驚愕した」と語っている。 映画を離れたテイラーの素顔は「らしくないスター」だったとテイラーの伝記作家ウィリアム・マンが指摘している。著述家グロリア・スタイネムも「うぬぼれを持たない映画の女王。自分の言動を律する達人で、共演するほかの女優と揉め事を起こすことはない」としている。1966年の映画でテイラーが主演した『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』の監督マイク・ニコルズは、今まで一緒に仕事をした俳優のなかでテイラーが「もっとも庶民的な心を持っていた」と語ったことがある。テイラーは撮影現場の電気技師や単なるスタッフに対しても「チャリティ会場でロスチャイルド家の一員と出会ったときと同様の接し方をしていた」。映画監督ジョージ・キューカーは、テイラーが「まれにみる美徳である飾らない優しい心」の持ち主だったと語っている。 テイラーと二度結婚し、11本の作品で共演した俳優リチャード・バートンは、テイラーの女優としての才能に大きな敬意を払っている。バートンは「彼女(テイラー)は今まででもっとも過小評価されている映画女優の一人だと思うけれど、私は彼女が史上稀に見るすばらしい人だということを知っている。誰も彼女の足元にも及ばないよ」と語っている。 テイラーは1960年の『バターフィールド8』と1966年の『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』でアカデミー主演女優賞を2度受賞している。1992年にはエイズ撲滅に対する活動でアカデミー賞ジーン・ハーショルト友愛賞も受賞した。また、1997年には全米映画俳優組合の生涯功労賞も受賞している。テイラーはこの授賞式に出席することができなかったため、俳優グレゴリー・ペックがテイラーからのメッセージを代読した。このメッセージには、エイズ流行の根絶活動がテイラーの人生の重要な部分を占めることになったことと、エリザベス・テイラー・エイズ基金に対する全米映画俳優組合の貢献を感謝する言葉が綴られていた。 テイラーは1987年にフランスのレジオンドヌール勲章を授与され、2000年にイギリスの大英帝国勲章のデイム・コマンダー (DBE) を受章した。2001年には人道活動、とくにエイズに関する研究、国際的な関心の喚起、蔓延に関する取り組みなどに対して200万ドル以上の資金を集めることに貢献したとして、アメリカの大統領メダル (en:Presidential Citizens Medal) が授与された。また、2007年にはカリフォルニア州が制定したカリフォルニア州殿堂博物館 (en:California Hall of Fame) の一員に選ばれている。 1994年には、カリフォルニア州のパームスプリングスの ウォーク・オブ・スターズ (Walk of Stars) にテイラーのスタープレートが設置されている。 テイラーは1942年から2003年までに数多くの映像作品に出演している。また、下記に挙げた作品のほかにもドキュメンタリーやインタビューで映像として残っている作品もある。 Elizabeth Taylor: An Informal Memoir (1964)
Elizabeth Takes Off: On Weight Gain, Weight Loss, Self-Image, and Self-Esteem (1988)
Maddox, Brenda (1977). Who's Afraid of Elizabeth Taylor? A Myth of Our Time.
Walker, Alexander (1991). Elizabeth - The Life of Elizabeth Taylor.
Heymann, C. David (1995). Liz: An Intimate Biography of Elizabeth Taylor.
^ “ハリウッドを代表する女優エリザベス・テイラーさん、死去”. AFP🔵BB News (2011年3月24日). 2025年2月27日閲覧。 ^ “エリザベス・テイラーさん最後のジョーク、「自分の葬儀に遅刻するわ」”. AFP🔵BB News (2011年3月26日). 2025年3月23日閲覧。 ^ “エリザベス・テイラー、79歳で死去”. MTV News. MTV Networks Japan, MTV Networks. (2011年3月24日). 2013年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年2月27日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor Wins Best Actress: 1967 Oscars”. Oscars. 2020年12月15日閲覧。 ^ 超巨大ダイヤモンドに衝撃!世界の富豪の婚約指輪8 - Peachy - ライブドアニュース ^ "Watch out, boys ... Liz Taylor's coming home". Associated Newspapers Ltd. Daily Mail Online. May 17, 2010. Retrieved March 24, 2011. ^ "Elizabeth Taylor – the Hampstead girl who seduced the world" London Evening Standard. March 24, 2011. Retrieved March 24, 2011. ^ "Hampstead Garden Suburb born Dame Elizabeth Taylor dies aged 79". Times of London. March 24, 2011. Retrieved March 24, 2011. ^ Taraborrelli, J. Randy (2006). Elizabeth. Grand Central Publishing. ISBN 978-0-446-53254-9. https://books.google.co.jp/books?id=ScE8F_pMuAAC&redir_esc=y&hl=ja 2011年3月24日閲覧。 ^ Walker, Alexander (1990). Elizabeth: the life of Elizabeth Taylor. London: G. Weidenfeld. ISBN 978-0-8021-1335-1 ^ Boyce, Richard (1967年4月14日). “Liz Taylor Renounces U.S. Citizenship”. https://news.google.com/newspapers?id=s2ocAAAAIBAJ&sjid=YU8EAAAAIBAJ&pg=7364,5810172 2012年7月3日閲覧。 ^ “Liz Taylor Applies To Be U.S. Citizen”. Toledo Blade. (1978年2月19日). https://news.google.com/newspapers?id=awxPAAAAIBAJ&sjid=cgIEAAAAIBAJ&pg=6365,5024920 2012年7月3日閲覧。 ^ Wilson, Earl (1977年6月15日). “Will Liz Taylor be our First Lady?”. https://news.google.com/newspapers?id=HxNdAAAAIBAJ&sjid=dloNAAAAIBAJ&pg=5264,3479319 2012年7月3日閲覧。 ^ S.S. Manhattan, April 27, 1939, sheet 25. Ancestry.com. New York Passenger Lists, 1820–1957 [database on-line]. Provo, Utah, US: Ancestry.com Operations Inc, 2006. ^ S.S. President Roosevelt, November 1, 1939, sheet 209. New York Passenger Lists, 1820–1957 [database on-line]. Provo, Utah, U.S.: Ancestry.com Operations Inc, 2006. ^ Bayard, Louis (2006年9月3日). “Violet Eyes To Die For”. Washington Post. https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/08/31/AR2006083101166.html 2011年4月1日閲覧。 ^ Heymann, David C. Liz: An Intimate Biography of Elizabeth Taylor, Birch Lane Press (1995), p. 33 ^ McCarthy, Todd (2011年3月23日). “THR Chief Film Critic Todd McCarthy Remembers Elizabeth Taylor”. The Hollywood Reporter. http://www.hollywoodreporter.com/news/thr-chief-film-critic-todd-170552 2011年3月27日閲覧。 ^ Palmer, Roxanne (2005年3月25日). “Elizabeth Taylor: Beautiful Mutant”. Slate. 2011年3月26日閲覧。 ^ Harper's Bazaar, Nov. 1979 ^ "Elizabeth Taylor: The Lost Interview", Rolling Stone magazine, April 14, 2011 (never published interview from 1987) ^ Coyle, Jake (2011年3月24日). “Quintessential star Elizabeth Taylor dies at 79”. Associated Press. http://www.salon.com/wires/allwires/2011/03/24/D9M5H14G0_us_obit_taylor/ 2011年3月30日閲覧。 ^ Gussow, Mel (2011年3月23日). “Elizabeth Taylor, 1932–2011: A Lustrous Pinnacle of Hollywood Glamour”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2011/03/24/movies/elizabeth-taylor-obituary.html 2011年3月23日閲覧。 ^ Meryman, Richard (1964年12月18日). “'I refuse to cure my public image'”. Life. https://books.google.co.jp/books?id=kFEEAAAAMBAJ&lpg=PP1&ots=xZJGAWxygn&pg=PA74&redir_esc=y&hl=ja#v=snippet&f=false 2012年8月6日閲覧。 ^ Taraborrelli, J. Randy (2011年3月29日). “The brutal mother who forced Liz Taylor to cry on cue ... and drove her into the arms of a wife-beater”. Daily Mail (London). http://www.dailymail.co.uk/femail/article-1370903/Elizabeth-Taylors-brutal-mother-Sara-forced-cue.html 2011年4月21日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor: Star Rising”. TIME. (1949年8月22日). http://www.time.com/time/printout/0,8816,800624,00.html 2011年3月23日閲覧。 ^ “Review: The Big Hangover (1950)”. Boozemovies.com (2007年8月5日). 2012年10月5日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor Profile”. Turner Classic Movies. 2012年10月5日閲覧。 ^ Heymann, p.106 ^ Kelley, Kitty. Elizabeth Taylor, the Last Star, Simon and Schuster (1981) pp. 34–41 ^ “The Girl Who Had Everything”. Turner Classic Movies. 2012年10月5日閲覧。 ^ Heymann, p. 128 ^ Parish, p. 329 ^ Parish, p. 330 ^ Parish, p. 331 ^ Parish, p. 333 ^ Woo, Elaine (2011年3月24日). “Elizabeth Taylor dies at 79; legendary actress”. Los Angeles Times. http://www.latimes.com/news/obituaries/la-me-elizabeth-taylorlong-20110324,0,3017190,full.story 2011年4月1日閲覧。 ^ Parrish, pp. 335–336 ^ Parish, p. 344 ^ Kashner, Sam; Schoenberger, Nancy (July 2010). “A Love Too Big To Last”. Vanity Fair. http://www.vanityfair.com/hollywood/features/2010/07/elizabeth-taylor-201007?currentPage=all 2011年3月24日閲覧。. ^ マーロン・ブランドはモンゴメリー・クリフトの代役だった。クリフトは映画撮影開始前に死去している。Parish, p. 343 ^ Parish, p. 350 ^ “Elizabeth Taylor Biography”. The Biography Channel. 2012年10月5日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor to play Flintstone mother-in-law”. Deseretnews.com. (1993年5月16日). http://www.deseretnews.com/article/290489/ELIZABETH-TAYLOR-TO-PLAY-FLINTSTONE-MOTHER-IN-LAW.html?pg=all 2012年10月5日閲覧。 ^ “All My Children's Superstar Alumni”. People. http://www.people.com/people/gallery/0,,20485076_20942514,00.html 2012年10月6日閲覧。 ^ Snierson, Dan (2011年3月24日). “Elizabeth Taylor: 'Simpsons' exec producer Al Jean remembers the film legend's one-word turn as baby Maggie”. Entertainment Weekly. http://insidetv.ew.com/2011/03/24/elizabeth-taylor-simpsons-al-jean/ 2012年10月6日閲覧。 ^ Brenner, Marie (1983年5月9日). “The Liz and Dick Show”. New York Magazine. http://nymag.com/arts/theater/features/50176/ 2012年10月6日閲覧。 ^ “Private Lives”. http://www.dameelizabethtaylor.com/private_lives.html 2012年10月6日閲覧。 ^ David Badash. “Elizabeth Taylor, Gay Icon, HIV/AIDS Activist, Dies At 79”. The New Civil Rights Movement. 2011年3月24日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor – Dame Liz Slams Bush Over Saddam Ultimatum – Contactmusic News”. Contactmusic.com. 2011年3月24日閲覧。 ^ “Striking writers give Elizabeth Taylor a pass”. Associated Press. CNN. (2007年12月2日). オリジナルの2007年12月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071203112813/http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/12/02/elizabeth.taylor.ap/index.html 2007年12月2日閲覧。 ^ “情報BOX:M・ジャクソンさんの訃報に悲しみの声”. ロイター. (2009年6月26日). http://jp.reuters.com/article/entertainmentNews/idJPJAPAN-38739620090626 2012年9月21日閲覧。 ^ Frankel, Susannah (2011年3月25日). “'Fun when the sun shines'”. The Independent (UK). http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/features/elizabeth-taylor-a-life-less-ordinary-2252366.html 2011年4月1日閲覧。 ^ Mann, William J. (2009). How to be a movie star: Elizabeth Taylor in Hollywood. Houghton Mifflin Harcourt. ISBN 0-547-13464-9. https://books.google.co.jp/books?id=-8Lh_2ZP-qoC&redir_esc=y&hl=ja ^ “Elizabeth Taylor at Republican Women's Club, 1978”. Richmond Times-Dispatch. (2011年3月23日). http://www2.timesdispatch.com/news/2011/mar/23/elizabeth-taylor-at-republican-womens-club-im-93558/ 2011年3月26日閲覧。 ^ Rosenfeld, Megan (1978年10月23日). “Miller, Warner meet in Lynchburg in bid for fundamentalist vote”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/05/15/AR2007051501221.html 2011年3月26日閲覧。 ^ Klairmont, Laura (2011年3月23日). “Elizabeth Taylor was an icon in Washington”. CNN. http://politicalticker.blogs.cnn.com/2011/03/23/elizabeth-taylor-was-an-icon-in-washington/?hpt=Sbin 2011年3月26日閲覧。 ^ Tanabe, Karin (2011年3月24日). “ELIZABETH TAYLOR'S WASHINGTON LIFE”. Politico. http://www.politico.com/click/stories/1103/elizabeth_taylors_washington_life.html 2011年4月3日閲覧。 ^ Woo, Elaine (2011年3月23日). “Elizabeth Taylor's obituary: outtakes from a 12-year work in progress”. Los Angeles Times. http://latimesblogs.latimes.com/afterword/2011/03/elizabeth-taylors-obit-outtakes-from-a-12-year-work-in-progress.html 2011年4月1日閲覧。 ^ “Taylor 'not planning ninth wedding'”. Ireland On-Line (2010年6月21日). 2011年3月24日閲覧。 ^ Liz Smith (2007年9月12日). “Elizabeth Taylor has a new man”. Variety. http://www.variety.com/article/VR1117971903.html 2010年4月12日閲覧。 ^ Sheila Marikar (2011年3月28日). “Elizabeth Taylor's Unseen Role: Mother”. ABC News. http://abcnews.go.com/Entertainment/elizabeth-taylors-unseen-role-mother/story?id=13223481 2011年4月20日閲覧。 ^ “Q&A: An update on Elizabeth Taylor's four children”. St. Petersburg Times. (2010年1月12日). http://www.tampabay.com/news/humaninterest/qampa-an-update-on-elizabeth-taylors-four-children/1064792 2011年4月20日閲覧。 ^ Sheila Marikar (2011年3月23日). “Hollywood Icon Elizabeth Taylor Dies at 79”. ABC News. 2011年3月23日閲覧。 ^ Ivry, Benjamin (2011年3月23日). “A Jew by Choice: Elizabeth Taylor, 1932–2011”. The Forward. 2011年3月25日閲覧。 ^ Ravitz, Jessica (2011年3月24日). “Exploring Elizabeth Taylor's Jewish conversion”. CNN. http://religion.blogs.cnn.com/2011/03/24/making-sense-of-elizabeth-taylors-jewish-conversion 2011年3月25日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor's fortune may approach $1B”. CBS News. (2011年3月26日). http://www.cbsnews.com/stories/2011/03/26/earlyshow/saturday/main20047484.shtml 2011年4月1日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor”. Divasthesite.com. 2010年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月11日閲覧。 ^ “NPG 4861; Queen Mary I”. Npg.org.uk. 2010年4月12日閲覧。 ^ Cosgrave, Bronwyn (2011年3月24日). “End Of An Era”. Vogue UK. http://www.vogue.co.uk/news/daily/110323-elizabeth-taylors-style-and-fashio.aspx 2011年3月27日閲覧。 ^ Schiro, Anne-Marie (1987年4月18日). “LENSES TO CHANGE EYE COLOR”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1987/04/18/style/consumer-saturday-lenses-to-change-eye-color.html 2011年3月27日閲覧。 ^ Elizabeth Taylor AIDS Foundation-ETAF website; "A History of Giving" timeline; Retrieved 03-24-2011. ^ “Aids unit donated by Liz Taylor”. BBC News. (2006年2月24日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/4746044.stm ^ "Legendary Actress Elizabeth Taylor's Legacy and Generosity Lives on in New Orleans". NO/AIDS Task Force. Retrieved March 24, 2011. ^ “Elizabeth Taylor, Elton John, Rebecca Wang & Bob Geldof Battle Aids”. EzineMark.com. (2011年4月4日). http://aids.ezinemark.com/elizabeth-taylor-elton-john-rebecca-wang-bob-geldof-battle-aids-3224cd63933.html ^ "Great legend' Elizabeth Taylor remembered". BBC News. March 24, 2011. Retrieved March 24, 2011. ^ A Jew by Choice: Elizabeth Taylor, 1932–2011 ^ Burstein, Nathan (2011年3月25日). “Elizabeth Taylor and Israel, a lasting love”. Washington Post. https://www.washingtonpost.com/opinions/elizabeth-taylor-and-israel-a-lasting-love/2011/03/24/AFbnZZYB_story.html 2011年3月26日閲覧。 ^ "JTA Archive", March 23, 2011 ^ Photo commentary to film ^ “Elizabeth Taylor Death Fears Return After Hospitalization”. Yahoo! News. 2011年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年3月23日閲覧。 ^ インターネット・ムービー・データベースでは、5フィート2インチ(157センチ)とされている。Elizabeth Taylor on IMDb ^ Kleiman, Dena (1986年5月23日). “Elizabeth Taylor – Diet Tips On How To Become A Size 6”. The New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?sec=health&res=9A0DE1D8173AF930A15756C0A960948260 2011年3月24日閲覧。 ^ “1975: Liz Taylor and Richard Burton remarry”. BBC News. (1980年10月10日). http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/october/10/newsid_4089000/4089030.stm 2011年3月24日閲覧。 ^ Elizabeth Taylor Interview. ABILITY Magazine. ^ “Elizabeth Taylor Biography”. Allsands.com. 2011年3月25日閲覧。 ^ “CNN Larry King Live: Interview With Elizabeth Taylor”. Cable News Network. (2006年5月30日). http://transcripts.cnn.com/TRANSCRIPTS/0605/30/lkl.01.html 2010年4月12日閲覧。 ^ CBC Arts (2006年5月31日). “Elizabeth Taylor dismisses reports of illness on 'Larry King Live'”. Canadian Broadcasting Corporation. オリジナルの2007年3月10日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070310201251/http://www.cbc.ca/arts/story/2006/05/31/taylor-elizabeth-larryking.html 2010年4月12日閲覧。 ^ “Elizabeth Taylor dies aged 79”. ABC News Australia. Australian Broadcasting Corporation (2011年3月23日). 2011年3月23日閲覧。 ^ Weber, Christopher (2011年2月13日). “Elizabeth Taylor remains hospitalized for heart failure”. LA Daily News. Associated Press. http://www.dailynews.com/news/ci_17376205 2011年3月23日閲覧。 ^ Ewen MacAskill. "Elizabeth Taylor's funeral takes place in LA's celebrity cemetery". The Guardian. Washington. March 25, 2011 ^ “UPDATED: Elizabeth Taylor Laid To Rest In Glendale”. accesshollywood.com. NBC Universal (2011年3月25日). 2011年3月25日閲覧。 ^ Richard Burton interviewed on The Dick Cavett Show, August 1980 ^ SAG Remembers the Life and Legacy of Elizabeth Taylor. Screen Actors Guild March 23, 2001. Retrieved March 26, 2011. ^ Liz Taylor: Her Life in Pictures. Dame Elizabeth Taylor Receives Dame Commander of the Order of the British Empire. Life. 2011. Retrieved March 23, 2011. ^ Taylor inducted into California Hall of Fame, California Museum. Retrieved 2007. ^ Palm Springs Walk of Stars by date dedicated ^ Elizabeth Taylor on IMDb ^ “Berlinale 1972: Prize Winners”. berlinale.de. 2010年3月16日閲覧。 Parish, James Robert; Mank, Gregory W.; Stanke, Don E. (1978). The Hollywood beauties. England: Arlington House Publishers. p. 329. ISBN 0-87000-412-3 “Michael Kors talks to Dame Elizabeth Taylor”. Harper's Bazaar (2011年3月23日). 2013年11月11日閲覧。 Heyman, David (2011). Liz: An Intimate Biography of Elizabeth Taylor (updated with a new chapter). Atria Books. ISBN 1-4391-9188-3 Spoto, Donald (1995). A passion for life: the biography of Elizabeth Taylor. London: HarperCollins. ISBN 0-06-017657-1 Bozzacchi, Gianni (2002). Elizabeth Taylor: the queen and I. University of Wisconsin Press. ISBN 978-0-299-17930-4. https://books.google.co.jp/books?id=DOntMi39cukC&printsec=frontcover&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false Canby, Vincent (1986年5月4日). “Film View; Elizabeth Taylor – Her Life Is The Stuff Of Movies”. The New York Times: p. 1. https://www.nytimes.com/1986/05/04/movies/film-view-elizabeth-taylor-her-life-is-the-stuff-of-movies.html Chrissochoidis, Ilias (2013). The Cleopatra Files: Selected Documents from the Spyros P. Skouras Archive. Stanford: Brave World. ISBN 978-0-615-82919-7. 筈見有弘(編・著)『エリザベス・テーラー:20世紀のクレオパトラ』(シネアルバム18、芳賀書店、1973年) 『エリザベス・テーラー:世界でもっとも美しい女優』(SCREEN特別編集、近代映画社、2009年)
Elizabeth Taylor (DameElizabeth) - X(旧Twitter) エリザベス・テイラー - インターネット・ブロードウェイ・データベース(英語) エリザベス・テイラー - IMDb(英語) エリザベス・テイラー - 英国映画協会Screenonline (英語) video: 60 Minutes interview (1970), 10 minutes video: "Elizabeth Taylor Accepts the AFI Life Achievement Award in 1993", 3 1⁄2 min. Elizabeth Taylor AIDS Foundation (ETAF) Elizabeth Taylor: Unpublished Pics – slideshow by Life magazine 表 話 編 歴 ジャネット・ゲイナー(1928) メアリー・ピックフォード(1929) ノーマ・シアラー(1930) マリー・ドレスラー(1931) ヘレン・ヘイズ(1932) キャサリン・ヘプバーン(1933) クローデット・コルベール(1934) ベティ・デイヴィス(1935) ルイーゼ・ライナー(1936) ルイーゼ・ライナー(1937) ベティ・デイヴィス(1938) ヴィヴィアン・リー(1939) ジンジャー・ロジャース(1940) ジョーン・フォンテイン(1941) グリア・ガースン(1942) ジェニファー・ジョーンズ(1943) イングリッド・バーグマン(1944) ジョーン・クロフォード(1945) オリヴィア・デ・ハヴィランド(1946) ロレッタ・ヤング(1947) ジェーン・ワイマン(1948) オリヴィア・デ・ハヴィランド(1949) ジュディ・ホリデイ(1950) ヴィヴィアン・リー(1951) シャーリー・ブース(1952) オードリー・ヘプバーン(1953) グレース・ケリー (1954) アンナ・マニャーニ (1955) イングリッド・バーグマン(1956) ジョアン・ウッドワード(1957) スーザン・ヘイワード(1958) シモーヌ・シニョレ(1959) エリザベス・テイラー(1960) ソフィア・ローレン(1961) アン・バンクロフト(1962) パトリシア・ニール(1963) ジュリー・アンドリュース(1964) ジュリー・クリスティ(1965) エリザベス・テイラー(1966) キャサリン・ヘプバーン(1967) キャサリン・ヘプバーン / バーブラ・ストライサンド(1968) マギー・スミス(1969) グレンダ・ジャクソン(1970) ジェーン・フォンダ(1971) ライザ・ミネリ(1972) グレンダ・ジャクソン(1973) エレン・バースティン(1974) ルイーズ・フレッチャー(1975) フェイ・ダナウェイ(1976) ダイアン・キートン(1977) ジェーン・フォンダ(1978) サリー・フィールド(1979) シシー・スペイセク(1980) キャサリン・ヘプバーン(1981) メリル・ストリープ(1982) シャーリー・マクレーン(1983) サリー・フィールド(1984) ジェラルディン・ペイジ(1985) マーリー・マトリン(1986) シェール(1987) ジョディ・フォスター(1988) ジェシカ・タンディ(1989) キャシー・ベイツ(1990) ジョディ・フォスター(1991) エマ・トンプソン(1992) ホリー・ハンター(1993) ジェシカ・ラング(1994) スーザン・サランドン(1995) フランシス・マクドーマンド(1996) ヘレン・ハント(1997) グウィネス・パルトロー(1998) ヒラリー・スワンク(1999) ジュリア・ロバーツ(2000) ハル・ベリー(2001) ニコール・キッドマン(2002) シャーリーズ・セロン(2003) ヒラリー・スワンク(2004) リース・ウィザースプーン(2005) ヘレン・ミレン(2006) マリオン・コティヤール(2007) ケイト・ウィンスレット(2008) サンドラ・ブロック(2009) ナタリー・ポートマン(2010) メリル・ストリープ(2011) ジェニファー・ローレンス(2012) ケイト・ブランシェット(2013) ジュリアン・ムーア(2014) ブリー・ラーソン(2015) エマ・ストーン(2016) フランシス・マクドーマンド(2017) オリヴィア・コールマン(2018) レネー・ゼルウィガー(2019) フランシス・マクドーマンド(2020) ジェシカ・チャステイン(2021) ミシェル・ヨー(2022) エマ・ストーン(2023) マイキー・マディソン(2024) 表 話 編 歴 Y・フランク・フリーマン(1956) サミュエル・ゴールドウィン(1957) ボブ・ホープ(1959) ソル・レッサー(英語版)(1960) ジョージ・シートン(1961) スティーヴ・ブロイディ(英語版)(1962) エドモンド・L・デパティー(英語版)(1965) ジョージ・バグノール(1966) グレゴリー・ペック(1967) マーサ・レイ(1968) ジョージ・ジェッセル(1969) フランク・シナトラ(1970) ロザリンド・ラッセル(1972) ルー・ワッサーマン(1973) アーサー・クリム(英語版)(1974) ジュールス・C・スタイン(英語版)(1975) チャールトン・ヘストン(1977) レオ・ジャフェ(英語版)(1978) ロバート・ベンジャミン(英語版)(1979) ダニー・ケイ(1981) ウォルター・M・ミリッシュ(1982) M・J・フランコヴィッチ(英語版)(1983) デヴィッド・L・ウォルパー(英語版)(1984) チャールズ・ロジャーズ(英語版)(1985) ハワード・W・コッチ(英語版)(1989) オードリー・ヘプバーン / エリザベス・テイラー(1992) ポール・ニューマン(1993) クインシー・ジョーンズ(1994) アーサー・ヒラー(2001) ロジャー・メイアー(2005) シェリー・ランシング(英語版)(2007) ジェリー・ルイス(2009) オプラ・ウィンフリー(2011) ジェフリー・カッツェンバーグ(2012) アンジェリーナ・ジョリー(2013) ハリー・ベラフォンテ(2014) デビー・レイノルズ(2015) ジーナ・デイヴィス(2019) タイラー・ペリー / 映画・テレビ基金(英語版)(2020) ダニー・グローヴァー(2021) マイケル・J・フォックス(2022) ミシェル・サター(英語版)(2023) リチャード・カーティス(2024) 表 話 編 歴 ジョン・フォード (1973) ジェームズ・キャグニー (1974) オーソン・ウェルズ (1975) ウィリアム・ワイラー (1976) ベティ・デイヴィス (1977) ヘンリー・フォンダ (1978) アルフレッド・ヒッチコック (1979) ジェームズ・ステュアート (1980) フレッド・アステア (1981) フランク・キャプラ (1982) ジョン・ヒューストン (1983) リリアン・ギッシュ (1984) ジーン・ケリー (1985) ビリー・ワイルダー (1986) バーバラ・スタンウィック (1987) ジャック・レモン (1988) グレゴリー・ペック (1989) デヴィッド・リーン (1990) カーク・ダグラス (1991) シドニー・ポワチエ (1992) エリザベス・テイラー (1993) ジャック・ニコルソン (1994) スティーヴン・スピルバーグ (1995) クリント・イーストウッド (1996) マーティン・スコセッシ (1997) ロバート・ワイズ (1998) ダスティン・ホフマン (1999) ハリソン・フォード (2000) バーブラ・ストライサンド (2001) トム・ハンクス (2002) ロバート・デ・ニーロ (2003) メリル・ストリープ (2004) ジョージ・ルーカス (2005) ショーン・コネリー (2006) アル・パチーノ (2007) ウォーレン・ベイティ (2008) マイケル・ダグラス (2009) マイク・ニコルズ (2010) モーガン・フリーマン (2011) シャーリー・マクレーン (2012) メル・ブルックス (2013) ジェーン・フォンダ (2014) スティーヴ・マーティン (2015) ジョン・ウィリアムズ (2016) ダイアン・キートン (2017) ジョージ・クルーニー (2018) デンゼル・ワシントン (2019) 受賞者なし (2020) 受賞者なし (2021) ジュリー・アンドリュース (2022) 受賞者なし (2023) ニコール・キッドマン (2024) フランシス・フォード・コッポラ (2025) 表 話 編 歴 ヴィヴィアン・リー(英国)、シモーヌ・シニョレ(外国)(1952) オードリー・ヘプバーン(英国)、レスリー・キャロン(外国)(1953) イヴォンヌ・ミッチェル(英国)、コーネル・ボーチャーズ(外国)(1954) ケティ・ジョンソン(英国)、ベッツィ・ブレア(外国)(1955) ヴァージニア・マッケンナ(英国)、アンナ・マニャーニ(外国)(1956) ヘザー・シアーズ(英国)、シモーヌ・シニョレ(外国)(1957) アイリーン・ワース(英国)、シモーヌ・シニョレ(外国)(1958) オードリー・ヘプバーン(英国)、シャーリー・マクレーン(外国)(1959) レイチェル・ロバーツ(英国)、シャーリー・マクレーン(外国)(1960) ドラ・ブライアン(英国)、ソフィア・ローレン(外国)(1961) レスリー・キャロン(英国)、アン・バンクロフト(外国)(1962) レイチェル・ロバーツ(英国)、パトリシア・ニール(外国)(1963) オードリー・ヘプバーン(英国)、アン・バンクロフト(外国)(1964) ジュリー・クリスティ(英国)、パトリシア・ニール(外国)(1965) エリザベス・テイラー(英国)、ジャンヌ・モロー(外国)(1966) イーディス・エヴァンス(英国)、アヌーク・エーメ(外国)(1967) キャサリン・ヘプバーン(1968) マギー・スミス(1969、1984、1986、1988) キャサリン・ロス(1970) グレンダ・ジャクソン(1971) ライザ・ミネリ(1972) ステファーヌ・オードラン(1973) ジョアン・ウッドワード(1974) エレン・バースティン(1975) ルイーズ・フレッチャー(1976) ダイアン・キートン(1977) ジェーン・フォンダ(1978、1979) ジュディ・デイヴィス(1980) メリル・ストリープ(1981) キャサリン・ヘプバーン(1982) ジュリー・ウォルターズ(1983) ペギー・アシュクロフト(1985) アン・バンクロフト(1987) ポーリーン・コリンズ(1989) ジェシカ・タンディ(1990) ジョディ・フォスター(1991) エマ・トンプソン(1992) ホリー・ハンター(1993) スーザン・サランドン(1994) エマ・トンプソン(1995) ブレンダ・ブレッシン(1996) ジュディ・デンチ(1997、2001) ケイト・ブランシェット(1998) アネット・ベニング(1999) ジュリア・ロバーツ(2000) ニコール・キッドマン(2002) スカーレット・ヨハンソン(2003) イメルダ・スタウントン(2004) リース・ウィザースプーン(2005) ヘレン・ミレン(2006) マリオン・コティヤール(2007) ケイト・ウィンスレット(2008) キャリー・マリガン(2009) ナタリー・ポートマン(2010) メリル・ストリープ(2011) エマニュエル・リヴァ(2012) ケイト・ブランシェット(2013) ジュリアン・ムーア(2014) ブリー・ラーソン(2015) エマ・ストーン(2016) フランシス・マクドーマンド(2017) オリヴィア・コールマン(2018) レネー・ゼルウィガー(2019) フランシス・マクドーマンド(2020) ジョアンナ・スキャンラン(2021) ケイト・ブランシェット(2022) エマ・ストーン(2023) マイキー・マディソン(2024) 表 話 編 歴 ジェニファー・ジョーンズ(1943) イングリッド・バーグマン(1944、1945、1956) ロザリンド・ラッセル(1946、1947) ジェーン・ワイマン(1948) オリヴィア・デ・ハヴィランド(1949) グロリア・スワンソン(1950) ジェーン・ワイマン(1951) シャーリー・ブース(1952) オードリー・ヘプバーン(1953) グレース・ケリー(1954) アンナ・マニャーニ(1955) ジョアン・ウッドワード(1957) スーザン・ヘイワード(1958) エリザベス・テイラー(1959) グリア・ガースン(1960) ジェラルディン・ペイジ(1961、1962) レスリー・キャロン(1963) アン・バンクロフト(1964) サマンサ・エッガー(1965) アヌーク・エーメ(1966) イーディス・エヴァンス(1967) ジョアン・ウッドワード(1968) ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド(1969) アリ・マッグロー(1970) ジェーン・フォンダ(1971) リヴ・ウルマン(1972) マーシャ・メイソン(1973) ジーナ・ローランズ(1974) ルイーズ・フレッチャー(1975) フェイ・ダナウェイ(1976) ジェーン・フォンダ(1977、1978) サリー・フィールド(1979) メアリー・タイラー(1980) メリル・ストリープ(1981、1982) シャーリー・マクレーン(1983) サリー・フィールド(1984) ウーピー・ゴールドバーグ(1985) マーリー・マトリン(1986) サリー・カークランド(1987) ジョディ・フォスター / シャーリー・マクレーン / シガニー・ウィーバー(1988) ミシェル・ファイファー(1989) キャシー・ベイツ(1990) ジョディ・フォスター(1991) エマ・トンプソン(1992) ホリー・ハンター(1993) ジェシカ・ラング(1994) シャロン・ストーン(1995) ブレンダ・ブレッシン(1996) ジュディ・デンチ(1997) ケイト・ブランシェット(1998) ヒラリー・スワンク(1999) ジュリア・ロバーツ(2000) シシー・スペイセク(2001) ニコール・キッドマン(2002) シャーリーズ・セロン(2003) ヒラリー・スワンク(2004) フェリシティ・ハフマン(2005) ヘレン・ミレン(2006) ジュリー・クリスティ(2007) ケイト・ウィンスレット(2008) サンドラ・ブロック(2009) ナタリー・ポートマン(2010) メリル・ストリープ(2011) ジェシカ・チャステイン(2012) ケイト・ブランシェット(2013) ジュリアン・ムーア(2014) ブリー・ラーソン(2015) イザベル・ユペール(2016) フランシス・マクドーマンド(2017) グレン・クローズ(2018) レネー・ゼルウィガー(2019) アンドラ・デイ(2020) ニコール・キッドマン(2021) ケイト・ブランシェット(2022) リリー・グラッドストーン(2023) フェルナンダ・トーレス(英語版)(2024) 表 話 編 歴 エディ・カンター(1962) スタン・ローレル(1963) ボブ・ホープ(1965) バーバラ・スタンウィック(1966) ウィリアム・ガーガン(英語版)(1967) ジェームズ・ステュアート(1968) エドワード・G・ロビンソン(1969) グレゴリー・ペック(1970) チャールトン・ヘストン(1971) フランク・シナトラ(1972) マーサ・レイ(1973) ウォルター・ピジョン(1974) ロザリンド・ラッセル(1975) パール・ベイリー(英語版)(1976) ジェームズ・キャグニー(1977) エドガー・バーゲン(英語版)(1978) キャサリン・ヘプバーン(1979) レオン・エイムズ(1980) ダニー・ケイ(1982) ラルフ・ベラミー(1983) イギー・ウルフィントン(英語版)(1984) ポール・ニューマン/ジョアン・ウッドワード(1985) ナネット・ファブレイ(英語版)(1986) レッド・スケルトン(1987) ジーン・ケリー(1988) ジャック・レモン(1989) ブロック・ピーターズ(1990) オードリー・ヘプバーン(1991) バート・ランカスター(1992) リカルド・モンタルバン(1993) ジョージ・バーンズ(1994) ロバート・レッドフォード(1995) アンジェラ・ランズベリー(1996) エリザベス・テイラー(1997) カーク・ダグラス(1998) シドニー・ポワチエ(1999) オジー・デイヴィス/ルビー・ディー(2000) エドワード・アズナー(2001) クリント・イーストウッド(2002) カール・マルデン(2003) ジェームズ・ガーナー(2004) シャーリー・テンプル(2005) ジュリー・アンドリュース(2006) チャールズ・ダーニング(2007) ジェームズ・アール・ジョーンズ(2008) ベティ・ホワイト(2009) アーネスト・ボーグナイン(2010) メアリー・タイラー・ムーア(2011) ディック・ヴァン・ダイク(2012) リタ・モレノ(2013) デビー・レイノルズ(2014) キャロル・バーネット(2015) リリー・トムリン(2016) モーガン・フリーマン(2017) アラン・アルダ(2018) ロバート・デ・ニーロ(2019) ヘレン・ミレン(2021) サリー・フィールド(2022) バーブラ・ストライサンド(2023) ジェーン・フォンダ(2024) 表 話 編 歴 エルザ・マルティネッリ (1956) イヴォンヌ・ミッチェル (1957) アンナ・マニャーニ (1958) シャーリー・マクレーン (1959) ジュリエット・メニエル (1960) アンナ・カリーナ (1961) リタ・ガム、ヴィヴェカ・リンドフォース (1962) ビビ・アンデショーン (1963) 左幸子 (1964) マドハール・ジャフリー (1965) ローラ・オルブライト (1966) イーディス・エヴァンス (1967) ステファーヌ・オードラン (1968) なし (1969) なし (1970) シモーヌ・シニョレ/シャーリー・マクレーン (1971) エリザベス・テイラー (1972) なし (1973) なし (1974) 田中絹代 (1975) ヤドヴィガ・バランスカ (1976) リリー・トムリン (1977) ジーナ・ローランズ (1978) ハンナ・シグラ (1979) レナーテ・クレスナー (1980) バーバラ・グラボフスカ (1981) カトリン・ザース (1982) エフゲニヤ・グルシェンコ (1983) インナ・チュリコワ (1984) ジョー・ケネディ (1985) シャルロット・ヴァランドレイ/マルセリア・カルタショ (1986) アナ・ベアトリス・ノグエイラ (1987) ホリー・ハンター (1988) イザベル・アジャーニ (1989) なし (1990) ビクトリア・アブリル (1991) マギー・チャン (1992) ミシェル・ファイファー (1993) クリシー・ロック (1994) ジョセフィン・シャオ (1995) アヌーク・グランベール (1996) ジュリエット・ビノシュ (1997) フェルナンダ・モンテネグロ (1998) ユリアーネ・ケーラー、マリア・シュラーダー (1999) ビビアナ・ベグロー、ナディヤ・ウール (2000) ケリー・フォックス (2001) ハル・ベリー (2002) メリル・ストリープ、ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア (2003) シャーリーズ・セロン/カタリーナ・サンディノ・モレノ (2004) ユリア・イェンチ (2005) ザンドラ・ヒュラー (2006) ニーナ・ホス (2007) サリー・ホーキンス (2008) ビルギット・ミニヒマイアー (2009) 寺島しのぶ (2010) レイラ・ハタミ、サレー・バヤト、サリナ・ファルハーディー、キミア・ホセイニ (2011) レイチェル・ムワンザ (2012) パウリナ・ガルシア (2013) 黒木華 (2014) シャーロット・ランプリング (2015) トリーヌ・ディルホム (2016) キム・ミニ (2017) アナ・ブルン (2018) ヨン・メイ (2019) パウラ・ベーア (2020) FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー チリ スペイン
フランス BnF data アルゼンチン カタルーニャ ドイツ イタリア イスラエル アメリカ スウェーデン ラトビア 日本 チェコ オーストラリア ギリシャ 韓国 オランダ ポーランド CiNii Books CiNii Research エミー賞 MusicBrainz Deutsche Synchronkartei ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア)
公文書館(アメリカ) SNAC IdRef アメリカ合衆国の女優 アメリカ合衆国の女性子役 イングランドの女優 イングランドのLGBT人権活動家 アカデミー賞受賞者 ゴールデングローブ賞受賞者 英国アカデミー賞受賞者 大英帝国勲章デイム・コマンダー ケネディ・センター名誉賞受賞者 ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム レジオンドヌール勲章受章者 ジーン・ハーショルト友愛賞受賞者 アメリカ合衆国帰化市民 ユダヤ教への改宗者 イギリス系アメリカ人 アメリカ系イングランド人 カムデン区出身の人物 1932年生 2011年没 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるallcinema人物識別子 ウィキデータにあるインターネット・ブロードウェイ・データベース人物ID インターネット・ブロードウェイ・データベースのリンクがある記事 FAST識別子が指定されている記事 ISNI識別子が指定されている記事 VIAF識別子が指定されている記事 WorldCat Entities識別子が指定されている記事 BIBSYS識別子が指定されている記事 BNC識別子が指定されている記事 BNE識別子が指定されている記事 BNF識別子が指定されている記事 BNFdata識別子が指定されている記事 BNMM識別子が指定されている記事 CANTICN識別子が指定されている記事 GND識別子が指定されている記事 ICCU識別子が指定されている記事 J9U識別子が指定されている記事 LCCN識別子が指定されている記事 Libris識別子が指定されている記事 LNB識別子が指定されている記事 NDL識別子が指定されている記事 NKC識別子が指定されている記事 NLA識別子が指定されている記事 NLG識別子が指定されている記事 NLK識別子が指定されている記事 NTA識別子が指定されている記事 PLWABN識別子が指定されている記事 CINII識別子が指定されている記事 CRID識別子が指定されている記事 Emmy識別子が指定されている記事 MusicBrainz識別子が指定されている記事 Deutsche Synchronkartei識別子が指定されている記事 DTBIO識別子が指定されている記事 Trove識別子が指定されている記事 NARA識別子が指定されている記事 SNAC-ID識別子が指定されている記事 SUDOC識別子が指定されている記事 ISBNマジックリンクを使用しているページ
2025/04/04 02:29更新
|
Elizabeth Taylor
エリザベス=テイラーと同じ誕生日2月27日生まれの人


TOPニュース
エリザベス=テイラーと近い名前の人



話題のアホネイター

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「エリザベス=テイラー」を素材として二次利用しています。