オジー=スミスの情報(OsborneEarl“Ozzie”Smith) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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オジー=スミスの情報まとめ
オジー=スミス(Osborne Earl “Ozzie” Smith)さんの誕生日は1954年12月26日です。
詳細情報、関連項目などについてまとめました。引退に関する情報もありますね。オジー=スミスの現在の年齢は69歳のようです。
オジー=スミスのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート オスボーン・アール・スミス(Osborne Earl Smith, 1954年12月26日 - )は、元プロ野球選手(内野手)。 現役時代、サンディエゴ・パドレスとセントルイス・カージナルスで活躍し、遊撃手としての広い守備範囲と華麗な守備で知られ、"The Wizard of Oz"(オズの魔法使い)の異名を持つ。1980年から13年連続でゴールドグラブ賞を受賞。補殺数8375はメジャーリーグ記録、併殺数1590も2007年にオマー・ビスケルに更新されるまで最多記録であった。 ロック高校時代はエディ・マレーとチームメイトだった。また、2人と同時期にNFLのニューヨーク・ジェッツのディフェンス・コーディネーター、ドニー・ヘンダーソンも同高校へ通っていた。 1978年にサンディエゴ・パドレスでメジャーリーガーとしてデビューを果たし、その守備でレギュラーを獲得したが打撃はいまひとつで、1978年は.258、1979年は.211というありさまであった。 しかし、非力さを補うように守備では力を見せ、1980年は遊撃手として621補殺というMLB記録を樹立し、自身初のゴールドグラブ賞を受賞する。この年は57盗塁も記録し、守備と走塁で大きくアピールもしたが打率は相変わらず.230の非力さであった。 転機となったのは1982年、セントルイス・カージナルスに移籍したことであった。当時カージナルスを率いていたホワイティ・ハーゾグ監督が、スミスの守備力に目をつけ、当時本拠地にしていたブッシュ・メモリアル・スタジアムではプラスになるとの判断あってのものだった。ハーゾグ監督との出会いにより、移籍1年目にして内野守備の中心となり、同年、ワールドシリーズ第2戦(対ミルウォーキー・ブルワーズ)では、二塁走者として、トム・ハーの犠牲フライで三塁走者に続いて二塁から生還。ハーはワールドシリーズ史上唯一(2008年終了時点)の「二点犠飛」を記録した。カージナルスを15年ぶり9回目のワールドチャンピオンに導く原動力となった。 守備に磨きをかける一方、打撃にも力を入れるようになり、打率も2割台から徐々に上がっていった。1985年のロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズ第5戦では、スイッチヒッターのスミスが左打席では唯一となる本塁打を放ち、チームをサヨナラ勝利に導いた。そして1987年には自身最高の打率となる.303を記録し、「守備だけの選手」という評価を完全に覆した。同年、肩の故障で守備力が低下すると懸念されたが、猛練習の末にクイックスローを会得して、それをカバーした。 遊撃守備についてはもはや「神業」と謳われる境地に達しており、遊撃最深部(というより、ほぼ左前)のゴロをノーバウンドのままジャンピングスローでアウトにしたり、ダイビングしながらイレギュラーバウンドを素手で処理したり、という常識では考えられないものだった。「(一試合の中で)スミスがそのバットで1点をたたき出すことは稀だ。しかし、彼はそのグラブで確実に2点は防いでくれる」と讃えられている。 1991年には151試合の出場で失策はわずか8個と、守備機会の多い遊撃手としては異例の安定感を見せた。また、1992年まで13年連続でのゴールドグラブ賞受賞は遊撃手として史上最多記録。2007年にはオールタイム・ゴールドグラブチーム(守備において歴代最高の選手)に選出されている。 1996年を最後に現役を引退。通算安打は2460安打、通算580盗塁を記録し、三振も非常に少ない優れたリードオフマンであったと言える。カージナルスでの背番号1は、引退と共に永久欠番に指定されている。 2002年、資格1年目に野球殿堂入り。 2005年、息子のニコ・スミス(Nikko Smith)がオーディション番組『アメリカン・アイドル』シーズン4でファイナルまで進出し話題となった(結果は9位)。カージナルスが出場した2006年のワールドシリーズで第4戦の試合前に国歌斉唱を行っている。 詳細情報年度別打撃成績各年度の太字はリーグ最高 年度別守備成績各年度の太字はリーグ最高 赤文字はMLBにおける歴代最高 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞 表彰リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(1985年) シルバースラッガー賞(遊撃手部門):1回(1987年) ゴールドグラブ賞(遊撃手部門):13回(1980年 - 1992年) ルー・ゲーリッグ賞:1回(1989年) ロベルト・クレメンテ賞:1回(1995年) 記録MLBオールスターゲーム選出:15回(1981年 - 1992年、1994年 - 1996年) 守備のみの通算WAR:44.2(歴代1位) 背番号1(1978年 - 1996年)※セントルイス・カージナルスの永久欠番 関連項目アメリカ野球殿堂表彰者の一覧 メジャーリーグベースボールの永久欠番 スイッチヒッター メジャーリーグベースボール・オールセンチュリー・チーム ルイス・アパリシオ - オジー・スミス以前に名遊撃手とうたわれたMLBプレーヤー。 ヘルマン・メサ - オジー・スミスとよく比較されたキューバの遊撃手 レイ・オルドニェス、オマー・ビスケル - オジー・スミスの後継者と呼ばれた。 2024/06/18 23:03更新
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Osborne Earl “Ozzie” Smith
オジー=スミスと同じ誕生日12月26日生まれの人
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