ジョン=フラムスティードの情報(JohnFlamsteed) 天文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


ジョン=フラムスティードさんについて調べます
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ジョン=フラムスティードの情報まとめ

ジョン=フラムスティード(John Flamsteed)さんの誕生日は1646年8月19日です。

現在に関する情報もありますね。1719年に亡くなられているようです。
ジョン=フラムスティードのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ジョン・フラムスティード(John Flamsteed, 1646年8月19日 - グレゴリオ暦1719年1月12日(ユリウス暦1718年12月31日))は、イギリスの天文学者。ケンブリッジ大学に学ぶ。フラムスチードと表記されることも多い。 1666年と1668年に起きた日食を正確に予言した。これらの功績が認められ、1675年3月4日、初代の「イングランド王室天文官 (Astronomer Royal for England)」に任命される。給料は年100ポンド。同年6月、任地のグリニッジ天文台はフラムスティード本人の手により工事が開始される。しかし、この天文台は完成後も観測器具はおかれず、フラムスティードは自費で器具を揃えた。足りない分は給料から、それでも足りない分は、副業で家庭教師をしたり、寄付でまかなった。観測器具の設計に当たっては、ティコ・ブラーエの著書を参考にし、それを望遠鏡用に改変した。フラムスティード本人はティコにちなんで自らを「宮廷付占星術師」と呼んだが、この呼称は普及しなかった。代わりに人は彼をグリニッジ天文台長と呼んだ。このため、現代のイギリス英語でも王室天文官 (Astronomer Royal) はそのままグリニッジ天文台長を指す称号として使われた。(なお、1970年代以降、王室天文官とグリニッジ天文台長が別人の時代が存在するため、この2語は正確には同義ではない) 1676年2月、王立協会フェローとなる。同年、サリーのバーストー教区僧侶となりそこに住む。1677年王立協会フェロー選出。1684年、グリニッジに移住。 アイザック・ニュートンは、『自然哲学の数学的諸原理』(1687年)の出版にあたり、フラムスティードの観測記録を要求した。フラムスティードはこれに答えて記録を送ったが、この観測記録はニュートンの理論に合わず、ニュートンはフラムスティードが観測記録を送ってくるのが遅く、さらに故意に誤った記録を送ってきたとして非難した。しかし、実際には、地球と月の関係はニュートンの考えたような単純な2つの質点間の関係では表せず、もっと違う要素が必要なことがニュートンの死後に判明する。 フラムスティードは観測記録を『天球図譜』として出版しようと試みるが、ニュートンとエドモンド・ハレーは、フラムスティードの仕事が遅く、完成の見込みがないと判断して、新しい観測記録ではなく、手元にあったフラムスティードの古い不正確な観測記録を元に勝手に王立協会版『天球図譜』を1712年に出版した。フラムスティードは裁判に訴え、勝訴した。王立協会版『天球図譜』の在庫はすべてフラムスティードに渡され、フラムスティードはグリニッジ天文台でこれを焼却した。また、フラムスティードは、図書館等が購入した王立協会版『天球図譜』も可能な限り回収して焼却した。これでニュートンとの決裂は決定的なものとなった。ニュートンは、『自然哲学の数学的諸原理』第2版から、フラムスティードの名をほとんど削除した。 王立協会の協力が得られないと知ったフラムスティードは、自費で『天球図譜』の発刊を試みるが、生前には出版できなかった。これは没後、1725年から1729年にかけて、フラムスティード夫人らによって刊行された。 1719年、グリニッジにて死す。1720年、サリーのバーストーに葬られた。 フラムスティード版『天球図譜』は、長らく航海や測量の基礎となった。日本でも1943年に再版されている。これさえあれば、グリニッジとの経度、緯度の差が分かるようになったので、天文や測量の世界では自然とグリニッジ天文台が基準点となった。このためのちに本初子午線を決定する際、基準点はグリニッジ天文台に置かれた。 フラムスティード天球図譜は、恒星につけられる番号が独特である。星座の西の端から1から順に番号をつけるというもので、この方式はフラムスティード名(またはフラムスティード番号)と呼ばれ現在も使われている。たとえば、オリオン座α星(ベテルギウス)は、フラムスティード記号ではオリオン座58番星となる。フラムスティード天球図譜では、星座の形はすべて地球から見える形で描かれた。それまでの天球図は、天球の外側から見える形で書くのが通常であった。 フラムスティードは観測の際、誤って天王星を恒星として観測。この星におうし座34番星と名づけた。このため、おうし座34番星は欠番になっている。 17世紀生まれの天文学者 ^ John Flamsteed British astronomer Encyclopædia Britannica ^ "Flamsteed, John (FLMT670J)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge. ^ "Flamsteed; John (1646 - 1719)". Record (英語). The Royal Society. 2011年12月11日閲覧。 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー チリ フランス
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SNAC IdRef イギリスの天文学者 17世紀の学者 王立協会フェロー ダービー出身の人物 1646年生 1719年没 天文学に関する記事 王室天文官 2025/03/20 14:28更新
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John Flamsteed
ジョン=フラムスティードと同じ誕生日8月19日生まれの人


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