ジョー=メドウィックの情報(JoeMedwick) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ジョー=メドウィックの情報まとめ
ジョー=メドウィック(Joe Medwick)さんの誕生日は1911年11月24日です。
詳細情報などについてまとめました。事故、引退に関する情報もありますね。63歳で亡くなられているようです。
ジョー=メドウィックのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ジョセフ・マイケル・メドウィック(Joseph Michael "Joe" Medwick, 1911年11月24日 - 1975年3月21日)は、1930年代 - 1940年代に活躍したMLBのプロ野球選手(左翼手)。ニュージャージー州カータレット生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Ducky"(子ガモ)、後に"Muscle"(マッスル)とも。1930年代の「ガスハウス・ギャング」と呼ばれたセントルイス・カージナルスを象徴する打者。 1911年、ニュージャージー州でハンガリー移民の両親の間に生まれる。1932年にカージナルスに入団。1年目に26試合に出場、打率.349を記録し、2年目からレフトのレギュラーに定着する。よたよたと歩く姿から、当初ファンに"Ducky"とあだ名をつけられていたメドウィックは、愛称ににつかわない激しいプレースタイルから、後にチームメイトに「マッスル」という別のあだ名で呼ばれるようになる。1934年に自身初めてワールドシリーズに出場した時は、長打を放った後三塁ベースに激しく滑り込み、対戦相手のデトロイト・タイガースの三塁手マーヴ・オーエンを引っ掛けた。デトロイトのファンからはゴミが投げつけられ、コミッショナーのケネソー・マウンテン・ランディスから、第7戦の出場停止の処分を受けている。 その後彼のバットは1935年以降猛威をふるう。1935年に224安打、打率.353、126打点を挙げたのをはじめ、翌1936年にはリーグ最多の223安打、打率.351、138打点を記録する。またこの年は、月間50安打をシーズンで二度達成するという記録も作っている。翌1937年がメドウィックの打撃成績のピークで、本塁打31本を放ち本塁打王となったのをはじめ、打率.374、154打点を挙げて三冠王に輝いた。この年は更に最多得点、最多二塁打、リーグ最高長打率(.641)など打撃部門の成績を殆ど独り占めし、同年のリーグ最優秀選手にも選ばれた。更にこの年に出場したオールスターゲームでは、ゲーム史上初めて4安打を放った選手となった。 1940年6月12日にセントルイス・カージナルスからブルックリン・ドジャースにトレードされた。その6日後の6月18日に悲劇が彼を襲った。カージナルスのボブ・ボウマン投手の投球を頭部に受けてしまったのである。ボウマンは試合前にホテルでメドウィックやレオ・ドローチャー(ドジャース監督)と口論になっていたので、「ビーンボールでは無いか」と疑われた。当のボウマンはドジャースのチャック・ドレッセン三塁コーチのサイン盗みによって起こった事故だと非難した。カーブのサインを見るたびにドレッセンがいつも口笛を吹くと指摘している。ドレッセンの口笛を聞いたメドウィックはカーブだと決め付けて前方に踏み出したが、ボーマンは代わりにインコース高めに速球を投げ込み、投球はメドウィックの頭部を直撃してしまった。直ぐに病院へ運ばれ、骨折はしていないものの脳震盪を起こしている事が判明した。MLBで打撃用ヘルメットが導入されるのはこれより30年以上も後、1971年まで待たなければならない。大方の予想に反して5日か6日で退院して直ぐにチームに復帰したものの、この事故以後の彼の長打力は鳴りを潜めてしまった。 1941年以降はドジャース、ニューヨーク・ジャイアンツ、ボストン・ブレーブスなどを渡り歩き、戦後の1947年にカージナルスに復帰、1948年に20試合に出場したのを最後にメジャーリーグからは引退。その後は1952年頃までマイナーリーグでプレイしており、1949年選手兼任コーチでプレイしていたという。 現役引退後は古巣カージナルスのアドバイザーとしてスプリング・トレーニングにて指導を晩年まで行った。アメリカ野球殿堂入りについては前述の激しい気性からチームメイトや報道関係者との対立が多かったためか落選続きが長く、メジャーリーグでの最後のプレイから20年経った1968年にようやく投票により殿堂入り選手に選出された。 1975年3月21日に心臓発作のため、フロリダ州セントピータースバーグで死去。63歳没。 詳細情報年度別打撃成績各年度の太字はリーグ最高 タイトル首位打者:1回(1937年) 本塁打王:1回(1937年) 打点王:3回(1936年 - 1938年)
表彰シーズンMVP:1回(1937年) 三冠王:1回 (1937年) 記録
最多二塁打:3回(1936年 - 1938年) 最多三塁打:1回(1934年) 最多塁打:3回(1935年 - 1937年) 最多長打:3回(1935年 - 1937年) 最多得点:1回(1937年) 三冠王:1回(1937年) ※ナ・リーグ三冠王はメドウィック以来誕生していない ワールドシリーズ出場:2回(1934年、1941年) オールスターゲーム出場:10回(1934年 - 1942年、1944年) MLBオールセンチュリー・チームにノミネート(1999年) 2か月連続月間50安打(1936年7月 - 8月) ※メジャータイ記録。2004年にイチローが68年ぶりに達成し、記録が注目された シーズン二塁打数:64(1936年) ※メジャー歴代2位タイ 2024/06/06 15:13更新
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Joe Medwick
ジョー=メドウィックと同じ誕生日11月24日生まれの人
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