ダニエル=シュミットの情報(DanielWalterSchmid) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
ダニエル=シュミットさんについて調べます
■名前・氏名 |
ダニエル=シュミットと同じ12月26日生まれの有名人・芸能人 ダニエル=シュミットと同じ出身地の人 |
ダニエル=シュミットの情報まとめ
ダニエル=シュミット(Daniel Walter Schmid)さんの誕生日は1941年12月26日です。
映画、テレビに関する情報もありますね。2006年に亡くなられているようです。
ダニエル=シュミットのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ダニエル・シュミット(Daniel Schmid, 1941年12月26日 - 2006年8月5日)は、スイスの映画監督、脚本家、オペラ演出家である。 1941年12月26日、スイス・グラウビュンデン州フリムス=ヴァルトハウスに生まれ、シュバイツァーホフ・ホテルを経営する祖父母に育てられた。14歳頃から映画館に通い始め、マックス・オフュルスなどの作品に傾倒した。同時にオペラにも熱中し、マリア・カラスをはじめとするベルカント・オペラのディーバたちに魅せられ、バイク・ツーリングで各地のオペラハウスを巡っていた。1962年、ドイツのベルリン自由大学へ入学。1966年にライナー・ヴェルナー・ファスビンダーと知り合い、1971年にファスビンダーと彼の当時の妻イングリット・カーフェンとともに映画製作会社「タンゴ・フィルム」を設立。 1970年、テレビ映画『主人の蝋燭を節約するためにすべてを暗闇のなかで行うこと』で映画監督としてデビュー。1972年、シュバイツァーホフ・ホテルで撮影した長編第1作『今宵かぎりは…』がルキノ・ヴィスコンティに激賞され、ヴェネツィア国際映画祭で新人監督賞を受賞。その後も前作に引き続きイングリット・カーフェンを起用した『ラ・パロマ』(1974年)やファスビンダーの戯曲『ゴミ、都市、そして死』を映画化した『天使の影』(1976年)などを発表。また、俳優としても活動し、ハンス=ユルゲン・ジーバーベルクの『ルートヴィヒII世のためのレクイエム』(1972年)やヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』(1977年)、ファスビンダーの『リリー・マルレーン』(1981年)などに出演した。 1980年代にはポール・モランの小説を映画化した『ヘカテ』(1982年)の他、シュミットが敬意を捧げるダグラス・サークの晩年と彼のフィルモグラフィを撮影した『人生の幻影』(1983年)などのドキュメンタリー映画を数本製作した。また、シュミットの作品が日本で初めて紹介されたのもこの時期で、1981年に『ラ・パロマ』が東京国立近代美術館フィルムセンターの特集「スイス映画の史的展望」で上映され、翌年にはアテネ・フランセ文化センターによる「ダニエル・シュミット映画祭」と題した特集上映が行われた。映画評論家の蓮實重彦はこの頃に『リュミエール』誌上でシュミットをビクトル・エリセ、ヴィム・ヴェンダース、クリント・イーストウッド、テオ・アンゲロプロスらとともに「73年の世代」と定義した。ただし、シュミットは1973年に劇場用映画を発表していない。 また、80年代からはオペラ演出家としても活動し、ジャック・オッフェンバックの『青ひげ』(1984年)、アルバン・ベルクの『ルル (ツェルハ補追三幕版)』(1985年)、ジョアキーノ・ロッシーニの『グリエルモ・テル (イタリア語版)』(1987年)、ヴィンチェンツォ・ベッリーニの『夢遊病の娘』(1995年)をジュネーヴ大劇場で演出。チューリッヒ歌劇場ではエディタ・グルベローヴァ主演で人気を呼び、後に収録がDVD化されたガエターノ・ドニゼッティの『シャモニーのリンダ』(1994年)とベッリーニの『ベアトリーチェ・ディ・テンダ』(1994年)、そしてジュゼッペ・ヴェルディの『イル・トロヴァトーレ』(1996年)を手掛けた。1987年に演出した『グリエルモ・テル』は翌1988年にテレビ映画として映像化もしている。 1995年にはユーロスペースが製作に携わり、坂東玉三郎が主演した『書かれた顔』と愛知芸術文化センターによる大野一雄に関する短編ドキュメンタリー『KAZUO OHNO』を日本で撮影している。1999年には7年ぶりの長編劇映画『ベレジーナ』を発表。同年、ロカルノ国際映画祭で名誉豹賞を受賞した。 2006年8月5日、出身地フリムス=ヴァルトハウスにて癌により64歳で死去。2010年にはパスカル・ホフマンとベニー・ヤーベルクによるドキュメンタリー『ダニエル・シュミット─思考する猫』が製作され、イングリット・カーフェン、レナート・ベルタ、ヴェルナー・シュレーターなどのシュミットに縁のある人物が出演した。 主人の蝋燭を節約するためにすべてを暗闇のなかで行うこと Thut alles im Finstern, eurem Herrn das Licht zu ersparen (1970年) テレビ映画 今宵かぎりは… Heute Nacht Oder Nie (1972年) ラ・パロマ La Paloma (1974年) 天使の影 Schatten der Engel (1976年) ヴィオランタ Violanta (1978年) カンヌ映画通り Notre Dame de la Croisette (1981年) ヘカテ Hécate (1982年) 人生の幻影 Mirage de la vie (1983年) ドキュメンタリー トスカの接吻 Il bacio di Tosca (1984年) ドキュメンタリー デ・ジャ・ヴュ Jenatsch (1987年) Guglielmo Tell (1988年) テレビ映画 アマチュア Les amateurs (1990年) 短編ドキュメンタリー 季節のはざまで Hors saison (1992年) 書かれた顔 Das geschriebene Gesicht (1995年) ドキュメンタリー KAZUO OHNO Kazuo Ohno (1995年) 短編ドキュメンタリー 書かれた顔 (1996年) ベレジーナ Beresina oder Die letzten Tage der Schweiz (1999年) ^ “ダニエル・シュミット監督回顧”. 2014年6月21日閲覧。 DANIEL SCHMID : FILMMAKER - 公式ウェブサイト (英語) Romantik Hotel Schweizerhof Flims - シュバイツァーホフ・ホテル 公式ウェブサイト (英語) ダニエル・シュミット - allcinema ダニエル・シュミット - KINENOTE Daniel Schmid - IMDb(英語) FAST ISNI VIAF WorldCat フランス BnF data ドイツ アメリカ 日本 チェコ オランダ CiNii Books CiNii Research ニューヨーク近代美術館 ドイッチェ・ビオグラフィー スイス歴史辞典 SNAC IdRef Theaterlexikon スイスの映画監督 スイスの脚本家 オペラ演出家 スイスのオペラ歌手 ドキュメンタリー映画の監督 1941年生 2006年没 2025/01/28 22:31更新
|
Daniel Walter Schmid
ダニエル=シュミットと同じ誕生日12月26日生まれの人
TOPニュース
ダニエル=シュミットと近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ダニエル=シュミット」を素材として二次利用しています。