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トマス=ドルビー
トマス=ドルビー(Thomas Dolby)さんの誕生日は1958年10月14日です。
ステージ・ネーム、来歴などについてまとめました。父親、結婚、映画に関する情報もありますね。トマス=ドルビーの現在の年齢は65歳のようです。
トーマス・ドルビー(Thomas Dolby、1958年10月14日 - )は、イギリス ロンドン出身のミュージシャン、音楽プロデューサー、および発明家。 トーマスの父親、マーティン・ロバートソン(英語版)は国際的にも名の通った古代ギリシャに関する芸術と考古学の教授職に就いていて、ロンドン大学とオックスフォード大学で教鞭をとっていた。そのため青年時代にはギリシャとフランスに住んで、働いていた時期がある。トーマスは1988年に元女優のキャスリーン・ベラー(英語版)と結婚している。 ステージ・ネームトーマスがロバートソンではなくドルビーと名乗っているステージネームの由来は、ノイズ・リダクション・システムやサラウンド・サウンド・エンコーディング・システムなどを設計開発している企業の「ドルビー・ラボラトリーズ」から採られている。これは少年時代のトーマスがいつもキーボードやカセットテープを弄っていた事から、カセット・テープやカセット・デッキに付いていたロゴにちなんで友人が付けたニックネームである。その後ミュージシャンとしてのデビューに際して、当時人気のあった英国の歌手、トム・ロビンソンとの混同を避けるためにドルビーを芸名としたものである。 「彼女はサイエンス」がシングルヒットした1980年代半ば、ドルビー・ラボラトリーズ側からステージネームの使用差し止めを求められたが、裁判所はドルビー・ラボラトリーズの訴えを退けた。最終的にトーマスがドルビーを商標に使った電子機器を販売しない事を条件として両者は和解し、ステージネームとしての使用は継続されている。 なお、ドルビー・ラボラトリーズの創設者であるレイ・ドルビーにもトーマスという同姓同名の息子がいるが、彼は映画監督・小説家のトム・ドルビーである。 来歴トーマスはニュー・ウェイヴとポップ、楽器ではシンセサイザーなどの電子楽器類を得意とするミュージシャンだが、幅広い音楽ジャンルにも対応している。彼が作り出した音楽の中でヒットした作品の中にはアルバム『光と物体(英語版)』に収録されていて、サンプリング音源を多用し、ビルボード・ホット100で最高位5位を記録した「彼女はサイエンス(英語版)」や、「ハイパーアクティヴ!!(英語版)」、「FIELD WORK」(坂本龍一と共作)などがある。 初期のキャリアは、キーボード・プレイヤーとしてブルース・ウーリー・アンド・ザ・カメラ・クラブ(英語版)との活動、及び彼らのデビュー・アルバムにクレジットされたことから始まっていて、『イングリッシュ・ガーデン』というアルバムのインストゥルメンタル曲「WW9」ではサンプリング・サウンドを初めて使っている。そしてトンプソン・ツインズのアルバム『Set』では何音色かのシンセサイザー奏者としても参加している。また、リーナ・ラヴィッチ(英語版)のヒット曲「New Toy」への参加や、Whodini の「Magic's Wand」では共作、The Fallout Club へのキーボーディストとして参加などがある。1983年にもデフ・レパードのアルバム『炎のターゲット』でBooker T. Boffinという別名にてキーボード・プレイヤーとして参加している。 彼のキャリアの中で最も重要なものには、フォリナーの1981年リリース・アルバム『4』に収録されている「Urgent」でのシンセサイザー奏者としての参加と、同アルバム収録の大ヒット曲「ガール・ライク・ユー」のイントロで聴くことができる環境系サウンドのシンセサイザーの使い方などがある。そして、このアルバム・レコーディングとツアーへの参加で受け取った報酬を使い、1980年代のベンチマーク・アルバム『光と物体(英語版)』が制作され、ソロとしてのキャリアがスタートしている。 1985年のグラミー賞授賞式ではスティーヴィー・ワンダー、ハービー・ハンコック、ハワード・ジョーンズと共演し、1980年代半ばに活躍したミュージシャンの中でもシンセサイザーを駆使したサウンド作りが得意な4名が同じステージに立つという珍しいシーンが見られた。国際的なイベントとなったコンサート、ライブ・エイドへは、デヴィッド・ボウイのバンド・メンバーとして参加、ジョニ・ミッチェルのアルバム『ドッグ・イート・ドッグ(英語版)』では共同プロデューサーとして参加、プリファブ・スプラウトのアルバム『スティーヴ・マックイーン』ではプロデューサーとして参加している。プリファブ・スプラウトのアルバムは他にも1988年の『ラングレー・パークからの挨拶状』では数曲、1990年のアルバム『ヨルダン:ザ・カムバック』では全面的にプロデューサーとして参加している。 1980年代終わりから1990年代初頭に掛けてはライブ・パフォーマンスを中心に活動していて、1988年6月18日にローズ・ボウルで行われたデペッシュ・モードのコンサート『Rose Bowl concert』へのサポートや、1990年にベルリンで行われたチャリティー・コンサートでは、ロジャー・ウォーターズのロック・オペラ「ザ・ウォール」にてシンディ・ローパーが歌った「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール (パート2)」への参加などがある。 2024/05/24 02:13更新
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