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フランソワ=ブーシェの情報まとめ
フランソワ=ブーシェ(Francois Boucher)さんの誕生日は1703年9月29日です。
兄弟、結婚、現在に関する情報もありますね。1770年に亡くなられているようです。
フランソワ=ブーシェのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)フランソワ・ブーシェ(仏: François Boucher, 1703年9月29日 - 1770年5月30日)は、フランスの画家。ロココを代表する画家であり、上流社会の肖像画や神話画などを描いた。多作家として知られ、生涯に千枚以上の絵画、百枚以上の版画、約一万枚の素描を制作し、壁画装飾、タピスリーや磁器の下絵制作、舞台装飾の仕事をこなした。 新古典主義の代表的画家ジャック=ルイ・ダヴィッドは従兄弟の息子。 ブルボン王宮の遊興費管理官ドニ=ピエール・パピヨン・ド・ラ・フェルテ(フランス語版)(1727年 - 1794年)の著作にみられる記述によれば、ブーシェの父は刺繍の装飾家にして、職能組合的組織である聖ルカ・アカデミー所属の画家ニコラ・ブーシェ(1672年 - 1743年)であり、ブーシェはこの父から絵画術の最初の手ほどきを受けたと考えられている。 この時期に制作されたと思われる作品には、ブーシェの現存する最初期の作例『聖バルトロマイと聖アンデレ』がある。 その後、父の後押しを受けて画家フランソワ・ルモワーヌの下で修業した。なお、ルモワーヌは1736年から翌年まで国王の首席画家を務めている。 しかし、ブーシェがピエール=ジャン・マリエット(18世紀フランスの美術収集家)に語ったところによると、ブーシェはルモワーヌから学ぶことはなかったという。更に弟子の面倒を殆ど見ないこの師のもとに、ブーシェは長くは留まらなかったとブーシェはマリエットに語っている。 だが弟子と師との関係についてのこのような逸話が残る一方で、『レベッカとエゼキエル』(ストラスブール美術館所蔵)のような1720年代の作品の様式を見る限りでは、ルモワーヌの影響は無視できないと考える研究者もいる。 ブーシェは1723年から1728年まで版画家・出版業者のジャン=フランソワ・カーズ(英語版)(1670年 - 1739年)のために素描を提供する仕事を請け負っていた。 また、ブーシェは美術品収集家ジャン・ド・ジュリエンヌ(フランス語版)に雇われ、アントワーヌ・ワトーの原画に基づいて彫版した作品を集めた版画集『Figures des différents caractères』(1726年 - 1728年)に収録されるエッチング作品の制作に携わった。 同時期にはガブリエル・ダニエル神父の著作『フランス史』(Père Gabriel Daniel『Histoire de France』、1727年 - 1728年)に掲載される版画(モーリス・バクワ(フランス語版) 1680-1747 が彫版)の下絵素描25点(ルーブル美術館版画素描室蔵)の製作も行っている。 1723年、ブーシェはローマ賞を受賞する。だが、王立建造物局長官のダンタン侯爵の寵を得ていなかったブーシェは勅許状を得られなかった為にイタリア留学の経済的な支援を期待出来ず、結果として、経費自己負担の留学を余儀なくされた。1728年4月から5月まで、経費節減のためにヴァン・ロー家のシャルル=アンドレ、ルイ=ミシェル、フランソワの三名と共にイタリア旅行に出掛け、ローマの在ローマ・フランス・アカデミーに1727年から1731年まで滞在した。1724年以来同アカデミーの院長を務めていたニコラ・ヴルーゲルスは、ブーシェがアカデミーの離れに逗留していたと伝えている。 イタリアでのブーシェの活動内容の詳細は不明である。アカデミーの他の芸術家たちとは異なり、ブーシェはラファエロやミケランジェロの作品研究に勤しむことはなく、ルネサンス期の巨匠たちから様式上の影響を受けることもなかったようである。 その代りブーシェはピアッツァ・ナヴォナのモーロ噴水にあるジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作『ネプチューン』、ローマの聖アグネス・イン・アゴーネ聖堂内部のジョヴァンニ=バティスタ・ガウッリ(イタリア語版)(1639-1709、別名イル・バチッチョ)のペンデンティヴ(正方形天井四隅の曲面三角形)部分の壁画、ルカ・ジョルダーノ『ユディトの勝利』といったイタリア・バロックの巨匠たちの作品に基づく素描を制作した。 これらの素描が制作された事実からは、ブーシェがモデルとなる作品を見るためにナポリ、ボローニャ、ヴェネツィアに旅したことが推測できる。 パリに戻ってからの作品には、さらにジョヴァンニ=ベネデット・カスティリオーネ(英語版)(1609年 - 1664年)を研究した痕跡がうかがえる。一方でド・ラ・フェルテは、ブーシェはイタリアでフランドル派様式で絵を描いていたとしている。 1731年にブーシェは王立絵画彫刻アカデミーの準会員 agrée として認められる。1734年にブーシェは『リナルドとアルミダ』(ルーヴル美術館)を提出し、正会員としてアカデミー入会を果たす。 1733年にブーシェは13歳年下のマリー=ジャンヌ・ビュゾー(Marie-Jeanne Buzeau, 1716-1796) と結婚する(ブーシェ30歳、マリー=ジャンヌ17歳の時。爾後妻はブーシェの作品にしばしば描かれる。なお、フランスは夫婦別姓である)。 ブーシェ夫婦は一男次女を儲けた。長男は早逝したが、娘のエリザベート・ヴィクトワールとマリー=エミリーはブーシェの弟子のジャン=バティスト・デエ(歴史画家、1723年 - 1765年) とピエール=アントワーヌ・ボードワン(ミニアチュール・グワッシュ・風俗画家、1723年 - 1769年)と結婚した。 ブーシェはルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人のために複数の作品を描いた。 『降誕』(1750年、リヨン美術館) 『ヴィーナスの化粧』(ニューヨーク、メトロポリタン美術館) 『日の出』と『日の入り』(ロンドン、ウォレス・コレクション) 『四季』(ニューヨーク、フリック・コレクション) ルイ15世の公妾にブーシェは素描とエッチングを教えた。イタリアにいた当時の弟のヴァンディエール侯爵(のちの王立建造物局庁長官マリニー侯爵)に宛てた手紙の内容からは、ポンパドゥール夫人はブーシェが描く肖像画を気に入っていたことがわかる。彼女をモデルとした作品に関しては複数のヴァリエーションが描かれた。ブーシェはポンパドゥール夫人の相談役としても働き、彼女の美術コレクション形成を助けた。 ポンパドゥール夫人の寵の厚かったブーシェは国王ルイ15世の覚えもめでたく、1755年にゴブランのタピスリ製作所の監察官を拝命すると、翌年にはジャン=バティスト・ウードリー(パリ、1686年-ボーヴェ、1755年)の後任として同製作所の長官に就任する。このころブーシェはボーヴェやゴブランのタピスリの下絵やパリのオペラや公の祝祭で用いる装飾下絵を大量に制作する。 1762年から務めていたカルル・ヴァン・ロー の後任として、ブーシェは1765年、ルイ15世の「国王の首席画家」(fr:Premier peintre du Roi)を拝命し、同年には王立絵画彫刻アカデミー院長の座に就いた。ブーシェは1770年に世を去るが、王立絵画彫刻アカデミーの会員としての年金は1200リーヴルに上っていた。ブーシェの死後、首席画家はジャン=バティスト=マリー・ピエール(1714-1789)が務めた(在位:1770-1789)。 18世紀フランスの美術愛好家ピエール=ジャン・マリエットはブーシェの才能を高く評価し、「筆を手にして生まれた」、すなわち画家となるべく運命づけられた人間で、「我らがフランス画派にとっての大いなる名誉」であると絶賛している。 ロココが新古典主義に取って代わられると、ロココ文化を否定する動きが見られた。ブーシェも晩年はその絵画だけではなく、人格も非難されるようになった。 ブーシェの死から30余年後にその大作が競売されたときは、殆ど値段がつかないほど不人気であった。 19世紀の後半、ゴンクール兄弟(エドモン・ド・ゴンクール、ジュール・ド・ゴンクール)が18世紀のフランスを中心とする美術の再評価を行い、ブーシェも高い評価を与えられたが、ブーシェは室内装飾家に過ぎないとの評もあった。 フランス芸術界の巨匠ルノワールはブーシェの影響を受けている。 ルーヴル美術館のシュリー翼2階第46室には「ブーシェの間」があり、ブーシェの作品が数多く展示されている。 ウィキメディア・コモンズには、フランソワ・ブーシェに関するカテゴリがあります。
『アウロラとケファロス』1733年と推測、250×175cm、キャンヴァスに油彩、ナンシー、ナンシー美術館
『ヴィーナスの勝利』1740年、130×162cm、キャンヴァスに油彩、ストックホルム、スウェーデン国立美術館
『水浴のディアナ』1742年のサロンに出品(?)、57x73cm、キャンヴァスに油彩、ルーヴル美術館
『レダと白鳥』1742年、60×74cm、キャンヴァスに油彩、ストックホルム、スウェーデン国立美術館
『ユピテルとカリスト』1744年、72x98cm、キャンヴァスに油彩、モスクワ、プーシキン美術館
『朝』1746年、64×53cm、キャンヴァスに油彩、ストックホルム、スウェーデン国立美術館
『ヴィーナスの化粧』1746年、102×133cm、キャンヴァスに油彩、ストックホルム、スウェーデン国立美術館
『エウロペの略奪』1747年、160.5×193.5cm、キャンバスに油彩、ルーヴル美術館
『ソファに横たわる裸婦』1751年、59.5×73.5cm、キャンヴァスに油彩、ケルン、ヴァルラフ=リヒャルツ美術館
『ヴィーナスの水浴』1751年、107×84.8cm、キャンバスに油彩、ワシントン、ナショナル・ギャラリー
『ヴィーナスの化粧』1751年、108×85cm、キャンヴァスに油彩、ニューヨーク、メトロポリタン美術館
『日の出』1753年、318×261cm、キャンバスに油彩、ウォレス・コレクション
『日の入り』1752年、321×270cm、キャンバスに油彩、ウォレス・コレクション
『ポンパドゥール夫人』1756年、212×164cm、キャンヴァスに油彩、ミュンヘン、アルテピナコテーク
『アイネイアスのために造った武器をウェヌスへ贈るウルカヌス』1757年、320×320cm、キャンヴァスに油彩、ルーヴル美術館
『ニンフたちに幼いバッコスを託すメルクリウス』1769年、272×201cm、キャンヴァスに油彩、フォートワース、キンベル美術館
アレクサンドル・ロスリン『ブーシェ夫人マリー=ジャンヌ・ビュゾーの肖像』ミュンヘン、ニュンフェンブルク。1761年サロン出品作品。
ブーシェ『ボードワン夫人』1760年頃、コニャック=ジェイ美術館。
ロココ ピエール=オーギュスト・ルノワール ^ Denis Pierre Jean Papillon de La Ferté, Extrait des différens ouvrages publiés sur la vie des peintres, t. II, Paris, 1776, p. 657. ; Encyclopedia of World Biography on François Boucher <http://www.bookrags.com/biography/francois-boucher/> ^ 聖ルカ・アカデミー(fr:Académie de Saint-Luc)は1723年に正式に設立を認可された相互扶助組合「パリの画家・彫刻家親方共同体」を原型とする職人組織。その起源はさらに14世紀末までさかのぼり、1391年に設立されフランス・ヴァロワ朝の第4代国王シャルル6世の認可を受けた後、1430年にシャルル7世、1583年にヴァロワ朝最後のフランス王アンリ3世、1622年にブルボン朝第2代国王ルイ13世の追認を受けている。cf. Article Larousse: "Académie de Saint-Luc" et "confrérie, puis académie de Saint-Luc" ^ Alastair Laing. "Boucher, François." Grove Art Online. Oxford Art Online. Oxford University Press. Web. 9 Nov. 2012. <http://www.oxfordartonline.com/subscriber/article/grove/art/T010423>. ^ 1725年から1733年までルイ・ド・ブーローニュ(フランス語版) (1654-1733)が務めた後、「国王の筆頭画家」の座は1733年から1736年にルモワーヌが就任するまで空位のままだった。 ^ P. J. Mariette, Abecedario de P. J. Mariette et autres notes inédites de cet amateur sur les arts et sur les artistes, t. I, Paris, 1851-1853, p. 165. ^ Laing. op. cit. ^ ルーヴル美術館版画素描室のサイトでは《「スペイン風に」着飾った、若い座った女》の作品解説(フランス語。日本語版も選択できる。)が公開されている。<http://www.louvre.fr/oeuvre-notices/jeune-femme-assise-vetue-lespagnole>. ^ バクーの作品としては、他にロシアのピョートル大帝のために制作された、ピエール=ドゥニ・マルタン(フランス語版) 1663–1742 の風景、景観、海戦の様子を描いた連作に基づく版画が知られている。 ^ de La Ferté, op. cit. ^ ブーシェは弟子ジャン=オノレ・フラゴナールに「ミケランジェロやラファエロをまじめに勉強しようものなら、道に迷ってしまう」と忠告したとされる (Pierre de Nolhac, Fragonard: 1732-1806, Paris, Goupil & cie, 1918, p. 33.)。だがフラゴナールはローマ賞を得てイタリアに留学した際に、師ブーシェと同様にルカ・ジョルダーノ、ピエトロ・ダ・コルトーナなどのイタリア・バロックの巨匠の作品を素描して研究する一方で、ミケランジェロの彫刻・絵画作品に基づく素描も制作している(『夜』と『昼』ロンドン、ブリティッシュ・ミュージアム所蔵、『エリュトライのシビュラ』と『預言者ダニエル』アムステルダム国立美術館所蔵)。 ^ de La Ferté, op. cit. ^ F・ブーシェ『ルノーとアルミッド(リナルドとアルミーダ)』1734年、ルーヴル美術館(画像:<http://art.pro.tok2.com/B/Boucher/vv002.htm>)トルクァート・タッソの『解放されたエルサレム』(La Gerusalemme liberata、1575年)に取材した物語画。ゴドフロワ・ド・ブイヨン率いる第一回十字軍(1099年)の戦士リナルドは敵の魔女アルミダと恋に落ちるが、仲間が現れて使命を思い出し、アルミダを捨て戦場に帰る。 ^ 現在ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク(緑色のドレスの肖像)、エジンバラのスコットランド国立美術館(青色のドレスの肖像)、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館、ウォーラス・コレクションなどにブーシェ作のポンパドゥール夫人の肖像画が収蔵されている。 ^ ルーヴル美術館公式サイトより作品解説:フランソワ・ブーシェ(メダイヨン下絵)モーリス・ジャック(周辺部分下絵)『ブーシェの壁布』1770年から1776年、ブルボン宮、パリ、ゴブラン製作所、横機のタピスリー、毛、絹、縦4.25m、横3.80m「絵とダマスク織をとりまぜたタピスリー」<http://www.louvre.fr/jp/node/30034> ^ ピエールの後は1789年から1791年までジョゼフ=マリー・ヴィアン(1716-1809)が「国王の筆頭画家」を務めた。 ^ P. J. Mariette, Abecedario de P. J. Mariette et autres notes inédites de cet amateur sur les arts et sur les artistes, t. I, Paris, 1851-1853, p. 165.マリエットはブーシェの若描きの作品、さらにとりわけ当時フランスの美術愛好家クロード=アンリ・ワトレが所蔵していた『エウロペの略奪』を高く評価している(この作品は彫刻家ドルベイDorbayの邸宅を飾るために描かれた数多くの大型タブローのうちの一点として制作された。)。とりわけブーシェはこの作品の「確固としていてその上で優美な筆遣い」を称えている。 ^ 飯塚信雄『ロココの時代-官能の十八世紀』1986年、新潮選書、P26,57,77-80 ウィキメディア・コモンズには、François Boucher (カテゴリ)に関するメディアがあります。 FAST ISNI VIAF WorldCat ノルウェー スペイン フランス BnF data ドイツ イタリア イスラエル ベルギー アメリカ スウェーデン ラトビア 日本 チェコ オーストラリア ギリシャ 韓国 オランダ ポーランド ポルトガル バチカン CiNii Books CiNii Research 南オーストラリア美術館 Scientific Illustrators KulturNav MusicBrainz ニューヨーク近代美術館 ヴィクトリア国立美術館 プラド美術館 オランダ美術史研究所データベース シュテーデル美術館 ULAN ドイッチェ・ビオグラフィー Trove(オーストラリア)
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2024/11/22 19:02更新
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