ヘニー=マイヤーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
ヘニー・マイヤー(Hennie Meijer, 1962年2月17日 - )は、スリナム出身でオランダ国籍の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
オランダ領ギアナ(現スリナム)の首都パラマリボ出身。1983年にオランダ2部テルスターでプロデビュー。アヤックス時代の1987年にオランダ代表入りし、1試合出場(9月9日、親善試合ベルギー戦で67分にアーロン・ヴィンターに代わって途中出場)。1988年からFCフローニンゲンで5シーズンプレーし、1990-91シーズンにはミルコ・ジュロヴスキーと共にゴールを量産しクラブを過去最高の3位に導き、オランダ年間最優秀選手賞に輝いた。その間の1989年には、スリナム系オランダ人サッカー選手の選抜チームがスリナムで試合を行うため搭乗した飛行機が墜落する事故(スリナム航空764便墜落事故)が起き、マイヤーは前の便でスリナム入りし難を逃れたが、多くの仲間を失う悲劇があった。
1993年のJリーグ開幕時にヴェルディ川崎に加入。来日前にアキレス腱を痛め、合流したのは開幕1週間前だった。同年5月15日の開幕戦・横浜マリノス戦で前半19分にJリーグ第1号ゴールを決めた。左サイド、ペナルティエリアの外側からマリノスのDF小泉淳嗣を振り切っての豪快なミドルシュートだった。2018年のインタビューで「あれは本能的な得点だった。何とか『左サイドでフリーになって、中に切り込んで打つ得意の形に持ち込みたい』と当時の僕は考えたんだろう。勝手に体が動いた」と語っている。
ヴェルディがJリーグ初勝利を挙げた5月22日のサンフレッチェ広島戦で2ゴール目を決めるもその後は目立った活躍を見せず、11試合出場2得点の記録を残し7月に契約解除され退団。当時のヴェルディは松木安太郎監督の下でオランダ人のフランツ・ファン・バルコムがヘッドコーチを務め、マイヤーらオランダ人3人、ブラジル人3人が在籍し日本人の選手・スタッフと意思疎通を欠き、ミーティングで監督の松木から言われたのも「You Score Goal(点取って)」だけだったという。年俸は30万ユーロで鹿島のジーコの推定年俸とほぼ同じ好待遇だったが、「日本人が知るオランダ人はフリット、ファンバステン、ライカールトだけ。元オランダ代表、MVPの僕でも最後まで『お前、誰だ』扱いだった」と語っている。来日中は富士山や東京ディズニーランドを満喫していたという。
オランダに帰国後、SCヘーレンフェーン、2部のBVフェーンダムなどでプレーし1998年に引退。オランダの1部・2部で通算148得点を挙げた。
2003-04シーズンには古巣テルスターでアシスタントコーチを務めた。
前夫人と離婚し、2男3女を育てるため専業主夫となり選手年金に頼る生活を10年間続けたが、再婚。その後、サッカースクールを設立し、老人ホームの入居者のケアの仕事も行っている。
所属クラブ
テルスター 1983-1984
FCフォレンダム 1984-1985
ローダJC 1985-1987
アヤックス・アムステルダム 1987-1988
FCフローニンゲン 1988-1993
ヴェルディ川崎 1993.5-1993.7
SCカンブール・レーワルデン 1993.7-1994
SCヘーレンフェーン 1994-1995
デ・フラーフスハップ 1996
BVフェーンダム 1996-1998