マジック=ジョンソンの情報(Earvin“Magic”Johnson) バスケットボール 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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マジック=ジョンソンの情報まとめ
マジック=ジョンソン(Earvin “Magic” Johnson)さんの誕生日は1959年8月14日です。
現在、引退、兄弟、父親、母親、卒業、結婚、テレビ、事故に関する情報もありますね。今年の情報もありました。マジック=ジョンソンの現在の年齢は65歳のようです。
マジック=ジョンソンのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)アービン・"マジック"・ジョンソン・ジュニア(Earvin "Magic" Johnson Jr., 1959年8月14日 - ) は、アメリカ合衆国ミシガン州ランシング出身の元プロバスケットボール選手で現在は実業家。NBAの名門ロサンゼルス・レイカーズで活躍した。史上最高のポイントガードと称され、レイカーズで13シーズンプレーした後、1996年に「NBA史上最高の50人の選手」及び2021年に「NBA75周年記念チーム 」の一人として選出されている。 1980年代にラリー・バードやマイケル・ジョーダンらとともにNBAの世界的ブームを牽引したスーパースターであり、そのプレー、実績から歴代最高のポイントガード、ひいてはジョーダンやカリーム・アブドゥル・ジャバー等と並びNBA史上最高のプレイヤーの1人と評される。 選手時代にはNBAでポイントガードとしてプレーし、1980年代にロサンゼルス・レイカーズで5回の優勝に貢献する(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)。1991年にHIV感染を理由に引退。2002年に殿堂入りした。ポイントガードからセンターまで全てでプレーすることができたため身長によるポジションの概念を覆し、それまで得点の陰に隠れ目立たないプレーであったパスを派手で華やかなものに変え、今では花形プレーの1つとされるノールックパスを世に広めた革命的な存在であった。 また、レギュラーシーズンの通算勝率73.95%(670勝236敗)は歴代1位である。 ミシガン州ランシングという小さな町で父アーヴィン・シニアと母クリスティンの間の7人兄弟の4番目として生まれた。両親は共に南部出身の黒人だったが、自動車関係の仕事を求めてミシガン州に移り住んできた。父親はゼネラルモーターズの傘下の会社で働くほか、副業もこなしていた。母親も学校の用務員など常に何かの仕事に就いていた。少年時代からまずは父親を相手にバスケットボールを始め、少年チームに参加し、バスケットボール漬けの日々を過ごした。 中学時代からすでに仲間内で一番の長身で、運動能力も抜群だった。一試合で48点をあげたこともあったという。その頃からミシガン州でも有名な黒人がほとんどを占めるセクストン高校への進学を夢見はじめる。バスケットの強豪校として知られる高校でプレーし、スターとなることが彼の当時の一番の夢だった。 ところが、ジョンソンが高校に進学する数年前、ミシガン州では「強制バス通学制度」ができた。人種の融合を図るため、白人がほとんどを占める高校に一定数の黒人を編入するというもので、ジョンソンの家は境界線のすぐ外に位置していた。そのため名門セクストン高校に友人達と一緒に通えないばかりか遠距離の白人ばかりの高校・エベレット高校に強制的に通わされる羽目になった。エベレット高校では不自然な少数の黒人学生の編入によってトラブルが絶えず、現にジョンソンの兄はコーチと口論になったことがもとでバスケット部を辞めてしまっている。しかし、彼は粘り強く周囲と交渉する術を学び、また誰よりも熱心に練習し、プレーして勝利をもたらすことで周囲に自分を認めさせることに成功する。ジョンソンが4年生の時、同校のチームは27勝1敗の成績をあげ、ミシガン州を制した。今に残るニックネーム「マジック」は、1年生の時のジョンソンがある試合で36得点・18リバウンド・16アシストを記録するのを見た地元の新聞記者が名付けた。まもなくこのニックネームはミシガン州全域で有名になる。また、このころからチームで最長身の選手でありながらセンターやフォワードではなく、ガードのポジションがジョンソンに適していることを高校のコーチが最初に見抜き、ポイント・ガードとしてプレーすることが多くなった。 高校の卒業を控え、全米中の大学から勧誘が殺到する。ジョンソンは州で一番のバスケットの強豪であるミシガン大学と、高校の時からよく出入りし練習にも参加させてもらっていたミシガン州立大学のどちらに進学するか、あるいは全米の他の有名大学に進学するかを相当悩んでいた。学校の恩師やバスケット関係者の多くがミシガン州立大学の出身で、本人も本当は地元のミシガン州立大学に行きたかったが、新たに同大学のコーチとなったジャッド・ヒースコートは試合中に選手を怒鳴りつけることが多く、ジョンソンはあまりいい印象を持っていなかった。しかし、彼の家を訪問したヒースコートは、「他の大学に進めば君はセンターとして起用されるだろう。しかし、私は君をポイント・ガードとして起用するつもりだ」とジョンソンの天分を見抜いた。またよく怒鳴るのも彼の情熱の現れだと知り、これが決め手となってジョンソンはミシガン州立大学への進学を決める。 大学でのジョンソンは、1年生の時にはそれまであまり強豪とは言えなかったミシガン州立大学のチーム(スパルタンズ)を率いて25勝5敗の成績を残し、NCAAファイナル・フォーにはあとわずかで届かなかったが前年とは比較にならない好成績を残す。2年生時にはスパルタンズは25勝5敗で地区制覇し、NCAAトーナメント決勝へと進出した。決勝へ勝ち上がってきたもう一つのチームは、それまで一度もNCAAトーナメントに出場もしたことのない無名校インディアナ州立大だった。同大学のチームはシーズンを33勝0敗で過ごしており、チームを率いていたのは後にマジックにとって最高のライバルとなるラリー・バードであった。両者の対決する決勝戦は大学バスケットボール決勝の歴史で最高の視聴率を記録した。前日の練習でコーチのヒースコートに「仮想・ラリー・バード」の役を演じるように命じられたジョンソンが見事なパフォーマンスを見せたことも功を奏し、ジョンソンのミシガン州立大学がバードを抑えることに成功し、75-64で勝利。ジョンソンとミシガン州立大学は初のNCAAチャンピオンとなった。しかし、この時始まったジョンソンとバードのライバル関係はプロ入り以降にも続くことになる。また、大学時代の同級生で、後に妻となる女性ともこの頃出会っている。しかし、ジョンソンはバスケットで勝利することが一番の望みで、家庭生活がその妨げになることを恐れ、その後10年以上付き合ったり、別れたり、婚約しては解消するなどの関係となり、結婚したのは1991年である。 NCAAトーナメントで優勝を成し遂げた後、1979年にミシガン州立大学を2年生で中退し、NBA入りすることを表明する。前年のNBA最低成績だったシカゴ・ブルズとユタ・ジャズがドラフトの一位指名権をかけてコイントスを行うことになったが、ジャズの指名権はロサンゼルス・レイカーズにトレードされており、コイントスに勝ったレイカーズが全体1位でマジック・ジョンソンを指名した。実はジョンソンの指名はそれまでのNBAで前例のない長身ポイント・ガードであること、当時のジョンソンはアウトサイド・シュートがやや苦手だったことなどからレイカーズ首脳陣からは反対が多かった。このときレイカーズの新オーナーとなったジェリー・バスがマジック・ジョンソンを指名しないとチームを買い取るのを止めると言い切り、決断を下した。当時のNBA新人としては最高金額だった年俸50万ドルで契約が成立したが、その1ヶ月後、前年のドラフトでボストン・セルティックスから契約条項の盲点を突く形で6位で指名されていたラリー・バードが60万ドルの契約を結んだため、新人最高額の記録はすぐに塗り替えられてしまった。 レイカーズでは少年時代からあこがれていたプレーヤーであるカリーム・アブドゥル=ジャバーやノーム・ニクソン、ジャマール・ウィルクスといった名選手たちと共に先発ガードとしてプレーすることになった。NBA最初の試合で勝利を決めるシュートを決めたアブドゥル=ジャバーにジョンソンは興奮して抱きつくなど情熱的なプレーでチームを牽引。前年より13勝も勝ち星を増やし(60勝22敗)、1年目からNBAオールスターゲームにも選ばれ、先発出場するなど人気も抜群で、18得点、7.7リバウンド、7.3アシストという好成績でシーズンを終えるなど評価が高かったが、新人王レースではラリー・バードに敗れた。 ルーキーシーズンを終えてのプレーオフ、フェニックス・サンズとシアトル・スーパーソニックスを退け、ジュリアス・アービング率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズと対戦したNBAファイナルで、レイカーズが3勝2敗と優勝に王手をかけていた時、それまで絶好調だったチームの大黒柱、アブドゥル=ジャバーが第5戦で足首を捻挫してしまう。アブドゥル=ジャバーが欠場した第6戦にポール・ウェストヘッド監督がジョンソンをアブドゥル=ジャバーに代えてセンターとして起用するという奇策を用いたところ、42得点、15リバウンド、7アシストという大活躍によりレイカーズが優勝した。当時まだ20歳のルーキーだったジョンソンは、こうしてファイナルMVPを受賞した史上唯一のルーキーとなった。 2シーズン目のジョンソンは、試合中の接触で膝に怪我を負い、37試合の出場にとどまった。プレーオフの1回戦には怪我をおして出場したものの、プレーは散々な出来となり、レイカーズは1勝2敗で敗退した。 翌1981-82シーズンのレイカーズは57勝25敗でウェスタンカンファレンスで1位となった。ファイナルではセブンティシクサーズを4勝2敗で下して優勝した。ジョンソンは再びMVPに選ばれたが、ジョンソンにとっては辛い1年となった。 当時のレイカーズの監督、ポール・ウェストヘッドはそれまでは選手達に比較的自由にプレーさせていたが、この頃より速攻よりも緻密なハーフコートオフェンスを重視するという自分の持論をチームに強制するようになる。チームの攻撃が勢いのないものになり成績も低迷するなか、得意の速攻をリードすることを封じられ、それを不満に思っていたジョンソンはシーズン序盤に「自分をトレードしてほしい」とマスコミに向かって発言した。その翌日、ウェストヘッドは解雇された。この異動は予定されていたものだと発表されたが、ファンやマスコミはジョンソンを「コーチ・キラー」と痛烈に非難した。このシーズン、ジョンソンは選手生活で唯一オールスターの先発に選ばれなかった。 ウェストヘッドの後任には、アシスタントコーチだったパット・ライリーが昇格し、チームは次第に以前の走るスタイルを取り戻していった。ライリーは選手達にチャンピオンとしての自覚を促し、厳しい練習を課すことで非難が集中していたレイカーズとジョンソンを再び優勝させることに成功する。 そして翌1982-83シーズンにはやはりトレードでレイカーズが得た1位指名権でジェームズ・ウォージーがチームに入団。この時代に一世を風靡する「ショータイム」と呼ばれたオフェンスの中核となるメンバーが集まっていた。 ただし、このシーズンのファイナルでは主力を怪我で欠き、レイカーズはセブンティシクサーズに優勝を譲ることになった。 レイカーズのオフェンスはジョンソンのパスの技術に負うところが大きかった。前シーズンにチーム入りしたウォージーは俊敏な選手で、ジョンソンのアシストからウォージーがダンクシュートで締めるレイカーズの速攻は人気を集めた。この「ショータイム」と呼ばれたオフェンスはこの時代のレイカーズの象徴となった。また、敵の選手を自分に引きつけておき、顔の向きの反対側や背面にいきなりパスを出す「ノールック・パス」もジョンソンの十八番だった。ライリー監督の指導のもと、レイカーズはリーグ屈指の強豪となった。 一方、東海岸ではボストン・セルティックスが強豪としての地位を確立していた。ジョンソンはセルティックスのエースだったラリー・バードとしばしば比較され、二人はライバルとしてとらえられていた。 1983-84シーズン、マジックは46試合連続2桁アシストというNBA記録を達成した。レイカーズは54勝28敗でリーグ第2位の成績。1位は62勝20敗のセルティックスで、バードはMVPに選ばれていた。両チームはプレーオフを勝ち上がり、ファイナルで対戦することになった。二人は大学時代にも優勝を競っていた因縁のライバルということもあり、ファイナルは全国的な注目を集めた。 NBAファイナルの第1戦は、予想に反してアブドゥル=ジャバーの大活躍もあり、レイカーズがアウェイとなるボストン・ガーデンで勝利。続く第2戦、レイカーズがリードし、試合の終了間際となったが、ウォージーが投げたパスをセルティックスのジェラルド・ヘンダーソンがスティールし、同点とされる。延長時間の残り数秒でジョンソンは残り時間の計算を間違え、そのままセルティックスの勝利となった。本拠地ロサンゼルスに戻ってきた第3戦ではジョンソンが21アシストとNBAファイナル記録となる活躍でチームをリードし大勝した。 セルティックスのケビン・マクヘイルがレイカーズのカート・ランビスを床に叩き付けて乱闘寸前となるなど荒れた試合となった第4戦、残り時間1分を切ったところでジョンソンはボールを失い、最後の局面でフリースローを2本ミス。延長になった試合をレイカーズが落とし、シリーズは2勝2敗のタイとされてしまう。 会場をボストンに再度移しての第5戦、異常気象による熱波で会場内が40度以上になるという事態にペースを狂わされ、レイカーズは敗戦。第6戦はバイロン・スコットの活躍などでレイカーズが制した。 最終戦の第7戦では終盤にジョンソンがミスを重ね、僅差の試合だったがついにレイカーズは追いつけず、セルティックスが優勝した。両チームは60年代からNBAファイナルで対戦を続け、レイカーズは一度もセルティックスを破ることができないという因縁の関係だった。敗戦の後もレイカーズの面々とジョンソンは、マスコミやセルティックスの選手たちから非難や中傷を浴び続ける。レイカーズは楽に優勝できたはずなのに勝てる試合を自分の失敗で落としたと言われ続けた。選手生活で最悪の時期だったとジョンソンは後に語っている。彼はこの失敗をよく分析し、精神力で負けないように普段の練習の時から鍛錬を積み、セルティックスを破る機会を待ち望んだ。 このオフシーズン、ジョンソンはテレビCMの撮影でラリー・バードと初めて親しく語り合う機会に恵まれる。マスコミの扇動もあって互いに嫌い合っているように思わされてきた二人だったが、実際に話してみると意外にも二人には共通点が多く、話の合う友人となった。 翌1984-85シーズン、レイカーズは62勝20敗で、セルティックスの63勝19敗に次ぎリーグ2位の成績だった。ジョンソンは前シーズンに続いてリーグ最多の平均アシスト数をマークし、オールNBAファーストチームに選出された。このシーズン再びレイカーズはプレーオフを勝ち上がり、再びNBAファイナルでセルティックスと対戦することになった。 前年の復讐を狙うレイカーズだったが、ボストンで行われた初戦はアブドゥル=ジャバーの不調とセルティックスの控え選手の予想外の大活躍でセルティックスに33点差をつけられて大敗してしまう。続く第2戦はレイカーズの監督パット・ライリーが試合前に初戦の失敗をビデオで何度も選手たちに見せて奮起を促し、レイカーズが勝利。ロサンゼルスに移った第3戦はレイカーズが大差で勝ち、第4戦はセルティックスが辛勝。5戦目はレイカーズが勝利をものにし、3勝2敗でボストンに試合の場を移すことになった。 6戦目のセルティックスは終盤に差を詰められず、ジョンソンとアブドゥル=ジャバーの活躍もあってレイカーズが勝ちを収めた。レイカーズが歴史上初めてセルティックスに勝って優勝したばかりでなく、セルティックスがホームで優勝を奪われたのもNBA史上初めてのことだった。 レイカーズはこの翌シーズンもリーグ2位の62勝20敗という成績だった。プレーオフのウェスタンカンファレンス決勝まで勝ち上がったレイカーズは、ヒューストン・ロケッツを相手に1勝4敗の番狂わせを演じられてファイナル出場を逃した。アキーム・オラジュワンとラルフ・サンプソンという「ツインタワー」の高さにやられたこともあるが、長年アブドゥル=ジャバーを中心としてきたオフェンスが相手チームから研究し尽くされ、予測され限界を露呈してきていたことが敗戦の原因だった。 続く1986-87シーズンはレイカーズとジョンソンにとって転機となった。レイカーズのライリー監督は、アブドゥル=ジャバーに代わりジョンソンがチームリーダーの役割を果たすよう求めた。前シーズンまでと変わり、ジョンソンがチームトップの得点を上げるようになった。 このシーズンは、ジョンソンがアブドゥル=ジャバーに学び、彼が得意としたフックシュートを習得した時期でもあった。アブドゥル=ジャバーの放つフックシュートは打点が高いことで有名だったが、ジョンソンが会得したものはより動きの小さいベビーフックと呼ばれるシュートだった。 1986-87シーズン、レイカーズはセルティックスを上回る65勝17敗を上げ、リーグ1位となった。5年間で4度目のアシスト王になったジョンソンは、プロ入り以来初めてレギュラーシーズンのMVPに選ばれた。 プレーオフでは、レイカーズは11勝1敗の強さで再びNBAファイナルに進出した。イースタンカンファレンスでは、またもセルティックスがファイナルまで勝ち上がった。レイカーズはホームでの最初の2戦に勝利。ボストンに舞台を移した第3戦では、セルティックスが勝ちを上げた。 第4戦は競った展開になった。試合時間残り2秒でジョンソンはベビーフックを放ち、レイカーズが逆転した。最後にバードがシュートを放ったがリングに弾かれ、レイカーズは3勝1敗と優勝に王手をかけた。このシュートはジョンソンの生涯最高のシュートとして挙げられることが多い。残りの2戦を1勝1敗で終え、レイカーズは1980年代で4度目の優勝を果たした。ジョンソンはファイナルのMVPに選ばれた。 前年にセルティックスを倒して優勝した後、祝賀会で監督のライリーが来年も絶対に優勝すると前代未聞の連覇宣言をおこなった。そのプレッシャーがかかるなか、1987-88シーズンのレイカーズは、リーグ最高の62勝20敗の成績を残した。しかしプレーオフでは苦戦続きで2回戦のユタ・ジャズ、3回戦のダラス・マーベリックス共に最終戦までもつれる激戦となり、やっとのことでNBAファイナルに進出した。一方東地区で台頭したデトロイト・ピストンズがプレーオフではセルティックスを破り、NBAファイナルでレイカーズと対戦することとなった。ファイナルでもピストンズは奮戦し、ジョンソンがインフルエンザで倒れたりしたこともありレイカーズを第7戦まで追い込む。しかし体調不良を押して出場したジョンソンの活躍やピストンズのエース、アイザイア・トーマスが足を捻挫したこともあってピストンズは一歩及ばず、レイカーズは1980年代で5度目、前シーズンから2年連続の優勝を手にした。 翌1988-89シーズンをレイカーズは57勝25敗で終え、試合平均22.5得点、12.8アシスト、7.9リバウンドとオールラウンドに活躍したジョンソンはMVPに選ばれた。プレーオフでも西地区は全勝で通過する。しかしNBAファイナルではジョンソンはふくらはぎを負傷して欠場を余儀なくされ、レイカーズはデトロイト・ピストンズと戦ったファイナルを0勝4敗で落とした。 続く1989-90シーズンのレイカーズは63勝19敗でリーグ首位、前シーズン同様の成績を残したジョンソンは再びMVPを獲得した。レギュラーシーズンのMVP受賞回数において、ジョンソンはラリー・バードに並ぶ3回に達した。しかしプレーオフではこの年もサンズに敗れ、ファイナル進出はならなかった。 この時期になるとレイカーズの主要メンバーは年齢が高くなり、走る攻撃よりも一層堅実な戦術を重視するようになっていた。アブドゥル=ジャバーは1989年に引退しており、ライリー監督は1990年にチームを去った。 次の1990-91シーズン、レイカーズはポートランド・トレイルブレイザーズ、シカゴ・ブルズに次いで58勝24敗でリーグ3位の成績。プレーオフではブレイザーズを下し、ジョンソンのデビュー以来9度目のNBAファイナル進出を果たした。しかしファイナルではシカゴ・ブルズに1勝4敗で敗れ、ジョンソンはリーグを牽引する役割をマイケル・ジョーダンに譲ることになった。 翌シーズン開幕直後、生命保険の健康診断を受けたジョンソンはHIVウイルスの感染が判明し、突如引退を発表する(後述)。しかし、オールスターゲームのファン投票では、そのシーズン1試合も出場していないにもかかわらず最多得票を獲得し出場。試合終盤にはアイザイア・トーマスとジョーダンに1on1の真っ向勝負を挑まれ、会場は大興奮、大歓声に包まれた。さらにスタッツでは得点とアシストで両チーム最多を記録するなど大活躍でMVPを獲得している。HIVの感染発覚後、しばらくは運動や練習も控える生活をしていたが、その後の健康状態は非常に良好で、プレーをしても生命に支障がないことがわかってからはオリンピックのドリームチームで活躍し、金メダルを獲得した。そしてNBAにも復帰を果たそうとしたが、当時のNBA選手たちはHIVやエイズに対して無知であり、『ジョンソンとの接触プレーで感染するのではないか?』という非難を受けることになり、復帰を断念せざるを得なくなった。これ以降のジョンソン自身によるHIVについての数多くの啓蒙活動などにより、選手や関係者の理解も深まり、1995-96シーズン中盤についにNBAに復帰し、レイカーズの選手としてプレーすることになった。HIVへの感染を表明した人間がプロスポーツでプレーできるのは史上初のことであった。5年あまりのブランクもあり、出場時間も短めで控え選手としての起用が多かったが、しっかりとした成績は残していた。しかし、ジョンソンを悩ませたのはむしろチーム内のジェネレーション・ギャップと人間関係だった。ジョンソンの復帰で出番が減ったプレーヤーが試合放棄をしたり、勝利に対しての意識も以前の選手たちとは全く異なっていた。結局、レイカーズは同シーズンのプレーオフ進出は果たすも、1回戦でヒューストン・ロケッツに敗退。この敗戦後、このチームでの自らの限界を悟ったジョンソンは今度こそ最後だと引退を発表する。翌シーズンにシャキール・オニールのレイカーズ移籍加入が決まった時にはジョンソンが「復帰してみたい」と語ったとされるが、その後一時の気の迷いだったと釈明し、復帰はしなかった。 1991-92シーズン開幕直前の1991年10月に、ジョンソンは生命保険の健康診断を受けた。その診断の結果、ジョンソンがHIVに感染していることが判明した。さらなる精密検査を受けたが結果は同様だった。同時に検査を受けたジョンソンの妻は感染していなかった。プロスポーツのスター選手がHIV感染者となるのは初めての事例であり、医師の勧めにより、ジョンソンは現役引退を決断。 11月7日、ジョンソンは記者会見を開き自らのHIV感染とバスケットボールからの引退を発表した。発表会見の現場には、NBAのコミッショナーデビッド・スターンやレイカーズの選手・元選手、ゼネラルマネージャーのジェリー・ウェストやオーナーのジェリー・バスなども同席した。 この記者会見は全米で放映されたのみならず、CNNなどを通じて全世界がジョンソンのHIV感染と引退をほぼ同時に知ることとなった。当時はまだエイズに関する大衆の意識が低かったこともあり、ジョンソンのような著名人のHIV感染の公表は世界に衝撃を与え、エイズに関する関心を高めることになった。 その後ジョンソンは、ブッシュ大統領の招請によりエイズ問題を扱う委員会への参加や、機会があるごとにエイズに関する啓蒙活動に務めていくこととなった。 ジョンソンは多数の女性と肉体関係を持ったことを認めた。また心当たりのある女性には自分がHIVに感染している事実を伝えたが、感染源が誰なのかは特定できないと述べた。またジョンソンが同性愛者なのではないかという疑いを完全に否定した。 引退し、NBAの1991-92シーズンの試合には一切出場がなかったが、オールスター戦のファン投票のマークシート用紙にはジョンソンの名前が記載され、ジョンソンは全選手中で最多の票数を得る。西軍の先発として出場することとなったジョンソンは、25得点、9アシスト。東軍のマイケル・ジョーダンやアイザイア・トーマスと1対1で対戦する。試合は西軍が勝利し、ジョンソンはMVPとなる。 1992年バルセロナオリンピックにてアメリカ代表に参加。オリンピックのバスケットボールアメリカ代表決定を行うUSAバスケットボールは、まずジョンソンに参加の話を持ちかけ、了承したジョンソンが怪我をしていたラリー・バードを説得。その後マイケル・ジョーダンら当時最高のメンバーが選出されることとなり、ドリームチーム結成となった。ドリームチームは金メダルを獲得する。 引退後の1992年から1994年にはスポーツニュース番組『NBC Sports』のコメンテーターに就任。1993-1994シーズンは短期間レイカーズの監督を務めるが、5勝11敗の成績に終わる。1994年以降はレイカーズの副社長に就任している。 1995-96シーズンに現役復帰、シーズン終盤の32試合でパワーフォワードとしてプレーした。1試合あたり14.6得点、6.9リバウンド、5.7アシストを記録した。 1990年代には、引退した選手などを集めて「マジック・ジョンソン・オールスターズ」を結成、世界中を巡業して各地のチームと試合をした。 2005年、往年の名選手カリーム・アブドゥル=ジャバーや現役NBA選手であるカーメロ・アンソニー、アマーレ・スタウダマイアーらを迎えて、バスケットボールの基礎を伝授する教則DVD「MAGIC JOHNSON presents. MAGIC FUNDAMENTALS – Comprehensive」に出演。2007/10/26、同DVD日本語字幕版(邦題:マジック・ジョンソン・プレゼンツ:「マジック・ファンダメンタルズ Vol.1」基礎編)を発売した。 2018年夏にレイカーズの社長に就任。レブロン・ジェームズなどを獲得し、王朝復活を目指すも、2018-19シーズンは37勝45敗で終了。6年連続プレーオフ不出場に終わり、2019年4月に辞任。尚、レイカーズは翌シーズンに10年ぶりの優勝を果たしている。 2019年NBAアウォーズにて、ラリー・バードとともに生涯功労賞を受賞した。 マジック・ジョンソンに関しては、パスの技術についての評価が高い。彼のパスは多彩であり、誰もが予想しないパスをしばしば見せた。全く見ていない方向に繰り出す、いわゆる「ノールックパス」を得意とした。更にノールックパスをする選手の中でも、パスの前に2度3度とフェイクを入れたり、レッグスルーやハンドリングなどの複雑な動きを絡めたりするノールックパスは彼独自のものである。特にパスの前のフェイクの巧さ、複雑さは凄まじく、めまいを誘うような連続シュートフェイク、パスフェイクに相手選手はわけが分からなくなりその場に棒立ちになってしまうことが多く、また相手選手のみならずカメラマンまで引っかかってしまい、まだボールを持っているマジックを画面から消してしまうこともあった。 スポーツジャーナリストやNBAアナリストとして有名なスティーブン・A・スミスは自身がコメンテーターを務める『ESPN』の番組『First Take』で「マジック・ジョンソンはサイズがあって力強く、怪我の耐性もあり、そしてパスに関してはバスケットボールの歴史上彼に並ぶものはいなかった。典型的なポイントガードのイメージ、またポイントガードはどうあるべきかという面において、マジック・ジョンソンは別格だ」と評した。 生涯通算アシスト数は10,141で、レイカーズ歴代1位、NBAでも歴代7位。プレーオフの通算アシスト記録2,346を保持。1983年、1984年、1986年、1987年と4度リーグのアシスト王。1試合当たりの生涯平均アシスト数は11.2で歴代1位。歴代最長の46試合連続2桁アシスト等、アシストに関する多数の記録を持つ。ジョン・ストックトンやジェイソン・キッドなどパスの名手と比較しての彼の特徴は、先述のノールックパスを生かしたファストブレイクでのパスの裁き方で、早い展開でのとっさの視野の広いプレーをした。 ジョンソンのように206cmの高身長ながらポイントガードを務める選手は、当時珍しかっただけでなくNBAの歴史上でも稀である。それほどの長身にもかかわらずポイントガードでプレーし続けることができたのは高校・大学のコーチの理解によるところや、NBA入りしてからも218cmのセンター・カリーム・アブドゥル=ジャバーがチームメイトにいたことなど、環境に恵まれたこともあるが、ジョンソン自身がガードの中においても高い身体能力とボールハンドリングを備えていた事が大きい。 マジック・ジョンソン以降、彼にあこがれて長身でもポイント・ガードでプレーすることを希望する選手が増えたが、チームに他に長身でリバウンドやポストプレーをこなせる選手がいないとセンターやフォワードへの転向を余儀なくされてしまう例が多い。オーランド・マジックに1993年にドラフトされたアンファニー・ハーダウェイは201cmのポイント・ガードだったが、その後得点力を生かすためにシューティング・ガードに転向させられている。ミネソタ・ティンバーウルブズに1995年にドラフトされた高卒選手、ケビン・ガーネットは「史上初の7フィート(213cm)のポイント・ガードになりたい」と語っていたことがあるが、チーム事情もありスモール・フォワードから後にはパワー・フォワードでプレーしている。実際の身長は213cm以上あるらしいが、211cmと公表しているのは本人の抵抗の現れと見る向きもある。一方、フォワードということになっているラリー・バード(206cm)や元シカゴ・ブルズのスコッティ・ピッペン(201cm)はボールさばきやアシストパスも非常に巧みで、実質的にはチームのポイント・ガードをこなしていた例もある。 ジョンソンはパス・アシストに才能を持っていたのみならず、オールラウンドな選手であった。1試合で得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックショットのうち3つの部門で2桁を上げるトリプル・ダブルを生涯で138回記録しており、NBA歴代3位である。歴代2位は1960年代を中心に活躍したオスカー・ロバートソンで、181回である。ジョンソンがNBA入りしてからトリプル・ダブルの成績を上げることが多いため、記録として認定されるようになった。ジョンソンは長らくNBAで最多のトリプル・ダブル達成者と言われてきたが、最近やっとロバートソンの時代の記録が詳しく調べられるようになり、ジョンソンよりもかなり多い達成回数であることが判明した。他にウィルト・チェンバレンもかなり多くの達成回数があると見られているが、記録が詳しくわかっていない試合も多い。 キャリア末期にはフリースローを非常に高い成功率で打っており、1988-89シーズンは成功率91.1%でリーグ首位を記録した。ラリー・バードも何度かこの部門でリーグ首位に立っており、翌1989-90シーズンには再びバードがフリースロー成功率でリーグ1位になった。 「史上最高のポイントガード」を決めるランキングでは2位以下はランキングを決める媒体によってオスカー・ロバートソン、アイザイア・トーマス、ジョン・ストックトン、最近ではステフィン・カリー等の順位が入れ替わることがあるがマジック・ジョンソンはありとあらゆるランキングで必ず1位に選ばれていることから分かるように、彼の残したプレーや実績、NBAへの貢献度や偉大さは極めて絶大なものである。 1987年、1989年、1990年にレギュラーシーズンのMVPを受賞。1983年から1991年まで9年連続でオールNBAファーストチームに選出。オールスター戦には1980年から1992年まで13年連続で選出。このうち1990年と1992年はMVPを受賞。プレーオフでは、1980年、1982年、1987年にファイナルMVP受賞。 1996年には、「NBA50年の偉大な50人の選手」の一人に選ばれた。2002年にはバスケットボール殿堂入りを果たした。 ESPNが発表した「歴代最高のポイントガードTOP10」では1位である。 練習の必要性を熟知している一人でもあり、「どんなプレイヤーでもベストを尽くして練習しなくては、最高のプレイをすることができない。」と語っている。 1993年に Johnson Development Corporation (JDC) を設立、同社のCEOに就任。1994年以降、同社は全米5か所にシネマコンプレックス Magic Johnson Theater を展開。1998年、JDC はコーヒーショップ経営のスターバックスと共同出資で Urban Coffee Opportunities (UCO) を設立。UCOは全米70か所以上にスターバックスの店舗を展開している。 JDC は2001年以降、Canyon-Johnson Realty Advisors と共同で Canyon Johnson Urban Fund を経営、全米の主要都市で不動産業・土地開発業を営んでいる。また Washington Mutual と共同で全米の主要都市で住宅ローンの事業に携わっている。 このほか、ジョンソンは1998年に The Magic Hour という番組のホストを務めている。また1991年にマイケル・ジャクソンが発表したアルバム「デンジャラス」のセカンドシングル「リメンバー・ザ・タイム」で、エジプトが舞台となって撮影されたビデオクリップに、エディ・マーフィと共に出演している。 2010年、ロサンゼルスへNFLチームを誘致することに強い関心を持っていることを明かし、NFLチームのオーナーになる障害となるロサンゼルス・レイカーズの株を売却していたことが明らかになった。 2012年、ロサンゼルス・ドジャース買収の投資グループに参加し、共同オーナーの一人となる。 民主党支持者である。2006年には、カリフォルニア州の知事選に出馬したフィル・アンジェリデスを支持し、アーノルド・シュワルツェネッガー知事に対して不満を表明。「知事としてではなく、俳優としての彼が好きだ。」とコメントした。 アメリカ合衆国: 大統領自由勲章- (2025年) ^ “Daily Dime: Special Edition – The 10 Greatest Point Guards Ever”. www.sports.espn.go.com, May 11, 2006. September 13, 2007閲覧。 ^ Bailey, Andy. “NBA All-Time Player Rankings: Top 10 Point Guards”. Bleacher Report. August 10, 2020閲覧。 ^ “The 50 Most Compelling Comebacks In Sports History”. bleacherreport.com. 2010年4月26日閲覧。 ^ “レイカーズのマジック・ジョンソン社長が電撃辞任”. AFP通信 (2019年4月10日). 2021年12月24日閲覧。 ^ “マジック・ジョンソンとラリー・バードが2019 NBAアウォーズで生涯功労賞を受賞へ”. www.sportingnews.com. 2019年7月8日閲覧。 ^ “The NBA at 50”. www.nba.com. Turner Sports Interactive, Inc. May 15, 2008閲覧。 ^ 中山恵『スーパスターに学ぶバスケットボール』株式会社ナツメ社、2003年、206ページ、ISBN 4-8163-3437-8 ^ “元NBAスターのジョンソン氏、NFLオーナー業に関心”. NFL JAPAN (2010年10月25日). 2010年10月27日閲覧。 ^ “Magic Johnson Statistics”. www.basketball-reference.com. September 13, 2007閲覧。 選手の通算成績と情報 NBA、Basketball-Reference、Eurobasket、RealGM HC通算成績と情報 Basketball-Reference、RealGM Magic Johnson profile, NBA Encyclopedia, Playoff Edition "Coach Magic Johnson." A Los Angeles Times photo gallery of Magic Johnson's stint as head coach of the Lakers. Magic Johnson Hall of Fame speech - YouTube Magic Johnson NBA Highlights - YouTube マジック・ジョンソン - バスケットボール殿堂 表 話 編 歴 1947 クリフトン・マクニーリィ 1948 アンディ・トンコヴィッチ 1949 ハウィ・シャノン 1950 チャック・シェア 1951 ジーン・メルショーレ 1952 マーク・ワークマン 1953 レイ・フェリックス 1954 フランク・セルヴィ 1955 ディック・リケッツ 1956 シヒューゴ・グリーン 1957 ホット・ロッド・ハンドリー 1958 エルジン・ベイラー 1959 ボブ・ブーザー 1960 オスカー・ロバートソン 1961 ウォルト・ベラミー 1962 ビル・マクギル 1963 アート・ヘイマン 1964 ジム・バーンズ 1965 フレッド・ヘッツェル 1966 カジー・ラッセル 1967 ジミー・ウォーカー 1968 エルヴィン・ヘイズ 1969 ルー・アルシンダー 1970 ボブ・レイニア 1971 オースティン・カー 1972 ラルー・マーティン 1973 ダグ・コリンズ 1974 ビル・ウォルトン 1975 デイヴィッド・トンプソン 1976 ジョン・ルーカス 1977 ケント・ベンソン 1978 マイカル・トンプソン 1979 マジック・ジョンソン 1980 ジョー・バリー・キャロル 1981 マーク・アグワイア 1982 ジェームズ・ウォージー 1983 ラルフ・サンプソン 1984 アキーム・オラジュワン 1985 パトリック・ユーイング 1986 ブラッド・ドアティ 1987 デビッド・ロビンソン 1988 ダニー・マニング 1989 パービス・エリソン 1990 デリック・コールマン 1991 ラリー・ジョンソン 1992 シャキール・オニール 1993 クリス・ウェバー 1994 グレン・ロビンソン 1995 ジョー・スミス 1996 アレン・アイバーソン 1997 ティム・ダンカン 1998 マイケル・オロウォカンディ 1999 エルトン・ブランド 2000 ケニオン・マーティン 2001 クワミ・ブラウン 2002 姚明 2003 レブロン・ジェームズ 2004 ドワイト・ハワード 2005 アンドリュー・ボーガット 2006 アンドレア・バルニャーニ 2007 グレッグ・オデン 2008 デリック・ローズ 2009 ブレイク・グリフィン 2010 ジョン・ウォール 2011 カイリー・アービング 2012 アンソニー・デイビス 2013 アンソニー・ベネット 2014 アンドリュー・ウィギンス 2015 カール=アンソニー・タウンズ 2016 ベン・シモンズ 2017 マーケル・フルツ 2018 ディアンドレ・エイトン 2019 ザイオン・ウィリアムソン 2020 アンソニー・エドワーズ 2021 ケイド・カニングハム 2022 パオロ・バンケロ 2023 ビクター・ウェンバンヤマ 2024 ザカリー・リサシェ 表 話 編 歴 1955-56 ボブ・ペティット(ATL) 1956-57 ボブ・クージー(BOS) 1957-58 ビル・ラッセル(BOS) 1958-59 ボブ・ペティット②(ATL) 1959-60 ウィルト・チェンバレン(PHI) 1960-61 ビル・ラッセル②(BOS) 1961-62 ビル・ラッセル③(BOS) 1962-63 ビル・ラッセル④(BOS) 1963-64 オスカー・ロバートソン(SAC) 1964-65 ビル・ラッセル⑤(BOS) 1965-66 ウィルト・チェンバレン②(PHI) 1966-67 ウィルト・チェンバレン③(PHI) 1967-68 ウィルト・チェンバレン④(PHI) 1968-69 ウェス・アンセルド(WAS) 1969-70 ウィリス・リード(NYK) 1970-71 ルー・アルシンダー(MIL) 1971-72 カリーム・アブドゥル=ジャバー②(MIL) 1972-73 デイブ・コーウェンス(BOS) 1973-74 カリーム・アブドゥル=ジャバー③(MIL) 1974-75 ボブ・マカドゥー(LAC) 1975-76 カリーム・アブドゥル=ジャバー④(MIL) 1976-77 カリーム・アブドゥル=ジャバー⑤(MIL) 1977-78 ビル・ウォルトン(POR) 1978-79 モーゼス・マローン(HOU) 1979-80 カリーム・アブドゥル=ジャバー⑥(MIL) 1980-81 ジュリアス・アービング(PHI) 1981-82 モーゼス・マローン②(HOU) 1982-83 モーゼス・マローン③(HOU) 1983-84 ラリー・バード(BOS) 1984-85 ラリー・バード②(BOS) 1985-86 ラリー・バード③(BOS) 1986-87 マジック・ジョンソン(LAL) 1987-88 マイケル・ジョーダン(CHI) 1988-89 マジック・ジョンソン②(LAL) 1989-90 マジック・ジョンソン③(LAL) 1990-91 マイケル・ジョーダン②(CHI) 1991-92 マイケル・ジョーダン③(CHI) 1992-93 チャールズ・バークレー(PHO) 1993-94 アキーム・オラジュワン(HOU) 1994-95 デビッド・ロビンソン(SAS) 1995-96 マイケル・ジョーダン④(CHI) 1996-97 カール・マローン(UTA) 1997-98 マイケル・ジョーダン⑤(CHI) 1998-99 カール・マローン②(UTA) 1999-00 シャキール・オニール(LAL) 2000-01 アレン・アイバーソン(PHI) 2001-02 ティム・ダンカン(SAS) 2002-03 ティム・ダンカン②(SAS) 2003-04 ケビン・ガーネット(MIN) 2004-05 スティーブ・ナッシュ(PHO) 2005-06 スティーブ・ナッシュ②(PHO) 2006-07 ダーク・ノヴィツキー(DAL) 2007-08 コービー・ブライアント(LAL) 2008-09 レブロン・ジェームズ(CLE) 2009-10 レブロン・ジェームズ②(CLE) 2010-11 デリック・ローズ(CHI) 2011-12 レブロン・ジェームズ③(MIA) 2012-13 レブロン・ジェームズ④(MIA) 2013-14 ケビン・デュラント(OKC) 2014-15 ステフィン・カリー(GSW) 2015-16 ステフィン・カリー②(GSW) 2016-17 ラッセル・ウェストブルック(OKC) 2017-18 ジェームズ・ハーデン(HOU) 2018-19 ヤニス・アデトクンボ(MIL) 2019-20 ヤニス・アデトクンボ②(MIL) 2020-21 ニコラ・ヨキッチ(DEN) 2021-22 ニコラ・ヨキッチ②(DEN) 2022-23 ジョエル・エンビード(PHI) 表 話 編 歴 1969 ジェリー・ウェスト(LAL) 1970 ウィリス・リード(NYK) 1971 ルー・アルシンダー(MIL) 1972 ウィルト・チェンバレン(LAL②) 1973 ウィリス・リード②(NYK②) 1974 ジョン・ハブリチェック(BOS) 1975 リック・バリー(GSW) 1976 ジョ・ジョ・ホワイト(BOS②) 1977 ビル・ウォルトン(POR) 1978 ウェス・アンセルド(WAS) 1979 デニス・ジョンソン(SEA) 1980 マジック・ジョンソン(LAL③) 1981 セドリック・マックスウェル(BOS③) 1982 マジック・ジョンソン②(LAL④) 1983 モーゼス・マローン(PHI) 1984 ラリー・バード(BOS④) 1985 カリーム・アブドゥル=ジャバー②(LAL⑤) 1986 ラリー・バード②(BOS⑤) 1987 マジック・ジョンソン③(LAL⑥) 1988 ジェームズ・ウォージー(LAL⑦) 1989 ジョー・デュマース(DET) 1990 アイザイア・トーマス(DET②) 1991 マイケル・ジョーダン(CHI) 1992 マイケル・ジョーダン②(CHI②) 1993 マイケル・ジョーダン③(CHI③) 1994 アキーム・オラジュワン(HOU) 1995 アキーム・オラジュワン②(HOU②) 1996 マイケル・ジョーダン④(CHI④) 1997 マイケル・ジョーダン⑤(CHI⑤) 1998 マイケル・ジョーダン⑥(CHI⑥) 1999ティム・ダンカン(SAS) 2000 シャキール・オニール(LAL⑧) 2001 シャキール・オニール②(LAL⑨) 2002 シャキール・オニール③(LAL⑩) 2003 ティム・ダンカン②(SAS②) 2004 チャウンシー・ビラップス(DET③) 2005 ティム・ダンカン③(SAS③) 2006 ドウェイン・ウェイド(MIA) 2007 トニー・パーカー(SAS④) 2008 ポール・ピアース(BOS⑥) 2009 コービー・ブライアント(LAL⑪) 2010 コービー・ブライアント②(LAL⑫) 2011 ダーク・ノヴィツキー(DAL) 2012 レブロン・ジェームズ(MIA②) 2013 レブロン・ジェームズ②(MIA③) 2014 カワイ・レナード(SAS⑤) 2015 アンドレ・イグダーラ(GSW②) 2016 レブロン・ジェームズ③(CLE) 2017 ケビン・デュラント(GSW③) 2018 ケビン・デュラント②(GSW④) 2019 カワイ・レナード②(TOR) 2020 レブロン・ジェームズ④(LAL⑬) 2021 ヤニス・アデトクンボ(MIL②) 2022 ステフィン・カリー(GSW⑤) 2023 ニコラ・ヨキッチ(DEN) 2024 ジェイレン・ブラウン(BOS) 表 話 編 歴 1951 エド・マコーレー 1952 ポール・アリジン 1953 ジョージ・マイカン 1954 ボブ・クージー 1955 ビル・シャーマン 1956 ボブ・ペティット 1957 ボブ・クージー② 1958 ボブ・ペティット② 1959 ボブ・ペティット③&エルジン・ベイラー 1960 ウィルト・チェンバレン 1961 オスカー・ロバートソン 1962 ボブ・ペティット④ 1963 ビル・ラッセル 1964 オスカー・ロバートソン② 1965 ジェリー・ルーカス 1966 エイドリアン・スミス 1967 リック・バリー 1968 ハル・グリア 1969 オスカー・ロバートソン③ 1970 ウィリス・リード 1971 レニー・ウィルケンズ 1972 ジェリー・ウェスト 1973 デイブ・コーウェンス 1974 ボブ・レイニア 1975 ウォルト・フレイジャー 1976 デイブ・ビン 1977 ジュリアス・アービング 1978 ランディ・スミス 1979 デイヴィッド・トンプソン 1980 ジョージ・ガービン 1981 ネイト・アーチボルド 1982 ラリー・バード 1983 ジュリアス・アービング② 1984 アイザイア・トーマス 1985 ラルフ・サンプソン 1986 アイザイア・トーマス② 1987 トム・チェンバース 1988 マイケル・ジョーダン 1989 カール・マローン 1990 マジック・ジョンソン 1991 チャールズ・バークレー 1992 マジック・ジョンソン② 1993 カール・マローン②&ジョン・ストックトン 1994 スコッティ・ピッペン 1995 ミッチ・リッチモンド 1996 マイケル・ジョーダン② 1997 グレン・ライス 1998 マイケル・ジョーダン③ 1999 中止 2000 シャキール・オニール&ティム・ダンカン 2001 アレン・アイバーソン 2002 コービー・ブライアント 2003 ケビン・ガーネット 2004 シャキール・オニール② 2005 アレン・アイバーソン② 2006 レブロン・ジェームズ 2007 コービー・ブライアント② 2008 レブロン・ジェームズ② 2009 コービー・ブライアント③&シャキール・オニール③ 2010 ドウェイン・ウェイド 2011 コービー・ブライアント④ 2012 ケビン・デュラント 2013 クリス・ポール 2014 カイリー・アービング 2015 ラッセル・ウェストブルック 2016 ラッセル・ウェストブルック② 2017 アンソニー・デイビス 2018 レブロン・ジェームズ③ 2019 ケビン・デュラント② 2020 カワイ・レナード 2021 ヤニス・アデトクンボ 2022 ステフィン・カリー 2023 ジェイソン・テイタム 表 話 編 歴 1946-47 アーニー・カルバリー 1947-48 ハウイー・ダルマー 1948-49 ボブ・デイヴィス 1949-50 ディック・マグワイア 1950-51 アンディ・フィリップ 1951-52 アンディ・フィリップ② 1952-53 ボブ・クージー 1953-54 ボブ・クージー② 1954-55 ボブ・クージー③ 1955-56 ボブ・クージー④ 1956-57 ボブ・クージー⑤ 1957-58 ボブ・クージー⑥ 1958-59 ボブ・クージー⑦ 1959-60 ボブ・クージー⑧ 1960-61 オスカー・ロバートソン 1961-62 オスカー・ロバートソン② 1962-63 ガイ・ロジャース 1963-64 オスカー・ロバートソン③ 1964-65 オスカー・ロバートソン④ 1965-66 オスカー・ロバートソン⑤ 1966-67 ガイ・ロジャース② 1967-68 ウィルト・チェンバレン 1968-69 オスカー・ロバートソン⑥ 1969-70 レニー・ウィルケンズ 1970-71 ノーム・ヴァン・ライアー 1971-72 ジェリー・ウェスト 1972-73 ネイト・アーチボルド 1973-74 アーニー・ディグレゴリオ 1974-75 ケヴィン・ポーター 1975-76 スリック・ワッツ 1976-77 ドン・ブージー 1977-78 ケヴィン・ポーター② 1978-79 ケヴィン・ポーター③ 1979-80 マイケル・レイ・リチャードソン 1980-81 ケヴィン・ポーター④ 1981-82 ジョニー・ムーア 1982-83 マジック・ジョンソン 1983-84 マジック・ジョンソン② 1984-85 アイザイア・トーマス 1985-86 マジック・ジョンソン③ 1986-87 マジック・ジョンソン④ 1987-88 ジョン・ストックトン 1988-89 ジョン・ストックトン② 1989-90 ジョン・ストックトン③ 1990-91 ジョン・ストックトン④ 1991-92 ジョン・ストックトン⑤ 1992-93 ジョン・ストックトン⑥ 1993-94 ジョン・ストックトン⑦ 1994-95 ジョン・ストックトン⑧ 1995-96 ジョン・ストックトン⑨ 1996-97 マーク・ジャクソン 1997-98 ロッド・ストリックランド 1998-99 ジェイソン・キッド 1999-00 ジェイソン・キッド② 2000-01 ジェイソン・キッド③ 2001-02 アンドレ・ミラー 2002-03 ジェイソン・キッド④ 2003-04 ジェイソン・キッド⑤ 2004-05 スティーブ・ナッシュ 2005-06 スティーブ・ナッシュ② 2006-07 スティーブ・ナッシュ③ 2007-08 クリス・ポール 2008-09 クリス・ポール② 2009-10 スティーブ・ナッシュ④ 2010-11 スティーブ・ナッシュ⑤ 2011-12 ラジョン・ロンド 2012-13 ラジョン・ロンド② 2013-14 クリス・ポール③ 2014-15 クリス・ポール④ 2015-16 ラジョン・ロンド③ 2016-17 ジェームズ・ハーデン 2017-18 ラッセル・ウェストブルック 2018-19 ラッセル・ウェストブルック② 2019-20 レブロン・ジェームズ 2020-21 ラッセル・ウェストブルック③ 2021-22 クリス・ポール⑤ 2022-23 ジェームズ・ハーデン② 2023-24 タイリース・ハリバートン ①ジョン・ストックトン:15,806 ②ジェイソン・キッド:12,091 ③クリス・ポール:11,501 ④レブロン・ジェームズ:10,420 ⑤スティーブ・ナッシュ:10,335 ⑥マーク・ジャクソン:10,334 ⑦マジック・ジョンソン:10,141 ⑧オスカー・ロバートソン:9,887 ⑨ラッセル・ウェストブルック:9,162 ⑩アイザイア・トーマス:9,061 ①マジック・ジョンソン:2,346 ②レブロン・ジェームズ:2,023 ③ジョン・ストックトン:1,839 ④ジェイソン・キッド:1,263 ⑤クリス・ポール:1,233 ⑥トニー・パーカー:1,143 ⑦ラジョン・ロンド:1,136 ⑧ラリー・バード:1,062 ⑨スティーブ・ナッシュ:1,061 ⑩スコッティ・ピッペン:1,048 表 話 編 歴 1973-74 ラリー・スティール 1974-75 リック・バリー 1975-76 スリック・ワッツ 1976-77 ドン・ブージー 1977-78 ロン・リー 1978-79 M・L・カー 1979-80 マイケル・レイ・リチャードソン 1980-81 マジック・ジョンソン 1981-82 マジック・ジョンソン② 1982-83 マイケル・レイ・リチャードソン② 1983-84 リッキー・グリーン 1984-85 マイケル・レイ・リチャードソン③ 1985-86 アルヴィン・ロバートソン 1986-87 アルヴィン・ロバートソン② 1987-88 マイケル・ジョーダン 1988-89 ジョン・ストックトン 1989-90 マイケル・ジョーダン② 1990-91 アルヴィン・ロバートソン③ 1991-92 ジョン・ストックトン② 1992-93 マイケル・ジョーダン③ 1993-94 ネイト・マクミラン 1994-95 スコッティ・ピッペン 1995-96 ゲイリー・ペイトン 1996-97 ムーキー・ブレイロック 1997-98 ムーキー・ブレイロック② 1998-99 ケンドール・ギル 1999-00 エディー・ジョーンズ 2000-01 アレン・アイバーソン 2001-02 アレン・アイバーソン② 2002-03 アレン・アイバーソン③ 2003-04 バロン・デイビス 2004-05 ラリー・ヒューズ 2005-06 ジェラルド・ウォレス 2006-07 バロン・デイビス② 2007-08 クリス・ポール 2008-09 クリス・ポール② 2009-10 ラジョン・ロンド 2010-11 クリス・ポール③ 2011-12 クリス・ポール④ 2012-13 クリス・ポール⑤ 2013-14 クリス・ポール⑥ 2014-15 カワイ・レナード 2015-16 ステフィン・カリー 2016-17 ドレイモンド・グリーン 2017-18 ビクター・オラディポ 2018-19 ポール・ジョージ 2019-20 ベン・シモンズ 2020-21 ジミー・バトラー 2021-22 デジャンテ・マレー 2022-23 OG・アヌノビー 2023-24 ディアロン・フォックス ①ジョン・ストックトン:3,265 ②ジェイソン・キッド:2,684 ③クリス・ポール:2,544 ④マイケル・ジョーダン:2,514 ⑤ゲイリー・ペイトン:2,445 ⑥モーリス・チークス:2,310 ⑦スコッティ・ピッペン:2,307 ⑧クライド・ドレクスラー:2,207 ⑨レブロン・ジェームズ:2,186 ⑩アキーム・オラジュワン:2,162 ①レブロン・ジェームズ:471 ②スコッティ・ピッペン:395 ③マイケル・ジョーダン:376 ④マジック・ジョンソン:358 ⑤ジョン・ストックトン:338 ⑥コービー・ブライアント:310 ⑦ジェイソン・キッド:302 ⑧ラリー・バード:296 ⑨モーリス・チークス:295 ⑩マヌ・ジノビリ:292 表 話 編 歴 1946-47 フレッド・スコラリ 1947-48 ボブ・フィーリック 1948-49 ボブ・フィーリック② 1949-50 マックス・ザスロフスキー 1950-51 ジョー・ファルクス 1951-52 ボビー・ヴァンツァー 1952-53 ビル・シャーマン 1953-54 ビル・シャーマン② 1954-55 ビル・シャーマン③ 1955-56 ビル・シャーマン④ 1956-57 ビル・シャーマン⑤ 1957-58 ドルフ・シェイズ 1958-59 ビル・シャーマン⑥ 1959-60 ドルフ・シェイズ② 1960-61 ビル・シャーマン⑦ 1961-62 ドルフ・シェイズ③ 1962-63 ラリー・コステロ 1963-64 オスカー・ロバートソン 1964-65 ラリー・コステロ② 1965-66 ラリー・ジークフリード 1966-67 エイドリアン・スミス 1967-68 オスカー・ロバートソン② 1968-69 ラリー・ジークフリード② 1969-70 フリン・ロビンソン 1970-71 チェット・ウォーカー 1971-72 ジャック・マリン 1972-73 リック・バリー 1973-74 アーニー・ディグレゴリオ 1974-75 リック・バリー② 1975-76 リック・バリー③ 1976-77 アーニー・ディグレゴリオ② 1977-78 リック・バリー④ 1978-79 リック・バリー⑤ 1979-80 リック・バリー⑥ 1980-81 カルヴィン・マーフィー 1981-82 カイル・メイシー 1982-83 カルヴィン・マーフィー② 1983-84 ラリー・バード 1984-85 カイル・メイシー② 1985-86 ラリー・バード② 1986-87 ラリー・バード③ 1987-88 ジャック・シクマ 1988-89 マジック・ジョンソン 1989-90 ラリー・バード④ 1990-91 レジー・ミラー 1991-92 マーク・プライス 1992-93 マーク・プライス② 1993-94 マクムード・アブドゥル=ラウーフ 1994-95 スパッド・ウェブ 1995-96 マクムード・アブドゥル=ラウーフ② 1996-97 マーク・プライス③ 1997-98 クリス・マリン 1998-99 レジー・ミラー② 1999-00 ジェフ・ホーナセック 2000-01 レジー・ミラー③ 2001-02 レジー・ミラー④ 2002-03 アラン・ヒューストン 2003-04 ペジャ・ストヤコヴィッチ 2004-05 レジー・ミラー⑤ 2005-06 スティーブ・ナッシュ 2006-07 カイル・コーバー 2007-08 ペジャ・ストヤコビッチ② 2008-09 ホセ・カルデロン 2009-10 スティーブ・ナッシュ 2010-11 ステフィン・カリー 2011-12 ジャマール・クロフォード 2012-13 ケビン・デュラント 2013-14 ブライアン・ロバーツ 2014-15 ステフィン・カリー② 2015-16 ステフィン・カリー③ 2016-17 C・J・マッカラム 2017-18 ステフィン・カリー④ 2018-19 マルコム・ブログドン 2019-20 ブラッド・ワナメイカー 2020-21 クリス・ポール 2021-22 ジョーダン・プール 2022-23 タイラー・ヒーロー 2023-24 シェイ・ギルジャス=アレクサンダー ①ステフィン・カリー:.9087 ②スティーブ・ナッシュ:.9043 ③マーク・プライス:.9039 ④リック・バリー:.8998 ⑤デイミアン・リラード:.8951 ⑥ペジャ・ストヤコビッチ:.8948 ⑦チャンシー・ビラップス:.8940 ⑧レイ・アレン:.8939 ⑨J・J・レディック:.8918 ⑩カルヴィン・マーフィー:.8916 ①ゴードン・ヘイワード:.9496 ②マーク・プライス:.9439 ③カルヴィン・マーフィー:.9322 ④ビル・シャーマン:.9113 ⑤キキ・ヴァンダウェイ:.9073 ⑥ハーシー・ホーキンズ:.9068 ⑦ダニーロ・ガリナリ:.9006 ⑧デビン・ブッカー:.9000 ⑧ジャマール・マレー:.9000 ⑧スティーブ・ナッシュ:.9000 ⑧ペジャ・ストヤコビッチ:.9000 表 話 編 歴 1974-75 ウェス・アンセルド(WAS) 1975-76 スリック・ワッツ(SEA) 1976-77 デイブ・ビン(WAS) 1977-78 ボブ・レイニア(DET) 1978-79 カルヴィン・マーフィー(HOU) 1979-80 オースティン・カー(CLE) 1980-81 マイク・グレン(NYK) 1981-82 ケント・ベンソン(DET) 1982-83 ジュリアス・アービング(PHI) 1983-84 フランク・レイデン(UTA) 1984-85 ダン・イッセル(DEN) 1985-86 マイケル・クーパー(LAL)&ロリー・スパロウ(NYK) 1986-87 アイザイア・トーマス(DET) 1987-88 アレックス・イングリッシュ(DEN) 1988-89 サール・ベイリー(UTA) 1989-90 ドック・リバース(ATL) 1990-91 ケビン・ジョンソン(PHO) 1991-92 マジック・ジョンソン(LAL) 1992-93 テリー・ポーター(POR) 1993-94 ジョー・デュマース(DET) 1994-95 ジョー・オトゥール(ATL) 1995-96 クリス・ダドリー(POR) 1996-97 P・J・ブラウン(MIA) 1997-98 スティーブ・スミス(ATL) 1998-99 ブライアン・グラント(POR) 1999-00 ブラデ・ディバッツ(SAC) 2000-01 ディケンベ・ムトンボ(PHI) 2001-02 アロンゾ・モーニング(MIA) 2002-03 デビッド・ロビンソン(SAS) 2003-04 レジー・ミラー(IND) 2004-05 エリック・スノウ(CLE) 2005-06 ケビン・ガーネット(MIN) 2006-07 スティーブ・ナッシュ(PHO) 2007-08 チャウンシー・ビラップス(DET) 2008-09 ディケンベ・ムトンボ②(HOU) 2009-10 サミュエル・ダレンバート(PHI) 2010-11 ロン・アーテスト(LAL) 2011-12 パウ・ガソル(LAL) 2012-13 ケネス・フェリード(DEN) 2013-14 ルオル・デン(CLE) 2014-15 ジョアキム・ノア(CHI) 2015-16 ウェイン・エリントン(BKN) 2016-17 レブロン・ジェームズ(CLE) 2017-18 J・J・バレア(WAS) 2018-19 デイミアン・リラード(DAL) 2019-20 マルコム・ブログドン(IND) 2020-21 受賞者なし 表 話 編 歴 カリーム・アブドゥル=ジャバー ネイト・アーチボルド ポール・アリジン チャールズ・バークレー リック・バリー エルジン・ベイラー デイブ・ビン ラリー・バード ウィルト・チェンバレン ボブ・クージー デイブ・コーウェンス ビリー・カニンガム デイブ・ディバッシャー クライド・ドレクスラー ジュリアス・アービング パトリック・ユーイング ウォルト・フレイジャー ジョージ・ガービン ハル・グリア ジョン・ハブリチェック エルヴィン・ヘイズ マジック・ジョンソン サム・ジョーンズ マイケル・ジョーダン ジェリー・ルーカス カール・マローン モーゼス・マローン ピート・マラビッチ ケビン・マクヘイル ジョージ・マイカン アール・モンロー アキーム・オラジュワン シャキール・オニール ロバート・パリッシュ ボブ・ペティット スコッティ・ピッペン ウィリス・リード オスカー・ロバートソン デビッド・ロビンソン ビル・ラッセル ドルフ・シェイズ ビル・シャーマン ジョン・ストックトン アイザイア・トーマス ネイト・サーモンド ウェス・アンセルド ビル・ウォルトン ジェリー・ウェスト レニー・ウィルケンズ ジェームズ・ウォージー 表 話 編 歴 カリーム・アブドゥル=ジャバー(Kareem Abdul-Jabbar) レイ・アレン(Ray Allen) ヤニス・アデトクンボ(Giannis Antetokounmpo) カーメロ・アンソニー(Carmelo Anthony) ネイト・アーチボルド(Nate Archibald) ポール・アリジン(Paul Arizin) チャールズ・バークレー(Charles Barkley) リック・バリー(Rick Barry) エルジン・ベイラー(Elgin Baylor) デイブ・ビン(Dave Bing) ラリー・バード(Larry Bird) コービー・ブライアント(Kobe Bryant) ウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain) ボブ・クージー(Bob Cousy) デイブ・コーウェンス(Dave Cowens) ビリー・カニンガム(Billy Cunningham) ステフィン・カリー(Stephen Curry) アンソニー・デイビス(Anthony Davis) デイブ・ディバッシャー(Dave Debusschere) クライド・ドレクスラー(Clyde Drexler) ティム・ダンカン(Tim Duncan) ケビン・デュラント(Kevin Durant) ジュリアス・アービング(Julius Erving) パトリック・ユーイング(Patrick Ewing) ウォルト・フレイジャー(Walt Frazier) ケビン・ガーネット(Kevin Garnett) ジョージ・ガービン(George Gervin) ハル・グリア(Hal Greer) ジェームズ・ハーデン(James Harden) ジョン・ハブリチェック(John Havlicek) エルヴィン・ヘイズ(Elvin Hayes) アレン・アイバーソン(Allen Iverson) レブロン・ジェームズ(Lebron James) マジック・ジョンソン(Magic Johnson) サム・ジョーンズ(Sam Jones) マイケル・ジョーダン(Michael Jordan) ジェイソン・キッド(Jason Kidd) カワイ・レナード(Kawhi Leonard) デイミアン・リラード(Damian Lillard) ジェリー・ルーカス(Jerry Lucas) モーゼス・マローン(Moses Malone) カール・マローン(Karl Malone) ピート・マラビッチ(Pete Maravich) ボブ・マカドゥー(Bob Mcadoo) ケビン・マクヘイル(Kevin Mchale) ジョージ・マイカン(George Mikan) レジー・ミラー(Reggie Miller) アール・モンロー(Earl Monroe) スティーブ・ナッシュ(Steve Nash) ダーク・ノヴィツキー(Dirk Nowitzki) シャキール・オニール(Shaquille O'Neal) アキーム・オラジュワン(Hakeem Olajuwon) ロバート・パリッシュ(Robert Parish) クリス・ポール(Chris Paul) ゲイリー・ペイトン(Gary Payton) ボブ・ペティット(Bob Pettit) ポール・ピアース(Paul Pierce) スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen) ウィリス・リード(Willis Reed) オスカー・ロバートソン(Oscar Robertson) デビッド・ロビンソン(David Robinson) デニス・ロッドマン(Dennis Rodman) ビル・ラッセル(Bill Russell) ドルフ・シェイズ(Dolph Schayes) ビル・シャーマン(Bill Sharman) ジョン・ストックトン(John Stockton) アイザイア・トーマス(Isiah Thomas) ネイト・サーモンド(Nate Thurmond) ウェス・アンセルド(Wes Unseld) ドウェイン・ウェイド(Dwyane Wade) ビル・ウォルトン(Bill Walton) ジェリー・ウェスト(Jerry West) ラッセル・ウェストブルック(Russell Westbrook) レニー・ウィルケンズ(Lenny Wilkens) ドミニク・ウィルキンス(Dominique Wilkins) ジェームズ・ウォージー(James Worthy) 表 話 編 歴 7 マーティ・バーンズ | 9 ジム・チョーンズ | 10 ノーム・ニクソン | 14 ブラッド・ホランド | 15 アルフレッド・リー | 21 マイケル・クーパー | 31 スペンサー・ヘイウッド | 32 マジック・ジョンソン (MVP)| 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー | 52 ジャマール・ウィルクス | 54 マーク・ランツベルガー | コーチ:ポール・ウェストヘッド 表 話 編 歴 5 エディー・ジョーダン | 8 ジム・ブリューワー | 10 ノーム・ニクソン | 11 ボブ・マカドゥー | 21 マイケル・クーパー | 31 カート・ランビス | 32 マジック・ジョンソン (ファイナルMVP) | 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー | 34 クレイ・ジョンソン | 40 マイク・マギー | 52 ジャマール・ウィルクス | 54 マーク・ランズバーガー | コーチ:パット・ライリー 表 話 編 歴 4 バイロン・スコット | 11 ボブ・マカドゥー | 12 ロニー・レスター | 21 マイケル・クーパー | 25 ミッチ・カプチャック | 31 カート・ランビス | 32 マジック・ジョンソン | 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー(ファイナルMVP) | 35 ラリー・スプリッグス | 40 マイク・マクギー | 42 ジェームズ・ウォージー | 43 チャック・ネヴィット | 52 ジャマール・ウィルクス | コーチ: パット・ライリー 表 話 編 歴 1 ウェズ・マシューズ | 4 バイロン・スコット | 21 マイケル・クーパー | 24 エイドリアン・ブランチ | 31 カート・ランビス | 32 マジック・ジョンソン (ファイナルMVP) | 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー | 42 ジェームズ・ウォージー | 43 マイカル・トンプソン | 45 A.C.グリーン | 52 マイク・スムレック | 55 ビリー・トンプソン | コーチ:パット・ライリー 表 話 編 歴 1 ウェズ・マシューズ | 4 バイロン・スコット | 19 トニー・キャンベル | 20 ミルト・ワグナー | 21 マイケル・クーパー | 31 カート・ランビス | 32 マジック・ジョンソン | 33 カリーム・アブドゥル=ジャバー | 42 ジェームズ・ウォージー (ファイナルMVP) | 43 マイカル・トンプソン | 45 A.C.グリーン | 52 マイク・スムレック | 55 ビリー・トンプソン | コーチ:パット・ライリー 表 話 編 歴 1947年に設立 ミネアポリス時代 (1947–1960) カリフォルニア州ロサンゼルスを本拠地としてから 球団歴史 歴代在籍選手 ドラフト歴代指名 チーム記録 歴代ヘッドコーチ 各シーズン 現シーズン ミネアポリス・オーディトリアム(英語版) ミネアポリス・アーモリー(英語版) ロサンゼルス・メモリアル・スポーツ・アリーナ ザ・フォーラム クリプト・ドットコム・アリーナ (旧称: ステイプルズ・センター) サウスベイ・レイカーズ 8 13 22 24 25 32 33 34 42 44 52 1949年 1950年 1952年 1953年 1954年 1972年 1980年 1982年 1985年 1987年 1988年 2000年 2001年 2002年 2009年 2010年 2020年 ボストン・セルティックス デトロイト・ピストンズ ロサンゼルス・クリッパーズ サンアントニオ・スパーズ ラジオ(英語版) ジャック・ケント・クック(英語版) ジェリー・バス ショータイム シャックとコービーの確執 レイカー・ガールズ(英語版) レイカー・バンド(英語版) チック・ハーン(英語版) ローレンス・タンター(英語版) ジャック・ニコルソン ダンシング・バリー(英語版) 2020年カラバサスヘリコプター墜落事故 表 話 編 歴 デトロイト・ジェムズ(1946-1947)/ミネアポリス・レイカーズ(1947-1960) ジョン・クンドラ (John Kundla)1948-1959 -- ジム・ポラード (Jim Pollard)1959-1960 ロサンゼルス・レイカーズ -- フレッド・シャウス (Fred Schaus)1960-67 -- ブッチ・ヴァン・ブレダ・コルフ (Butch van Breda Kolff)1967-69 -- ジョー・マラニー (Joe Mullaney)1969-71 -- ビル・シャーマン (Bill Sharman)1971-76 -- ジェリー・ウェスト(Jerry West)1976-79 -- ジャック・マキニー(Jack McKinney)1979 -- ポール・ウェストヘッド (Paul Westhead)1979-81 -- パット・ライリー (Pat Riley)1981-90 -- マイク・ダンリービー (Mike Dunleavy)1990-92 -- ランディ・ポンド (Randy Pfund)1992-94 -- マジック・ジョンソン (Magic Johnson)1994 -- デル・ハリス (Del Harris)1994-99 -- フィル・ジャクソン (Phil Jackson)1999-04, 2005-11 -- ルディ・トムヤノビッチ (Rudy Tomjanovich)2004-05 -- マイク・ブラウン (Mike Brown)2011-12 -- マイク・ダントーニ (Mike D'Antoni)2012-14 -- バイロン・スコット (Biron Scott)2014-16 -- ルーク・ウォルトン (Luke Walton)2016-19 -- フランク・ヴォーゲル (Frank Vogel)2019-2022 -- ダービン・ハム (Darvin Ham)2022- 表 話 編 歴 4 クリスチャン・レイトナー - 5 デビッド・ロビンソン - 6 パトリック・ユーイング - 7 ラリー・バード - 8 スコッティ・ピッペン - 9 マイケル・ジョーダン - 10 クライド・ドレクスラー - 11 カール・マローン - 12 ジョン・ストックトン - 13 クリス・マリン - 14 チャールズ・バークレー - 15 マジック・ジョンソン - HC チャック・デイリー - AC マイク・シャシェフスキー - レニー・ウィルケンズ - P・J・カーリシモ FAST ISNI
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Earvin “Magic” Johnson
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