ムラムラタムラのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
ムラムラタムラ(1992年6月21日 - )は、100companyに所属する日本のお笑い芸人。かつては吉本興業に所属しており、吉本退所後はフリーで活動していた。
自身と同じくお笑い好きの母親と一緒にお笑い番組を観ていて、母親から中学生の頃にNSCへ行くことを勧められたのが芸人になるきっかけ。当初は高校時代の同級生とコンビ「ゆーひび」を結成し、ネタはその同級生が書いていた。漫才は合っていないことを早めに気づいたためボケのみでツッコミが存在しないコントを主に演じ、相方の体調不良によって2年半で解散してからはピン芸人となる。芸名の由来は本人曰く覚えられやすくてしょうもない名前にしたかったから。
NSC大阪校34期を卒業後は吉本興業に約6年所属後フリーに。ホリプロコムからの勧誘も断っていたが、ホリプロコムから独立した都丸皓介マネージャーから「有田ジェネレーション Season10」でまた誘われ、都丸が社長となった100company(トーマルカンパニー)とエージェント契約を結んだ。
デビュー当初は5upよしもとに出ようとしていたがシステムが変わったことで5upよしもとが漫才劇場に変わり、ピン芸人やコント師の出る場が無くなってしまった。その状況を知ったたむらけんじが、小規模のスペースにて漫才劇場に出られない芸人を集めて毎週ライブを開催したことでチャンスを貰えた。初のテレビ出演は『松本家の休日』(朝日放送テレビ)で、たむらの推薦であった。東京へ進出する際、社員に掛け合ってくれたのもたむらだったという。上京後は向清太朗(天津)の世話になった。
人物
出演したい番組はさんまのお笑い向上委員会(モニター横芸人)、全力!脱力タイムズ(共にフジテレビ)、HITOSHI MATSUMOTO presents ドキュメンタル(Amazonプライム・ビデオ)。
仲の良い芸人は、一緒に主催ライブ『ピーターパンウンコローム~秩序~』を行っている本多スイミングスクール・森本サイダー・ちびシャトル。ちびシャトルとはオマリーと共にトリオ『ムラムラタムラちびシャトルfeat.川嶋』としてM-1グランプリに出場経験がある。
大嶋の一番弟子・オモロ川だいすけ・ちびシャトルと共に『ザ・トーク』というユニット名でキングオブコントにも出場している。
ネタ時間が長い。プチブレイクのきっかけとなった有田ジェネレーション(TBSテレビ)の収録でも、スタッフに言われたネタ時間を超えてネタを披露した。
ゲームが趣味であり特技。自身のYouTubeチャンネルでもゲーム配信をしている。
ニコニコ動画から影響を受けたアニメオタクで、家族も全員オタク。
西新橋の居酒屋でアルバイトをしている。
過去のアルバイト経験はUber Eats、セブンイレブン、カフェなど。
兄弟は兄と姉がいる。
高校時代は柔道部所属で、黒帯初段を所持している。
芸名や芸風とは裏腹に下ネタは好まないとなぜか以前のwikipediaでは記載があったが、様々な番組、YouTubeや取材でも下ネタを話しており、また本人も下ネタは好まない説を明確に否定している。[1]
2022年7月初めから、伊藤俊介(オズワルド)・森本サイダー・佐川ピン芸人とルームシェアしている。
芸風
新体操用のレオタードを衣装とし、主に「もっこりからのりーもこちゃん」というフレーズを、股間を強調する奇天烈なポージングをしながらひたすらハイテンションで繰り返すギャグ。本人曰くシャワーを浴びている最中に思いついた。江頭2:50を彷彿とさせる無軌道な芸風で、野田クリスタル(マヂカルラブリー)からは「お笑い界の救世主」と称された。
衣装の黄色い眼鏡はサングラスのグラス部分を度入りのクリアグラスに替えて使用しており、視力はかなり悪い。
旧衣装はadidas by PHARRELL WILLIAMSのレディースのランニングウェアトップスと、男性用水着。
大阪時代の衣装は白いタンクトップにホットパンツ。
現在着用している舞台衣装はゲーム『フォートナイト』に影響されてヤフオクで見つけたもの。金髪もフォートナイトの影響。
森久保祥太郎や子安武人、福山潤などの声優ものまねも得意とする。森久保からは公認されている。