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メルビン=バンチ
メルビン=バンチ(Melvin Bunch)さんの誕生日は1972年11月4日です。
選手としての特徴、人物などについてまとめました。引退に関する情報もありますね。現在の年齢は51歳のようです。
メルビン・リン・バンチ・ジュニア(Melvin Lynn Bunch Jr. , 1971年11月4日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。2000年から2002年まで中日ドラゴンズに所属していた。 1992年のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから15巡目で指名を受け入団。1995年にメジャーデビューし、初勝利を挙げた。その後再びマイナーでプレーし、1999年にシアトル・マリナーズでメジャーに再昇格した。同年はマリナーズ傘下のAAA級タコマで主に先発として21試合に登板し、10勝2敗、防御率3.10の成績を残していた。 来日前はメジャーではさほど実績はなかったが、最高球速150 km/hの速球とスライダー、大きなカーブが武器で、制球力も安定している投手と評されていた。本人も来日当初、最高球速150 km/hの速球とカーブが決め球であると語っていた。 1999年12月3日に星野仙一監督率いる中日ドラゴンズと年俸25万ドル、契約金10万ドルで1年契約を締結した。背番号は42。中日は同年オフ、サムソン・リーがMLB挑戦を目指して退団したことから新外国人を含めた投手が補強ポイントとなっていた。 2000年の春季キャンプでは前に突っ込みすぎていた投球フォームの改善に取り組んだり、日本の野球に溶け込もうと選手たちに覚えたばかりの日本語で話しかけたり、ほとんどの外国人選手が敬遠していた長距離のランニングに積極的に取り組んだりしていた。また打者の手元でやや曲がる速球やスプリットといった新球種も披露していた。 開幕後の同年4月1日のヤクルトスワローズ戦(ナゴヤドーム)で来日初登板初勝利を挙げた。4月7日の横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)でノーヒットノーランを達成。8月22日の横浜戦(ナゴヤドーム)で7回2/3を無失点に抑えて勝利投手となり、10勝目を挙げた。この勝利によって、中日の外国人投手では1986年の郭源治以来14年ぶりに2ケタ勝利を挙げた。また、中日の外国人投手が来日1年目で2桁勝利を達成したのは球団史上初であった。最終的に14勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得したほか、リーグ4位の防御率2.98をマークした。 オフに沢村賞の候補として名前が挙がったが、完投数が少ないことなどを理由に選出は見送られ、同年の沢村賞は該当者なしとなった。 2001年、前年最多勝の実績を買われて開幕投手の打診を受けたが、右前腕痛のため辞退した。前半戦は5勝にとどまったが、後半戦の開幕投手を任され、勝利を挙げた。8月3日のヤクルト戦(明治神宮野球場)では、3回表に石井一久からプロ初本塁打を放った。9月30日の阪神タイガース戦(ナゴヤドーム)で勝利投手となり、2年連続2桁勝利を達成。中日の外国人投手が来日1年目から2年連続で2桁勝利を達成したのは球団史上初のことであった。 2002年、3月24日のオリックス・ブルーウェーブとのオープン戦(ナゴヤドーム)で打球が右肘に直撃緊急降板するというアクシデントに見舞われたが、本拠地ナゴヤドームで開催された開幕3戦目となる4月2日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦でシーズン初登板。8回1失点の好投でシーズン初勝利を挙げたほか、この年から監督に就任した山田久志監督に初白星をプレゼントした。6月7日の巨人戦(福岡ドーム)、7月30日の巨人戦(東京ドーム)では、いずれも桑田真澄からソロ本塁打を放った。しかし、先発予定日である8月6日にナゴヤドームに向かう途中で体調不良を訴え、この日の先発を回避。不整脈と診断され、同年11月23日に退団が発表され、野球選手としても現役引退した。 中日退団後に帰国して精密検査を受けたところ、心臓に異常はないという診断を受け、2003年5月時点ではテキサス州内で現役復帰を目指してトレーニングを続けていた。このころには『大阪日刊スポーツ』が、当時星野が監督を務めていた阪神タイガースがバンチの獲得を目指していると報じたが、結局は入団しなかった。引退後は地元テキサスに戻り造園業を営んでいる。 選手としての特徴長身から投げ下ろす最速150km/h前後の速球と、速球と同じ球速で落ちるSFFなどの多彩な変化球を武器としていた。 投手でありながら打撃も良く、中日時代に通算3本塁打を放った。 人物陽気な性格で普段から名古屋弁を話し周囲を和ませ、チームメイトからも親しまれた。「投げる試合は全て勝ってみせる」と豪語し、キャンプの打ち上げで足腰が立たなくなるぐらいビールを飲み続け「テキサス男は豪快」というイメージを守ろうとするなど、豪快で強気な面があった一方、2年目のオフに帰国した際、祖父に日本のお土産として自身のノーヒットノーランのビデオを送るなど、細やかな気配りもできる選手だった。トランスワールドスポーツの野球特集において、外国人選手が日本人とトラブルを起こさず日本で活躍するには「自我を抑え和をもってチームメイトと接すれば活躍できる。バンチはそれができていたため活躍できた」と報じられた。またバンチ自身も日本の文化である「協調性」は欧米では有り得ないとした上で、「日本で活躍するには協調性が必要」と話している。 2024/05/16 04:25更新
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