ラリー=パリッシュの情報 (LarryParrish) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
ラリー=パリッシュさんについて調べます
■名前・氏名 |
ラリー=パリッシュと同じ年に生まれた芸能人(1953年生まれ) ラリー=パリッシュと同じ出身地の人 |
TOPニュース
ラリー=パリッシュ
ラリー=パリッシュ(Larry Parrish)さんの誕生日は1953年11月10日です。
人物、詳細情報などについてまとめました。引退に関する情報もありますね。現在の年齢は70歳のようです。
ラリー・アルトン・パリッシュ(Larry Alton Parrish、1953年11月10日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州出身の元プロ野球選手(内野手)。 MLBでは通算256本塁打を記録。モントリオール・エクスポズ時代の1978年7月30日の対アトランタ・ブレーブス戦では3・4・5回と3イニング連続本塁打を記録している。 1989年にパワーの面で期待されNPBのヤクルトスワローズに入団。同年は42本塁打、103打点をマークし本塁打王のタイトルを獲得、ベストナインに選出される。しかし三振も多く、池山隆寛、広沢克己と3人揃って「100三振トリオ」と呼ばれた。三振した後、ベンチで暴れる事もあったため、ストレス解消のための「ラリー君人形」なるサンドバッグが置いてあった。そのため、1989年オフに監督に就任したばかりの野村克也は「確実性のない奴はいらない」と三振の多いパリッシュの打撃を嫌い、本塁打王を獲得しながらヤクルトを自由契約となる。セシル・フィルダーが退団して代役を探していた阪神タイガースが獲得。 1990年シーズン序盤から前年の本塁打王の貫禄を見せ付け、本塁打を量産。同年にはオールスターゲームにも出場した。ところが、8月に古傷の膝が悪化してしまい、その時点でホームラン王争いで単独トップに立っていたのにも係わらず、8月27日の試合を最後に突然引退し物議を醸した。 当時の読売ジャイアンツのエースだった斎藤雅樹を大の苦手としており、2年間で斎藤相手に打率.094(32打数3安打)、0本塁打、19三振であり特に斎藤のカーブに翻弄されていた。池山曰く、斎藤が先発と聞くと「いやだ、いやだ」と顔をしかめていたくらい苦手意識を持っていたことを著書で明かしている。1989年9月24日の試合では斎藤の先発が予想されたため、パリッシュの代わりに4番ファーストに偵察メンバーが置かれ、先発が斎藤と分かると杉浦享に交代した(この試合はその杉浦のタイムリーで1-0で勝利した)。阪神移籍後の1990年6月15日と8月19日の対巨人戦でも、斎藤の先発ということで欠場している。一方で斎藤のカーブを打ちたい意欲は失って無く、4月20日の対戦ではストライクからボールになるカーブは尽く見逃し打者有利のカウントまで持っていった、その時解説の江川卓は「ここまで翻弄されていたカーブを打たないとパリッシュも気が収まらない」とまで解説し斎藤はその後外のボールになるカーブを連投し四球となった。その際パリッシュも憮然とバットを投げ捨て走りながら斎藤に何かを叫んでいた様子も中継放送に乗っていた。 引退後は、デトロイト・タイガース傘下のA級ナイアガラフォールズ、AA級ジャクソンビルの監督などを経て、1997年にデトロイト・タイガースのベンチコーチに就任。1998年シーズン途中にバディ・ベルに代わり監督に就任し、1999年まで指揮を執った(1999年に在籍した選手に木田優夫がいる)。2003年からAAA級トレドの監督となり、2005年・2006年にはチームを2年連続でリーグ優勝に導いた。また、2007年には惜しくもリーグ優勝は逃すものの地区優勝は達成し、地区優勝3連覇を成し遂げた。 2011年は、アトランタ・ブレーブスで打撃コーチを務めた。 人物ヤクルト入団会見で好きな食べ物を聞かれて、「フロリダでは普通に食べるワニの肉だ」と答え、「ワニを食べる男」として話題になった。結局探し回って東京都内に1軒だけワニ肉を提供する店があり、そこでスタミナを付けた。2015年にマイナーリーグ視察の木田優夫が3A監督のパリッシュと再会し、「人の事言えないけど、太りましたね」とその様子をイラストにしている。 1989年の5月31日の対阪神タイガース戦での6回裏、阪神の渡辺伸彦がパリッシュに死球を与え、パリッシュが渡辺に激怒したことから両軍入り乱れての乱闘騒ぎになり、パリッシュは暴力行為で退場処分となった。更に、渡辺が今度は中西親志に危険球を投じたことでもう一度乱闘が発生し、渡辺は危険球で退場になった(中西は退場にならず)。 これには、3回裏にパリッシュが捕逸で生還する際にベースカバーに入った岡部憲章をスライディングで負傷退場させた伏線があった。 翌1990年、パリッシュは阪神に移籍し、渡辺とキャンプで握手して仲直りした。5月1日の対ヤクルト戦でプロ初勝利を挙げるが、この試合でパリッシュが本塁打を放ち渡辺の勝利に貢献している。 詳細情報各年度の太字はリーグ最高 順位は最終順位 本塁打王:1回 (1989年) ベストナイン:1回 (1989年) 月間MVP:2回 (1989年5月、1989年9月) MLBオールスターゲーム選出:2回 (1979年、1987年) 初出場・初先発出場:1989年4月8日、対読売ジャイアンツ1回戦(東京ドーム)、4番・一塁で先発出場 初安打:同上、桑田真澄から単打 初打点:1989年4月11日、対中日ドラゴンズ1回戦(神宮球場) 初本塁打:1989年4月14日、対ヤクルトスワローズ2回戦(横浜スタジアム)、斉藤明夫から オールスターゲーム出場:2回 (1989年、1990年) 50 (1974年 - 1975年途中) 15 (1975年途中 - 1981年、1983年 - 1988年途中、1989年、1997年 - 1999年) 9 (1982年) 25 (1988年途中 - 同年終了、2011年) 45 (1990年) 2024/05/16 03:32更新
|
Larry Parrish
ラリー=パリッシュと同じ誕生日11月10日生まれの人
ラリー=パリッシュと近い名前の人
話題のアホネイター
話題の芸能人・有名人
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「ラリー=パリッシュ」を素材として二次利用しています。