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ルー=ゲーリッグの情報まとめ

ルー=ゲーリッグ(Lou Gehrig)さんの誕生日は1903年6月19日です。

引退、病気、父親、母親、現在、卒業、結婚、映画、テレビ、再婚、事件、事故に関する情報もありますね。1941年に亡くなられているようです。
ルー=ゲーリッグのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート ヘンリー・ルイス・ゲーリッグ(Henry Louis Gehrig, ドイツ語: Heinrich Ludwig Gehrig(ハインリヒ・ルートヴィヒ・ゲーリヒ), 1903年6月19日 - 1941年6月2日)は、メジャーリーグのプロ野球選手(内野手)。ニューヨーク州ニューヨーク市生まれ。左投左打。1920年代から1930年代にかけてニューヨーク・ヤンキースで活躍した。三冠王をはじめ、打撃タイトルを多数獲得し、史上最高の一塁手と称される。 ゲーリッグは毎日プレーを厭わないその頑丈さから鉄の馬(Iron Horse)と呼ばれ、1925年から1939年の14年間に渡り、当時の世界記録となる2130試合連続出場を果たした。しかし、1939年、体調異変を感じて自ら欠場を申し入れ、記録は途切れた。後の診断で筋萎縮性側索硬化症と診断されたゲーリッグは引退を決意した(この病気は「ルー・ゲーリッグ病」と称されることもある)。 ゲーリッグが現役生活の晩年に手のレントゲン撮影を行ったところ、手だけで17もの骨折箇所が見つかった。連続出場はこれほどまでに身体に負担を強いており、筋萎縮性側索硬化症の発症がなくても、遠からずその記録は途切れていただろうと推察される。 記録のためにただ出場を続けていたわけではなく、MLB史上に残る非常に優れた打者でもあった。17年間で2000近い打点を挙げ、生涯打率は.340(歴代17位)。通算の長打率とOPSは歴代3位、出塁率でも歴代5位の.447と、打席に立てばほぼ2回に1回は塁に出た。オールスターに7回選ばれ(オールスターは1933年が初開催)、1927年と1936年にはアメリカンリーグMVPを受賞、1934年には三冠王を獲得している。 1939年に当時史上最年少で殿堂入りを果たし、MLB史上初めて自身の背番号「4」が永久欠番に指定された選手にもなった。 ゲーリッグは1941年6月2日に37歳で死去し、翌1942年にゲーリッグの半生を描いた『打撃王』が公開された。 ゲーリッグの連続試合出場記録は当初不滅の記録と思われていたが、1987年6月13日、日本の衣笠祥雄(広島)に更新され、MLBでは1995年9月6日にカル・リプケン・ジュニア(ボルチモア・オリオールズ)によって更新された。 その他のニックネームには"Columbia Lou"、"Biscut pants"、"Larrupin' Lou"というものがあった。 ドイツ系移民である父ハインリヒと母クリスティーナ・ファクの息子としてニューヨーク市に生まれる。父親はてんかんを患っていたため、母親が生計を立てていた。両親は野球でゲーリッグが食べていけるとは思っておらず、母親は叔父がドイツで建築家として成功していたため、息子も同じ道を歩ませようとしていた。 初めて野球で全国の注目を集めたのは、1920年6月26日のカブス・パーク(現在のリグレー・フィールド)で行われた試合であった。ゲーリッグのニューヨーク商業高校とシカゴのレーン工業高校との対戦で、8回まで8-6で勝っている中、9回表に場外満塁本塁打を打ち試合を決定付けた。 ゲーリッグはコロンビア大学に通ったが、同チームの野球部では試合に出場することができなかった。その理由は大学1年生の夏休みに夏季プロリーグでプレーしてしまったためで、当時のゲーリッグはこれにより大学で野球に限らず全てのスポーツをプレーできなくなる可能性を認識していなかった。しかし、結果的にはアメリカンフットボール部での試合出場が認められ、フルバックとして活躍した。 息子の野球での活躍が新聞などで報じられるにつれ、母親も息子が野球選手を職業にできるかもしれないと思うようになってきた。ゲーリッグ自身も、当時熱心に誘ってくれたヤンキースと契約を結ぶか大学に残って卒業するかを迷ったが、母親が肺炎を患ったため、ヤンキース入りを決断し、契約金で医療費を賄うことにした。さらには残余金で、両親に初めての旅行をプレゼントした。 1923年の途中からヤンキースの一員となり、同年6月15日には代打としてメジャーデビューを果たす。最初の2年間は出場機会も限られており、1923年のワールドシリーズのメンバーには登録されなかった。当時の看板選手であるベーブ・ルースの直接指導の甲斐もあって1925年にはレギュラーに定着し、437打席で打率.295、20本塁打68打点を挙げた。 翌1926年に主力打者として大きく開花し、打率.313に47本の二塁打と、アメリカンリーグでトップの20三塁打、16本塁打、112打点を挙げた。セントルイス・カージナルスと対戦した同年のワールドシリーズでは打率.348で4打点を挙げるものの、ヤンキースは3勝4敗に終わり、世界一にはあと一歩届かなかった。この年、渡米していた日本のセミプロ野球チームの大毎野球団がヤンキースタジアムを訪れており、その際にゲーリッグを「偉大なる体格の持ち主であって打撃は将来恐るべきもので、第二のルースとの噂が高い」と記している。 1927年は記録的な年であった。打率.373、47本塁打175打点に218安打を挙げ、この年の一シーズン117長打はベーブ・ルースに次ぐ歴代2位であり、また447塁打も歴代3位の数字である。ルースとゲーリッグの二枚看板を中心とした強力打線は「マーダラーズ・ロウ(殺人打線)」と呼ばれ、この強力打線を武器にヤンキースは110勝44敗の成績を残し、ピッツバーグ・パイレーツとのワールドシリーズも4連勝で制覇。この年のヤンキースがMLB歴代最強のチームだったとする評価も多い。シーズン60本塁打を放ったルースを差し置いてゲーリッグはア・リーグの年間MVPに選出された(ちなみにゲーリッグとルースの2人でこの年のア・リーグの全本塁打439本の1/4近くを叩き出している。また、この年のア・リーグの本塁打ランキングでルース、ゲーリッグに続いたのが18本のトニー・ラゼリであり、ゲーリッグがルースと並ぶ傑出した長打力の持ち主であることは間違いなかった)。 ルースの陰に隠れがちではあったが、ゲーリッグの得点能力は球史でも随一のものだった。本塁打王に3回、打点王に5回輝き、打率.350以上6回、150打点以上7回、100四球以上11回、200安打以上8回、そして40本塁打以上が5回もあった。1931年の184打点は未だに破られていないア・リーグ記録である。1934年には三冠王も獲得している。「アイアン・ホース」「静かなる英雄」と呼ばれ、陽気なルースに対して物静かなゲーリッグと好対照でよく比較された。 私生活では1933年9月にシカゴ・パークスの支配人フランク・ツイッチェルの娘エレノアと結婚している。のち、エレノア夫人はゲーリッグの晩年と最期を看取り、その時の回顧録を執筆している。 1925年6月1日、ゲーリッグは貧打の遊撃手ポール・ワニンガーの代打として登場。翌日にはスランプのレギュラー一塁手ウォーリー・ピップの代役として先発出場した。この時のゲーリッグ起用はチームが不振であったための応急処置的な措置であり、当時のミラー・ハギンス監督がちょくちょく行っていたスタメン変更の一環であった。しかし、ゲーリッグはこの1試合のチャンスでスタメンの座をつかみ、ここから14年に及ぶ連続試合出場記録が始まった。なお、ピップはこのシーズン終了後シンシナティ・レッズにトレードされている。 ゲーリッグの連続出場はもちろん全てがフルイニングというわけではなく(全試合フルイニング出場したシーズンは1931年の1シーズンだけである)、時には代打出場によって続けられた。例として、腰痛の発作に襲われた際には「1番・遊撃手」で登録され安打を打った後すぐに交代したり、審判に抗議して退場となる(連続出場期間中にも6回退場を記録している)が既に打席に立っていたため出場と記録されたこともあった。 1938年シーズンの半ばから、ゲーリッグの成績は段々と下降線をたどり始める。これについて本人は当時「シーズン半ばで疲れてしまった。なぜかはわからないが、何か頑張れる気がしない」と述べている。また、エレノア夫人には30歳の誕生日以来脚に力が入らなくなっていると伝えている。夫人はゲーリッグが脳腫瘍にかかったのかもしれないと心配していた。対戦相手であるデトロイト・タイガースの投手エルデン・オーカー(英語版)は後年、「ルーが病気になったと聞いたので、私は彼がいつからおかしくなったのか考えた。具体的な日時を言えと言われたら、1938年7月1日頃(この年のシーズン半ば)から、明らかに彼のプレイはおかしくなっていた」と回想している。 ゲーリッグはシーズン前の1938年1月に『ローハイド』という西部劇映画で主演俳優として出演している。映画の中でゲーリッグはビリヤードの球を投げつけたりするなど、一見問題ないようにアクションをこなしていたが椅子から立ち上がるのに手を付いたり、歩くときに少しふらついたりするなどしており、下肢筋力低下の軽い症状があらわれていた。 ゲーリッグは次第に弱々しくなっていき、ロッカールームやフィールド上でさえ突然倒れてしまうこともあった。ほとんどの記者やファンは連続試合出場による疲れだと信じていた。35歳になってはいたが、周りのチームメイトはまだまだ限界ではないと思っていた。結局ゲーリッグは、1938年7月1日を境に、一時的に復調するものの低調のままシーズンを終えることになる。その年のワールド・シリーズでヤンキースはシカゴ・カブス に4連勝したが、ゲーリッグ自身の成績は14打席中、打率.286、4単打という散々なもので、祝勝会でゲーリッグはウィスキーを何杯もがぶ飲みしてひどく荒れていたという。 少なくともゲーリッグの1938年の成績は打率.295、29本塁打、114打点とリーグ平均を遥かに上回っており、ルースの引退間際の成績さえ大きくしのいでいた。ただ、親友でもあったビル・ディッキーはゲーリッグの異変に気づいており、ある日ケチャップのボトルを持ち上げられず、代わりにディッキーが取り上げてやったエピソードが残っている。1938年の暮れになると、道路のわずかな段差でも頻繁につまずくようになり、得意だったアイススケートでも頻繁に転ぶようになった。 シーズン終了後、ゲーリッグはニューヨークの専門家に話を聞きに行ったところ、胆嚢に問題があるという専門家の診断を受けた。エレノア夫人はこの見立てに疑いを隠さなかったものの、ゲーリッグはその診断を信じて治療を任せた。健康を取り戻してヤンキースの勝利に貢献する事を自身の大きな目標とし、それに全力を注ごうとしたのである。ヤンキースに対する忠誠心は強く、球団が年俸の3000ドルダウンを提示してもゲーリッグは素直にそれを受けている。 1939年のスプリングトレーニングが開幕しても、ゲーリッグの気力が回復することはなく、例年通りに激しいトレーニングを行って心を奮い立たせようとしても、状況は改善されなかった。当時、注目の若手選手だったジョー・ディマジオによれば動作全てがスローになり、打撃練習中に以前であればはるか彼方まで飛ばしていたような球ばかりだったにもかかわらず、19回も続けて空振りしたという。 同年のゲーリッグの成績は自己最低の34打席4安打1打点、打率.143であった。さらには走塁面でもキャリアを通じて積極的な走者であったゲーリッグだったが、同年には筋肉のコントロールを失いつつあり走ることさえ困難となっていた。 ジョー・マッカーシー監督は球団首脳部からのゲーリッグをベンチに下げろとの圧力には従わなかったが、ゲーリッグ自身は次第に一塁守備を普通にこなすことも難しくなった。2130試合目の連続出場となった1939年4月30日のワシントン・セネターズ戦では無安打に終わった。この試合で普通のゴロを捕り、一塁ベースに入った投手ジョニー・マーフィーにトスしてアウトにしたが、これを見た二塁手のジョー・ゴードン、捕手のビル・ディッキーが口々にゲーリッグにナイスプレーと言って元気づけた。ごく当たり前のプレーなのにと感じたゲーリッグは引退の潮時とばかり、2日後の5月2日に自ら監督のもとに出向き「俺は下がるよ、ジョー」と伝えた。マッカーシーはこれを承諾し、代わりにエルスワース・ダールグレンを一塁手として起用。ゲーリッグには、もし出たくなったらいつでも出すと伝えた。 責任審判にその日のラインアップ表を渡したのもゲーリッグ自身であったが、この日で彼の14年間に及ぶ大記録は終わり、試合前にタイガー・スタジアムのアナウンサーは「皆さん、これは2130試合ぶりにルー・ゲーリッグが試合に出ない日です」と述べた。 デトロイトの観客はベンチにいるゲーリッグにスタンディングオベーションで大記録の 連続出場が途切れた後もゲーリッグはチームに帯同するものの、状態はさらに悪化。6月中旬にはエレノア夫人も再度脳腫瘍の可能性を疑っていた。エレノア夫人は友人からミネソタ州ロチェスターのメイヨー・クリニックにいるチャールズ・メイヨー医師への紹介を受け相談をした。メイヨー自身もゲーリッグの突然の変貌に関心を持っていたようで、すぐに本人を連れて来るように伝えた。エレノアはここで自分にしかゲーリッグの病状を伝えないようにとの条件をつけた。メイヨーはこれに難色を示し、「家の長にしか伝えられない」と述べると、エレノアは「自分が家計簿を握っているので自分が唯一の家長だ」と反論した。 エレノアは直ちに当時ヤンキースが滞在していたシカゴからロチェスターへゲーリッグを連れて行き、メイヨーの診断を1939年6月13日に受ける。最初にゲーリッグを見たハベイン医師は、一目見た瞬間に歩き方や姿勢が明らかにおかしいのを見抜いていた。ゲーリッグの症状は数か月前に自身の母をむしばんでいた筋萎縮性側索硬化症の症状に酷似しており、顔の表情機能の低下や奇妙な歩き方は母親と全く同じように見受けられた。筋萎縮性側索硬化症とは、飲み込むことや話すことが困難になるなど、急激な運動機能の低下の一方、精神機能には一切の低下がなく、急速に不自由になっていく身体を曇りのない意識のもとで認識させられるという難病である。患者は発症後、半数ほどが3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡する。 その後6日間ゲーリッグはメイヨー・クリニックで過ごし、ゲーリッグの36歳の誕生日となった6月19日にエレノア夫人とゲーリッグ本人に病名が告知された。 ただしゲーリッグはエレノア夫人に向けた手紙で以下のように記しており、詳しい症状はエレノア夫人にのみ通達されていたという説もある。 ゲーリッグはチームに復帰するために到着したワシントンの駅でボーイスカウトの集団に出迎えられた。そこで子供たちに対し手を振り返したが、隣にいた同行者の記者に向け「彼らは俺に幸運を祈っているよ、俺は死にそうなのに」と語ったという。 6月21日にヤンキースはゲーリッグの引退を発表。しかしキャプテンとしてチームに帯同すると述べた。 1939年7月4日のセネターズとのダブルヘッダーで、ヤンキースはルー・ゲーリッグ感謝デーを制定し、メジャー他チームを含む多数の人々がゲーリッグを祝福しに訪れた。ゲーリッグが初めて勝った1927年のワールドシリーズ制覇の記念旗が掲げられ、当時のナインもゲーリッグのために式典に訪れた。 ニューヨーク市長フィオーレロ・ラガーディアも訪れ、当時現役を引退していたベーブ・ルースもスピーカーとして招かれた。ゲーリッグの成績上昇期はちょうどルースの下降期と重なったため、ルースはゲーリッグの連続出場記録を皮肉って、たまには休んだり釣りに行った方がいいんじゃないかと記者に述べる事もあった。しかしこの日のスピーチでは、皮肉ではなく、心から一緒に釣りに行きたいと述べ、ライバルを称えた。2人がこのように親密さを示したのは、ゲーリッグの妻がルースと関係を持っていると一部メディアで報じられて以来初めてだった。 また、マッカーシー監督はスピーチをしたら泣き出してしまいそうだと述べ、なかなかこの依頼を受けようとはしなかった。結果的にマッカーシー監督はゲーリッグについて「野球人、スポーツマン、そして一般市民としての素晴らしい例であり、野球というスポーツが出会った最良の人材である」と述べ、その後ゲーリッグに「ルー、君が『チームに迷惑をかけるので辞めます』と言いにきたあの日の悲しいデトロイトでの夜が、俺の人生の中で最も悲しい日のうちの一つだった。他に何が言えるかい?」と泣き顔で振り返った。 ヤンキースはゲーリッグの背番号「4」をMLB史上初の永久欠番に指定。背番号制が導入されたのがゲーリッグのキャリア開始後の1929年であったため、彼の他にヤンキースで背番号4を付けた選手はいない。この日ゲーリッグはさまざまなVIPやスタジアムのグラウンドキーパー、用務員などからも贈り物をもらい、球団は銀のトロフィーをプレゼントした。 式典の後、この日の担当者マーサーはゲーリッグが泣き崩れているのを見て、「今日はゲーリッグにスピーチをしてくれとは言わないことにします。そうしない方が良いと思います」と述べ、マイクを片付けた。ゲーリッグもマッカーシーとフィールドを去っていったが、観客からゲーリッグコールが湧き上がり、本人もフィールドに戻りスピーチを始めた。ゲーリッグは歴史に残る名スピーチを行った。 観客は立ち上がり、約2分間スタンディングオベーションが続いた。ゲーリッグはマイクから離れて大きくよろけ、頬から流れる涙をハンカチでふき取った。球場内で「あなたを心から愛してる(英語版)」が演奏され、聴衆が「ルー、私たちはあなたを愛してます」と歌詞を替えて歌う間、ルースはゲーリッグにかけ寄り、彼を優しく抱きしめた。翌日の『ニューヨーク・タイムズ』は「今まで野球場で見た光景の中で最も感動した場面の一つ」と報道し、ハードボイルドで知られた非情な記者たちさえも「懸命に涙をこらえていた」と伝えた。ダブルヘッダーの第2試合が終了してビル・ディッキーと一緒にヤンキー・スタジアムを後にしたゲーリッグは彼の親友にはっきりとした口調で「ビル、今日のことはずっと先まで覚えておくつもりだ」と語った。ジョー・ディマジオは野球場で二度涙を流したが、最初に泣いたのがこのゲーリッグのイベントであった(2度目は1949年10月1日のジョー・ディマジオ感謝デー)。 テレビが普及していなかったこの時代、「私はこの世で最も幸せな男です」というセリフは3年後に公開された映画『打撃王』で広く知られた。このセリフはアメリカ映画協会(AFI)が「AFIアメリカ映画100年シリーズ」の一環として選定した『アメリカ映画の名セリフベスト100』の38位に選ばれた。しかし映画と実際のスピーチには異なる点があり、語られた元オーナーやGM、また球団の裏方、相手チームへの感謝が削られ、代わりに新聞記者への感謝が加わっている。また、「最も幸せな男」をゲーリッグは最初に語っているが、映画では最後に語るよう変えられている。 ゲーリッグの引退後、ヤンキースの首脳部はゲーリッグが経済的に困らないよう全ての手を尽くすと述べ、フロント入りすることになっていた。当時の規則によると1939年の年俸は全て支払われることになっており、また病の進行によって歩けなくなるまで試合の観戦も続けた。アメリカ野球殿堂への投票権を持つ全米野球記者協会(BBWAA)もゲーリッグの病の状況を考慮し、特例としてゲーリッグに対する特別投票が行われ、殿堂入りが決定した。36歳という当時史上最年少での殿堂入りにもかかわらず、病により式典に参加することはできなかった。 ゲーリッグの病状を診断したメイヨー・クリニックもデスクワークならまだ出来ると想定していたものの、首脳部はフロント入りの約束をほごにして、ゲーリッグに違う仕事を探した方が良いと示唆。これに対しゲーリッグは激怒した。1939年10月、ラガーディアに請われて、10年任期の仮釈放委員会委員に就任した。ゲーリッグはこの仕事に意欲的に取り組んだ。同僚委員の回想によると、ゲーリッグは夫人同伴で出勤し、夫人の介助の下で囚人との面談や仮釈放審査の業務に当たっていた。囚人との面談のときはいつも動かない両手を机の上に乗せたまま囚人の話を熱心に聞いた。囚人が「俺の人生はツイていないんだ」と愚痴や同情を引くような話を長々としても、黙って最後まで聞いたという。また、ゲーリッグは「俺もツイていないんだぞ」とは決して口にしなかった。ラガーディアはゲーリッグの仕事ぶりに大変満足していたと伝えられている。ゲーリッグは死の1か月前まで仮釈放委員会のオフィスに出勤して仕事をしていたが、次第に歩けなくなり車椅子の使用も拒否したことからニューヨーク郊外・リバーデイルの自宅にて完全に寝たきりの生活になった。この頃、発見されたばかりのビタミンEが奇跡を願って投与されたが、何ら効果をあげることはなかった。1941年5月下旬、ヤンキースの外野手、ジョージ・セルカークが病床のゲーリッグを見舞った時には最盛期93キロあった体重がわずか41キロしかなかったという。それでもゲーリッグは「良くなったらトレーニングを始めるよ」と弱々しく語った。 1941年6月2日に没。37歳。38歳の誕生日の17日前だった。ラガーディア市長は市内全域に半旗を掲げることを命令した。 エレノア夫人はゲーリッグの死後に一度も再婚せず、残りの人生は筋萎縮性側索硬化症の研究を支援することに捧げた。エレノアは1984年3月6日、80歳の誕生日に、夫の死から43年後に逝去した。晩年に出版した回顧録の中では「他の男性に20年間どんなに尽くしていただいたとしても、あの方と過ごした2分間に得ることのできた喜びや悲しみと引き替える気にはなれません」と述べている。 ゲーリッグが達成したMLBでの歴代1位記録はふたつあり、いずれも後年、記録を塗り替えられている。 2130試合連続試合出場記録 - 前述の通り、1995年にカル・リプケンによって更新。 通算満塁本塁打23本 - 2013年にアレックス・ロドリゲスによって更新。 それでも通算打点1995打点は、2022年シーズン終了時点で現在MLB歴代6位で、これを上回るのはハンク・アーロン(2297打点・755本塁打)、アルバート・プホルス(2217打点・703本塁打)、ベーブ・ルース(2213打点・714本塁打)、アレックス・ロドリゲス(2086打点・696本塁打)、バリー・ボンズ(1996打点・762本塁打)の5人で、いずれもが歴代通算本塁打トップ5であり、ゲーリッグ自身通算本塁打は493本塁打であること、またゲーリッグ自身の現役が17シーズン、出場機会の少なかった最初の2年間と引退した1939年を除けば実質14シーズンだったことを考えれば驚異的な記録と言える。 1999年にはMLBオールセンチュリー・チームに選ばれている。得票数は全選手中でトップだった。 2009年、引退70周年を記念して、MLB機構はALS関連の4団体を支援し、7月4日の試合ではセブンス・イニング・ストレッチの時にゲーリッグのスピーチが放送された。 2010年にゲーリッグは筋萎縮性側索硬化症ではなくCTEMという症状の似た別の病気だったという説が提唱されたが、CTEMは特殊な状態の組み合わせでしか発症しない極めてまれな病気であるためその可能性は低いと否定されている。 1931年と1934年に読売新聞社主催の日米野球において、全米選抜チームの一員として2度来日。大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)のルーツとなる全日選抜チームに対し、9戦全勝と圧倒している。沢村栄治の好投による「あわや完封負け」の危機から全米軍を救ったのがゲーリッグのソロ本塁打による1点だった。しかし沢村にまつわる不滅の伝説である「全米軍のクリーンナップを4連続奪三振」の中には、ゲーリッグもその名を連ねている。 死去の翌年の1942年、サム・ウッド監督による伝記映画『打撃王』(The Pride of the Yankees)が制作・公開された。原作はポール・ギャリコの『ルー・ゲーリッグ ヤンキースの誇り』。ゲーリッグ役をゲイリー・クーパーが演じた。ベーブ・ルースはじめヤンキース時代のメンバーの何人かも本人役で出演している。 「--」は公式記録なし。 通算成績の「*数字」は、不明年度があることを示す。 各年度の太字はリーグ最高 首位打者:1回(1934年) 本塁打王:3回(1931年、1934年、1936年) 打点王:5回(1927年、1928年、1930年、1931年、1934年) シーズンMVP:2回(1927年、1936年) 三冠王:1回(1934年) MLBオールスターゲーム選出:7回(1933年 - 1939年) サイクル安打:2回(1934年6月25日、1937年8月1日) 満塁本塁打数:23本(歴代2位) 4(1923年 - 1939年) 横浜公園平和野球場(第二次世界大戦後、アメリカ軍の日本占領時に「ルー・ゲーリックスタジアム」という名で呼ばれていた) 静岡県草薙総合運動場硬式野球場 ^ “All-Time #MLBRank: The 10 greatest first basemen” (英語). 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AFI.com. 2014年7月15日閲覧。 ^ Tara Krieger. “Eleanor Gehrig” (英語). SABR.org. 2014年7月20日閲覧。 ^ “Namesake Disease May Not Have Killed Lou Gehrig” (英語). TIME (TIME). (2010年8月17日). http://www.time.com/time/health/article/0,8599,2011489,00.html 2010年8月18日閲覧。 ^ 当時の日本では「ゲーリック」と呼ばれていた。 Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) A retirement party like no other in history ゲーリッグの引退スピーチ 表 話 編 歴 ディック・アレン キャップ・アンソン ジェフ・バグウェル ハロルド・ベインズ ジェイク・ベックリー ジム・ボトムリー ダン・ブローザース オーランド・セペダ フランク・チャンス ロジャー・コナー ジミー・フォックス ルー・ゲーリッグ ハンク・グリーンバーグ トッド・ヘルトン ギル・ホッジス ジョージ・ケリー ハーモン・キルブルー バック・レナード エドガー・マルティネス ウィリー・マッコビー フレッド・マグリフ ジョニー・マイズ ポール・モリター エディ・マレー バック・オニール デビッド・オルティーズ トニー・ペレス ジョージ・シスラー ミュール・サトルス ベン・テイラー ビル・テリー フランク・トーマス ジム・トーミ 表 話 編 歴 ミゲル・カブレラ タイ・カッブ ヒュー・ダフィー ジミー・フォックス ルー・ゲーリッグ ポール・ハインズ ロジャース・ホーンスビー チャック・クライン ナップ・ラジョイ ミッキー・マントル ジョー・メドウィック ティップ・オニール フランク・ロビンソン テッド・ウィリアムズ カール・ヤストレムスキー 表 話 編 歴 11 タイ・カッブ 12 トリス・スピーカー 13 ウォルター・ジョンソン 14 エディ・コリンズ 22 ジョージ・シスラー 23 ベーブ・ルース 24 ウォルター・ジョンソン 25 ロジャー・ペキンポー 26 ジョージ・バーンズ 27 ルー・ゲーリッグ 28 ミッキー・カクレーン 以下、全米野球記者協会(BBWAA)による表彰 31 レフティ・グローブ 32 ジミー・フォックス 33 ジミー・フォックス 34 ミッキー・カクレーン 35 ハンク・グリーンバーグ 36 ルー・ゲーリッグ 37 チャーリー・ゲーリンジャー 38 ジミー・フォックス 39 ジョー・ディマジオ 40 ハンク・グリーンバーグ 41 ジョー・ディマジオ 42 ジョー・ゴードン 43 スパッド・チャンドラー 44 ハル・ニューハウザー 45 ハル・ニューハウザー 46 テッド・ウィリアムズ 47 ジョー・ディマジオ 48 ルー・ブードロー 49 テッド・ウィリアムズ 50 フィル・リズート 51 ヨギ・ベラ 52 ボビー・シャンツ 53 アル・ローゼン 54 ヨギ・ベラ 55 ヨギ・ベラ 56 ミッキー・マントル 57 ミッキー・マントル 58 ジャッキー・ジェンセン 59 ネリー・フォックス 60 ロジャー・マリス 61 ロジャー・マリス 62 ミッキー・マントル 63 エルストン・ハワード 64 ブルックス・ロビンソン 65 ソイロ・ベルサイエス 66 フランク・ロビンソン 67 カール・ヤストレムスキー 68 デニー・マクレイン 69 ハーモン・キルブルー 70 ブーグ・パウエル 71 ヴァイダ・ブルー 72 ディック・アレン 73 レジー・ジャクソン 74 ジェフ・バロウズ 75 フレッド・リン 76 サーマン・マンソン 77 ロッド・カルー 78 ジム・ライス 79 ドン・ベイラー 80 ジョージ・ブレット 81 ローリー・フィンガーズ 82 ロビン・ヨーント 83 カル・リプケン・ジュニア 84 ウィリー・ヘルナンデス 85 ドン・マッティングリー 86 ロジャー・クレメンス 87 ジョージ・ベル 88 ホセ・カンセコ 89 ロビン・ヨーント 90 リッキー・ヘンダーソン 91 カル・リプケン・ジュニア 92 デニス・エカーズリー 93 フランク・トーマス 94 フランク・トーマス 95 モー・ボーン 96 フアン・ゴンザレス 97 ケン・グリフィー・ジュニア 98 フアン・ゴンザレス 99 イバン・ロドリゲス 00 ジェイソン・ジアンビ 01 イチロー 02 ミゲル・テハダ 03 アレックス・ロドリゲス 04 ブラディミール・ゲレーロ 05 アレックス・ロドリゲス 06 ジャスティン・モルノー 07 アレックス・ロドリゲス 08 ダスティン・ペドロイア 09 ジョー・マウアー 10 ジョシュ・ハミルトン 11 ジャスティン・バーランダー 12 ミゲル・カブレラ 13 ミゲル・カブレラ 14 マイク・トラウト 15 ジョシュ・ドナルドソン 16 マイク・トラウト 17 ホセ・アルトゥーベ 18 ムーキー・ベッツ 19 マイク・トラウト 20 ホセ・アブレイユ 21 大谷翔平 22 アーロン・ジャッジ 23 大谷翔平 24 アーロン・ジャッジ 表 話 編 歴 01 ナップ・ラジョイ 02 エド・デラハンティ 03 ナップ・ラジョイ 04 ナップ・ラジョイ 05 エルマー・フリック 06 ジョージ・ストーン 07 タイ・カッブ 08 タイ・カッブ 09 タイ・カッブ 10 タイ・カッブ 11 タイ・カッブ 12 タイ・カッブ 13 タイ・カッブ 14 タイ・カッブ 15 タイ・カッブ 16 トリス・スピーカー 17 タイ・カッブ 18 タイ・カッブ 19 タイ・カッブ 20 ジョージ・シスラー 21 ハリー・ハイルマン 22 ジョージ・シスラー 23 ハリー・ハイルマン 24 ベーブ・ルース 25 ハリー・ハイルマン 26 ヘイニー・マナシュ 27 ハリー・ハイルマン 28 グース・ゴスリン 29 ルー・フォンセカ(英語版) 30 アル・シモンズ 31 アル・シモンズ 32 デール・アレキサンダー(英語版) 33 ジミー・フォックス 34 ルー・ゲーリッグ 35 バディー・マイヤー(英語版) 36 ルーク・アップリング 37 チャーリー・ゲーリンジャー 38 ジミー・フォックス 39 ジョー・ディマジオ 40 ジョー・ディマジオ 41 テッド・ウィリアムズ 42 テッド・ウィリアムズ 43 ルーク・アップリング 44 ルー・ブードロー 45 スナッフィー・スターンワイス(英語版) 46 ミッキー・バーノン 47 テッド・ウィリアムズ 48 テッド・ウィリアムズ 49 ジョージ・ケル 50 ビリー・グッドマン(英語版) 51 フェリス・フェイン(英語版) 52 フェリス・フェイン(英語版) 53 ミッキー・バーノン 54 ボビー・アビラ(英語版) 55 アル・ケーライン 56 ミッキー・マントル 57 テッド・ウィリアムズ 58 テッド・ウィリアムズ 59 ハービー・キーン 60 ピート・ラネルズ(英語版) 61 ノーム・キャッシュ 62 ピート・ラネルズ(英語版) 63 カール・ヤストレムスキー 64 トニー・オリバ 65 トニー・オリバ 66 フランク・ロビンソン 67 カール・ヤストレムスキー 68 カール・ヤストレムスキー 69 ロッド・カルー 70 アレックス・ジョンソン 71 トニー・オリバ 72 ロッド・カルー 73 ロッド・カルー 74 ロッド・カルー 75 ロッド・カルー 76 ジョージ・ブレット 77 ロッド・カルー 78 ロッド・カルー 79 フレッド・リン 80 ジョージ・ブレット 81 カーネイ・ランスフォード 82 ウィリー・ウィルソン 83 ウェイド・ボッグス 84 ドン・マッティングリー 85 ウェイド・ボッグス 86 ウェイド・ボッグス 87 ウェイド・ボッグス 88 ウェイド・ボッグス 89 カービー・パケット 90 ジョージ・ブレット 91 フリオ・フランコ 92 エドガー・マルティネス 93 ジョン・オルルド 94 ポール・オニール 95 エドガー・マルティネス 96 アレックス・ロドリゲス 97 フランク・トーマス 98 バーニー・ウィリアムス 99 ノマー・ガルシアパーラ 00 ノマー・ガルシアパーラ 01 イチロー 02 マニー・ラミレス 03 ビル・ミラー 04 イチロー 05 マイケル・ヤング 06 ジョー・マウアー 07 マグリオ・オルドニェス 08 ジョー・マウアー 09 ジョー・マウアー 10 ジョシュ・ハミルトン 11 ミゲル・カブレラ 12 ミゲル・カブレラ 13 ミゲル・カブレラ 14 ホセ・アルトゥーベ 15 ミゲル・カブレラ 16 ホセ・アルトゥーベ 17 ホセ・アルトゥーベ 18 ムーキー・ベッツ 19 ティム・アンダーソン 20 DJ・ルメイユ 21 ユリ・グリエル 22 ルイス・アラエス 23 ヤンディ・ディアス 24 ボビー・ウィット・ジュニア 表 話 編 歴 01 ナップ・ラジョイ 02 ソックス・セイボールド(英語版) 03 バック・フリーマン(英語版) 04 ハリー・デービス 05 ハリー・デービス 06 ハリー・デービス 07 ハリー・デービス 08 サム・クロフォード 09 タイ・カッブ 10 ジェイク・スタール(英語版) 11 フランク・ベーカー 12 フランク・ベーカー、トリス・スピーカー 13 フランク・ベーカー 14 フランク・ベーカー 15 ブラッゴ・ロス(英語版) 16 ウォーリー・ピップ 17 ウォーリー・ピップ 18 ベーブ・ルース、ティリー・ウォーカー(英語版) 19 ベーブ・ルース 20 ベーブ・ルース 21 ベーブ・ルース 22 ケン・ウィリアムズ 23 ベーブ・ルース 24 ベーブ・ルース 25 ボブ・ミューゼル 26 ベーブ・ルース 27 ベーブ・ルース 28 ベーブ・ルース 29 ベーブ・ルース 30 ベーブ・ルース 31 ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ 32 ジミー・フォックス 33 ジミー・フォックス 34 ルー・ゲーリッグ 35 ジミー・フォックス、ハンク・グリーンバーグ 36 ルー・ゲーリッグ 37 ジョー・ディマジオ 38 ハンク・グリーンバーグ 39 ジミー・フォックス 40 ハンク・グリーンバーグ 41 テッド・ウィリアムズ 42 テッド・ウィリアムズ 43 ルディ・ヨーク(英語版) 44 ニック・エッテン(英語版) 45 ヴァーン・スティーヴンス(英語版) 46 ハンク・グリーンバーグ 47 テッド・ウィリアムズ 48 ジョー・ディマジオ 49 テッド・ウィリアムズ 50 アル・ローゼン 51 ガス・ザーニアル(英語版) 52 ラリー・ドビー 53 アル・ローゼン 54 ラリー・ドビー 55 ミッキー・マントル 56 ミッキー・マントル 57 ロイ・シーバース(英語版) 58 ミッキー・マントル 59 ハーモン・キルブルー、ロッキー・コラビト 60 ミッキー・マントル 61 ロジャー・マリス 62 ハーモン・キルブルー 63 ハーモン・キルブルー 64 ハーモン・キルブルー 65 トニー・コニグリアロ 66 フランク・ロビンソン 67 ハーモン・キルブルー、カール・ヤストレムスキー 68 フランク・ハワード 69 ハーモン・キルブルー 70 フランク・ハワード 71 ビル・メルトン(英語版) 72 ディック・アレン 73 レジー・ジャクソン 74 ディック・アレン 75 レジー・ジャクソン、ジョージ・スコット 76 グレイグ・ネトルズ 77 ジム・ライス 78 ジム・ライス 79 ゴーマン・トーマス 80 レジー・ジャクソン、ベン・オグリビー 81 エディ・マレー、トニー・アーマス・シニア、ドワイト・エバンス、ボビー・グリッチ 82 レジー・ジャクソン、ゴーマン・トーマス 83 ジム・ライス 84 トニー・アーマス・シニア 85 ダレル・エバンス 86 ジェシー・バーフィールド 87 マーク・マグワイア 88 ホセ・カンセコ 89 フレッド・マグリフ 90 セシル・フィルダー 91 セシル・フィルダー、ホセ・カンセコ 92 フアン・ゴンザレス 93 フアン・ゴンザレス 94 ケン・グリフィー・ジュニア 95 アルバート・ベル 96 マーク・マグワイア 97 ケン・グリフィー・ジュニア 98 ケン・グリフィー・ジュニア 99 ケン・グリフィー・ジュニア 00 トロイ・グロース 01 アレックス・ロドリゲス 02 アレックス・ロドリゲス 03 アレックス・ロドリゲス 04 マニー・ラミレス 05 アレックス・ロドリゲス 06 デビッド・オルティーズ 07 アレックス・ロドリゲス 08 ミゲル・カブレラ 09 カルロス・ペーニャ、マーク・テシェイラ 10 ホセ・バティスタ 11 ホセ・バティスタ 12 ミゲル・カブレラ 13 クリス・L・デービス 14 ネルソン・クルーズ 15 クリス・L・デービス 16 マーク・トランボ 17 アーロン・ジャッジ 18 クリス・A・デービス 19 ホルヘ・ソレア 20 ルーク・ボイト 21 ブラディミール・ゲレーロ・ジュニア、サルバドール・ペレス 22 アーロン・ジャッジ 23 大谷翔平 24 アーロン・ジャッジ 表 話 編 歴 01 ナップ・ラジョイ 02 バック・フリーマン(英語版) 03 バック・フリーマン(英語版) 04 ナップ・ラジョイ 05 ハリー・デービス 06 ハリー・デービス 07 タイ・カッブ 08 タイ・カッブ 09 タイ・カッブ 10 サム・クロフォード 11 フランク・ベーカー 12 フランク・ベーカー 13 フランク・ベーカー 14 サム・クロフォード 15 サム・クロフォード、ボビー・ビーチ(英語版) 16 デル・パレット(英語版) 17 ボビー・ビーチ(英語版) 18 ボビー・ビーチ(英語版) 19 ベーブ・ルース 20 ベーブ・ルース 21 ベーブ・ルース 22 ケン・ウィリアムズ 23 ベーブ・ルース 24 グース・ゴスリン 25 ボブ・ミューゼル 26 ベーブ・ルース 27 ベーブ・ルース 28 ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグ 29 アル・シモンズ 30 ルー・ゲーリッグ 31 ルー・ゲーリッグ 32 ジミー・フォックス 33 ジミー・フォックス 34 ルー・ゲーリッグ 35 ハンク・グリーンバーグ 36 ハル・トロスキー(英語版) 37 ハンク・グリーンバーグ 38 ジミー・フォックス 39 テッド・ウィリアムズ 40 ハンク・グリーンバーグ 41 ジョー・ディマジオ 42 テッド・ウィリアムズ 43 ルディ・ヨーク(英語版) 44 バーン・スティーブンス(英語版) 45 ニック・エッテン(英語版) 46 ハンク・グリーンバーグ 47 テッド・ウィリアムズ 48 テッド・ウィリアムズ 49 テッド・ウィリアムズ、バーン・スティーブンス(英語版) 50 ウォルト・ドローポ(英語版)、バーン・スティーブンス(英語版) 51 ガス・ザーニアル(英語版) 52 アル・ローゼン 53 アル・ローゼン 54 ラリー・ドビー 55 レイ・ブーン、ジャッキー・ジェンセン 56 ミッキー・マントル 57 ロイ・シーバース(英語版) 58 ジャッキー・ジェンセン 59 ジャッキー・ジェンセン 60 ロジャー・マリス 61 ロジャー・マリス 62 ハーモン・キルブルー 63 ディック・スチュアート 64 ブルックス・ロビンソン 65 ロッキー・コラビト 66 フランク・ロビンソン 67 カール・ヤストレムスキー 68 ケン・ハレルソン 69 ハーモン・キルブルー 70 フランク・ハワード 71 ハーモン・キルブルー 72 ディック・アレン 73 レジー・ジャクソン 74 ジェフ・バロウズ 75 ジョージ・スコット 76 リー・メイ 77 ラリー・ハイズル 78 ジム・ライス 79 ドン・ベイラー 80 セシル・クーパー 81 エディ・マレー 82 ハル・マクレー 83 ジム・ライス、セシル・クーパー 84 トニー・アーマス 85 ドン・マッティングリー 86 ジョー・カーター 87 ジョージ・ベル 88 ホセ・カンセコ 89 ルーベン・シエラ 90 セシル・フィルダー 91 セシル・フィルダー 92 セシル・フィルダー 93 アルバート・ベル 94 カービー・パケット 95 アルバート・ベル、モー・ボーン 96 アルバート・ベル 97 ケン・グリフィー・ジュニア 98 フアン・ゴンザレス 99 マニー・ラミレス 00 エドガー・マルティネス 01 ブレット・ブーン 02 アレックス・ロドリゲス 03 カルロス・デルガド 04 ミゲル・テハダ 05 デビッド・オルティーズ 06 デビッド・オルティーズ 07 アレックス・ロドリゲス 08 ジョシュ・ハミルトン 09 マーク・テシェイラ 10 ミゲル・カブレラ 11 カーティス・グランダーソン 12 ミゲル・カブレラ 13 クリス・デービス 14 マイク・トラウト 15 ジョシュ・ドナルドソン 16 エドウィン・エンカーナシオン、デビッド・オルティーズ 17 ネルソン・クルーズ 18 J.D.マルティネス 19 ホセ・アブレイユ 20 ホセ・アブレイユ 21 サルバドール・ペレス 22 アーロン・ジャッジ 23 カイル・タッカー 24 アーロン・ジャッジ 表 話 編 歴 ノーラン・ライアン サンディー・コーファックス サイ・ヤング ロジャー・クレメンス ボブ・ギブソン ウォルター・ジョンソン ウォーレン・スパーン クリスティ・マシューソン レフティ・グローブ ジョニー・ベンチ ヨギ・ベラ ルー・ゲーリッグ マーク・マグワイア ジャッキー・ロビンソン ロジャース・ホーンスビー マイク・シュミット ブルックス・ロビンソン カル・リプケン・ジュニア アーニー・バンクス ホーナス・ワグナー ベーブ・ルース ハンク・アーロン テッド・ウィリアムズ ウィリー・メイズ ジョー・ディマジオ ミッキー・マントル タイ・カッブ ケン・グリフィー・ジュニア ピート・ローズ スタン・ミュージアル 表 話 編 歴 ウォルター・ビオール / ベニー・ ベンゴフ / パット・コリンズ / アール・コームス / ジョー・ドゥーガン / セドリック・ダースト / マイク・ガゼラ / ルー・ゲーリッグ / ジョー・ジアール / ジョニー・グラボースキー / ウェイト・ホイト / マーク・コーニグ / トニー・ラゼリ / ウィルシー・モーア / レイ・モアハート / ボブ・ミューゼル / ベン・パスカル / ハーブ・ペノック / ジョージ・ピプグラス / ダッチ・リューサー / ベーブ・ルース / ボブ・シャウキー / アーバン・ショッカー / マイルズ・トーマス / ジュリー・ウェラ監督 ミラー・ハギンス 表 話 編 歴 ベニー・ ベンゴフ / ジョージ・バーンズ / アーチー・キャンベル / パット・コリンズ / スタン・コベレスキ / アール・コームス / ビル・ディッキー / ジョー・ドゥーガン / レオ・ドローチャー / セドリック・ダースト / マイク・ガゼラ / ルー・ゲーリッグ / ジョニー・グラボースキー / フレッド・へマッチ / ウェイト・ホイト / ハンク・ジョンソン / マーク・コーニグ / トニー・ラゼリ / ウィルシー・モーア / ボブ・ミューゼル / ベン・パスカル / ハーブ・ペノック / ジョージ・ピプグラス / ジーン・ロバートソン / ベーブ・ルース / ロッシー・ロバートソン / ボブ・シャウキー / アル・シェーリー / アーバン・ショッカー / マイルズ・トーマス / トム・ザカリー監督 ミラー・ハギンス 表 話 編 歴 1 アール・コームス / 2 リン・ラリー / 3 ベーブ・ルース / 4 ルー・ゲーリッグ / 5 フランキー・クロセッティ / 6 ベン・チャップマン / 7 ジャック・ソルツゲイバー / 8 ビル・ディッキー / 9 アート・ヨルゲンス / 10 ジョージ・ピプグラス / 11 レフティ・ゴメス / 12 ハーブ・ペノック / 14 エド・ウェルズ / 15 レッド・ラフィング / 17 ダニー・マクファディエン / 18 ジョニー・アレン / 20 チャーリー・ディヴェンス / 20 ジョニー・マーフィー / 21 ジョー・シーウェル / 22 ドク・ファレル / 23 トニー・ラゼリ / 24 サミー・バード / 26 ジョー・グレン / 27 マイリル・ホウグ / 28 アイビー・アンドリュース / 32 ダスティ・クック / 32 エディ・フィリップス / - ロイ・シャーク 監督 ジョー・マッカーシー 表 話 編 歴 1 ロイ・ジョンソン / 2 レッド・ロルフ / 3 ジョージ・セルカーク / 4 ルー・ゲーリッグ / 5 フランキー・クロセッティ / 6 トニー・ラゼリ / 7 ジェイク・パウエル / 8 ビル・ディッキー / 9 ジョー・ディマジオ / 11 レフティ・ゴメス / 14 バンプ・ハドレー / 15 レッド・ラフィング / 16 モンテ・ピアソン / 19 ジョニー・マーフィー / 21 パット・マローン / 22 ボブ・シーズ 監督 ジョー・マッカーシー 表 話 編 歴 1 フランキー・クロセッティ / 2 レッド・ロルフ / 3 ジョージ・セルカーク / 4 ルー・ゲーリッグ / 5 ジョー・ディマジオ / 6 トニー・ラゼリ / 7 ジェイク・パウエル / 8 ビル・ディッキー / 9 マイリル・ホウグ / 11 レフティ・ゴメス / 14 バンプ・ハドレー / 15 レッド・ラフィング / 16 モンテ・ピアソン / 19 ジョニー・マーフィー / 24 アイビー・アンドリュース / 25 ケンプ・ウィッカー 監督 ジョー・マッカーシー 表 話 編 歴 1 フランキー・クロセッティ / 2 レッド・ロルフ / 3 ジョージ・セルカーク / 4 ルー・ゲーリッグ / 5 ジョー・ディマジオ / 6 ジョー・ゴードン / 7 ジェイク・パウエル / 8 ビル・ディッキー / 9 マイリル・ホウグ / 11 レフティ・ゴメス / 15 レッド・ラフィング / 16 モンテ・ピアソン / 17 トミー・ヘンリッチ / 19 ジョニー・マーフィー 監督 ジョー・マッカーシー 表 話 編 歴 歴史 選手 監督 成績 YESネットワーク オリオール・パーク ヒルトップ・パーク ポロ・グラウンズ 旧ヤンキー・スタジアム シェイ・スタジアム ヤンキー・スタジアム サブウェイ・シリーズ 『ニューヨーク・ニューヨーク』 『打撃王』 『スカウト/涙の81球』 『くたばれ!ヤンキース』 ニューヨーク・シティFC 対ドジャース 対ジャイアンツ(英語版) 対メッツ(英語版) 対レッドソックス(英語版) 1 2 3 4 5 6 7 8 8 9 10 15 16 20 21 23 32 37 42 42 44 46 49 51 1923 1927 1928 1932 1936 1937 1938 1939 1941 1943 1947 1949 1950 1951 1952 1953 1956 1958 1961 1962 1977 1978 1996 1998 1999 2000 2009 1921 1922 1926 1942 1955 1957 1960 1963 1964 1976 1981 2001 2003 2024 1921 1922 1923 1926 1927 1928 1932 1936 1937 1938 1939 1941 1942 1943 1947 1949 1950 1951 1952 1953 1955 1956 1957 1958 1960 1961 1962 1963 1964 1976 1977 1978 1981 1996 1998 1999 2000 2001 2003 2009 2024 バンビーノの呪い 1978年のアメリカンリーグ東地区優勝決定プレイオフ パインタール事件 伊良部メジャーリーグ移籍騒動 コア4 2006年ニューヨーク小型機衝突事故 ドミンゴ・ヘルマンの完全試合 スクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダース(AAA級) サマセット・ペイトリオッツ(AA級) ハドソンバレー・レネゲーズ(High-A級) タンパ・ターポンズ(Low-A級) フロリダ・コンプレックスリーグ・ヤンキース(Rookie級) ドミニカン・サマーリーグ・ヤンキース(Rookie級) FAST ISNI VIAF WorldCat スペイン フランス BnF data ドイツ イスラエル アメリカ 日本 チェコ オランダ MusicBrainz 公文書館(アメリカ) SNAC ルー・ゲーリッグ アメリカ合衆国の野球選手 ドイツ系アメリカ人の野球選手 コロンビア大学出身の野球選手 ニューヨーク・ヤンキースの選手 アメリカンリーグMVP アメリカンリーグ首位打者 アメリカンリーグ本塁打王 アメリカンリーグ打点王 MLBオールスターゲーム選出選手 MLB永久欠番保持者 アメリカ野球殿堂表彰者 訪日外国人 障害を持つ人物 筋萎縮性側索硬化症で死亡した人物 コロンビア大学出身の人物 ニューヨーク市出身の人物 1903年生 1941年没 出典のページ番号が要望されている記事 2025/04/11 04:22更新
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