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ロバート=ミッチャム
ロバート=ミッチャム(Robert Mitchum)さんの誕生日は1917年8月6日です。
参照などについてまとめました。父親、母親、事故、結婚、映画、事件、趣味、ドラマに関する情報もありますね。
ロバート・ミッチャム(Robert Mitchum, 本名: Robert Charles Durman Mitchum, 1917年8月6日 - 1997年7月1日)は、アメリカ合衆国出身の俳優。実弟ジョンも俳優。また長男ジェームズ、次男クリストファーはじめ、孫のキャリー、ベントレーも同じく俳優となっている。 眠たそうな瞳を擁した顔立ちに加え、がっしりとした体格を武器に戦後のスクリーンを賑わせたタフガイ俳優としてお馴染みで、スリーピング・アイという異名をとった。 スコットランド=アイルランド系の父親とノルウェー系の母親の間に、コネチカット州にて生まれる。1歳のときに列車事故で鉄道員の父親を失い、一家は母親の実家のあるニューヨーク州に移り住む。子供の頃から家庭に恵まれずにすさんだ青春を送り、14歳のとき船員になろうと家を出て生計を立て、炭鉱夫、排水溝夫などの肉体労働で各地を回った。その末にカリフォルニア州に出稼ぎに出るが、浮浪者として逮捕されたこともあった。その後、プロボクサーとなって27試合に出場するが指を骨折し断念、キャッチコピーやトレードマークになった眠そうな眼はボクサー時の名残である。 1940年には同級生のドロシー・スペンサーと結婚し、南カリフォルニアにあるロッキード社の飛行機工場に就職。その頃、地元のアマチュア劇団に遭遇し、俳優としてのキャリアをスタートさせる。劇団で演技の経験を積み、クラブの歌手だった姉のマネージャーの紹介で映画界入りして、1942年には映画『Border Patrol』でボブ・ミッチャムの名で映画デビュー、1944年にはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社の『東京上空三十秒』に端役として出演して以来、RKO社の目に留まって専属契約を結び、本格的な主演級の俳優として注目される。翌年、従軍記者アーニー・パイル原作の『G・I・ジョー』ではアカデミー助演男優賞にノミネート。 1945年には徴兵されるが、終戦のため兵役期間は数ヶ月で終了。映画界に復帰し、1947年の『過去を逃れて』では悪女に翻弄される私立探偵を演じる。これにより無表情でクールなタフ・ガイとしてのイメージを築き上げ、その後も、ニューロティック映画の要素を取り入れた異色ウェスタン『追跡』、ユダヤ人差別問題にメスを入れた問題作『十字砲火』などの話題作に出演して頭角を現す。しかし、1948年にマリファナ所持の容疑で逮捕、43日間(2月16日から5月30日まで)監獄農場に勾留されたが、結果冤罪である事が証明された。ハワード・ヒューズの側近によるスターの移籍阻止をめぐる体制側による捏造だった事が後年判明した。この事件より逆にバッド・ボーイのイメージで売れ出し、さらに1950年代前半はこうした逆境をさらに跳ね除けるようにスターダムにトップスターに登りつめ、マリリン・モンローと共演した『帰らざる河』、ジャック・パランスと東西のタフガイ男優共演となった『第2の機会』などの大ヒットで地位を確立した。 尼僧と共に日本軍占領下の島に取り残された米兵を演じた『白い砂』、クルト・ユルゲンス率いるドイツ軍Uボートと頭脳戦を繰り広げる駆逐艦の艦長を演じた『眼下の敵』などこれまでのイメージのタフガイを演じた一方、50年代後半から1960年代にかけては一転して犯罪者役や悪役にも挑戦、『狩人の夜』のエセ伝道師役や『恐怖の岬』の犯罪者マックス・ケイティ役などを務めた。後者は後にロバート・デ・ニーロ主演によって『ケープ・フィアー』としてリメイクされたが、ミッチャムはオリジナルの主演だったグレゴリー・ペックと共に脇役として出演していた。一方、西部劇では『エル・ドラド』でジョン・ウェインと共演したが、このときの役は女性関係で傷つきアルコール使用障害になった保安官であった。この作品ではジョン・ウェインとの息のあったコミカルな演技を見せた。若い頃から趣味で歌の作詞をしていたが、1958年の低予算探偵映画『Thunder Road』では製作、主演、脚本を手掛けただけでなく、主題歌「Whippoorwill」を作詞してヒットさせた。先の『エル・ドラド』ではピアノ弾き語りも撮影されたが公開版では削除された。他には『芝生は緑』、『史上最大の作戦』などに出演。 1970年代は大作『ライアンの娘』で難役を演じ、演技派として転向。1975年には日本を舞台に『ザ・ヤクザ』で高倉健と共演、来日時にインタビューした南部圭之助は、バッドボーイのイメージは皆無な紳士であったと、著書で証言している。またレイモンド・チャンドラー原作の『さらば愛しき女よ』では、私立探偵フィリップ・マーロウをハンフリー・ボガートとは一味違った年老いたキャラクターで演じて、映画もヒットした。 1980年代に入ってからは、TVドラマにおいてもハードボイルド系の作品で探偵役、マフィアものの作品での不気味なドンなど、性格俳優としても開眼。老いてますますキャリアを広げていった。 なお、辞退した主演として『ワイルドバンチ』『パットン大戦車軍団』『ローズバット』『アトランティック・シティ』などがある。 晩年は、偶然にも同年生まれでボクサー出身という共通点があり映画でも2本で共演したディーン・マーティンと同じ肺癌を患うが、病状をおして映画に出演を続け、孫娘キャリーとの共演を実現した後、1997年に呼吸器疾患が原因で死去した。 参照^ 南部圭之助『男優の世界』東京ブック, 1975年 2024/05/16 14:22更新
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