ロブ=デューシーの情報(RobDucey) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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ロブ=デューシーの情報まとめ
ロブ=デューシー(Rob Ducey)さんの誕生日は1965年5月24日です。
選手としての特徴、詳細情報などについてまとめました。引退に関する情報もありますね。ロブ=デューシーの現在の年齢は59歳のようです。
ロブ=デューシーのプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)ロバート・トーマス・デューシー(Robert Thomas "Rob" Ducey , 1965年5月24日 - )は、カナダ・オンタリオ州トロント出身の元プロ野球選手(外野手)。右投げ左打ち。 1984年にトロント・ブルージェイズと契約を結んだ。 1987年5月1日にメジャーデビュー。初の地元出身選手となった。 1992年シーズン途中にカリフォルニア・エンゼルスにトレードされた。 1992年オフにテキサス・レンジャーズに移籍した。 1994年に退団した。 1995年に日本ハムファイターズに入団。主に1番打者として活躍。1番でありながら本塁打をよく放つ姿から恐怖の1番打者の異名をとる。本塁打・打点の成績と選球眼は、助っ人外国人として上々なものの打率は低かった。このような成績や後述の乱闘騒ぎを起こしたことから、当初はこの年限りでの退団が濃厚だったが、新しい外国人が見つからなかったことやデューシー自身の「もう手は出さない」と球団に固く誓ったことから、翌年も残留が決まった。その言葉通り翌年は退場をはじめトラブルを起こすことはなかった。 1996年、この年も主に1番打者を務めたが、5月26日のダイエー戦では史上6人目の1試合5三振を記録。リーグ最多四球を記録したものの、打率が前年と変わらない2割4分台に終わりこの年限りで退団した。 1997年にシアトル・マリナーズと契約を結んだ。3年振りにメジャーに復帰した。 1998年に退団した。 1999年はフィラデルフィア・フィリーズと契約を結び、プレーした。 2000年7月26日にトレードでトロント・ブルージェイズへ移籍した。8年振りに古巣に復帰した。 2000年8月7日にミッキー・モランディーニとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ復帰した。翌2001年6月8日に退団した。 2001年6月12日にモントリオール・エクスポズと契約。7月22日の試合がメジャー最後の出場となった。 2002年に独立リーグノーザンリーグのアディロンダック・ランバージャックスでプレーしたのを最後に引退。 エクスポズ傘下のAA級ハリスバーグ・セネターズでコーチをしていた2004年には、アテネオリンピックのカナダ代表に選手として復帰。当時39歳で、野球競技に出場した8ヶ国・191選手の中で最年長だった。日本との3位決定戦にも代打で出場した。 その後、ニューヨーク・ヤンキース傘下のA-級スタテンアイランド・ヤンキースの打撃コーチを務めた。 2006年1月にブルージェイズのスカウトに就任。3月にはこの年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のカナダ代表のコーチを務めた。 2009年10月に解雇された。 2011年、タンパベイ・レイズのスカウトに就任。 2013年にカナダ野球殿堂入りを果たした。 2015年10月20日に第1回WBSCプレミア12のカナダ代表コーチを務めることが発表された。 2020年、台湾プロ野球の富邦ガーディアンズの打撃コーチに就任した。登録名の漢字表記は「杜西」。 選手としての特徴日本ハム時代は前述の通り、低打率に喘いだため2年で退団してしまったが、意外にも選球眼は非常に良く、出塁率が高かった。1996年は、四死球数がリーグトップの88であった。また、外国人としては珍しく俊足であったため、低打率ながらも1番打者として起用され続けた(しかし盗塁数は少なかった)。 カナダ人で、カナダのトロントに本拠地を置くトロント・ブルージェイズ、かつてモントリオールに本拠地を置いていたモントリオール・エクスポズ(現・ワシントン・ナショナルズ)の両チームに在籍した経験を持つ選手の一人(デューシーの他には、ショーン・ヒル、デニス・ブーシェ、マット・ステアーズがいる)。 退場処分気が短く、1995年に当時のプロ野球タイ記録の1シーズン3回の退場処分を受けている。 5月7日の対近鉄戦の8回表、1アウト1、2塁の場面でセカンドゴロを放ち併殺打。アウトになった際にヘルメットを地面に叩きつけ、良川昌美塁審に暴言を吐き退場処分を受けた。 9月16日の対ダイエー戦の1回裏、3塁ランナーだったデューシーは日本ハム3番打者片岡篤史のファーストゴロの間にホームに突入し、余裕でセーフのタイミングにもかかわらずダイエー捕手の坊西浩嗣を吹っ飛ばしてホームイン。これを見ていたダイエーのケビン・ライマーが激怒し、ベンチを飛び出しデューシーに襲いかかり乱闘騒ぎを起こしたため、ライマーと共に退場処分。 9月17日の対ダイエーの1回裏、先頭打者デューシーはダイエー先発の藤井将雄からいきなり初球で死球を受け、これを昨日の報復ととらえマウンドへ向かい、止めに入った坊西に暴行を働き、2日続けて乱闘騒ぎを起こし、2日連続で退場処分。なお、坊西によると、このときの死球については監督と相談せずに選手とコーチで報復を決めてぶつけたということである。ただし、西日本スポーツの2022年記事は、「もちろん藤井のデューシーへの死球は報復ではなかっただろう」と振り返っている。 詳細情報年度別打撃成績各年度の太字はリーグ最高 表彰ティップ・オニール賞:1回 (1986年) 記録初出場・初先発出場:1995年4月1日、対近鉄バファローズ1回戦(藤井寺球場)、1番・中堅手として先発出場 初安打・初本塁打・初打点:同上、4回表に山崎慎太郎からソロ 初盗塁:1995年5月6日、対近鉄バファローズ7回戦(藤井寺球場)、1回表に二盗(投手:池上誠一、捕手:光山英和) 1試合5三振:1996年5月26日、対福岡ダイエーホークス3回戦(東京ドーム) ※史上6人目(パ・リーグ3人目) 背番号40 (1987年 - 1988年) 20 (1988年 - 1992年) 16 (1992年) 40 (1993年) 12 (1994年) 20 (1995年 - 1996年) 29 (1997年) 20 (1998年) 25 (1999年 - 2000年、2020年 - ) 22 (2000年) 29 (2001年) 2 (2001年) 代表歴アテネオリンピック野球カナダ代表 コーチ歴2006 ワールド・ベースボール・クラシック・カナダ代表 北京オリンピック野球カナダ代表 2015 WBSCプレミア12 カナダ代表 2024/06/08 15:49更新
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Rob Ducey
ロブ=デューシーと同じ誕生日5月24日生まれの人
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