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中田裕二の情報 (なかだゆうじ)
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■名前・氏名
中田 裕二
(なかだ ゆうじ)
■職業
ミュージシャン
■中田裕二の誕生日・生年月日
1981年4月17日(年齢43歳)
■出身地・都道府県
熊本出身

中田裕二と同じ年に生まれた芸能人(1981年生まれ)

中田裕二と同じ誕生日の人(4月17日)

中田裕二と同じ出身地の芸能人(熊本県生まれ)


中田裕二

中田 裕二(なかだ ゆうじ)さんは 熊本出身のミュージシャンのようです。 誕生日は1981年4月17日です。

略歴・概要

中学2年生からバンド活動を開始し、18歳で熊本から仙台へ移住。

2000年に宮城県仙台市で椿屋四重奏を結成。2001年に上京する。バンド活動と平行して2009年にカバー曲中心のソロ・プロジェクト「SONG COMPOSITE」(2014年7月まで)を始動。2010年12月31日に仙台で行われたカウントダウンライブをもって椿屋四重奏解散とし、結成から10年間同バンドのリーダー兼ボーカル・ギター、プロデューサーとして活動した。

バンド解散後の2011年に東日本大震災が発生し、その直後2011年3月17日に楽曲「ひかりのまち」の音源をYouTubeにて公開。3月25日に配信スタートとなり、楽曲の収益の全額は震災の義援金として寄付される。同年11月23日には、ソロ活動後初となるアルバム『école de romantisme』をリリースした。

1stアルバム後は、ほぼ毎年のペースでコンスタントなアルバムのリリースと全国ツアーを行っている。2020年には2枚のアルバムをリリースした。

2014年6月から全国を巡る弾き語りツアー"中田裕二の謡うロマン街道"、2015年12月から年末恒例"年忘れ公演"を始動。(各詳細は同タイトルの見出しに記述。)2016年には全国ツアー・アコースティック編成ライブ・"中田裕二の謡うロマン街道"を同時開催した。

ソロ10周年に当たる2021年に記念イヤー第1弾として自身40歳の誕生日である4月17日にLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)にてアニバーサリーライブを開催。ライブやレコーディングで中田をサポートしてきたミュージシャン14名を迎え、アンコールではサプライズで椿屋四重奏が一夜限りの復活。ドラムの小寺良太、ベースの永田貴樹と共に椿屋四重奏初期の「群青」「成れの果て」を披露した。ラストはゲストミュージシャン達が再びステージに集結し、ソロ中田裕二としてアンコール2曲を歌い幕が下りた。

2021年6月19日に記念イヤー第2弾として"ANOTHER SIDE OF TWILIGHT WANDERERS" と題したライブをビルボードライブ東京にて開催。普段のライブではあまりセットリストに入れない「裏ベスト」な選曲で、ファン投票でも人気の高い楽曲を中心に披露した。

2021年8月28日には記念イヤー第3弾として"中田裕二の椿屋探訪"と題したライブを東京キネマ倶楽部にて開催。今の中田裕二の解釈でアレンジした椿屋四重奏の楽曲だけに絞ったスペシャルライブで椿屋四重奏の3rdアルバム「TOKYO CITY RHAPSODY」(2008年)収録の"トーキョー・イミテーション"からスタートし、ラストは椿屋四重奏1stアルバム「深紅なる肖像 」(2004年)収録の"空中分解"で締めくくった。自身によるとアレンジをする際、色々な洋楽的アプローチを各曲に施したとラジオ番組で語っている。

2021年10月29日に記念イヤー第4弾にしてファイナルを飾るライブ"中田裕二と弦楽の調べ"をビルボードライブ横浜にて開催。椿屋四重奏後期からストリングスアレンジを依頼してきた四家卯大率いる弦カルテットとsugarbeansのピアノのみをバックに中田がヴォーカリストに徹するという初編成でのライブとなった。

人物・エピソード

生活の中に作曲時間が組み込まれているため日常的にギターや鍵盤を弾きながら作曲しており、曲のフレーズはおのずと浮かぶという。

作曲スイッチが入ると1週間で毎日1曲ずつデモが出来るときもあり、詞と曲はほぼ同時に出来上がることが多いと語っている。

中田自身が影響を受けたアーティストにCHAGE and ASKA、安全地帯、THE YELLOW MONKEY、ORIGINAL LOVEを挙げている。幼少期に『ものまね王座決定戦』でCHAGE and ASKAの物真似をする栗田貫一を見たことで歌の存在を知ったとインタビューで述べている。

小学生から中学生にかけてラジオ番組で様々な音楽を知り、特に中学生の頃に聴いていたラジオ番組で主に影響を受けたアーティストの他にも洋楽やフォーク、江利チエミなどの昭和歌謡も覚えその時期に聴いていたものに自身の好きなものが詰まっているという。

中学1年生のクリスマスプレゼントにギターを買ってもらったことが自身の音楽家としての原点となる。ギターを手にして1週間ほどで3コード(C、G、Am)を覚えすぐにオリジナルを1曲作り、そこから作詞作曲を始めたとテレビ番組で語っている。当時はデモテープを制作したり友人宅でライブを行っていた。コンテストにも出場し、中学3年生の終りに音楽の世界でやっていくことを決めたという。

椿屋四重奏のベーシストだった永田貴樹は熊本市立京陵中学校時代の同級生である。永田によると、中学校時代から「本当にプロになってやっていく」と語っていたといい、卒業アルバムにも「ロック・スターになる」と書いていたとテレビ番組で語っている。

自身が18歳だった頃は日本のことを考えていたと、2011年11月6日放送の「スペシャエリア」でのゲスト出演時に発言しており、TPPには反対であるという意見を同番組内や自身のブログで述べている。

椿屋四重奏時代の2005年に、映画『誰が心にも龍は眠る』に出演し、主人公の幼馴染役であるユキオを演じている。同作品には主題歌として、バンドの楽曲である「紫陽花」が使われていた。

椿屋四重奏時代は、ほぼ全ての楽曲で作詞・作曲・編曲を担当しており(「いばらのみち」の作詞のみ松井五郎との共作)、作品作りの作業はほとんど一人でやっていたという。この事について本人は「性格的にというか、元々ひとりで何でもやらないと気が済まない所があって」と語っている。

椿屋四重奏の結成時が3人編成だった理由の1つに「(自分のギターの技量が)ちょっと上手かったから、あの歳にしては」ということを、メジャーデビュー当時に鹿野淳との対談で本人が語っている。3人体制で発表されたCD音源では、リードギターを含めたギターの部分を彼が弾いている。

ジャズのテンションコードやオープン・チューニングを絡めたボイシング、複雑なコード進行を多用するなどのギタースキルは全て耳で拾った独学だとラジオ番組で語っている。

ORIGINAL LOVEの田島貴男は「いつか熊本で一緒にライブをした時、彼のギターの腕前に度肝を抜かれた。」と中田のソロ10周年記念BOOKに寄せたメッセージ内で述べている。2015年11月22日に開催された『田島貴男 ひとりソウル・ツアー 2015』で中田がオープニングアクトを務め、2021年5月29日に開催されたラジオパーソナリティ中村貴子主催の『貴ちゃんナイトvol.13』では田島とのツーマンでライブを行った。2015年、2021年共にORIGINAL LOVEの「接吻」で田島と共演を果たしている。

ソロ前期に当たる4thアルバム「BACK TO MELLOW」(2014年)まではほぼ全ての楽曲においてベースも中田自身が弾いており、ベースの録音に関しては1曲2時間ほどのペースで完了していたという。「ベースマガジンにも出たことがある」と述べており、アコースティック編成のライブでベースを弾きながら歌ったこともある。5thアルバム「LIBERTY」(2015年)以降は自身で弾かない楽曲も増え始め、6thアルバム「thickness」(2017年)からは中田のライブでもメンバーを務めた海外の著名アーティストとの共演経験もあるソウルミュージックに造詣が深いベーシスト、SOKUSAIをレコーディングに迎えるようになるなど現在では各楽曲の音像に合ったプレイスタイルのベーシストがレコーディングに参加している。

歌謡曲をルーツとして持ち様々な情景描写や人生の機微を美しく描き出す歌詞には定評があり、『短編小説のような』『ショートムービーのような』など歌詞の世界から絵が浮かぶと評されている。

中田が歌う意味として「孤独と戦う人のために歌う。自問自答しながら葛藤する人間の歌を歌う。」とブログで述べている。

「音楽は苦しい時に聴くことのほうが多い。そういう部分をわかちあうもの」と述べており、「人生には色々なカタチがあり、凝り固まった意識を自由にしてくれるのが音楽の力。自分はそうやって音楽に救われてきた。聴いている人が色んなヒントを見つけることができるような音楽を作り続けていきたい。」とDVDのインタビューで語っている。

ファンからグラビア女優の壇蜜のブログのプロフィールに好きなアーティストはキリンジと椿屋四重奏と記載されている事を知り、ライブのMCで話した事をきっかけに話題となり、雑誌『音楽と人』の編集長 金光裕史の計らいで中田の誕生日に両人の対談が実現した。

自身の音楽のルーツとなった海外アーティストにトム・ウェイツを挙げている。16歳の頃、同氏のアルバム「スモール・チェンジ」(1976年)の1曲目に収録されていたトム・トラバーツ・ブルースを聴いて衝撃を受けたという。自身の音楽のコード進行、哀愁感、ダンディズムはそこから影響を受けたのがおそらく最初だと語っている。2021年9月17日に配信リリースされた自身のシングル「Terrible Lady」でようやくトム・ウェイツ的世界観が描けたという。同曲はピアノで作曲した。

「日本のメインカルチャーの音楽は主流の音に合わせていく傾向があるため似たものが多くなるが、自分はそれは絶対にやりたくない。誰もやっていない道で音楽を作っていくことが自分のやるべき仕事。」とラジオ番組で語っている。

SONG COMPOSITE

2009年~2014年7月までおよそ2年周期で開催していたオリジナルとカヴァーを交えたアコースティック編成でのライブ。2014年のみバンド編成。略称はコンポジ。

会場には椅子または指定席が用意されていたが、「部屋、リビング感を出したい」という本人の意向もあり、通常のライブより会場のキャパが狭くチケット入手が難しいライブだった。

セットリストのカヴァー曲は70年代~90年代の日本歌謡曲を中心に(60年代・2000年代も含む)往年の洋楽スタンダードナンバーやヒット曲で構成されていた。

2014年6月18日に企画と同タイトルの初カヴァーアルバムを発売。これを引っさげてのツアーもコンポジ初のバンド編成で行い"SONG COMPOSITE SPECIAL"と銘打ち全国10公演と、自身初のビルボード東京にて追加公演が行われた。

2014年の"SONG COMPOSITE SPECIAL"にて同ライブを「シンプルに言えばいい歌を愛情とリスペクトを込めて歌い繋いでいくという意味があるが、自分が昔から大好きな歌謡曲には人の心に深く作用する力があり、それを自分はどうしても失くしたくない。」と語っている。

カヴァーアルバムはオケが既に完成している状態で、それに歌を入れるだけという自身にとっては"シンガー中田裕二"としての初の試みだったという。"歌い手"としての挑戦をしたことでその後の自身の活動スタイルとクリエイターとしての更なる情熱に繋がったと10周年記念BOOK内のインタビューで述べている。

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nakada yuuji


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この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「中田裕二」を素材として二次利用しています。

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