二村忠美の情報 (にむらただみ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
二村 忠美さんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
二村忠美
二村 忠美(にむら ただみ)さんの誕生日は1959年10月8日です。福岡出身の野球選手のようです。
詳細情報などについてまとめました。テレビ、引退、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。現在の年齢は64歳のようです。
二村 忠美(ふたむら ただみ、1959年10月8日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 伝習館高校では投手で4番を打ち、1年秋は県南部大会決勝へ進むが柳川商・久保康生と投げって敗退。社会人野球の三協精機へ入社するが野球部が休部となり、九州産交に移籍。社会人では三塁手に転向。1982年の都市対抗に電電九州の補強選手として出場。同年に日本ハムファイターズからドラフト3位指名され入団。 1983年、左翼手の定位置を得て打率.282、13本塁打、35打点の好成績を記録し、新人王を獲得。 1984年には規定打席(26位、打率.258)に到達。入団から4年連続で二ケタ本塁打を放つ等活躍した。 長嶋茂雄が解説者時代、日本ハムのキャンプ取材で彼を熱心に打撃指導していたシーンが、テレビの珍プレー番組でよく放送されていた。 1987年以降は打撃の低迷が続く。 1990年開幕後に岡本哲司との交換で横浜大洋ホエールズへ移籍。 1992年限りで戦力外となる。 1993年には日本ハムへ復帰したがその年限りで現役引退した。 引退後は地元福岡を拠点に日本初のスポーツ専門チャンネル、スポーツ・アイESPNの野球解説者として放送開始初期から、福岡ダイエーホークス戦の解説を専属で行っていたほか、プロ野球マスターズリーグの福岡ドンタクズに所属した。 現在は熊本市で「FB野球塾」を設立し、小学生・中学生の野球教室を開いている。 詳細情報新人王 (1983年) 初出場・初先発出場:1983年4月9日、対阪急ブレーブス1回戦(後楽園球場)、8番・左翼手として先発出場 初安打:同上、8回裏に山田久志から 初本塁打・初打点:1983年4月26日、対阪急ブレーブス2回戦(阪急西宮球場)、8回表に金本誠吉からソロ ゲーム最多併殺打3:1985年8月4日、対西武ライオンズ20回戦(西武ライオンズ球場) ※パ・リーグ記録 開幕戦代打本塁打:1991年4月11日、対阪神タイガース戦(セ・リーグ6人目) 28 (1983年 - 1989年) 39 (1990年) 44 (1991年 - 1992年) 00 (1993年) 2024/05/16 07:22更新
|
nimura tadami
二村忠美と同じ誕生日10月8日生まれ、同じ福岡出身の人
二村忠美と近い名前の人
話題のアホネイター
話題の芸能人・有名人
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「二村忠美」を素材として二次利用しています。