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今井麻美
今井 麻美(いまい あさみ)さんの誕生日は1977年5月16日です。山口出身の声優のようです。
人物、エピソードなどについてまとめました。卒業、テレビ、引退、子役、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。今井麻美の現在の年齢は47歳のようです。
今井 麻美(いまい あさみ、1977年5月16日 - )は、日本の声優、歌手、舞台女優。学位は学士(文学)(明治大学)。東京都渋谷区生まれ、山口県徳山市育ち。EARLY WING所属。 代表作には『アイドルマスター』シリーズの如月千早役、『STEINS;GATE』の牧瀬紅莉栖役などがある 1977年に東京都渋谷区で生まれるが、小学校2年生時に山口県徳山市(現:周南市)に転出しており、公式プロフィールなどでは山口県出身としている。 2歳の頃から「歌を歌っているだけでよい子にしていられる……」というくらい歌が好きで、窓の外の近所に向けて歌を歌っていたという。 子供の頃から喋ることやアニメ・ゲームが好きだったため、漠然と「声を使う仕事に就きたい」という憧れを抱いていた。 しかし声優という職業については無知で、声を出す仕事といえばアナウンサーやテレフォンオペレーター程度の認識しかなく、「ラジオ番組のDJになれたら」という程度の気持ちだった。 山口県立徳山高等学校を卒業し、一浪の末、明治大学文学部文学科演劇学専攻に入学した。 当時は偶々浪人生活が始まるタイミングで、両親が岩手県に転勤になり、親に甘えて、東京で予備校の寮に入らせてくれたという。元々「アナウンサーになりたい」と漠然と考えて、その夢を叶えるために、入学したい大学があり、現役の時、浪人しても大学に入学できなかった時のことをあまり考えてなかったという。 10代の多感な時期に親元を離れ、受験勉強するためだけに寮に入るのもストレスであったが、当時は「ストレス」という言葉は無知で、「心の問題だ」と理解しておらず、受験まで、「ただの体調不良」として受け止めきれてしまったという。 「ここまでしんどいと、さすがに二浪は無理だな」と金銭的な面でも、特に何か言われたわけではないが、「これ以上親に迷惑は掛けられない」と感じ、「第一志望以外でもどこかの大学に入りたい」と思い、結構手当たり次第に願書を出していたという。 当時のアナウンサーには、社会学部出身が多い印象があったため、「社会学の勉強をしたい」と思い、願書を申し込む時に、社会学の勉強ができる学科を選ぶが、明治大学には社会学部がなく、文学部に社会学専攻はあったが、「どうしよう?」と思った。その時に二浪はしたくなかったため、適当に演劇学科を選択して願書を出し、合格発表を聞いたところ「あなたは文学部演劇学科に入学しました」とアナウンスが流れてきたのを聞いて、「いや、なにそれ!?」と思った。 その時に母と一緒に実家から上京して、渋谷駅の公衆電話からかけて、電話を切った後、「お母さん、私、演劇学専攻に受かったみたい……」と伝えたところ、「あら、いいじゃない!」、「おもしろそうだから入ってみれば?」と返され「面白い大学に行っちゃう!?」のような感じで、入学したという。 なお、大学卒業に際して学士(文学)の学位を取得した。大学時代は放送研究会に所属しており、サークルの先輩に矢島正明がいる。サークルを選ぶ時は、アナウンス研究会か、放送研究会かで悩み、偶々同じクラスの女の子が放送研究会に興味を示し、元々映像に興味があったため、「両方できるほうがいいな」ということで放送研究会を選んだという。 結果的には、演劇学を専攻したことで、子供の頃からアニメがとても好きだったことを思い出したり、「どちらかというとナレーターの仕事がやりたかったんだ」と気づいたりもしていた。 前述のとおり、アナウンサーを目指しており、「大学3年生になったらアナウンス学校に通おう」と考えていた。 地元のテレビ局のアナウンサーになろうと、ナレーションの勉強をしようと思い、何の気なしに受けた日本ナレーション演技研究所に入所。当時は受験で面接の時に将来の目標を聞かれ、「地元に戻ってアナウンサーになりたいんです」と答えたところ、「……なんでうちを受けたの?」と返され、その後、実技テストで渡された原稿は全部セリフばかりだったが、合格し、「行かなくっちゃ」と思ってしまったという。 通い始めたところ、声優の学校だったことがわかり、「こりゃ、間違えたな!」という感じだったが、心のどこかで、「声の芝居に興味があったんじゃないか?」ということを2024年時点は思っているという。 当時は、職業としての声優が世間的に理解が広まっているとは言い難しく、親世代には、職業として浸透しておらず、そういう環境下のため、意識できず、深層心理で「声優になりたい」という気持ちが、「少なくとも小学生の頃からあったんじゃないか」と思った。 日ナレに入所した時期に、大学のサークルが50周年を迎えて、先輩後輩皆で集まり、ボイスドラマ、ラジオ番組を作ることになった。その時に50年前に放送研究会を創設した人物たちが演じていたラジオドラマを、「現役の子たちで再現してほしい……」ということになり、ヒロイン役を演じさせてもらい、練習をするなかで、矢島の自宅にお邪魔する機会があり、雑談をしていた折、「キミ、声優をやってみたら?」と言われ、そのことが心に残っていた。 50周年の節目のイベントの中で、先輩と話しさせてくれる機会があり、その積み重ねの中でも、「声優を目指すのもいいかもしれない」と、心が少しずつ動かし、偶然選んだ大学であったが、「明治大学に進学してよかった」と感じていたという。 1年間学ぶうちに、「なるほど声優とはこういうものか」というものがわかり始めたが、それでも授業料も馬鹿にならず、「大学3年生になったら別の学校に入り直そう」と思っていた。「せっかくだし何かの縁だから、1回くらい声優のオーディションを受けておこうかな」と思い、友人が「オーディションってたいへんらしいよ」と話しているのを聞いて、何となく受けてみたくなってしまった。それで偶々最寄り駅の近くの書店で「声優オーディション開催中」というポスターが貼ってあるのを見かけて、「何かの縁だ」と思い、応募。明治大学在学中の1998年にエニックス アニメ企画大賞声優部門オーディションで大賞を受賞、その同期として、野川さくら、雛野まよ(現・榊原ゆい)、早水リサらがいる。そのときの審査委員長は野沢雅子。今井は『ドラゴンボール』のファンであり、子供の頃に「悟飯の役を演じる人を探しているんですがやってみないか?」と電話で尋ねられる夢を見たことがあった。将来の夢に「声優」と書くような子供でもなく、最終的に職業としての声優に邁進したわけでもなかった。最終的にその賞で大賞をくれた時に最後にプッシュしてくれたのが、野沢であり、「夢とリンクした!」と声優という仕事への縁を「結果として必然だったのかな」と感じていた。 翌1999年発売のドラマCD『刻の大地〜花の王国の魔女〜』で声優デビューした。2001年には『智一・美樹のラジオビッグバン』の第1期BGPに選ばれた。 29歳の時に、一度声優を引退するつもりであった。母は少し勘が鋭いところがあり、合格を伝えた時、「演劇なんて無理でしょ。それで仕事になるの?」と返されると想像していたが、返ってきた答えは意外で、「何かにつけ、相手の考えを決めつけるのはよくない」と悟った瞬間でもあったという。 声優事務所に所属し、5、6年くらい経ち、中々仕事をくれない状況の頃、母が今度は「麻美ちゃんは声優には向いていないんじゃないの?」と言われ、理由を訊いて、「声優さんって、他人にならなきゃいけないんでしょ? でも麻美ちゃんは、『麻美ちゃん』の部分が強いから」と言われ、「わからなくもない」と思ったという。 当時の声優の仕事は「他者になりきる」ことを求められるものが、ほとんどで母の言葉は、そういう意味での仕事は、「確かに自分には向いていないのかもしれない……」と一旦立ち止まり、考えるきっかけになったという。 その頃、オーディションに落ち続けており、「上手く役に巡り会えないのは、そういうことかもしれないな」と、心の奥底から感じ、演技に対する向き合い方も変わり、覚悟も決まっていたという。 その時にオーディションで合格した大役であるゲーム『THE IDOLM@STER』の如月千早役に抜擢。 その後は仕事の幅が広がり、声優として色々な作品に出会い、はっきりと役への向き合い方が変わり、「自分がどう表現したいか?」が、まず先に来るようになり、30代からそう思えるようになったという。 所属していたアーツビジョンを2007年4月5日に退所、フリーの期間を経て同年7月にカレイドスコープに所属した。 自己名義の音楽活動としては2009年4月22日発売のシングル『Day by Day/Shining Blue Rain』がメジャーデビューとなった。同年12月1日付けでカレイドスコープからEARLY WINGに移籍している。 2010年8月16日に発売されたOVA『くっつきぼし』の川上紀衣子役で初主演を果たした。 初めてのソロライブ公演を行った2010年12月25日以降は、誕生日付近(5月)と年末(12月)頃を中心に、ライブ公演を継続的に行っている。2012年4月18日にはファミ通アワード2011で女性キャラクターボイス賞を受賞した。 2016年10月1日より公式ファンクラブとなる「+A members」(プラスエー メンバーズ)を発足する。 人物同事務所所属の喜多村英梨とボーカルユニット「ARTERY VEIN」(アートリーベイン)を結成。ARTERYは動脈、VEINは静脈を意味し、今井はVEIN(静脈)を担当している。 ライブ公演では「+A」(プラスエー)と名付けられたバンドの演奏により歌っている。このバンド名は、『今井麻美のSinger Song Gamer』のリスナーからの公募と投票で決まった。なお、+Aのバンドメンバーには、ライブに参加する全てのファンも含まれると今井は語っている。 また、原由実のソロデビューシングル『HANABI』のサブボーカルおよびプロデュースに参加している。 アルバム『COLOR SANCTUARY』『Aroma of happiness』『Precious Sounds』『この雲の果て』、シングル『漆黒のサステイン』の発売に際して、カラオケチェーン店パセラやアニカフェシュガーなど、コラボレーション企画のカフェを催した(通称「ミンゴスカフェ」)。どちらも、今井自身が考案したメインディッシュやデザート、4 - 5種類のオリジナルメニューを楽めた。いずれも、開催期間中に今井本人もカフェを訪れている。 2013年10月12日、マチ★アソビにて声優ユニットつきねこメンバーとして徳島観光大使に就任。 2023年10月27日には、「詩趣ミンゴス」の名義でバーチャルYouTuberデビューした。 歌手のさだまさし・中島みゆき・谷山浩子・アニメ作曲家の梶浦由記のファン。 『ジョジョの奇妙な冒険』の愛読者でもあり、PlayStation 3用ゲーム『ジョジョの奇妙な冒険 オールスターバトル』へ参加が発表された後の『アイマスタジオ』第93回で、同作品なくして自分の人生は語れないと語った。なお、同作品25周年プロジェクトのアニメ・ゲーム化について、ファンとして喜びつつも、声優として参加の声がかからないことが大変悔しく、ジョジョファンであるとの公言を封印していたが、参加が発表された後の『今井麻美のSinger Song Gamer』『アイマスタジオ』『ぶるらじ』などでは喜びを語っている。 趣味・特技は森林浴、作詞。好きな料理はカレーライス。好きな飲料はコーヒーであり、紅茶よりも好んでいる。 また、マンゴー、甲殻類などに対するアレルギー(いわゆる甲殻類アレルギー反応など)がある。 中村繪里子とはプライベートでも仲が良く、中村とはデュオユニット「A.I.E.N」としてライブ活動なども行っており、2007年2月10日に、パセラリゾーツ銀座店にてA.I.E.N初の自主イベント「今井麻美・中村繪里子のA.I.E.N EVENT〜バレンタイン感謝祭〜」を開催し、2004年5月3日から2006年2月27日までitv24.comで『PreStar』というインターネットテレビ番組を2人で担当していた。 フリーアナウンサーの池田めぐみとは大学時代からの親友であり、海外旅行なども共に行くことが多い仲である。 エピソードアイドルマスターのプレイヤーとしての知名度は、若林直美と双璧を成す。プロデューサー名はアサミンゴスPで、高槻やよいを溺愛し、天海春香は必ずユニットに加えている。2007年9月5日に発売された『THE IDOLM@STER MASTER ARTIST 08 水瀬伊織』に収録されている水瀬伊織の「フタリの記憶」の再生回数は2000回を超えている。 アイドルマスターの楽曲の一つである「おはよう!!朝ご飯」は、千早バージョンになると、スタッカートのきいた歌い方になる。これは、もともと今井はかわいらしく歌ったところNGを出されたため、リテイクでこのような歌い方をした結果採用されたためである。 2010年7月5日、所属事務所を同じくする喜多村英梨がアメリカ・ロサンゼルスで催された「Anime Expo 2010」に出演したため『喜多村英梨の超ラジ!』の生放送に間に合わなくなった時に、急遽代理パーソナリティとして出演。今井の親友である中村繪里子をゲストに招いてトークを展開する。途中、同じ日に放送していた系列番組『下田麻美の超ラジ!Girls』の生放送を終えたばかりのパーソナリティ・下田麻美、ゲストの長谷川明子も飛び入りでトークに参加した。4人は前日まで幕張メッセで開催されたライブイベント「THE IDOLM@STER 5th ANNIVERSARY The world is all one !!」に出演しており、その楽屋話なども絡めて番組を盛り上げた。生放送終盤、帰国した喜多村が無事到着し、最後は出演者全員揃って生放送を締めた。 兄がいる。 2024/05/24 22:34更新
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imai asami
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