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千田夏光の情報 (せんだかこう)
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【5月19日】今日誕生日の芸能人・有名人

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千田 夏光さんについて調べます

■名前・氏名
千田 夏光
(せんだ かこう)
■職業
ノンフィクション作家
■千田夏光の誕生日・生年月日
1924年8月28日
子年(ねずみ)、乙女座(おとめ)
■出身地・都道府県
旧 中国出身

千田夏光と同じ年に生まれた芸能人(1924年生まれ)

千田夏光と同じ誕生日の人(8月28日)

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千田夏光と関係のある人

堀越二郎: 千田夏光・堀越二郎監修校閲『驚異の戦闘機ゼロ戦』盛光社、1967年。


寿岳章子: 「女・子供」の目 千田夏光共著 蕗薹書房, 1997


千田夏光

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千田 夏光(せんだ かこう)さんの誕生日は1924年8月28日です。旧 中国出身のノンフィクション作家のようです。

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生い立ち、著作『従軍慰安婦』などについてまとめました。卒業、父親、姉妹、家族に関する情報もありますね。

千田 夏光(せんだ かこう、なつみつ、1924年8月28日 - 2000年12月22日 本名:千田 貞晴)は、日本の作家。

太平洋戦争関連の著作が多く、中でも日本の慰安婦に関する多数の著作がある。

関東州(現:中華人民共和国)の大連市に生まれる。大連一中を卒業後に東京の日本大学に進学し、在学中の1944年に学徒動員され、配属先の鹿児島県で終戦を迎える。大学に戻ったが1947 年に 中退する。

1950年に臨時雇いの記者として毎日新聞の社会部で働く。1957年からフリー作家となる。

生い立ち

曽祖父は貴族院議員の千田貞暁、広島の名家で軍人を多く輩出した。

述懐によると千田の父親は、南満鉄の社員として大連に渡り、一家 はその収入で裕福な暮らしを送った。中国人の家政婦と料理人がおり、三人の姉妹はピアノを習っていたという。父親は後に、不動産業を経営従事しさらに裕福な暮らしをする様になった、ピアノはドイツ製になったと記している。

家には日本軍軍人の関係者が出入りし、幼少期の千田は満洲事変~日中戦争に関わる話を聞いたという。大連の中学を卒業すると東京の日本大学に進学するが学徒動員され、鹿児島県で終戦を迎えたため、幸いに千田自身はソ連の侵攻による混乱を経験しなかった。大連に残った家族は終戦から3年後に「辛酸をなめ乞食同然の姿」で帰国したとあり、天国から地獄に突き落とされた経験をしている。

著作『従軍慰安婦』

1964年、毎日新聞発行の写真集『日本の戦歴』を編集時に「不思議な女性の写真を発見し」「この女性の正体を追っているうち初めて慰安婦なる存在を知った」としており、1973年に『従軍慰安婦』という題名で慰安婦についての著作を出版。

1985年に同書の解説を書いた秦郁彦は「著者の千田夏光は1924年生まれ、戦場経験は、新聞記者時代にふとしたきっかけで、このテーマと取り組むようになった。全体像をつかむにはまだ不満が残るが、他に類書がないという意味で貴重な調査報告といえよう。」と当時は評価した。

『従軍慰安婦 正編』の中には原善四郎(関東軍参謀)に面会し、「連行した慰安婦は八千人」との証言を引き出したとの記述がある。しかし、原の軍歴に間違いがあったため『正論』や『諸君!』で面会した事実に疑問が呈された。

1969年、韓国の日刊紙が以下のように報じる

1970年8月14日付けソウル新聞

1973年に千田夏光が発表した著書『従軍慰安婦』(“声なき女”八万人の告発)のp.106には、ソウル新聞と同じ数字が挙げられ、挺身隊の名の下5~7万人が慰安婦にされたとしている。

この根拠を調べた在日朝鮮人運動史研究者の金英達(キム・ヨンダル)によると、上記1970年8月14日付けソウル新聞の記事を千田夏光が誤読して典拠したとしている。

また歴史学者でアジア女性基金運営審議委員の高崎宗司は、このソウル新聞記事における「5〜7万」の推算の根拠は不明であり、官斡旋による強制性のない朝鮮半島からの女子挺身隊は多く見積もっても4000人ほどと主張している。

1984年に元東亜日報編集局長の宋建鎬(ソン・ゴンホ)が発表した『日帝支配下の韓国現代史』(風濤社刊)では、以下のように述べている(1969年の報道記録からと見られるという)。これは千田夏光の『従軍慰安婦』と同じ内容である。

このような朝鮮人慰安婦を「20万」強制連行したという言説について、韓国の経済史学者の李栄薫 ソウル大学教授は、「韓国の学者や北朝鮮の代表などが日本の収奪像を過度に誇張している」と批判しており、これらの韓国・北朝鮮両政府の公式見解について、1940年当時の16歳から21歳の朝鮮女性は125万人であり、これらの数値は正しくないと述べている。

1991年、朝日新聞では「従軍慰安婦」について、「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と報道している。

高崎宗司によれば、それらは「挺身隊という名のもとに彼女ら(慰安婦)は集められた」と書いた千田の著書を依拠しているとしている。

韓国の歴史家である姜万吉は、慰安婦問題を取り扱っている団体が『韓国挺身隊問題対策協議会』などという団体名にしているなど、慰安婦と挺身隊の混同について疑義を呈している。

1993年、上記数字との関連は不明だが「挺身隊研究会」会長の鄭鎮星 (チョン・ジンソン)ソウル大学教授は「8万人から20万人と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」としている。なお鄭は「強制連行」を当時の国際条約に従い「『詐欺または、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段』による動員」と定義している。

関東軍特種演習(関特演)において慰安婦が強制的に集められたと、千田は原善四郎元少佐の証言を紹介した。千田は、

と書いた。また、それ以降のページで原への対面インタビューが掲載されており、著者である千田の「70万人の兵隊に2万人の慰安婦が必要とはじき出した根拠というか基準は何だったのですか」という質問に対して、原が

と語ったと記載している。

秦郁彦によれば、当時関東軍参謀部第三課兵站班に勤務していた村上貞夫曹長(当時)が「記憶では3000人ぐらいだった」と証言し、手記も残しているという。秦は「総督府の紹介で売春業者のボスに話をつけた村上曹長は、関特演の中止で展開部隊の越冬準備が始まった秋に、続々と楼主に連れられ到着した朝鮮人慰安婦たちを新京の駅頭に迎え、配置表を割り振った。」としており、また「これら慰安婦たちを国境地帯の駅で目撃した憲兵たちの中に、関特演を機に満州でも軍専用の慰安所が誕生したと記憶する人が少なくない。」として木原政雄憲兵(虎頭憲兵分遣隊)や師団経理部の海原治主計将校(後の防衛庁官房長)、森分義臣憲兵等の話を掲載し、国境地帯に慰安所が増え、大都市にも造られていた事を書いている。これらの満州における慰安所の実情の資料的根拠として黒田徳次の『郭亮史』、憲友会の機関誌『憲友』1992年春季号、同80号、満州憲兵の連絡誌である『栄光』に掲載された有馬正徳、磯田利一、稲田登等13人の論稿をあげている。この『慰安婦と戦場の性』が発刊した直後の1999年9月号『論座』で秦は千田夏光と対談し、千田は島田の著作では「一万人」とされているが、原元参謀を探し当てて確かめたところ、「いや八千人」だった述べた事を話し、「その数字を本で書いたら、原参謀の補助者で慰安婦集めの実務をやったという人から「じつは三千人しか集められなかった」と手紙が届いた。」と話している。これに対して秦も「「三千」という数字は他の証言と合わせて検討してみると妥当なところだろうと私も思います。」と答えている

吉見義明著『従軍慰安婦』での記述

吉見義明は「いまのところ、このことを示す原資料は発見されていないが、もし事実であれば、短期間の徴収であるため、総督府の職員が徴収に深く関わったはずである。」と書いている。

この原証言に関する記載について1993年に現代史研究家の加藤正夫が調査したところによれば、関特演の予算担当者だった加登川幸太郎少佐や、関東軍参謀の今岡豊中佐らは、関特演での慰安婦動員は聞いた事がないと証言した。他にも 関特演時の関東軍の兵站担当参謀は多忙で自分から集めに行く時間がない。関特演の際の大量の兵士や軍馬の動員は極秘に準備されたもので、慰安婦集めのような目立つことをするわけがない。関特演は二カ月の作戦予定であったので、慰安婦は必要としない。千田は日債銀(旧朝鮮銀行、現あおぞら銀行)に、総督府の「慰安婦」徴発資料があると主張しているが資料などない。当時の満州では朝鮮人経営の遊廓が、多数営業していたため、改めて「慰安婦」を「調達」する必要はない。などの指摘をしており、加藤が千田夏光本人に矛盾点を問い詰めたところ、千田は原証言は実際に行ったインタビューではなく、千田自身がすべて創作したことを認めた。加藤が千田夏光本人に電話で問い合わせたところ、千田は「島田俊彦武蔵大学教授の著書『関東軍』(中公新書 1965年)の176ページに“慰安婦二万人動員計画”が書かれており、それが私の説の根拠だ」と答えている。

西岡力は当時の満州には慰安所ではなく、民間の朝鮮人売春婦宿は多数営業していたとしている また、千田の著作では原善四郎元少佐の肩書きは関東軍司令部第三課と書かれているが、加藤の調査によれば原元少佐は関特演当時の所属は関東軍第一課であった。他にも第四課には所属したことはあったが、第三課に所属した事実は確認できなかったとし、その島田の著作も出典はなく、根拠を示していないものだったとしている。

産婦人科医の天児都は、千田が『従軍慰安婦』において、天児の父で軍医の麻生徹男が論文『花柳病の積極的予防法』に「半島人の内、花柳病の疑いある者は極めて少数なりし」と記述したことが慰安婦の朝鮮人女性の比率を高めることにつながったとしている点について、1996年4月に天児に「朝鮮人女性の比率が高くなったのは麻生論文のためではないということで、ご指摘の通り論文を発表されたのが年のかわってからであったことも明確です。私の記述が誤解をまねき、ご迷惑をかけているとすれば罪は私にあります」と謝罪したとしている。 なお、その後も出版元の三一書房と講談社はその部分を改訂しなかった。 天児郁の元には、麻生を慰安婦考案者と誤解し、「民族のうらみをはらす」「謝れ」などと娘も含めて罪人扱いする者が大勢訪れたとされる。

産婦人科医の天児都は、2001年に出版された論文で、千田の『従軍慰安婦』について、「昭和48('73)年出版の<正篇>には63ヶ所<続篇>には23ヶ所問題のある記述があり…論文での考察に当たる部分に事実の裏づけがなく矛盾が多くみられ…最近の作家たちが事実を検証せずにマゴ引きをして誤りを拡大してしまいました」と述べている。

早稲田大学日本語教育研究センター准教授の木下直子は博士論文で、『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』について、「執筆にあたっては聞き取り調査や一次資料の発掘は行っておらず,単行本や雑誌記事などの資料を元に構成したテクストとなっている.…自民族の女性の貞操を汚されたという憤怒に貫かれた…小説調の文体は…読者の日本軍への憎悪を掻き立てる巧妙さを備えている.」と分析している。

2024/05/18 19:18更新

senda kakou



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