大徹忠晃の情報(だいてつただみつ) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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大徹忠晃の情報まとめ
大徹 忠晃(だいてつ ただみつ)さんの誕生日は1956年10月29日です。福井出身の相撲のようです。
引退、現在、テレビに関する情報もありますね。今年の情報もありました。大徹忠晃の現在の年齢は68歳のようです。
大徹忠晃のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - )は、福井県大野市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は南 忠晃(みなみ ただみつ)。身長193cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。最高位は西小結(1987年3月場所)。 中学時代は剣道をやっていた。長身を見出されて二所ノ関部屋に入門し、中学在学中の1971年(昭和46年)7月場所に初土俵を踏んだ。東京で名を上げるために泣いて反対する母を振り切っての入門であった。1975年9月3日の押尾川部屋独立騒動では17代押尾川の側についたが、移籍は認められず二所ノ関部屋に残留することになった。1980年1月場所に新十両へ昇進。十両の壁に阻まれて翌3月場所で幕下に陥落し、本人も関取に昇進したので廃業しようかと考えたが、福井県に縁がある後援会関係者から場所が終わる度に「それが限界か」と再三激励され、1983年11月場所で新入幕を果たした。全力を出して尚大成しなかった場合は後援会関係者の会社が面倒を見る意向であった。長身を活かしての吊り寄りで攻める相撲で、右上手を取ると強かったが、腰高で立合いが甘いため突き押し力士を苦手としていた。 1985年7月場所では2日目に横綱・千代の富士をうっちゃりで破り自身初となる金星を挙げた。その取組の流れは、素早く両上手を引き付け、強引に寄る千代の富士に対し、大徹が無意識に左上手からの右へ振ると、勢いのついていた千代の富士の左足は大きく土俵を割った、というものであった。1987年3月場所に小結へ昇進し、福井県出身力士としては昭和以降では初となる三役昇進を果たした。地方巡業では気軽にサインや写真撮影に応じるなど非常に気さくで陽気な性格で、極端に太く長い揉み上げ(後に同じような揉み上げを持つ力士として闘牙や隆の鶴が登場している)で、長身で珍しい黄土色の廻しを使うなど味わい深い個性的な風貌に加え、デーモン小暮のラジオ「大徹コーナー」や集英社・『週刊少年ジャンプ』の『ジャンプ放送局』における「まわしリニューアル投稿」で大徹を初めて知ったファンなど、幅広い層のファンを多く持つ力士であった。全国からサインなどをもらいに来るファンは絶えず、二所ノ関部屋の稽古場は屋上にあって一般客は見ることができなかったものの、大徹のサインや写真撮影は例外的に認められていたほどで、未だ人気は衰えていない。 1990年9月場所限りで引退し、年寄・湊川を襲名した。初土俵から引退まで1日も休場せずに土俵を務め上げた。怪我は稽古で治すものとされた時代背景上、肋骨にヒビが入り、手指の根元が裂けても休場しなかった。引退後は二所ノ関部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、2013年1月場所後に二所ノ関部屋が閉鎖されたために同じ二所ノ関一門の松ヶ根部屋へ移籍した。しかし、2014年11月場所後に松ヶ根部屋が改称されたため、再度二所ノ関部屋所属に戻った。2021年12月24日に二所ノ関部屋は再度改称されたため、その後は放駒部屋に所属していた。2006年1月場所まで審判部に所属し、2010年7月場所では大相撲野球賭博問題により謹慎処分を受けた佐渡ヶ嶽親方の代理として4年半ぶりに審判に復帰し、翌9月場所から正式に審判部へ復帰した。現在も地元の福井で子供を対象にした相撲教室を行うなど精力的に活動している。また、JA福井県経済連が作成した若狭牛のリーフレットにも登場している。 2014年、公益法人化された日本相撲協会の評議員に就任したため、2014年3月場所から2018年3月場所までの25場所の間、番付上は本名の「南 忠晃」名義となっていた。2018年3月26日に評議員を退任し、2018年5月からは、役員以外の親方衆で構成される年寄会の副会長を務めていた。2021年10月の65歳の誕生日をもって日本相撲協会を停年退職した。以後再雇用により参与として引き続き協会に在職したが、2024年6月30日付で退職した。停年の際に、体重が現役時を上回る140kgとなっていることも明かされた。 年寄名跡「湊川」は本人が退職後、協会に残れない危機に瀕していた一門の貴景勝が襲名したため、一肌脱いで譲った格好となった。 好角家として知られるミュージシャン・デーモン閣下との交流は、1987年4月から1990年5月に放送されたラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』がきっかけである。番組開始当時、聖飢魔IIの大教典(アルバムのようなもの)の歌詞がNHK内で「放送に適さない楽曲」に指定されていたことに対して、再三「迫害だ」と怒っていたところ、番組内の1コーナー「大相撲を666倍楽しむ方法」宛に、「聖飢魔II同様、NHKに迫害されている力士」として大徹の名を挙げる投稿があった。当時幕内中位あたりに定着していた大徹が登場するときに限って「5時のニュース」「明日の取り組み」「今日ここまでの結果」などに邪魔されて満足に放送してもらえない、という内容の投稿に大笑いしたデーモン閣下が「お前ら大徹を応援しろ」と言ったところ、翌週から大徹に関する投稿が激増し、ついには独立して「大徹コーナー」まで設けられるほどになった。少年隊の曲『stripe blue』の一節「♪抱いて強く〜」が「大徹、強く〜」と聞こえることから、大徹が負け込んでいるときには頻繁に流されていた。 同番組にゲスト出演した南野陽子に「大徹さんがんばってね」と言わせたセリフをサンプリングしたラップ調の専用ジングル(通称・大徹ラップ)を製作してもらうなど「大徹コーナー」はますます勢いづき、名古屋場所を直前に控えた1987年6月29日、ついに大徹本人のゲスト出演が実現した。大徹はファンの投稿にあった「(大徹は)和式便所の蓋に似ている」という話を他人事のように大笑いしたり、「若い人たちの声援が増えてうれしい」とネタにされたことを肯定的に受け止め、デーモン閣下に対しても「多くの人に相撲に興味を持ってもらえるよう、これからもよろしくお願いします」と真摯に語った。この時の自己紹介「大徹です」が、前述の大徹ラップに追加され、「ダダダダ大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹『がんばってね』『大徹です』」という完成形に至った。番組出演後もデーモン小暮のバスタオルを身にまとって花道に登場したり、聖飢魔IIの黒ミサ(コンサートのようなもの)を観に行って歓迎を受けるなどといった交流が始まり、引退後も断髪式で鋏を入れてもらったり、『VAN VAN相撲界』誌上で対談したりなどという関係が続いている。後に、デーモン閣下がNHKの大相撲中継に出演するようになり、その際に、勝負審判として土俵下に座っている湊川がテレビカメラに映された際に、「ダダダダ大徹・・」とつぶやくこともあった。
主な成績
幕内成績:209勝256敗 勝率.449 現役在位:115場所 幕内在位:31場所 三役在位:1場所(小結1場所) 通算連続出場:1199回(序ノ口以来、1971年9月-1990年9月) 金星:1個(千代の富士。1985年7月場所2日目) 1971年11月から1972年3月までは中学生のために特別扱い ^ “相撲人生、感謝の半世紀 福井県大野市出身の湊川親方、10月に協会を定年 大相撲、元小結大徹として活躍”. 福井新聞. (2021年9月12日). オリジナルの2021年11月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211203094547/https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1397386 2024年3月13日閲覧。 ^ 「湊川親方(元小結大徹)×デーモン閣下 停年記念座談会」『相撲』2021年12月号、ベースボール・マガジン社、94-97頁。 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p21 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p51 ^ 「【初場所新番付】元横綱稀勢の里・荒磯親方 二所ノ関襲名し二所ノ関部屋」『日刊スポーツ』2021年12月24日。2021年12月24日閲覧。 ^ “現職7人と新任3人 10人の親方を理事に選任”. 毎日新聞. (2018年3月26日). https://mainichi.jp/articles/20180327/k00/00m/050/119000c 2018年3月26日閲覧。 ^ “入間川親方が新会長 相撲協会の年寄会”. SANSPO.COM. (2018年5月2日). http://www.sanspo.com/sports/news/20180502/sum18050221210010-n1.html 2018年5月3日閲覧。 ^ “元小結大徹の湊川親方が退職 千代の富士からの金星などが思い出【福井】”. 福井テレビ. (2021年11月29日). https://www.fukui-tv.co.jp/?post_type=fukui_news&p=144870&page=1 2021年11月29日閲覧。 ^ 「元小結大徹の湊川親方が日本相撲協会を退職 現役時代は太く長いもみ上げでも人気」『日刊スポーツ』2024年6月30日。2024年7月1日閲覧。 ^ カド番大関・貴景勝の年寄株問題 大関陥落なら引退なのか、一門内で「湊川」取得の情報も (1/2ページ) NEWSポストセブン 2024.07.26 14:30 (2024年7月28日閲覧) ^ カド番大関・貴景勝の年寄株問題 大関陥落なら引退なのか、一門内で「湊川」取得の情報も (2/2ページ) NEWSポストセブン 2024.07.26 14:30 (2024年7月28日閲覧) ^ “「日馬の足出た」大誤審で前代未聞のやり直し/復刻”. 日刊スポーツ (2016年11月20日). 2021年11月22日閲覧。 ^ “佐々木一郎@Ichiro_SUMOのツイート”. Twitter (2021年11月21日). 2021年11月22日閲覧。 小結一覧 二所ノ関部屋 松ヶ根部屋 放駒部屋 福井県出身の大相撲力士 1956年生 存命人物 日本相撲協会の役員 2024/11/20 04:52更新
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