宍戸大全の情報(ししどだいぜん) 殺陣師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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宍戸大全の情報まとめ
宍戸 大全(ししど だいぜん)さんの誕生日は1929年11月24日です。福岡出身の殺陣師のようです。
映画、テレビ、ドラマ、卒業、引退に関する情報もありますね。
宍戸大全のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)宍戸 大全(ししど だいぜん、1929年11月24日 - )は、日本のスタントマン・俳優。福島県出身。本名は宍戸 邦博(ししど くにひろ)。映画・テレビドラマの吹き替え(水戸黄門でお馴染みの風車の弥七など)で活躍した。『週刊朝日』1964年7月3日号のインタビューでは、宍戸大全にししどひろやすとルビが振ってある。 1948年、(旧制)福島県立保原中学校 (福島県立保原高等学校) 卒業。 オリンピック選手を目指し日本体育大学に進学するが、練習中に左アキレス腱を痛めてしまい、メルボルンオリンピックへの夢を断念。卒業後は秋田の高校の体育教師として生活していた。 大阪の高校で体育教師をやっていた1956年、大映京都撮影所で製作中の長谷川一夫主演『鼠小僧忍び込み控』でケガ人が出たことから、体操の先生なら身軽でスタンド・イン(吹きかえ)によかろうと同作に臨時出演したことを機に大映に入社。市川雷蔵などスターのスタンド・インを担当した。1961年、当時五社協定時代ながら、岡田茂東映京都撮影所長(当時)に引き抜かれて東映に移り、映画・テレビ問わず端役や吹き替えで出演。東映と専属契約はしたが他社にも出演した(1964年大映『忍びの者 霧隠才蔵』で雷蔵の吹き替え)。 春日太一は、「1962年に公開された市川雷蔵主演の『忍びの者』で、日本初のスタントマンである宍戸大全が、自衛隊のレンジャー部隊に倣って忍者のアクションを考案した」と話している。 東映移籍当初はあまり仕事はなく、体操の先生に戻ろうかと考えていた矢先、1962年頃から映画やテレビで忍者ブームが起こり、以前の忍者映画のようにトリックだけではごまかしが効かず、実技として見せなければならなくなり、主演俳優の身替わりとしてスタンド・インが引っ張りだこになり、その代表格になった。東映京都で、1964年夏に封切りを予定した『鳥人鷹』なる映画(詳細は不明)の準備のため、撮影所内に冒険クラブを作り、跳躍用のトランポリンや、スポンジマットを買い入れ、高さ14~15メートルの城壁から飛び降りる場面をワン・カット(長回し)で撮れるよう猛特訓した。1963年のアメリカのコメディ映画『おかしなおかしなおかしな世界』では、スポンジマットを10個並べたスタントシーンがあり、これを観た宍戸は「日本でももっと冒険者の身の保証と、撮影設備があれば」とため息をついた。 1970年にフリーとなり、特技スタッフとして数多くの時代劇作品に参加した。時代劇のオープニングやエンディングのクレジットには、「特技 宍戸大全」と表記されている。 1973年4月から、大学の後輩でもある千葉真一が率いるジャパンアクションクラブ(JAC)と業務提携していた。 1990年、佐賀県嬉野温泉の時代型テーマパーク肥前夢街道の開業に伴い、園内施設及び「はがくれ忍者屋敷」を建設段階から総合プロデュース。開業後しばらく「はがくれ忍者屋敷」を宍戸大全アクションチームとして忍者ショーを行った。 2012年春に引退。 アクションチームは、一番弟子の森山陽介が後を継いで活動している。 大忍術映画 ワタリ (1966年) - カンネ 極悪拳法 (1974年) - 日野玄洋
銭形平次 (1966年 - 1984年) 怪獣王子(1967年 - 1968年) 必殺シリーズ(ABC / 松竹)
第40話「愛情無用」(1977年10月28日) - 又八 必殺商売人
第26話「毒牙に噛まれた商売人」(1978年8月18日) - 参造 翔べ! 必殺うらごろし 第22話「死人が教えた金のありか」(1979年5月4日) - き樵り 必殺仕事人
第70話「慕い技 神輿暴れ突き」(1980年10月10日) - 刺客 新・必殺仕事人
第40話「主水ケチに感心する」(1982年3月12日) - 盗賊 第51話「主水ビックリする」(1982年5月28日) - 越前屋 必殺仕事人III
妖術武芸帳 第1話「怪異妖法師」(1969年3月16日、TBS / 東映) ナショナル劇場(TBS)
第2部
第30話「隠密兄妹 -佐賀-」(1971年4月19日)- 雲水 第3部 第15話「忍びの掟 -伊賀上野-」(1972年3月6日) - 柘植者の忍者 第4部
第33話「長槍始末記 -古河-」(1973年9月3日) - 捕り方 第5部 第7話「盗まれた路用金 -富山-」(1974年5月13日) - 玄竜の手下 第7部 第7話「帰ってきた南部駒 -八戸-」(1976年7月5日) 第8部 第29話「妖雲晴れた桜島 -鹿児島-」(1978年1月30日)- 薩摩の忍び 第31部 第1話「水戸黄門 -水戸・江戸-」(2002年10月14日) - 太田の百姓 大岡越前(C.A.L)
第22話「幻術師」(1971年10月11日)※欠番作品 江戸を斬る 梓右近隠密帳 第5話「和蘭陀囃子の謎」(1973年10月22日、C.A.L) - 淡路屋の用心棒 遠山の金さん捕物帳(NET / 東映)
第78話「赤ちゃんを盗んだ男」(1972年1月2日)- 疾風組の男 第93話「虎が惚れた女」(1972年4月16日)- 忍び 第138話「天井天下に命を張った男」(1973年2月25日) 第165話「玉の輿を蹴る女」(1973年9月2日) 吉宗評判記 暴れん坊将軍 第152話「将軍と馬泥棒とガキ大将」(1981年3月14日)- 馬方 ^ 主に宙返りや飛び降り、それらをした直後の後ろ姿、後ろ姿での立ち回りシーン、後ろ姿で走っている姿などの吹き替え。 ^ 岡田誠三「ばらえてぃ 忍者ブームの陰に"影"の存在 主演俳優のスタンド・インで活躍の宍戸大全インタビュー」『週刊朝日』1964年7月3日号、朝日新聞社、127頁。 ^ 土橋亨『嗚呼!活動屋群像 ―化石になんかなりたくない―』開発社、2005年、p197 ^ 2018年11月17日三重県伊賀市において三重大学の忍者・忍術講座の中で『時代劇における忍者像の変遷』と題して講演した ^ 木枯し紋次郎に出ていた人たち ^ 【す】スタントはお任せ!宍戸大全 水戸黄門大学 福島県出身の人物一覧 日本体育大学の人物一覧 日本の男優一覧 宍戸大全 - MOVIE WALKER PRESS 福島県立保原高等学校同窓会による経歴 森山陽介アクションチーム 宍戸大全 - allcinema 日本のスタントマン 日本の男優 剣劇俳優 アクション俳優 大映の俳優 東映の俳優 日本の中等教育の教員 日本体育大学出身の人物 過去のジャパンアクションエンタープライズ所属者 福島県出身の人物 1929年生 存命人物 プロジェクト人物伝項目 ウィキデータにあるMovie Walker人物識別子 ウィキデータにあるallcinema人物識別子
2024/11/24 06:43更新
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shishido daizen
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