日下部吉彦の情報 (くさかべよしひこ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
日下部 吉彦さんについて調べます
■名前・氏名 |
TOPニュース
平野紫耀、神宮寺勇太、岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。
元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕
藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ
日下部吉彦と関係のある人
浅井敬壹: 皆川達夫、日下部吉彦から"知られざる名曲をたずねて"(皆川が企画・監修した合唱連続演奏会)を紹介され、これを経験することで「そこではじめて、ノド自慢だけで歌っていたものが、ビブラートの問題、ハーモニーの基本などを勉強いたしました」。 |
日下部吉彦
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ)さんの誕生日は1927年11月16日です。京都出身の音楽評論家のようです。
来歴、著書などについてまとめました。卒業、テレビに関する情報もありますね。90歳で亡くなられているようです。
日下部 吉彦(くさかべ よしひこ、1927年11月16日- 2017年12月30日)は、日本の音楽評論家、ジャーナリスト、合唱指揮者。京都府京都市生まれ。 元朝日放送解説委員で同局のニュース番組『たいむ6』初代キャスターを務めた。 音楽評論家として関西を中心としたクラシック音楽の評論・講義、演奏会の企画・司会進行、合唱にまつわる客演指揮・コンクール審査・執筆などの活動も展開。 来歴同志社大学文学部英文学科(英米演劇論専攻)卒業。在学時は同志社グリークラブに所属し、第1回全日本合唱コンクール全国大会(1948年)では団員として歌い、学生部門二位。第3回全日本合唱コンクール全国大会(1950年)では学生指揮者として出場し、学生部門優勝。卒業後、同志社グリーの卒団生で組織するクローバークラブを指揮し、同団は第8回~第10回全日本合唱コンクール全国大会(1955年~57年)一般部門3年連続優勝。 1952年4月1日 朝日新聞大阪本社入社。朝日新聞大阪本社編集局社会部員。 1958年4月1日 朝日放送入社。ラジオ制作部員・音楽プロデューサー、ABC女声合唱団の指揮や音楽雑誌への寄稿。 1961年4月1日 朝日放送東京支社音楽プロデューサー。 1967年 (芸術祭参加・民放祭参加で数々の受賞番組を制作) 朝日放送テレビ報道部デスク。 1972年1月 (『ワイドショー・プラスα』解説(~1977年10月)) 1972年4月1日 朝日放送解説委員。 1977年10月 (『たいむ6』メインキャスター(~1985年)) 1980年 (朝日カルチャーセンターで音楽講師) 1983年4月1日 朝日放送解説委員長。 1985年 テレビ朝日に出向。『ニュースステーション』(同年10月~)の立ち上げ。 朝日放送報道局顧問。 1990年4月1日 朝日放送定年退職。 1990年4月1日 大阪音楽大学理事(~2010年)。 1991年4月1日 ザ・カレッジ・オペラハウス初代館長。 1991年 長井賞受賞。 1998年4月1日 ザ・カレッジ・オペラハウス顧問(~2003年) 1999年 tvk『佐藤しのぶ 出逢いのハーモニー』司会進行(~2010年)。 2008年4月 自宅近くの千里ニュータウンFM放送『日下部吉彦のおいしいクラシック』パーソナリティ(~2012年)。 2010年4月1日 大阪音楽大学客員教授。 2017年12月30日 老衰で死去。90歳没 著書『音楽を嫌いにする方法 辛口音楽社会学』大阪書籍 (朝日カルチャーVブックス) 1986 2024/05/26 08:11更新
|
kusakabe yoshihiko
日下部吉彦と同じ誕生日11月16日生まれ、同じ京都出身の人
日下部吉彦と近い名前の人
話題のアホネイター
この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「日下部吉彦」を素材として二次利用しています。