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松鳳山裕也の情報 (しゅうほうざんゆうや)
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【5月20日】今日誕生日の芸能人・有名人

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松鳳山 裕也さんについて調べます

■名前・氏名
松鳳山 裕也
(しゅうほうざん ゆうや)
■職業
相撲
■松鳳山裕也の誕生日・生年月日
1984年2月9日 (年齢40歳)
子年(ねずみ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
福岡出身

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松鳳山裕也

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松鳳山 裕也(しゅうほうざん ゆうや)さんの誕生日は1984年2月9日です。福岡出身の相撲のようです。

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取り口、人物などについてまとめました。趣味、卒業、家族、事件、引退、現在に関する情報もありますね。去年の情報もありました。松鳳山裕也の現在の年齢は40歳のようです。

松鳳山 裕也(しょうほうざん ゆうや、1984年2月9日 - )は、福岡県築上郡築上町(旧:椎田町)出身で放駒部屋(入門時は松ヶ根部屋、一時二所ノ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名は松谷 裕也(まつたに ゆうや)、愛称はマツタニ。身長176cm、体重133kg、血液型はA型。最高位は東小結(2013年7月場所、11月場所)。趣味はビリヤード・自転車。好物はチャーハン、火鍋。嫌いなものはセロリ。

幼稚園時代に空手や水泳などを習ったが、この頃はどれも中途半端であったといい、岩丸小学校時代には相撲1本に絞り県大会にも出ていたものの稽古は大会前に行う程度であったという。幼少期の松谷はお菓子よりご飯を食べる子であったといい、小学校高学年の頃からチャーハンなどを自炊して食べることが多く、このころから体が大きくなったとのことである。椎田中学校入学後は相撲を中断して野球部に所属していたが、中学2年時に体が大きくなりすぎて動きが悪くなったので柔道部の顧問から誘われて柔道に転向。実質野球部員失格を言い渡されたようなものであったため当初柔道部の活動には乗り気ではなかった。高校進学を間近にした頃、近所に住んでいた人物が大分県立宇佐産業科学高等学校の卒業生である垣添の父と知り合いである縁から当時身長170cm、体重90kgの巨体を持っていた松谷を同校相撲部の真砂昌史監督に紹介し、これを受けて松谷は本格的に相撲を行うようになった。相撲に転向した背景には福岡の柔道のレベルの高さもあり、中学の県大会でも勝てない自分が高校から柔道を本格的に行っても遅いと松谷は思っていた。他にも柔道や相撲の腕を買われて数校から勧誘があり、初めは自宅から遠いことを気にして宇佐産業への進学を躊躇していたが「練習後、責任を持って送り届けます」と真砂が申し出たことが決め手となったといい、実際に高校時代には真砂を始めとして指導者達が交代で送迎を担当していた。高校2、3年と選抜高校相撲宇佐大会に出場し、ベスト8になったが共に琴奨菊に敗れている(琴奨菊とは同学年かつ同郷)。

駒澤大学仏教学部に進学し、1年生から団体戦のレギュラーを務めた。大学在学中には国民体育大会の成年男子Aで準優勝(優勝は下田圭将)などの実績を残した。こうした活躍ぶりに着目した数多くの部屋から入門の勧誘を受ける。その中でも、最初に声を掛けてくれた松ヶ根親方(元大関・若嶋津)の「外国人力士を倒せるよう一緒に頑張ろう」との言葉で入門を決意し、松ヶ根部屋へ入門して2006年3月場所において前相撲から初土俵を踏んだ。入門の意志を家族が聞いたのは大学4年の正月に帰省した時であり、母は松谷の決意に反対せず送り出した。後年語ったところによると「小さい頃は実業家になりたかった。今はともかく、大学時代には相撲で稼いでから実業家になろうと思っていた」という。

序二段へ昇進した2006年7月場所では7戦全勝の成績を挙げて優勝決定戦まで進出し、優勝決定戦で境澤(尾上部屋)に勝利して序二段優勝を果たした。2007年3月場所に幕下へ昇進し(本人としては髷を結える前に幕下に昇進したかったと語っている)、その3月場所で6勝1敗と大きく勝ち越し、翌5月場所においても6勝1敗と大きく勝ち越した。翌7月場所は東幕下9枚目の位置で3勝4敗と負け越し、入門してから初となる負け越しを記録した。

2010年3月場所では東幕下筆頭の位置で4勝3敗と勝ち越しを決め、翌5月場所において新十両へ昇進した。駒澤大学からの十両昇進は尾形以来33年ぶり2人目、築上町出身の関取は2009年に十両昇進した琴禮(佐渡ヶ嶽部屋)以来3人目となった。

2010年8月12日、大相撲野球賭博問題の警視庁捜査により同じ松ヶ根部屋所属の三段目・若力堂と共に野球賭博に関与していたことが明らかになり、松ヶ根親方らと記者会見で謝罪した。2010年6月に行われた相撲協会の2度の調査に対して賭博申告をしていなかったため当初の方針通り解雇の可能性もあったが温情的に本場所の出場停止2場所(2010年9月場所・11月場所)の処分に落ち着き、その影響により十両から幕下へと陥落した。後年では刑事事件を起こしながら協会の聴取に嘘の回答をした場合、大砂嵐の例によって解雇や引退勧告が相場とされるため、現在の感覚では甘い処分と言える。破門を避けてもなお自ら角界から身を引くことも考えたが母から「ここでやめたら支えてくれた人に恩返しもできない」と説得されて思い直し「稽古していい相撲を取ること」に集中した。

西幕下51枚目の位置まで番付を落とした謹慎明けの2011年1月場所では、幕下力士を寄せ付けない強さを見せ、7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たした。翌5月技量審査場所でも7戦全勝の成績で幕下連覇を達成した。翌7月場所では大相撲八百長問題により多くの力士が引退した影響もあり、十両への復帰を果たすと共に自己最高位の東十両3枚目まで番付を大きく上げた。その7月場所では7勝8敗と負け越したものの、翌9月場所では東十両5枚目の位置で11勝4敗と大きく勝ち越した。翌11月場所において新入幕を果たし、同時にそれまで「松谷」という本名で取っていた四股名を「松鳳山」と改めた。駒澤大学元総長の大谷哲夫が提示した複数の案から両親と相談して選んだもので、「鳳」は大谷が住職を務める鳳仙山長泰寺の山号に因んでいる。

2011年11月場所の番付は東前頭15枚目。この場所では10勝5敗という好成績を挙げた。自己最高位となる西前頭3枚目の位置まで番付を上げた2012年7月場所では、10日目まで3勝7敗の成績だったものの、11日目から5連勝して8勝7敗と勝ち越した。東前頭筆頭へ番付を上げた翌9月場所では、4日目に大関・琴欧洲を破ったものの、最終的に7勝8敗と負け越した。翌11月場所は3大関(琴欧洲・把瑠都・稀勢の里)を破る活躍を見せ、10勝5敗の好成績を挙げて自身初となる敢闘賞を受賞した。

2013年1月場所では新三役(西小結)に昇進した。この場所からしばらく種子島酒造から贈られた黄金の締め込みを本場所に採用していた。場所2日目のNHK大相撲中継では北の富士から黄金の締め込みについて「肌が黒いから、よく似合いますよね。白鵬がしたときは何となくしっくりこなかったんですよね」と評された。この場所は7日目に大関・琴奨菊を破ったが最終的に4勝11敗と大きく負け越した。平幕へ降下した翌3月場所は序盤好調だったが、終盤にかけて負けが込み7勝8敗と2場所連続で負け越した。翌5月場所は14日目に大関・琴欧洲を破り、最終的には8勝7敗と勝ち越した。翌7月場所は3場所ぶりの小結(東小結)復帰。この場所は7勝8敗と負け越したが、14日目に大関・琴欧洲を2場所連続で破った。東前頭筆頭へ下がった翌9月場所は2日目に横綱・日馬富士を押し出して横綱戦での初勝利、並びに初金星を獲得した。その後も6日目に大関・琴欧洲、8日目に大関・琴奨菊を破る活躍で、千秋楽に8勝7敗と勝ち越しを決め、2回目の敢闘賞を受賞した。翌11月場所は2場所ぶりの小結(東小結)復帰。小結復帰は2回目。この場所は4勝11敗と大きく負け越したが、3日目に大関・琴欧洲を4場所連続で破った。

2014年3月場所は4度目の小結在位となったものの終盤の4連敗が響いて5勝10敗に終わった。翌5月場所は東前頭5枚目の地位で8勝7敗として、場所後の6月21日には挙式披露宴を都内のホテルで行い、大関・稀勢の里ら二所ノ関一門の関取、親方衆、関係者ら約400人が出席した 。同年11月場所は結果として松ヶ根部屋所属として最後の場所となり、この場所は新入幕となった2011年11月場所以来の前頭二桁台の地位を与えられたが2日目から5連敗するなど振るわず、これが尾を引いて千秋楽に負けて7勝8敗の不振に甘んじてしまった。

2015年3月場所は東前頭8枚目で迎えたが、初日から13連敗を喫するなど1勝14敗と大きく負け越し十両転落。5月場所、7月場所ともに負け越し、引退も考えたが「オレやりきったかなと考えたら、やりきってなかった。だったらもう1回頑張らないと」と目が覚めた。9月場所では一転、13勝2敗で初の十両優勝を飾り再入幕を果たした。西前頭10枚目で迎えたご当地福岡での11月場所は、14日目までに12勝2敗の快進撃を見せ、優勝争いが自身と13勝1敗の横綱・日馬富士、12勝2敗の横綱・白鵬の3人に絞られていたため、千秋楽に白星を挙げれば優勝決定戦に持ち込まれる可能性があったが、安美錦に敗れ12勝3敗の優勝次点に終わった(なお、日馬富士と白鵬も敗れたため、優勝争いを演じた3力士全てが敗れて優勝が決まる珍事となった)。しかし、好成績が評価され3度目の敢闘賞を受賞した。2016年1月場所は2日目にこの年で最初の白星となる日馬富士からの金星を獲得したが、上位の壁に阻まれて5勝10敗の負け越し。続く3月場所も4勝11敗と大敗に終わるが、西前頭11枚目まで番付を後退させた5月場所では11勝4敗と好成績。同年9月場所では初日から2連勝したものの3日目から3連敗、8日目は勇み足に「勝ったと思ったけど、土俵が丸かった。四角だったら(足が)出ていなかった」と迷言を残した。幕内での勇み足は2015年3月場所9日目以来で、その時も松鳳山が勇み足による敗戦を喫している。11日目の千代の国戦では激しい突っ張り合いを制して白星を挙げるも、12日目から給金相撲を3連敗、千秋楽に勝って8勝7敗。11月場所も8勝7敗と勝ち越し。前頭2枚目となり、久しぶりに横綱・大関陣と顔を合わせる地位に戻った。

2017年1月場所は、初日にいきなり大関の照ノ富士を破る好スタート。2日目の鶴竜戦は、右小手投げで一旦は軍配が松鳳山に上がったものの、差し違えで敗北となった。この相撲では松鳳山の左足が先に出たものの、同時に鶴竜も死に体になっており、取直しが妥当ではないかという意見も多く出たが、本人は「全然ダメ。自分の足が出た感触があった」と潔く敗北を認めた。それでも気持ちを切らさず、3日目に日馬富士を破り、3つ目の金星(いずれも相手は日馬富士)を獲得。8日目の琴奨菊戦も勝利し、横綱・大関戦を3勝4敗と悪くない数字で中日を折り返したが、中日以降星を稼げず12日目に正代に敗れて8敗目を喫し、負け越しが確定。それでも残りを3連勝として1つの負け越しに抑えた。3月場所は1枚下降の東前頭3枚目で迎えた。初日から5連敗と星が上がらなかったが、6日目に横綱・鶴竜を破って2場所連続の金星を獲得。しかしそこから再び連敗し、9日目に負け越しが決まったが、そこから少し持ち直して5勝10敗で終えた。東前頭8枚目で迎えた5月場所も10日目に負け越しを喫するなど中盤まで不調であったが、11日目から4連勝したこともあって6勝9敗と踏みとどまった。この場所中、足を滑らせて負けた取組をNHK大相撲中継のインタビューでアナウンサーに触れられたが「弱いから負けたんです。気持ちを切り替えて頑張ります」と答え、この言い訳をしない姿勢に対して場所後の相撲雑誌の投書で絶賛して「好感度がとんでもなく上がった」と答えるファンもいた。7月は西前頭10枚目と、およそ1年ぶりに二桁の番付に落として臨んだ。中盤までの星取は5分だったが、11日目から5連勝で10勝5敗と二桁の勝ち星を挙げた。東前頭4枚目に番付を戻した9月場所は、5日目に大関・照ノ富士、12日目には大関・豪栄道を破るなど、三役以上の力士との対戦を4勝3敗と勝ち越し、8勝7敗で勝ち越しを決めた。東前頭3枚目で迎えた11月場所は、初日に関脇・嘉風、2日目には大関・照ノ富士を2場所連続で破る好スタートを切った。5日目には横綱・稀勢の里に対して終始攻め込む健闘を見せたが敗れた。それでも7日目には大関・豪栄道を2場所連続で破るなど序盤は存在感を見せたが、中日以降8連敗を喫して3勝12敗に終わった。この年6場所で51敗を喫したのは幕内最多敗記録となった。

2018年1月場所は6枚下降とやや番付運に恵まれ、東前頭9枚目の地位で土俵に上がった。この場所は12日目に勝ち越しを決めるなど比較的好調であり、9勝6敗の勝ち越しに終わった。翌3月場所は5枚上昇の東前頭4枚目の地位を与えられた。この場所も勝ち越し、5月場所は2枚上昇の東前頭2枚目を与えられた。この場所は千秋楽にギリギリの勝ち越しとなったが、優勝した横綱・鶴竜に唯一の黒星を付け、かつその鶴竜から金星を獲得したことが評価されて自身初の殊勲賞を受賞した。7月30日の夏巡業大津場所では6番申し合いを行った。同日の、2017年に年間最多敗を喫して今年もまた最多敗となってしまいそうなので巻き返せるように稽古したいという趣旨のコメントを残している。翌7月場所は久々に小結に戻ったが、見せ場らしい見せ場を作ることができず、序盤から負けが込んで3勝12敗の大敗。番付を東前頭7枚目に大きく下げた9月場所は、序盤は3勝1敗とまずまずのスタートだったが、中盤以降に失速し、7勝8敗と2場所連続の向こう給金に終わった。西前頭7枚目のご当所、11月場所は、序盤は3連敗を喫するなどやや躓いたが、6日目に同郷の琴奨菊との大熱戦を演じてからは復調し、8日目から5連勝で勝ち越しを決めた。9勝5敗で迎えた千秋楽は大関・栃ノ心との取り組みが組まれ、口から血を流しながらも上手投げで倒し、10勝目を挙げた。2019年1月場所は、番付運に恵まれず、4枚上昇の西前頭3枚目の地位を与えられた。この場所は初日から3連敗。中盤以降やや盛り返したが、13日目からも3連敗を喫し、5勝10敗の大敗。翌場所も番付運に恵まれず、6枚半下降の東前頭9枚目。この場所は場所を通して波に乗れず、7勝8敗と2場所連続の負け越し。5月場所は東前頭10枚目で迎え、6勝3敗の10日目から4連敗を喫したが、14日目、千秋楽と連勝し、3場所ぶりの勝ち越しを決めた。千秋楽の相手はこの場所新入幕の炎鵬で、大熱戦の末に右からの上手投げで這わせている。東前頭9枚目の7月場所は、7日目までは4勝3敗だったが、そこから4連敗。結局は6勝9敗だった。東前頭11枚目の9月場所は、3勝3敗の7日目から3連勝。その後も白星を積み重ねて13日目、この場所好調だった明生を押し倒して2場所ぶりの勝ち越しを決め、9勝6敗で終えた。東前頭9枚目のご当所・11月場所は場所を通して白星を先行させ、13日目に2場所連続の勝ち越しを決めて8勝7敗だった。

無観客場所として行われた2020年3月場所では中日に通算1000回出場を記録。この場所は10日目に負け越しを確定させるなど不調で、最終的には場所を4勝11敗で終えた。

自身7場所ぶりの幕内の土俵となる2021年11月場所は凱旋帰郷の場所となった。この時点で関取最年長だが「今でも若手には絶対に負けない、若手より若い相撲を取ろうと思ってやっている」と鼻息を荒くし、懸命なリハビリを行ってきた師匠について松鳳山は「師匠が体調を崩してリハビリして戻ってきたのを見て、同じことをやり続けて諦めてはいけないと思っていた。継続は力なり、それはすごく感じる」という。翌2022年の1月12日に12代二所ノ関が停年を迎えるため、12代二所ノ関時代の二所ノ関部屋としては最後の御当地場所となるが、本人は「努力の大切さを教わった。恩返しができれば」と特別な思いを込めた。この場所2日目に剣翔を押し出しで破った際に八角理事長は「気持ちが衰えていないんでしょう。動きで取る力士は、なかなか年齢を重ねるとね。それを克服しながらだから立派だ」と絶賛した。

2022年5月場所は2011年5月技量審査場所以来の低地位となる東十両12枚目まで番付を下げ、中日から千秋楽まで8連敗するなど3勝12敗に終わり、自身が2011年7月場所から11年間続けた十両以上の地位から陥落すると同時に、1969年11月場所で大潮が十両昇進して以来52年と4場所続いた福岡県出身関取の系譜が途絶えることとなった。

5月場所後の6月22日、日本相撲協会に引退届を提出して受理された。年寄株を取得していないことから、協会には残らず退職する見込み。2000年以降で日本国籍を持っている三役経験者が不祥事による引退ではない形で引退即退職というのは追風海、隆乃若、千代天山に続き4人目。これだけ長く幕内在位した松鳳山が協会に残ることすらできなかったことは相撲ファンから意外の念を以って受け止められ、角界における損失と嘆かれた。一部報道からは「野球賭博への関与とそれを調査で申告しなかった件から17代荒磯と手が合わず、元々17代荒磯が年寄名跡を手配した動きは無かった」「17代荒磯が本当に可愛がっているのは部屋の一山本であり、再雇用期間満了後に一山本に年寄名跡を譲る意向である」とする見解も聞かれた。また「17代荒磯は健康状態が悪く協会でも隠居同然であったにもかかわらず、なぜ松鳳山に年寄名跡を譲らなかったのか」と、17代荒磯への批判もあった。

6月28日の引退会見では、7月場所も幕下1桁台であれば努力次第で再十両を狙えると考えていたが、相撲を取るのが怖くなったと打ち明けると18代放駒もそれに同意し、引退に至ったとのこと。35歳ぐらいの時に立てた「40歳まで関取でいる」という目標を果たせなかったことを悔い、「丈夫に産んでくれた親に感謝。先代にも」とも述べた。思い出の取組として初土俵の前相撲で初めて大相撲の土俵に上がった一番を挙げ、通算5つの金星に関しては「必死すぎて(金星など)あまり印象に残る相撲はない」と振り返った。引退して親方にならず即協会から退職となった件については「あんまり自分は指導者に向いていないと思う」と元々残留する意思が無かったと明かし、今後糖尿病で苦労してきて食事の大切さを勉強した経験などを活かして、協会の外部で力士などアスリートらのサポートを行いたいと、栄養学や運動生理学などを学び資格を取得することを視野に入れる意向を示した。なお、引退届受理が6月下旬となったこともあり、翌月7月場所の番付にも西幕下5枚目に名前が載ることとなった。

引退後の7月場所5日目(14日)、ABEMAの大相撲LIVEの解説者を務めた。引退を決めた一番である5月場所14日目の千代の国戦に話が及ぶと「この一番をとって(引退を)思いましたね。その前までは全部出し切っても、悔いはないかなと思って…また次の日に臨んでいたんですけど、これ負けたときに『ああ、もう全部出し切ったな』と思っちゃったんですね」「次の日に気持ちを入れてもう一回土俵に上がろうと思ったんですけど、相撲をとるのが怖かったので、これはついに来るときが来たな」と精神面での理由が大きかったことを明かしている。

2023年2月11日、両国国技館で断髪式を行った。17代荒磯夫人、13代二所ノ関、高安や高安と同じ二所ノ関一門の親方衆や関取衆ら約400人がはさみを入れ、止めばさみは入門時の師匠である17代荒磯が入れた。断髪式終盤、断髪者として、母の名前が呼ばれると号泣した。おいを挟んで、父の名前が呼ばれると再び涙が流れた。「泣かない予定でしたけど、両親の時はきましたね。丈夫な体に生んでくれた両親のおかげ。ずっと一番近くで応援してくれたのは両親。グッとくるものがありました」と、恥ずかしそうに笑いながらも感謝していた。引退当初はアスリートのサポートを行いたい意向を示していたが、断髪式時点では焼肉屋開業を目指している模様。「本当は断髪式までにオープンしたかったんですけど、なかなか、いい物件がなくて。相撲をやめて、ちゃんこ屋さんだと、普通かなと思って、焼き肉屋さんを考えています」と、明るい笑顔で話した。

取り口

立合いの諸手突きから突き押しを基本に相手の懐に入るかそのまま突き切ることが松鳳山の型である。元和歌乃山は2014年3月場所前の座談会で「当たる角度が良いから相手も起きる」と技量に裏打ちされた当たりの力強さを評価しており、「突っ張ってスパッと二本入る」差し身の良さについても話していた。一方で大至伸行は同じ座談会で「突っ張っているときに少し顎が上がり気味で、それを直せばもっと突っ張りの威力が増す」と指摘していた。他に、大型力士が相手であってもまともに寄りたててねじ伏せる相撲も得意である。

立合いで手を付かないことが多く、2016年10月28日に行われた土俵祭りの後に師匠の二所ノ関が友綱審判副部長から注意を受けた。2016年11月場所前の座談会では鳴戸(元大関・琴欧洲)が「松鳳山は四つ相撲になっちゃったのかな。前は突いたりしていたんだけど」と言っており西岩(元関脇・若の里)も「右からの上手投げは強いですね。そうは言ってもいちばんの持ち味は突っ張りですから、突き押しをもっと磨いてほしい」と話していた。2017年3月場所前の座談会では竹縄(元関脇・栃乃洋)が「投げ方がうまいですよね。足を寄せてから投げるのはこの人独特じゃないですか」と評していた。2017年3月場所中日の稀勢の里戦を終えた際の「大体の人はもろ差しになったら勝てるのに。いやあ、重かった」というコメントから、四つ相撲の取り手であることを本人も暗に認めている。

軽量のため格上が相手であればもろ差しになってもたつくと負けることがあり、2017年1月場所3日目の日馬富士戦で金星を獲得した際には「(2本)入ったら走るしかない。投げられても良いから前に出ようと思った」と前日に鶴竜に前に出られて負けたことを反省するコメントを残している。裏を返せばこの金星の例のように攻めが早ければ横綱クラスの力士にも対抗できる。合い口を見るに宝富士のような左の相四つ、豊響や豪風といった押し一辺倒の力士には有利であるが、碧山や栃ノ心のようなパワー型の右四つ力士や妙義龍や嘉風といった機敏な力士には不利である。2017年7月場所は5秒以内に終わった相撲が15番中7番、3秒以内に終わった相撲が15番中4番であった一方で、10秒以上かかった相撲が6番と、相撲が速い面もあれば遅い面もあると言ったところである。後述の通り上位陣を立て続けに負傷させたこともあるが、2017年9月場所の相撲ぶりを見て武蔵川(元横綱・武蔵丸)は場所後のコラムで「『ちびっ子ギャング』という割には、根性が今ひとつないんだよな(笑)。若い相手などにはにらみつけてガッツを見せるんだけど、日馬富士とかの上位にはやらないんだもん。上位陣にこそもっと見せてほしいんだよ!」と注文を付けている。2017年11月場所前の二子山(元大関・雅山)のコラムでは、貴景勝と共に叩きの巧い力士として名前が挙がっており、同年9月場所の12日目と13日目を豪栄道が連敗したのはこのように叩きの巧い力士との連戦であったからと二子山は解説している。張り手も強く、2017年11月場所2日目には元大関の照ノ富士が「くらっときた」と、この日の取組で松鳳山に食った強烈な張り手を振り返った。

雑誌『相撲』の2018年3月場所幕内特製番付では「34歳とベテランながら回転の速い突っ張りやモロ差し速攻は、まだまだ健在だ」と寸評が書かれている。

2019年11月場所は連日張り手を繰り出し、ベテランらしからぬその激しい相撲はAbemaTVで解説を務めた旭道山から絶賛された。2019年には35歳になったが、運動量と持久力は幕内随一で、炎鵬にも負けないスピードを持つ。2019年7月場所中には「自分がスピードNo.1と思ってますから。それに(炎鵬より)嘉風関の方がよっぽど速いですよ」と話していた。2016年に四つ主体の相撲であったところから一転、2019年には動き回る突き押し力士としての本領に戻ったといえる。

2021年11月場所中にABEMAの大相撲中継の解説を務めた花田虎上は、腰高なのでもっと基本に忠実に下から攻める相撲を取るべきだと注文を付けている。

人物

土俵上では常に気合十分な怖い顔をしており非常に強面なイメージが漂い、後述のように対戦相手が頻繁に怪我をすることも理由となって一般ファンからは「壊し屋」「悪魔」「アシュラマン」といった異名が与えられている。しかし新十両インタビューでは大変柔和な笑顔や語り口を見せており、また新十両を決めた相撲や初金星を挙げた相撲では花道で涙を流すなど、その実は人好きのする優しい性格である。母によると反抗期が無かったといい、高校生になってもよく両親に学校での出来事を話したり一家で焼肉を食べに行ったりするなど家族仲は良かったという。他方では、2014年5月場所2日目に話題の人気力士である遠藤を破った際の心境として「いいじゃないですか。ヒーローになれなくてもヒールにはなれる」と答えるなど、その役回りについて自負するところがある。

本項に掲載された写真から窺えるように大変に色黒であり、入門後に憧れの力士である朝青龍に呼ばれた際に出身地を聞かれ、「九州です」と答えたら「いや、絶対に違うだろう」と信じてもらえなかったという逸話がある。

船橋本町の飲食店の間では絶大な人気を誇る。因みに松鳳山は船橋市内にある火鍋の専門店に友人に誘われて以来すっかり気に入り、週5回もその専門店に通ったことがある。

2016年2月9日に32歳の誕生日を迎えた際、同年1月場所に幕内優勝を果たした同じ二所ノ関一門の琴奨菊について「正直、どうでもいい」と言い放ち、自身の相撲道に精進する意志を見せた。

酒は飲めない。お気に入りの焼き肉店に行ってもひたすら大ジョッキのウーロン茶を飲んでいる。

自転車が趣味であり、2014年11月には134kgの体重でありながらアルミフレームのロードバイクを軽快に乗り回す様子が伝えられた。このロードバイクを愛用するようになったきっかけは、2010年にママチャリを盗まれた後に安田剛士の漫画作品『Over Drive』を読んで影響されたことにある。

他競技の選手の体つきを羨ましく思っており、スポーツ新聞のコラムで松鳳山は「それにしても選手はみんないい体をしてますね。それぞれ競技によって筋肉の付き方が違って面白い。水泳選手は肩幅が広く背中の筋肉も発達しているけど、大胸筋はそれほどでもない。体操は内村選手とか肩回りや、胸回りはすごいけど、足を見ると意外に細かったりする。体つきも競技ごとに『特化』してますね。じゃあカヌーはどうなんだろう?バランスを保つために体幹や腹筋が強いのかな。力士の僕は引き締まった体がうらやましい。引退したら腹筋が6つに割れた体を目指そうかなと思ってるんですよ。」と話していた。

2018年7月場所には鯱の描かれた染め抜きで場所入りした。

2020年2月16日放送の『ジャンクSPORTS』では、部屋のちゃんことしてオリジナルの「もずくぶっかけサラダ」を食事の最初に食べるのがこだわりであると明かされた。

2020年1月場所10日目、AbemaTVの大相撲中継のインタビューで「白いタオルってちょっと貧乏くさくないですか?」と発言したため、解説の安治川から「とにかく白いタオルに謝れ」とツッコミを入れられた。

2024/05/17 08:59更新

syuuhouzan yuuya


松鳳山裕也と同じ誕生日2月9日生まれ、同じ福岡出身の人

四島早紀(ししま さき)
【GALETTe】
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DEAR KISS(ディアキス)は、2016年に結成された日本の5人組女性アイドルグループ。所属事務所はFIFTY-FIFTY株式会社。 プレイングマネージャーである元GALETTeの四島早紀を中…

水本 完(みずもと かん)
1932年2月9日 福岡

水本 完(みずもと たもつ、1932年2月9日 - 2021年8月23日)は日本の音響監督。福岡県出身。 古くからタツノコプロ関連作品を手掛けることが多かったが、80年代後半から90年代後半にかけ…

大隅 良典(おおすみ よしのり)
1945年2月9日 福岡

大隅 良典(おおすみ よしのり、1945年(昭和20年)2月9日 - )は、日本の生物学者(分子細胞生物学)。学位は、理学博士(東京大学・1974年)。東京工業大学科学技術創成研究院特任教授・栄誉教授…

城戸 けんじろ(きど けんじろ)
1981年2月9日 福岡

ジャパハリネット(JAPAHARINET)は、日本のロックバンド。略称は「ジャパハリ」など。 城戸けんじろ(きどけんじろ 1981年2月9日 - )ボーカル担当。本名は城戸健次郎(きど けんじろう…

井﨑 燦志郎(いざき さんしろう)
2004年2月9日 福岡

井﨑 燦志郎(いざき さんしろう、2004年2月9日 - )は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 野球は福岡市立住吉小学校4年時より軟式の…

山田 勝国(やまだ かつくに)
1944年2月9日 福岡

山田 勝国(やまだ かつくに、1944年2月9日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 博多工業高校では春季九州大会県予選南部決勝に進むが、福岡工に惜敗。東洋高圧大牟田を経て…


松鳳山裕也と近い名前の人

SYUFO(しゅうほう)
4月7日 滋賀

SYUFO(しゅうほう、1954年〈昭和29年〉4月7日 - )は、日本の漫画家である。紙媒体を制作活動の基礎とする分野では旧来のペンネームである板橋 しゅうほう(いたはし しゅうほう)を用いる。 本…

篠原 秀豊(しのはら しゅうほう)
1966年3月2日 東京

3月2日生まれwiki情報なし(2024/05/17 06:54時点)

旭秀鵬 滉規(きょくしゅうほう こうき)
1988年8月9日

旭秀鵬 滉規(きょくしゅうほう こうき、1988年8月9日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で、友綱部屋(入門時は大島部屋)に所属した元大相撲力士。本名はトゥムルバートル・エルデネバートル(モ…

加藤 修甫(かとう しゅうほ)
1935年11月9日 千葉

加藤 修甫(かとう しゅうほ、1935年11月9日 - 2012年4月16日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した調教師。1990年東京優駿(日本ダービー)優勝馬アイネスフウジン、1998年天皇賞(…

佐藤 秀峰(さとう しゅうほう)
1973年12月8日 北海道

佐藤 秀峰(さとう しゅうほう、1973年12月8日 - )は、日本の漫画家。 『海猿』や『ブラックジャックによろしく』など、綿密な取材に基づいた人間ドラマを描く。 インタビューなどで「漫画やアニ…

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