栃乃花仁の情報(とちのはなひとし) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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■名前・氏名 |
栃乃花仁の情報まとめ

栃乃花 仁(とちのはな ひとし)さんの誕生日は1973年2月28日です。岩手出身の相撲のようです。

現在、卒業、結婚、引退、事件に関する情報もありますね。栃乃花仁の現在の年齢は52歳のようです。
栃乃花仁のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)栃乃花 仁(とちのはな ひとし、1973年2月28日 - )は、岩手県九戸郡山形村(現在の久慈市)出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は谷地 仁(やち ひとし)。身長184cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り、おっつけ。最高位は東小結(2000年11月場所)。現在は年寄・二十山、血液型はB型。 林業会社の長男で、一卵性双生児の弟がいる。中学は弟と共に柔道部で、本格的に相撲を始めたのは岩手県立浄法寺高等学校に入ってからである。明治大学相撲部では副主将を務め、全国大会などで活躍して入門を希望したものの、左膝の靱帯を損傷し幕下付出の資格を失ってしまい、前相撲からスタートし1995年3月場所に初土俵を踏んだ。1996年1月場所後の稽古で右膝に痛みが出る。幕下でやや苦労したものの1999年1月場所には十両に昇進。そして2000年5月場所には新入幕を果たした。これは大学卒業の学生相撲経験者で前相撲から初土俵を踏んだ力士として初の入幕となった。 新入幕の場所から12勝3敗の好成績を残し、敢闘賞と技能賞を獲得した。同場所12日目には大関・千代大海、14日目には同・貴ノ浪(この一番で貴ノ浪は大関再陥落が決定)を破っている。新入幕力士が大関に勝つのは22年ぶりだった。同年9月場所でも10勝し2度目の技能賞、11月場所には最高位の小結まで番付を上げた。しかし、それ以降は幕内下位での土俵が多くなり、2003年3月場所を最後に幕内から遠ざかった。そして2004年1月場所9日目、幕内土俵入り前の支度部屋で準備運動の最中にぎっくり腰になり当日に急遽休場、3月場所には幕下に陥落。同年7月場所には東幕下30枚目まで番付を落としたが、2005年3月場所に2004年1月場所以来8場所ぶりの十両に復帰すると怒涛のように巻き返しが始まった。同年9月場所に10勝5敗の成績で勝ち越し、翌11月場所には16場所振りに再入幕を果たした。 そして2005年11月場所は東前頭14枚目の地位で11勝4敗と大きく勝ち越し、31場所ぶりに三賞(敢闘賞)を受賞した。2006年1月場所は一気に西前頭3枚目まで番付を上げたが、4勝11敗と大きく負け越してしまった。しかし、大関・魁皇や優勝争いに加わっていた関脇・白鵬を破るなど実りのある場所でもあった。2006年9月には、年寄名跡・二十山株を取得した。 2007年4月27日、元客室乗務員の女性との婚約を発表した。8年前に知人の紹介で知り合い、その半年後に交際を始め、二十山株を取得した時点で結婚を決意したと言う。幕下に落ちた時も彼女の存在が支えになっていたといい、同年9月1日に挙式した。 しかし、2007年5月場所を最後に十両に陥落すると本来の相撲が取れなくなり負け越しが続き、2008年1月場所には十両で最も下位である西十両14枚目まで陥落。序盤からの6連敗もあり、11日目の磋牙司との相撲に敗れ3勝8敗と負け越し幕下陥落が決定的となり、翌12日目に現役引退を表明し、15代二十山を襲名した。その後は春日野部屋で後進の指導に当たっている。 現役時代は、角界きっての美男力士、明るい性格で、人気力士であった。 弟は地元の岩手県で家業を継ぎ、巡業がある時に彼をサポートし、遠く離れた相撲人と余方の関係ながら仲が良い。 2009年に行われた引退相撲は栃栄と合同で行った。合同引退相撲は久々のことだったが、同部屋同世代で引退の時期も重なったことで関係者も重複が多いことと、リーマンショック後の不況からファンの負担を軽くすることも考慮したうえで決定された。 2021年8月10日、日本相撲協会は15代二十山が新型コロナウイルスに感染したことを発表した。今後、保健所の指示に基づき、療養・濃厚接触者の特定を進めるという。 通算成績:449勝439敗32休 勝率.506 幕内成績:155勝194敗11休 勝率.444 現役在位:78場所 幕内在位:24場所 三役在位:1場所(小結1場所) 三賞:4回
技能賞:2回(2000年5月場所、2000年9月場所) 各段優勝
序ノ口優勝:1回(1995年5月場所)
谷地 仁(やち ひとし)1995年3月場所 - 1998年11月場所 栃乃花 仁(とちのはな - )1999年1月場所 - 2008年1月場所 二十山 仁(はたちやま ひとし)2008年1月24日 - 大相撲力士一覧 小結一覧 現役年寄一覧 岩手県の高校相撲部出身の一覧 ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p29 ^ それ以前にも付出し資格を得る前に一身上の理由で近畿大学を中退した旭富士(現伊勢ヶ濱親方)の例がある。旭富士は1990年7月場所にすでに綱取りまで果たしている。 ^ 春日野部屋は最高位が関脇の力士を多く輩出しているものの、最高位が小結はほとんどおらず、2016年7月場所に栃ノ心(それまで小結に通算7場所在位)が関脇に昇進したことにより、栃乃花が唯一の小結となっている。 ^ 「支度部屋で準備中」「土俵下で力士と激突」大相撲で起きた“不戦敗事件簿” AbemaTIMES 2019.11.19 10:23(2019年12月2日閲覧) ^ “元小結栃乃花の二十山親方がコロナ感染、濃厚接触者の特定進める - スポニチ Sponichi Annex スポーツ”. スポニチ Sponichi Annex(2021年8月11日). 2021年8月18日閲覧。 ^ 右母趾末節骨骨折により4日目から途中休場 栃乃花 仁 - 日本相撲協会 栃乃花 仁 - 大相撲 記録の玉手箱 表 話 編 歴 出羽海 中立 高崎 境川 関ノ戸 山科 振分 立田川 武隈 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 玉ノ井 雷 入間川(停年後再雇用) 藤島 大鳴戸 山分 待乳山 錦島 武蔵川 二子山 山響 小野川 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 尾上 千賀ノ浦 北陣 式守秀五郎(式秀) 立浪 二所ノ関 中村 佐渡ヶ嶽 粂川 白玉 浜風 荒磯 尾車 押尾川 鳴戸 秀ノ山 片男波 熊ヶ谷 田子ノ浦 西岩 放駒 松ヶ根 芝田山 峰崎(停年後再雇用) 高田川 花籠(停年後再雇用) 大嶽 阿武松 不知火 常盤山 湊川 湊 錣山 時津風 中川 枝川 荒汐 浦風 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 音羽山 陸奥(停年後再雇用) 追手風 立田山(停年後再雇用) 高島(停年後再雇用) 鏡山(停年後再雇用) 高砂 若松 錦戸 千田川 九重 谷川 佐ノ山 大山 八角 陣幕 東関 君ヶ濱 伊勢ヶ濱 楯山 照ノ富士(現役名年寄) 宮城野 間垣 安治川 大島 玉垣 浅香山 友綱 朝日山 桐山 出来山 表 話 編 歴 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 栃大海 栃丸 栃武蔵 栃幸大 栃清龍 栃登 和歌桜 栃満 香富士 栃春日 栃岐岳 栃乃島 新谷 栃颯 小林 栃乃藤 虎伏山 栃玄王 式守伊之助 木村秋治郎 木村善之輔 床匠 岩手県出身の大相撲力士 春日野部屋 明治大学出身の大相撲力士 岩手県立福岡高等学校出身の人物 岩手県出身の人物 日本出身の双子 双子のスポーツ選手 1973年生 存命人物 ウィキデータにある日本相撲協会識別子
2025/04/09 12:04更新
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tochinohana hitoshi
栃乃花仁と同じ誕生日2月28日生まれ、同じ岩手出身の人
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