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武双山正士の情報 (むそうやままさし)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月28日】今日誕生日の芸能人・有名人

武双山正士の情報(むそうやままさし) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

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武双山 正士さんについて調べます

■名前・氏名
武双山 正士
(読み:むそうやま まさし)
■職業
相撲
■武双山正士の誕生日・生年月日
1972年2月14日 (年齢52歳)
子年(ねずみ年)、水瓶座(みずがめ座)
■出身地・都道府県
茨城出身

(昭和47年)1972年生まれの人の年齢早見表

武双山正士と同じ1972年生まれの有名人・芸能人

武双山正士と同じ2月14日生まれの有名人・芸能人

武双山正士と同じ出身地茨城県生まれの有名人・芸能人


武双山正士と関係のある人

雅山哲士: 武双山正士の父親)の目に留まった。


はなわ: 特に武蔵丸光洋(現・武蔵川親方)のモノマネを始めてから、武蔵丸の断髪式に呼ばれたり、武蔵丸とともに大相撲中継に出演するなど何かと武蔵丸とは縁が広がり、武双山正士(現・藤島親方)、琴ノ若晴將(現・佐渡ヶ嶽親方)の断髪式にも出ており、2005年にはアルバム「HANAWA PACK」発売時期にCDの宣伝を兼ね懸賞旗を6本出している。


武双山正士の情報まとめ

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武双山 正士(むそうやま まさし)さんの誕生日は1972年2月14日です。茨城出身の相撲のようです。

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現在、趣味、父親、卒業、兄弟、引退、脱退、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。武双山正士の現在の年齢は52歳のようです。

武双山正士のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

武双山 正士(むそうやま まさし、1972年2月14日 - )は、茨城県水戸市出身(出生地は勝田市、現在のひたちなか市)で武蔵川部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾曽 武人(おそ たけひと)。最高位は東大関。身長184 cm、体重177kg。現在は年寄・藤島、得意手は突き、押し、突き落とし、巻き落とし、左四つ。趣味は釣り。独身。

父親の尾曽正人(以下、父と表記)は茨城県相撲連盟理事長というアマチュア相撲の大御所でありアマチュア選手として国体に11回出場した経験も持っている。息子である尾曽武人(以下、角界入りまで尾曽と表記)が後に冠した四股名「武双山正士」の下の名前の由来は父の名前にある。尾曽は元々相撲ではなく魚釣りやソフトボールを好んでいた。小学4年生の時に父に「相撲を教えてほしい」と頼んだ際は熱意の程を確かめたいと思った父から「腕立て伏せ30回毎日やり通したら教えてやる」と条件を出され、1か月やり通した尾曽は指導を受けることを許された。そうして父が指導の手腕を振るう「水戸尾曽相撲道場」においてその薫陶を受ける生活が始まり、まず自宅の庭には15尺土俵が、その側に檜製の鉄砲柱が用意された。稽古を始めてからほどなく、県内のわんぱく相撲大会に出場した尾曽はきわどい判定の末に1回戦で敗退してしまう。納得できなかった尾曽は自分の勝ちであるはずと不服を漏らしたが、父は毅然と「勝ったようにも見える。でも、誰が見ても勝っているというような相撲をとらなきゃダメなんだ」と一喝し、そこから稽古が本格化した。

小学校4年生の頃の尾曽は身長143cmで37kgと他の子供と比べても小さくあぐらもかけないほど柔軟性に欠けていたという弱点を持っており、それ故人一倍の稽古が求められた。具体的に、柔軟体操から始まり、腕立て伏せ、四股踏み、バスケットボールの中にコンクリートを詰め込んだ特製のボールを抱え200回の屈伸運動、すり足で200m、そして四股を踏んだ体制でのうさぎ跳び。夕方4時半からは実際に廻しをつけ、土俵に上がっての稽古を行い、仕上げに自宅にタイヤを積み重ねた重さ100kgの「ぶちかましマシーン」を6m動かす稽古を30往復課された。朝稽古が終わった後の6時半には例として牛乳2本、野菜ジュース、チーズ4個、目玉焼き2個、ステーキ2枚、焼き魚たっぷり、生野菜とおひたしをボウルで山盛り、ご飯2膳という大人2人分の食事を父親が作って用意し、食べきらなければ学校に行くことは許されなかった。昼食としても父が腕を振るって用意した二段重ねの特大弁当を持たされ、そればかりかカルシウム補充の目的でポケットには煮干しもねじこまれた。こうした相撲漬けの生活から相撲版「巨人の星」と呼ばれたが、5つ上の姉は「やっていることは、虐待と変わらない」と父の徹底指導を腹に据えかねて猛抗議したことがあり、当の父も「できることなら投げ出してほしい」と内心で願っていたというが、その中でも尾曽は決して投げ出さなかった。尾曽が徹底指導に音を上げなかった陰には土俵外で寧ろ尾曽に甘いとされる父の姿があり、父が尾曽との会話や団欒を惜しまなかったことも関係している。

水戸農業高校3年の時には全国高等学校相撲選手権大会で優勝して高校横綱を獲得。専修大学進学後は故障に泣いた時期もあったが3年生時に全日本相撲選手権大会で優勝してアマチュア横綱を獲得した。父は尾曽が小学4年生の時点で従業員50人ほどの規模を誇る建設会社を経営していた実業家でも知られ、相撲の英才教育に費やした時間と情熱について「息子に注ぎ込んでいたエネルギーを会社に向けていたら、今頃は二部上場していたかもしれない」と語ったことがある。その一方で父は一貫してメディアに出ることを嫌い、その理由を「今あるのは全て息子の努力に立脚したもので、私は環境を作っただけ」と話している。アマチュア時代は「東の尾曽(武双山)、西の山本(土佐ノ海)」と称され、高校時代、大学時代(武双山は専修大学、土佐ノ海は同志社大学)を通じて良きライバルであった。父親と約束していた「角界入りは学生横綱かアマチュア横綱になってから」の条件を達成したので、1993年1月には大学を3年で中退して角界入りした(専修大学からのアマチュア横綱は初、角界入りは大凰に次ぐ。ただし、専修大学卒業者の初関取は片山)。

アマチュア横綱の実績により、1993年1月場所、幕下付出で初土俵。2場所連続7戦全勝で十両に昇進、武双山と名を改めた。最初は武双海と名乗ったが、海という名は自分には似合わないとして武双山と変えたという。武双海の四股名で書いた色紙がごく少数ながら存在するらしく、貴重品であると大相撲中継の解説で話題となったこともある。

貴闘力の証言によると、下半身が異常に太く逞しかったため、腰を下ろした状態からでも当たっていけたという。一方、異常に強い下半身に反して肩関節のハマりが浅く、このように脱臼癖があったことで横綱にはなれなかったのだろうとのこと。

その十両も2場所で通過、1993年9月場所には入幕を果たす。このときまだ相撲教習所の生徒であり、相撲教習所の卒業式に出た最初の幕内力士となっている。1994年1月場所は前頭3枚目に昇進し初の上位挑戦だったが、いきなり横綱曙を下して金星を獲得、そして三賞(殊勲賞)受賞。翌3月場所には小結を通り越して関脇に昇進、初土俵から8場所での関脇は当時の最速記録だった。あまりの昇進の早さに四股名が定着せず、ある日幕内の取組で武双山自身物言いがついた時の協議説明の際に、当時の九重審判部長(元横綱北の富士)に「尾曽」の四股名で間違えて呼ばれたこともあった。

廻しの色には、自分のお気に入りの「銀鼠(ぎんねず)」を用いた(NHKの大相撲中継ではいぶし銀またはガンメタリックと言われることもあった)。「平成の怪物」と呼ばれ、当時時代を築きつつあった曙や貴乃花の好敵手として期待された。若乃花には最初2連敗したもののその後8連勝した(最終的な対戦成績は11勝14敗)。1994年9月場所では初日から11連勝して最後まで大関貴ノ花(当時、のち貴乃花)と優勝を争い、一歩及ばなかったが13勝2敗の優勝次点。翌11月場所は早くも大関取りの期待が膨らんだが、場所前左肩の亜脱臼のケガによる稽古不足が影響して、7勝8敗と初の負け越しとなった。小結に下がった1995年1月では初日に新横綱貴乃花を下し、連勝記録を30で止める殊勲の星を挙げたが、6日目の貴闘力戦で左肩を脱臼してしまい途中休場に追い込まれた。その後も左肩脱臼の再発や、足の親指の負傷など怪我が重なった事も有り、6年間大関候補と言われながらも伸び悩んでいた。それでも、1995年5月場所では1横綱2大関に勝ち11勝で殊勲賞と敢闘賞、7月場所では1横綱1大関に勝ち10勝で技能賞。さらに1996年3月場所には関脇の地位で2大関に勝ち12勝3敗の好成績を残すなど、見せ場も存在した。

初めての大関取りだった1996年5月場所は、13日目に5敗を喫して優勝争いからも脱落。当場所千秋楽には、優勝の可能性が残っていた大関の貴ノ浪に勝利し10勝目を挙げた。これで全て三役の地位で3場所合計32勝(10-12-10勝)を挙げたものの、大関昇進への目安とされる合計33勝には届かず、次の名古屋場所に持ち越しとなった。だが翌7月場所は初日から4連勝だったが、その後中日迄に4連敗を喫して4勝4敗と大関昇進は完全消滅、結果7勝8敗と負け越して大関取りは振り出しに終わった。

しかしついに変わりだしたのが1999年で、1月場所で横綱の貴乃花と若乃花に勝ち10勝で殊勲賞、3月場所でまたも脱臼により途中休場してしまうも、その間に横綱に昇進した兄弟子武蔵丸や名古屋場所で大活躍し大関に昇進した弟弟子の出島、さらに弟弟子の雅山の一気の台頭などに刺激され7月場所では11勝、9月場所ではまたも横綱の貴乃花と若乃花に勝ち、1999年11月場所も10勝。

2000年1月場所では、千秋楽に魁皇(当時関脇)を下して13勝2敗、関脇の地位で念願の幕内初優勝を達成した。久々の大関取り再挑戦となった、翌3月場所でも3日目の土佐ノ海戦で大相撲入り後自身初初の巻き落としが「自然と出た」というほど体の動きが良く、4日目は229kgの曙を放り投げるように突き落とした。曙も「すっげえよ」と、完敗と成長を認めていた。初優勝した際も勝てず、9連敗中の難敵からの3年ぶり白星だった。場所成績は12勝3敗の好成績を残し、三役で3場所通算35勝(10-13-12勝)を挙げ、ようやく遅咲きの大関昇進を果たした。大関昇進伝達式では口上に「正々堂々」の文言を用いた。

ところが、その新大関だった5月場所は腰椎椎間板障害で初日から全休。いきなり大関角番で臨んだ7月場所でも腰痛が完治しないまま強行出場したが、結局11日目の土佐ノ海戦で3勝8敗と、大関の地位で2場所連続の負け越しが決定、大関在位が僅か2場所で関脇に陥落の屈辱を味わった(同7月場所は4勝11敗と、武双山自身千秋楽迄皆勤した場所ではワースト敗戦の記録となる)。皆勤負け越しにより角番脱出失敗は「2場所連続負け越しか休場で大関から陥落」とする現行制度では史上初。現在の制度で考えうる最短在位である。それでも関脇に陥落した直後の9月場所で、千秋楽に勝利して10勝5敗、大関特例復帰規定(取り組み日数(現在は15日間)の三分の二(同・10勝)以上の勝ち星を挙げること。ただし、何らかの災害等のため増減が有った場合でも、その三分の二以上で計算する)に達して1場所で大関に返り咲いた。奇しくも師匠の武蔵川(元横綱・三重ノ海)も、大関から関脇陥落した1976年7月場所において、1場所で大関特例復帰を経験している。

大関特例復帰後の2001年3月場所には大関魁皇らと優勝を争い、千秋楽に魁皇に敗れたものの12勝3敗の優勝次点という好成績を残した。翌5月場所では、14日目に貴乃花を巻き落としで下す(詳細は後述)相撲も見せ、自身5年ぶりに5月場所で勝ち越した。この取組で貴乃花は右膝半月板を負傷し、千秋楽に強行出場して優勝したものの、翌7月場所からの7場所連続休場を余儀なくされた。しかし、5月場所以降の武双山は最高の成績でも10勝5敗に終わり、優勝争いに参加することは殆ど無い状態だった。力士晩年には途中休場や皆勤負け越しも記録して大関を保つのがやっとで、大関角番と角番脱出の繰り返し、という土俵が続いた。素質からは横綱を期待する声もあったが、左肩脱臼を繰り返すケガなども有って果たせなかった(他に腰痛や足の親指の怪我が致命的だった)。

なお2003年11月場所まで大相撲には「公傷制度」(本場所中に土俵上の大怪我で翌場所全休しても、その翌々場所は翌場所と同じ地位に留まれる制度)が存在していた。しかし2003年3月場所6日目、武双山は左肩脱臼のケガで全治2か月の診断書が出て途中休場したものの、当時の公傷適用は却下されてしまう。師匠の武蔵川親方が抗議したものの、審判委員らはその理由として「脱臼は古傷の繰り返しによるもので、来場所までに回復して相撲が取れるはず」というものだった。左肩の具合が完全に回復しないまま強行出場となった、翌5月場所は通算2回目の大関角番となったが、千秋楽に8勝7敗と勝ち越し角番を脱した。その後も武双山は2003年9月場所5日目、左ひじの骨折を起こし再び全治2か月の診断書が出て途中休場したが、これも公傷認定はされなかった。翌11月場所も9勝6敗と勝ち越して通算3回目の大関角番を脱出。この事から当時の北の湖理事長は公傷廃止を提案し、結果2003年11月場所限りで「公傷制度」は廃止となった。

2004年10月2日の横綱武蔵丸引退相撲での土俵入りでは、武双山が太刀持ちを務めた(露払いは雅山)。それから約1か月後の同年11月16日(11月場所3日目…この場所は初日から3連敗)を最後に、大関の地位で現役を引退。年寄・藤島を襲名し、二所ノ関一門に渡っていた藤島の名跡を出羽海一門に引き戻した。2006年5月場所からは病に倒れた同じ一門の二十山親方(元大関・北天佑。同年6月23日死去)に替わって審判委員を務めた(その後一旦退くが、2010年9月に再任)。2010年9月30日に年寄名跡交換はせずに師匠の武蔵川親方から部屋を継承する形で藤島部屋を創設した。2015年1月29日の理事会を受けて、停年を控えた朝日山親方(元大関・大受)の後任として役員待遇の審判部副部長に抜擢された。2016年1月、役員候補選挙に初出馬し、副理事に当選する。同年3月の職務分掌では審判部副部長に留任すると共に、新たに事業部副部長にも就任し、協会執行部入りした。9月場所、腰の治療のため、場所中審判から外れた。

2020年1月30日の自身2度目となる役員候補選に副理事候補として出馬した。定員を超過しなかったため2008年以来6期12年ぶりに無投票となり、理事候補10人、藤島を含めた副理事候補3人が全員当選。同年3月6日の理事会で正式に副理事として選任された。

2021年3月場所に武将山が自身初の子飼い関取となっている。

2022年3月11日、協会は1月27日の役員候補選挙で副理事候補に当選した4期連続の藤島を選任した。3月30日の職務分掌により、事業部副部長と審判部副部長(編成担当のため土俵下の職務はなし)の役職が与えられた。

同じ1972年生まれの元大関・魁皇(現・浅香山親方。但し学年は武双山の方が魁皇より1年上)とは最大の好敵手であったが、大の親友同士でもあった。その魁皇とは武双山が現役引退した2004年11月場所まで、幕内在位場所数(68場所)が一緒だった。なお武双山は1993年9月場所新入幕、魁皇は1993年5月場所新入幕で、入幕の時期は異なるものの、魁皇は1993年7月場所と9月場所は十両に陥落しており、結果的に二人の幕内在位数は一緒になった。また大関昇進の時期も、武双山は2000年5月場所(同年9月場所に関脇陥落したが、翌11月場所で大関復帰)、魁皇は2000年9月場所とわずか2場所違いだった。さらに魁皇と幕内では48回も対戦し、武双山の17勝31敗(その内2敗は不戦敗)。2004年11月場所3日目に武双山から引退を聞かされた時の魁皇は、ショックの余り「言葉を失った」らしい。

その後も魁皇は7年以上大関として長く務めたが、2011年7月場所限りで現役引退。その直後、魁皇から直接電話で「武双山がいたから俺も頑張れたよ」と告げられたという。魁皇自身思い出の一番に、2000年1月場所千秋楽で武双山に為す術なく敗れて負け越し、幕内初優勝を献上した取組を挙げ「その時の悔しさがあったから、大関に上がれた」とコメントした。一方の武双山(現・藤島親方)は「相手を気遣う気持ちが魁皇らしい。一緒に刺激し合った特別な存在だから、寂しくなるし残念だ」と、かつてライバルの引退を惜しんでいた。

現役時代から大のプロレスファン(プロレスマニア)としても有名。ノア所属の元プロレスラーだった力皇猛(元前頭4枚目・力櫻。現・ラーメン店経営者)とも仲が良く、力皇のプロレスデビュー戦では、親友の魁皇と共に応援に駆けつけている。

ナンシー関とも親交があった。

2001年5月場所6日目の琴光喜戦で水入りとなったが、それでも決着がつかなかったため一番後に取り直しとなった。これは1978年3月場所7日目の旭國 - 魁傑戦以来23年ぶりの珍事だった。取り直しの一番では寄り切りで琴光喜に敗れた。

兄弟子だった元横綱・武蔵丸が2003年11月場所限りで引退を伝えた後、武双山は同部屋の雅山・武雄山と共に泣き崩れたという。

タモリ倶楽部の大ファンで、空耳アワーやボキャブラ天国に投稿し採用された。弟弟子にも書かせていたらしい。なお、敷島(元前頭)も空耳アワーに採用されたことがある。

現役時代は、所ジョージとも親交があり、所が司会を務める番組によく出演していた。特に、場所中でない限りは1億人の大質問!?笑ってコラえて!によくゲスト出演していた。

2003年に行われた、第27回日本大相撲トーナメントで優勝した。そのときゲスト解説をしていたみのもんたより化粧廻しが贈呈された。これは、みのが放送中に、「武双山が優勝したら化粧廻しを送る」と公約したものが実行された形である。

相撲ファンでもある小説家の高橋治が2000年代初頭の時期に力士達の体重過多を指摘し、主立ってあんこ型揃いの武蔵川勢の1横綱3大関(雅山・武蔵丸・出島・そして自身)に駄目出ししてきた中、とりわけユルフンとして厳しい批判を浴びた。

最近では頭を丸めスキンヘッドがトレードマークになっている。2012年1月場所中には『どすこいFM』の解説を担当していた浦風(元幕内・敷島)が、何時の間にかスキンヘッドになっていた武双山を見て「確かいつも髪切ってるとこでいつもやってもらっている人がいなくて失敗されて 丸めちゃったんですよね」と証言した。

現役時代には一切変化しない力士として知られており、本人も変化に対しては「相撲道はただの勝ち負けを争うものではない」として厳格な立場を取る。2014年9月場所に新入幕を迎えた逸ノ城が立合い変化を行ったことに関しては「小兵ならまだしも、あれだけの素晴らしい素材だ。あんな相撲を取っていたらたとえ3場所35勝でも私は大関昇進に反対したい」と批判的な意見を示した。

現役時代の好物はラーメン。一時期、趣味として「ラーメンの食べ歩き」と答えていた時期があった。2003年放送のバラエティ番組「トリビアの泉」の「トリビアの種」のコーナーで「東京都にあるラーメン店で一番多くサインが飾られている有名人」を調査する企画が放送され、計757枚の統計をとった結果、テリー伊藤、毒蝮三太夫に次ぐ3位(6枚)にランクインした。

武双山と同郷の茨城県(牛久市)出身だった稀勢の里は、2017年1月場所に30歳の遅咲きで念願の幕内初優勝、更に同場所後に第72代横綱に昇進を果たす。だが、次の3月場所で2度目の幕内優勝を達成するも、13日目の横綱日馬富士戦で、左肩周辺の筋肉を部分断裂する大怪我に見舞われた。結局はその負傷が完治せず、更に相次ぐ負傷に泣かされて、横綱として8場所連続休場など成績不振が続き、2019年1月場所4日目に稀勢の里自ら、横綱在位12場所の短命で現役引退を表明。それに関して藤島親方は「まず稀勢の里にはお疲れさまと言いたい。同じ茨城県出身の“くにもん”として、下の頃から時々声をかけていた。『萩原(稀勢の里の本名)は物が違う』と早々に有望視され、期待に応えてスピード出世した。若くして関取になり、時間は掛かったが横綱まで上りつめた。これ迄72人の横綱では、彼程日本中の期待を一身に集めて上がった力士はいない。外国勢が幅をきかせる中で『日本人でも頑張れば横綱に成れる』と皆に希望を与えた。彼がいなかったら相撲界の勢力図は大きく変わっていただろう」「昇進後の結果だけ見れば横綱として決して胸は張れない。然し結果に出ない中身については見る人が見れば分かる。私は立派な横綱だと思っている」と労いつつ、「今後部屋付き親方として後進を指導する事になると思うが、現役時代の生きようは後輩達も、しっかりと目に焼き付けている。一言一言に説得力や重みを感じさせ、良き指導者になる筈」と、引退後の稀勢の里(現年寄・二所ノ関)に対しても期待を寄せている。

大島部屋の元小結・旭鷲山とは2001年名古屋場所まで6勝7敗だったが、その後9勝1敗と克服したし、15勝8敗と勝ち越している。対照的に旭天鵬には11勝12敗と負け越している。大関昇進前は2勝1敗だったが、大関時代は9勝11敗。旭天鵬は千代大海に7勝27敗と大きく負け越しているが、武双山は千代大海に14勝10敗と勝ち越している。

栃東には7勝18敗と大きく負け越している。栃東は隆の若に3勝4敗、貴ノ浪に14勝16敗、魁皇は貴ノ浪に24勝27敗と負け越しているが、武双山は隆の若に12勝1敗、貴ノ浪に25勝24敗と勝ち越している。

同学年の土佐ノ海には17勝18敗と負け越しており、武双山の大関時代は8勝9敗。土佐ノ海が8勝19敗、旭天鵬が14勝22敗と負け越している若の里に武双山は17勝8敗(勝率.680)と大きく勝ち越している。若の里には大関昇進前は1勝2敗だったが、大関時代は16勝6敗である。武双山の若の里戦の勝率は武双山と同じく若の里に勝ち越している横綱・大関陣でも武双山と同部屋の武蔵丸の10勝5敗(勝率.667)、朝青龍の19勝10敗(勝率.655、最後の対戦となる2008年7月場所の不戦敗1除けば19勝9敗で勝率.679)、白鵬の11勝6敗(勝率.647)、魁皇の21勝13敗(勝率.618)、鶴竜の6勝4敗(勝率.600)、栃東の14勝10敗(勝率.583)、琴光喜の18勝15敗(勝率.545で琴奨菊の若の里戦と同率)、琴奨菊の6勝5敗(勝率.545で琴光喜の若の里戦と同率)を上回っている。武双山が引退した翌年の2005年7月場所で朝青龍に17勝8敗と並ばれたが、朝青龍は2006年5月場所で若の里に敗れはしたものの2007年7月場所と2008年1月場所に2連勝、最後の対戦となる2008年7月場所の不戦敗1を除いても武双山の若の里の勝率は朝青龍の若の里戦の勝率を上回っている。

1995年に師匠である武蔵川より同年退職した11代大鳴戸(元関脇・高鉄山)から取得していた年寄・大鳴戸を譲渡された。しかし、大鳴戸の名跡は1999年7月場所後に大関に昇進したばかりの出島に譲渡し、自身は引退直前の2004年11月に貴乃花から年寄・藤島を取得し、18代藤島を襲名している。

貴闘力は2023年11月のYouTube上の動画で、武双山のことを八百長無縁でまっすぐな人柄と評しており、こういう人に理事長になってほしいと期待を寄せている。

武双山はこの場所初日から13連勝の貴乃花と対戦した。貴乃花は左差し右上手を引きつけて投げを交えて振るが、一枚廻しなので思うように武双山は崩れず、最終的に武双山は貴乃花を巻き落としで下す。だが貴乃花は武双山の巻き落としに落ちた際に右膝亜脱臼の重傷を負ってしまった。

取組後の夜に貴乃花は師匠の二子山(元大関・貴ノ花)から休場勧告を受ける。しかし強行出場した貴乃花は千秋楽結びの一番で武蔵丸と対戦し、まず本割では仕切り中に足を引きずる動作からとても相撲が取れる状態でないと衆目から判断され、その心配通りに武蔵丸の軽い突き落としで立合い直後に敗れる。だが13勝同士で武蔵丸と戦った決定戦では大方の予想を覆し、豪快な上手投げで勝利。この優勝劇は当時の内閣総理大臣である小泉純一郎が「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と興奮を露わにして称賛しつつ内閣総理大臣杯を手渡す一幕に大きく印象付けられた。

他方で武双山は一部の相撲ファンから「貴乃花が怪我をしたことに武双山のユルフンが関係している」と批判されるようになり、場所直後の読売新聞の記事には「ケガの一因が、武双山の緩く締めたまわしにあった」と明記されていた。武双山に限らずユルフンの力士は当時の土俵上で珍しくなく、ユルフンが戦略として蔓延していることも同じ記事の上で問題になっていた(ただし脚注にあるとおり、武双山の場合は腰痛が原因できつく締められなかった)。当時理事長であった時津風も「正々堂々を是とする相撲道に反する行為」としてたびたび苦言を呈してきた。武蔵丸も自身と同部屋の大関・武双山との取組が原因で貴乃花が重傷を負ったことを負い目に思ったのか件の場所の決定戦で通常考えられない敗北を喫してしまい、これが武蔵丸の評価を下げてしまった。

小泉の絶叫が社会現象にもなって、武双山はすっかりヒールになってしまった。気心の知れた店へ食事にいっても、この話題を避ける雰囲気が武双山に伝わって来た。人気の貴乃花に大怪我を負わせたことで部屋には非難、中傷のはがきが舞い込んだ。読む気にもならない、感情的な文面もあったため、付け人が気を使い、武双山の目に触れさせないように処分したことがある。

通算成績:554勝377敗122休 勝率.595

幕内成績:520勝367敗122休 勝率.586

大関成績:186勝148敗60休 勝率.557

現役在位:72場所

幕内在位:68場所

大関在位:27場所

三役在位:31場所(関脇20場所、小結11場所)

通算連続勝ち越し記録:11場所(1993年1月場所~1994年9月場所)

幕内連続勝ち越し記録:11場所(2000年9月場所~2002年5月場所)

連勝記録:14(1993年1月場所初日~1993年3月場所13日目・幕下時代)

三賞:13回

    殊勲賞:5回(1994年1月場所、1994年9月場所、1995年5月場所、1999年11月場所、2000年1月場所)

    敢闘賞:4回(1994年9月場所、1995年5月場所、1997年11月場所、1998年1月場所)

    技能賞:4回(1995年7月場所、1996年3月場所、2000年1月場所、2000年3月場所)

    金星:2個(曙1個、貴乃花1個)

    各段優勝

      幕内最高優勝:1回(2000年1月場所)

      幕下優勝:2回(1993年1月場所、1993年3月場所)

      (カッコ内は勝敗数の中に占める不戦勝・不戦敗の数。

      尾曽 武人(おそ たけひと)1993年1月場所 - 1993年3月場所

      武双山 正士(むそうやま まさし)1993年5月場所 - 2004年11月場所

      藤島 武人(ふじしま たけひと)2004年11月 -

      吉井妙子『天才は親が作る』(文藝春秋) - アマチュア時代の来歴に関する出典。

      塩澤実信『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(北辰堂出版)p178-179

      ^ 朝日新聞1992年11月30日付朝刊スポーツ面

      ^ 【怪物】武双山が相撲協会を救う!?叩き上げに憧れた男 貴闘力部屋 2023/11/18 (2023年11月30日閲覧)

      ^ 結局、現役中に完治することはなく、そのため引退するまで足袋(たび)を履いて取り組みに臨むことになった。

      ^ 元武双山の藤島親方「心」が大事 精神面の充実で予想外の技や力出る/歴代大関が語る昇進場所 日刊スポーツ 2023年7月9日8時16分 (2023年7月9日閲覧)

      ^ 日刊スポーツ 2017年6月1日

      ^ これ以来腰痛に悩まされ、締め込みを緩くせざるを得なくなった。

      ^ 貴景勝かど番脱出なるか/名古屋場所番付アラカルト 日刊スポーツ 2019年6月25日9時38分(2020年1月6日閲覧)

      ^ 大関在位2場所での大関陥落は五ツ嶋以来史上2人目

      ^ 一例として、13日に短縮された場合は9勝で条件を満たす。

      ^ 42歳藤島親方を審判部副部長に抜てき 2015年1月29日17時8分 スポーツ報知

      ^ 八角理事長ら10人が当選 日本相撲協会、高島親方落選

      ^ 八角理事長の報復人事か?貴親方を中枢から“追放” 2016年3月31日16時00分 東京スポーツ

      ^ 藤島親方、審判外れる=大相撲秋場所 時事通信 2016/09/09-17:31

      ^ 12年ぶり無投票で理事決定 相撲協会の役員候補選 日刊スポーツ 2020年1月30日12時18分(2020年1月30日閲覧)

      ^ 「相撲協会、プロスポーツ協会脱退を決定 副理事候補3人を選任」『SANSPO.COM』2020年3月23日。2020年3月23日閲覧。

      ^ 藤島親方ら副理事候補3人を選任 相撲協会理事会 産経新聞 2022/3/11 18:04 (2022年3月12日閲覧)

      ^ なぜ陸奥親方が事業部長、九重親方が役員待遇?! 日本相撲協会の親方職務を読み解く 日刊スポーツ 2022年4月6日6時0分 (2022年4月6日閲覧)

      ^ みのさん武双に化粧まわし/優勝したら贈ると約束 四国新聞社 2003/05/08 17:26

      ^ 読売新聞2001年5月29日付

      ^ 『大相撲ジャーナル』2014年12月号19頁

      ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 5』講談社、2004年。 

      ^ 稀勢と同郷・茨城県出身の藤島親方「立派な横綱」 サンスポ 2019/01/17 05:03

      ^ 敗戦直後のインタビューで「思い切りいけなかった。」と自ら勝負に徹し切れなかったことを認めていた。

      ^ しかし、その後貴乃花が長期休場明けから復帰し、千秋楽相星決戦となった2002年9月場所では雪辱を果たし、この日の担当だった藤井康生アナは「もう一人、心を鬼にした横綱がいました!」と実況した。

      ^ 藤島親方、名言の陰に「後味悪い」一番 SANSPO.COM 2015.11.3 11:00

      ^ 左肩関節脱臼により7日目から途中休場

      ^ 公傷・全休

      ^ 左下肢筋繊維断裂症により3日目から途中休場

      ^ 左肩関節脱臼により3日目から途中休場

      ^ 腰椎椎間板障害(高位型)により全休

      ^ 大関角番(全6回)

      ^ 関脇陥落

      ^ 大関特例復帰

      ^ 左肩関節脱臼により14日目から途中休場

      ^ 左肘橈骨頭骨折により6日目から途中休場

      ^ 左膝内側側副靱帯損傷により9日目から途中休場

      ^ 左肩関節反復性亜脱臼により千秋楽不戦敗・休場

      ^ 左肩関節亜脱臼により9日目から途中休場

      大関一覧

      大相撲優勝力士一覧

      現役年寄一覧

      幕下付出

      無双 (プロレス技) - 武双山正士に由来したプロレス技

      ユルフン

      武双山 正士 - 日本相撲協会

      高見山酉之助

      常陸山谷右エ門

      太刀山峯右エ門

      鳳谷五郎

      両國勇治郎

      西ノ海嘉治郎 (2代)

      大錦卯一郎

      栃木山守也

      常ノ花寛市

      鶴ヶ濱増太郎

      西ノ海嘉治郎 (3代)

      大蛇山酉之助

      宮城山福松

      常陸岩英太郎

      能代潟錦作

      玉錦三右エ門

      豊國福馬

      山錦善治郎

      武藏山武

      綾櫻由太郎

      清水川元吉

      沖ツ海福雄

      男女ノ川登三

      双葉山定次

      出羽湊利吉

      安藝ノ海節男

      羽黒山政司

      佐賀ノ花勝巳

      前田山英五郎

      備州山大八郎

      東富士欽壹

      増位山大志郎

      千代の山雅信

      照國萬藏

      栃錦清隆

      鏡里喜代治

      時津山仁一

      吉葉山潤之輔

      三根山隆司

      朝潮太郎 (3代)

      若乃花幹士 (初代)

      安念山治

      玉乃海太三郎

      若羽黒朋明

      若三杉彰晃

      大鵬幸喜

      柏戸剛

      佐田の山晋松

      栃ノ海晃嘉

      北葉山英俊

      富士錦猛光

      北の富士勝昭

      若浪順

      玉の海正洋

      琴櫻傑將

      清國勝雄

      栃東知頼

      長谷川勝敏

      輪島大士

      高見山大五郎

      北の湖敏満

      魁傑將晃

      貴ノ花健士

      金剛正裕

      三重ノ海剛司

      若乃花幹士 (2代)

      千代の富士貢

      琴風豪規

      隆の里俊英

      北天佑勝彦

      若嶋津六夫

      多賀竜昇司

      朝潮太郎 (4代)

      北勝海信芳

      大乃国康

      旭富士正也

      小錦八十吉

      霧島一博

      琴富士孝也

      琴錦功宗

      貴乃花光司

      曙太郎

      水戸泉政人

      若乃花勝

      武蔵丸光洋

      貴ノ浪貞博

      千代大海龍二

      出島武春

      武双山正士

      貴闘力忠茂

      魁皇博之

      琴光喜啓司

      栃東大裕

      朝青龍明徳

      白鵬翔

      琴欧洲勝紀

      日馬富士公平

      把瑠都凱斗

      旭天鵬勝

      鶴竜力三郎

      照ノ富士春雄

      琴奨菊和弘

      豪栄道豪太郎

      稀勢の里寛

      栃ノ心剛史

      御嶽海久司

      貴景勝貴信

      玉鷲一朗

      朝乃山英樹

      德勝龍誠

      正代直也

      大栄翔勇人

      若隆景渥

      逸ノ城駿

      阿炎政虎

      霧島鐵力

      豊昇龍智勝

      尊富士弥輝也

      大の里泰輝

      161代 能代潟錦作

      162代 常陸岩英太郎

      163代 豊國福馬

      164代 玉錦三右エ門

      165代 武藏山武

      166代 清水川元吉

      167代 男女ノ川登三

      168代 双葉山定次

      169代 鏡岩善四郎

      170代 前田山英五郎

      171代 羽黒山政司

      172代 安藝ノ海節男

      173代 五ツ嶋奈良男

      174代 照國万蔵

      175代 名寄岩静男

      176代 佐賀ノ花勝巳

      177代 東冨士謹一

      178代 汐ノ海運右衛門

      179代 増位山大志郎

      180代 千代ノ山雅信

      181代 吉葉山潤之輔

      182代 鏡里喜代治

      183代栃錦清隆

      184代 三根山隆司

      185代 大内山平吉

      186代 松登晟郎

      187代 若乃花勝治

      188代 朝汐太郎

      189代 琴ヶ濱貞雄

      190代 若羽黒朋明

      191代 柏戸剛

      192代 大鵬幸喜

      193代 北葉山英俊

      194代 佐田の山晋松

      195代 栃ノ海晃嘉

      196代 栃光正之

      197代 豊山勝男

      198代 北の富士勝昭

      199代 玉乃島正夫

      200代 琴櫻傑將

      201代 清國勝雄

      202代 前の山太郎

      203代 大麒麟將能

      204代 輪島大士

      205代 貴ノ花利彰

      206代 大受久晃

      207代 北の湖敏満

      208代 魁傑將晃

      209代 三重ノ海剛司

      210代 旭國斗雄

      211代 若三杉壽人

      212代 増位山太志郎

      213代 千代の富士貢

      214代 琴風豪規

      215代 隆の里俊英

      216代 若嶋津六夫

      217代 朝潮太郎

      218代 北天佑勝彦

      219代 大乃国康

      220代 北尾光司

      221代 北勝海信芳

      222代 小錦八十吉

      223代 旭富士正也

      224代 霧島一博

      225代 曙太郎

      226代 貴ノ花光司

      227代 若ノ花勝

      228代 貴ノ浪貞博

      229代 武蔵丸光洋

      230代 千代大海龍二

      231代 出島武春

      232代 武双山正士

      233代 雅山哲士

      234代 魁皇博之

      235代 栃東大裕

      236代 朝青龍明徳

      237代 琴欧洲勝紀

      238代 白鵬翔

      239代 琴光喜啓司

      240代 日馬富士公平

      241代 把瑠都凱斗

      242代 琴奨菊和弘

      243代 稀勢の里寛

      244代 鶴竜力三郎

      245代 豪栄道豪太郎

      246代 照ノ富士春雄

      247代 髙安晃

      248代 栃ノ心剛史

      249代 貴景勝貴信

      250代 朝乃山英樹

      251代 正代直也

      252代 御嶽海久司

      253代 霧島鐵力

      254代 豊昇龍智勝

      255代 琴櫻将傑

      出羽海

      中立

      高崎

      境川

      関ノ戸

      山科

      振分

      立田川

      武隈

      春日野

      富士ヶ根

      二十山

      竹縄

      三保ヶ関

      清見潟

      岩友

      玉ノ井

      入間川(停年後再雇用)

      藤島

      大鳴戸

      山分

      待乳山

      錦島

      武蔵川

      二子山

      山響

      小野川

      木村瀬平(木瀬)

      若藤

      稲川

      井筒

      千田川

      尾上

      千賀ノ浦

      北陣

      式守秀五郎(式秀)

      立浪

      二所ノ関

      中村

      佐渡ヶ嶽

      粂川

      白玉

      浜風

      秀ノ山

      荒磯

      尾車

      押尾川

      鳴戸

      片男波

      熊ヶ谷

      田子ノ浦

      西岩

      放駒

      松ヶ根

      芝田山

      峰崎(停年後再雇用)

      高田川

      花籠(停年後再雇用)

      大嶽

      阿武松

      不知火

      常盤山

      湊川

      錣山

      時津風

      中川

      枝川

      荒汐

      浦風

      伊勢ノ海

      勝ノ浦

      甲山

      立川

      春日山

      鏡山(停年後再雇用)

      音羽山

      陸奥(停年後再雇用)

      追手風

      立田山(停年後再雇用)

      高島(停年後再雇用)

      高砂

      若松

      錦戸

      九重

      谷川

      佐ノ山

      大山

      八角

      陣幕

      東関

      君ヶ濱

      伊勢ヶ濱

      楯山

      宮城野

      間垣

      安治川

      大島

      玉垣

      浅香山

      友綱

      朝日山

      桐山

      出来山

      藤島

      大鳴戸

      山分

      待乳山

      錦島

      武将山

      藤青雲

      富士の山

      天道山

      藤闘志

      海乃島

      常陸號

      野田

      藤乃若

      藤雄峰

      越ノ龍

      武蔵海

      藤乃波

      床武

      52 影山信雄

      53 江熊仁

      54 高須晃

      55 平聖一

      56 平聖一

      57 田畑外登雄

      58 福田芳郎

      59 布目豊

      60 平聖一

      61 平聖一

      62 大森茂雄

      63 布目豊

      64 布目豊

      65 野見典展

      66 野見典展

      67 野見典展

      68 横山啓一

      69 田中英壽

      70 田中英壽

      71 舘岡儀秋

      72 堀口圭一

      73 石川孝志(大ノ海)

      74 田中英壽

      75 中山国久

      76 長岡末弘(朝潮)

      77 長岡末弘(朝潮)

      78 小笠原武則

      79 永岡栄一

      80 冨田忠典

      81 服部祐兒(藤ノ川)

      82 服部祐兒(藤ノ川)

      83 久嶋啓太(久島海)

      84 久嶋啓太(久島海)

      85 竹川裕司

      86 安井和男

      87 山崎直樹(大翔山)

      88 斎藤一雄

      89 成松伸哉(智ノ花)

      90 栗本剛(武哲山)

      91 伊東勝人

      92 尾曽武人(武双山)

      93 禧久昭広

      94 吉橋宏之

      95 禧久昭広

      96 田宮啓司(琴光喜)

      97 田宮啓司(琴光喜)

      98 加藤精彦(高見盛)

      99 小山内貴久

      00 内田水(普天王)

      01 三好正人(朝陽丸)

      02 大西雅継(嘉風)

      03 加藤耕市

      04 栂木崇行

      05 吉田勝雄

      06 市原孝行(清瀬海)

      07 姫野孝

      08 松永六十四

      09 冨田元輝

      10 渋谷悟

      11 松永六十四

      12 遠藤聖大

      13 川端翔伍(大翔丸)

      14 大道久司(御嶽海)

      15 バーサンスレン・トゥルボルド(水戸龍)

      16 矢後太規

      17 西郷智博

      18 黒川宏次朗

      19 谷岡倖志郎

      20 花田秀虎

      21 中村泰輝(大の里)

      22 中村泰輝(大の里)

      23 池田俊

      ()内は四股名

      実業団

      国スポ

      アマチュア

      学生

      高校

      中学生

      19 真野茂

      20 竹田繁七

      21 前田正勝

      22 高石正顕

      23 小林潔

      24 池川渉

      25 松浦政次

      26 大畠政次郎

      27 久万三男

      28 永吉一猪

      29 中山光

      30 小崇正一

      31 山本新一郎

      32 川沢宏

      33 川沢宏

      34 沢八郎

      35 中屋斉

      36 赤塚豊

      37 金龍沢

      38 吉松義彦

      39 奥山一雄

      40 今英蔵

      41東北 今英蔵

      41関東 中川甲太郎

      41関西 五藤禎三郎

      41九州 福島政徳

      46 有光一

      47 土居駿介

      48 石田羊三

      49 石田羊三

      50 富士正

      51 照井久見

      52 中村孝明

      53 中尾三郎

      54 中尾三郎

      55 谷本英喜

      56 早川紀夫

      57 遠藤末太郎

      58 平野孝行

      59 佐藤猛

      60 橋本勝

      61 平野照

      62 亀岡忠

      63 臼井仁志(栃葉山)

      64 臼井仁志(栃葉山)

      65 長濱廣光(豊山)

      66 棟方修新

      67 荒瀬英生(荒勢)

      68 福田耕治

      69 舛田茂(舛田山)

      70 久石川周治

      71 中熊誠一

      72 中熊誠一

      73 花田安(琴花田)

      74 藤沢和穂(琴藤沢)

      75 笙口直

      76 平館秀伸

      77 岡田茂義

      78 井上喜博

      79 東裕次郎

      80 阿部健治

      81 久嶋啓太(久島海)

      82 久嶋啓太(久島海)

      83 久嶋啓太(久島海)

      84 稲場昌一

      85 斎藤一雄

      86 成田晴樹

      87 成田晴樹

      88 田代勝寿

      89 尾曽武人(武双山)

      90 加藤耕市

      91 出島武春

      92 岡本篤(栃栄)

      93 田宮啓司(琴光喜)

      94 志賀太祐(栃東)

      95 矢島健一

      96 小笠原史男

      97 三好正人(朝陽丸)

      98 磯部洋之(磋牙司)

      99 椿本武志

      00 吉田勝雄

      01 市原孝行(清瀬海)

      02 森下祐哉(土佐豊)

      03 松本太一(出羽鳳)

      04 澤井豪太郎(豪栄道)

      05 山口雅弘(大喜鵬)

      06 李大源(栃乃若)

      07 橋本誠也

      08 吉田圭佑

      09 中出雄真

      10 中村大輝(北勝富士)

      11 佐々木耕大

      12 村松裕介

      13 木﨑伸之助(木﨑海)

      14–15 城山聖羅

      16 山口怜央

      17 アマルトゥブシン・アマルサナー(狼雅)

      18 齋藤大輔(北の若)

      19 大桑元揮(颯富士)

      20–21 落合哲也(伯桜鵬)

      22 高山瞬佑(豪ノ湖)

      23–24 西出大毅

      実業団

      国スポ

      アマチュア

      学生

      高校

      中学生

      ()内は四股名

      茨城県出身の大相撲力士

      武蔵川部屋

      藤島部屋

      専修大学出身の大相撲力士

      茨城県立水戸農業高等学校出身の大相撲力士

      1972年生

      存命人物

      茨城県出身の人物

      日本相撲協会の役員

      外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月

      ウィキデータにある日本相撲協会識別子

2024/09/25 05:34更新

musouyama masashi


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