江田昌司のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)
江田 昌司(えだ まさし、1945年9月16日 - )は千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(内野手)。
千葉商業高校では1年生時から内野手のレギュラーとして活躍。同期の高橋重行(2年で中退)、仁礼豊の両エースを擁し、1962年春季関東大会決勝に進むが、鎌倉学園の永田善一(大毎)に完封負けを喫する。鎌倉学園には竹之内雅史がいた。同年夏の甲子園千葉県予選でも準決勝に進出するが、習志野高に敗退。同年の秋季関東大会県予選でも決勝に進むが、またも習志野高に敗れる。その後も県予選で敗退し甲子園には縁がなかった。他の高校同期に遊撃手の鴇田忠夫がいた。
1963年に阪神タイガースに入団。同期入団に野田征稔、辻佳紀がいる。1965年に一軍に上がるが、なかなか定着はできなかった。しかし1968年にはシーズン終盤に三塁手、二塁手として3試合に先発出場。1970年には自己最多の28試合に出場したが、翌1971年には出場機会が減少。同年オフに自由契約になり引退した。
詳細情報
70 (1963年)
39 (1964年 - 1965年)
36 (1966年 - 1971年)
関連項目
千葉県出身の人物一覧
阪神タイガースの選手一覧