津久井教生の情報(つくいきょうせい) 声優 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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津久井 教生さんについて調べます
■名前・氏名 |
津久井教生と関係のある人
川路夏子: また、自身が主宰していた劇団「グループカオス」には野沢那智主宰の劇団薔薇座出身者でもある津久井教生が参加していた。 須田勝也: 『だみ声まつり』の出演をキッカケに、他の出演メンバー(石原慎一、津久井教生、YOKO、斎藤こず恵など)が主宰する舞台やイベントに出演する機会が増えていった。 羽多野渉: 2022年11月18日、これまで同じ事務所の先輩である津久井教生が担当したニャンちゅうの声を引き継ぐことが発表された。 須田勝也: 津久井教生主催の朗読ライブ『絵空事計画』で共演した倉田雅世がプロデュースしている萌え紙芝居イベント『もえかみ!』に、唯一の男性メンバーとして出演している(2011年5月時点)。 岩永哲哉: さらに声優の津久井教生、倉田雅世、脚本家の兵頭一歩などが集まっての打ち上げの際に拍車がかかっている。 |
津久井教生の情報まとめ
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津久井 教生(つくい きょうせい)さんの誕生日は1961年3月27日です。東京出身の声優のようです。
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人物・エピソード、後任・代役などについてまとめました。結婚、病気、現在、卒業、テレビ、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。津久井教生の現在の年齢は63歳のようです。
津久井教生のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)津久井 教生(つくい きょうせい、1961年〈昭和36年〉3月27日 - )は、日本の俳優、声優、音響監督、司会者である。81プロデュースに所属。東京都新宿区出身、埼玉県川越市在住。本名は津久井 教生(つくい のりお)。 子供の頃、父は東京電力株式会社に勤務しており、本人が言うところの「いいとこのボンボン」として生まれる。小学生時代は、大阪に住んでいた。また、海外に留学した経験がある。埼玉県立朝霞高等学校出身。日本大学芸術学部放送学科中退。野沢那智主宰の劇団薔薇座出身。 声優デビューした後しばらくは声優と舞台俳優の二足のわらじで活動したが、本人によると背が低いため俳優のオーディションではなかなか役がもらえず、結果的に声優の仕事の比重が大きくなっていったとのこと。プライベートでは1989年に劇団の勉強会で出会った女性と結婚し、その後一人息子にも恵まれた。 1990年頃から仕事が順調になり、1992年にニャンちゅう役を射止めた。1993年頃からアミューズメントメディア総合学院で声優志望者の育成にもあたっている。 2019年3月に突然足が動かなくなり、検査入院を経て、同年9月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と告知され、同年10月2日に公表。同年の年末には車椅子生活になった。病気公表後からSNSを通じてALSという病気が具体的にどういうものか、自身の病状やその都度の心情などを発信し始めた。健康状態の問題から一部の持ち役は降板しているものの、「声だけは無事」であるとして、『ちびまる子ちゃん』は抜き録りや従来通りの順録りをするなど津久井の病状を考慮しながら続投。その後、以前から発見されていた腫瘍の摘出手術を受けると同時に身体障害者手帳1種3級・要介護1との判定を受け、車椅子で生活しながら週に1度のリハビリに励んでいることを報告した。 2020年3月からは、YouTubeにて「津久井教生チャンネル」を開設。 2021年2月時点では、手がほとんど動かなくなり、割り箸を口で咥えてキーボードを打つような状態になっており、視線で文字をとらえ、それを文字化して意思を伝える「視線入力」のトレーニングを開始している。妻や介護士に支えてもらいながらの日常生活を送り、先述のアミューズメントメディア総合学院の講師の仕事は病気により当初2020年の3月で辞めるつもりだったが、コロナ禍となってZoomによる講義が可能になったことで、2021年8月現在も何とか続けているとのこと。2022年11月18日にニャンちゅう役を降板することを発表。 2023年2月、昨年12月5日に「意識不明となり、呼吸が一時停止した」と臨死状態にあったことを述べ、同9日の気管切開により発声ができなくなり、人工呼吸器装着とともに胃ろうを設けたことを公表した。上記のYouTubeでの動画も、コンピュータ合成による人工発声を使用した。同年3月、30年の長きにわたりニャンちゅう役として愛され、ALSを発症してからも出演を続けたことが評価され、第74回(2022年度)NHK放送文化賞を受賞した。 人物・エピソード子供時代について幼かった頃、隣に玩具のダイヤブロックを開発した社長が住んでいた縁で、津久井はダイヤブロックのパッケージや広告のモデルに起用された。 子供の頃は目立ちたがり屋で、好きなものにはなんでも首を突っ込む性格だったとのこと。水泳やピアノなど様々な習い事を経験したが飽きっぽい所があり、ある一定のレベルに達すると辞めては他のことに興味を持つということを繰り返していた。そんな中でも読書は長年に渡ってのめり込み、江戸川乱歩やエラリー・クイーンなどの推理小説、クイズ本、漫画が好きになったとのこと。 得意とする早口言葉は9歳のころに祖父に教わったものと語っている。 声優の仕事との出会いについて高校時代は周りから“本の虫”と言われるようになり、漫画研究会に所属した。この頃、父からコマ撮りできる最新型の8ミリカメラと映写機を借りて部員たちでアニメを作った。高校生や大学生などを対象にしたショートアニメの出品会に参加すると、部員から「今度プロの声優が参加するアニメで高校生役を演じる人を探しているらしい」との話を聞く。 その作品に参加した関係で曽我部和恭や中尾隆聖などプロの声優と知り合うきっかけとなった。その収録の際、物怖じしない性格や読書好きが講じて台本から役の心情を読み取れたことを気に入られた津久井は、その後現在の事務所である81プロデュースに所属することとなる。 この作品で声優の仕事に興味を持つが自分の力のなさを痛感したことから声の出し方を本格的に学ぶことを決め、高校卒業後は日本大学芸術学部放送学科のアナウンスコースに進学。そこで声を使った職業の人や伝統芸能の家元など各分野の第一人者から日本語のアクセントやイントネーション、演劇論などを叩き込まれた。 ニャンちゅう役について1992年、『母と子のテレビタイム土曜版』(NHK教育〈現:NHK Eテレ〉)のニャンちゅう役のオーディションに参加。その現場にアメリカ人がいたことから(詳細は不明)、米国の短波放送のDJの声をイメージして思いつきで話した所、それが審査する人たちにウケた。この時の声がニャンちゅうの声の素となり、そこから3年ほどかけて特徴的なダミ声の話し方を完全に習得した。 病気公表後も、ニャンちゅうの仕事は番組スタッフから「可能な限り続けましょう」と言われたことから出演を継続。2021年8月現在、月に2回ほどある「ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!」の収録には、スタジオまで妻に付き添ってもらっている。初めはテレビ画面に津久井の腕の影が写り込んでしまうぐらいセットの近くで収録していた。新型コロナウイルス感染症の蔓延以降は難病を抱える津久井の感染対策のため、セットから5mほど離れた所にアクリル板に囲まれた専用ブースが設けられた。そこで妻に台本をめくってもらいながら、共演者の“おねえさん”やニャンちゅうの動きを見て自身の胸元のマイクに声を吹き込んでいる。 2022年11月18日にニャンちゅうの声を事務所の後輩の羽多野渉に交代することを発表。羽多野が担当した回は2023年1月8日放送回から放送が始まり、2023年3月までの放送では再放送という形で津久井が担当した回も放送されたが、2023年度におねえさん役が交代する番組リニューアルが行われた事も重なり、2023年4月放送回からは新作・再放送問わずすべて羽多野が担当した回が放送されている。なお、交代後も津久井はアドバイザーとして番組に参加する。 ALSについて還暦が目前となった2019年3月頃に突然体に異変が出始め、平坦な道でつまずくようになった。その1、2ヶ月後には、家から最寄り駅までの徒歩10分の距離に1回休みを入れないと疲れで歩けなくなった。近所のクリニックで血液検査をすると当初骨の病気の可能性を疑われて総合病院の整形外科を紹介され、そこで診察を受けるが骨に異常はなく1ヶ月間の経過観察を告げられた。ここから病名が判明するまで間、津久井は自身の病気に“名無しの権兵衛病”と名付けて日々を過ごした。 しかしその間に症状が悪くなったことから同病院の神経内科の受診を勧められ、1ヶ月の検査入院をすると妻と共に呼ばれて医師からALSの診断を告げられたとのこと。担当医から「残念ながら現状では治療法はありませんのですぐに退院できます」と言われ、津久井は「本来なら悲観的になりそうな所だが何かしら重い病気だろうと覚悟していたし、病名が判明したことでようやく患者としてのスタートラインに立てたことで今後の闘病に対して前向きになれた」としている。 津久井の場合は進行が早い方で、症状が出てから2年半で腕が動かなくなり立つこともできなくなったという。津久井は「20歳の頃から声の仕事をしてきた僕にとって喋ることは生きること。声を失いたくないから声帯を維持するためにもたくさん喋りたい。これだけ元気に振る舞っていられる理由は単なる“ええかっこしい”だからです」と語った。 2022年12月2日、体調不良となり、緊急入院。12月5日に意識不明となり、一時呼吸が停止したと告白した。周囲の呼びかけなどで意識は戻ったというが、その時に不思議な体験をしたという。 こうした一連の経験から、12月9日に気管切開の手術を決意。同時に声を失い、人工呼吸器の装着となった。 津久井は「声を失いましたが、このような(AI音声による)発信もできます。ゆっくりと前に進みたいと思います。これからも応援よろしくお願いいたします」とコメントした。 2024年5月27日には「ほとんど体か動かなくなっちゃいました」と病状の進行を報告したが、「でもここからがこの病気の本番のような気がしています。ここから何ができるか、見つけなくっちゃ」ともコメントしている。 その他声種はテノール。 趣味・特技はギター、作曲、柔道、水泳、タロットカード。 調理師免許を取得し、自分の店を開いていたことがあった。しかし、店によく通う役者仲間が勘定を払ってくれず、これに対して頭にきて、開業してからわずか3年で店を畳んだという。 ニャンちゅう関連のほとんどの楽曲の作曲を手掛けている。出演作品のイベントで司会を務めることも多い。 『スクライド』のストレイト・クーガー役は、「今まで演じてきた中で最も反響が大きかった役」だと語る。放映中は自身のホームページのアクセス数が急増し、「津波のようにメールが来た」という。またこのクーガー役では早口台詞を披露したが、これにはかなり練習が必要だったとも語っている。しかし、この早口台詞が視聴者からの受けがよかった。 クーガーを演じているころ、舞台で照明を設置していた時に15kgの錘が足の甲を直撃し、骨折をした。そのため、車椅子生活を余儀なくされ、『スクライド』のアフレコ現場では、松葉杖を付きながら片足で立ってクーガーを演じていたという。また、その時に車椅子での移動の際に、共演者の緑川光に車椅子を押してもらい、それを契機に緑川と親交が生まれた。その後は後遺症もなく、重心を変えながら普通に歩くことができるようになった。 すまいるエフエム(2018年からクローバーラジオ)でコミュニティFM番組のパーソナリティを務めている。そして2018年の夏にクローバーメディア朗読部を立ち上げて部長を務め、朗読会を行なっている(クローバーラジオのほかの番組のパーソナリティもメンバーに加わっている)。 好きな言葉は「自由」。 後任・代役津久井の病気などで交代や一部代役などは以下の通り。
2024/06/26 09:04更新
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津久井教生と同じ誕生日3月27日生まれ、同じ東京出身の人
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