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玉春日良二の情報 (たまかすがりょうじ)
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【1月29日】今日誕生日の芸能人・有名人

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玉春日 良二さんについて調べます

■名前・氏名
玉春日 良二
(読み:たまかすが りょうじ)
■職業
相撲
■玉春日良二の誕生日・生年月日
1972年1月7日 (年齢53歳)
子年(ねずみ年)、山羊座(やぎ座)
■出身地・都道府県
愛媛出身

(昭和47年)1972年生まれの人の年齢早見表

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玉春日良二の情報まとめ

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玉春日 良二(たまかすが りょうじ)さんの誕生日は1972年1月7日です。愛媛出身の相撲のようです。

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現在、卒業、引退に関する情報もありますね。今年の情報もありました。玉春日良二の現在の年齢は53歳のようです。

玉春日良二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

玉春日 良二(たまかすが りょうじ、1972年1月7日 - )は、愛媛県東宇和郡野村町(現在の西予市)出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は秋山 良二(あきやま りょうじ)、旧姓:松本(まつもと)。現役時代は身長183 cm、体重157 kgを公称していた。得意手は突き、押し、おっつけ、いなし。最高位は1997年7月場所の西関脇。現在は年寄・片男波。

農家の6人兄姉の三男坊である。松本の相撲との出会いは小学3年の時だった。彼の住んでいた野村町では、1852年に大火災で260棟を焼損したため、このような大火災が起こらぬよう愛宕神社に以後100年間にわたって毎年33番の相撲を奉納すると誓ったため、乙亥大相撲が開催され続けていった。1952年に満願だったものの、それ以降も毎年11月に乙亥大相撲は開催され続け、松本が小学3年であった年にも開催された。そして、同級生よりひと回り身体が大きかったことで、松本は必然的に地区の代表に選ばれた。それまで遊びですら相撲を取ったことは無く、付け焼刃の稽古をして臨んだ相撲だったものの、蓋を開けてみれば対戦相手をなで斬りにする大活躍を果たした松本であった。この乙亥大相撲での活躍ぶりはすぐに野村町の相撲愛好会の面々の目に留まり、その後はしばしば稽古に連れ出される内に自然と相撲が体に染み付いていった。小学4年になるとわんぱく相撲の予選に出場し、愛媛県大会では上位に入って四国大会まで進んでしまった。同世代の中では巨漢であった松本は運動能力も人並み外れていると周囲から認められ、野村町立惣川中学校(現在は廃校)時代には大会がある度に水泳や陸上競技の砲丸投げ、走り幅跳びの選手として駆り出され、ことごとく好成績を収めた。一方で相撲でも活躍を果たし、中学3年時に部を全国大会団体戦ベスト16に導き個人では8位に入賞した。

ただ、中学卒業前には相撲の選手であることによる劣等感から相撲に見切りを付けて、ラグビーに対する憧れから新居浜工業高等専門学校に進学しようと考えていた。しかし、春日館(町内の相撲道場)で相撲を指導していた兵頭洋和が松本の抜群の素質に惚れ込み、相撲の断念を慰留したことで「高校に行ったら髪を伸ばさせてほしい。相撲もやる代わりにラグビーもやらせてほしい。」と条件付きながら野村高校への進学に至った。結果として高校時代は「相撲の稽古が厳しすぎて結局、ラグビーどころじゃなかった。髪も伸ばせなかった。」ようであり、引退後に本人は「あのまま相撲を続けてよかった。現在の自分があるのも兵頭さんのお陰。」と感謝しているという。抜群の素質は高校時代の切磋琢磨でさらに輝きを増し、当時から一徹した押し相撲の型を武器にインターハイでは1年生の頃からベスト16に食い込み、2年の東西対抗では軽量級全国2位になった。

6人兄姉を育て上げた父の苦労を理解していた松本本人は兄姉の末弟として「これ以上迷惑はかけられない」と感じて大学進学を望まず高校卒業後は警察官になるはずだったが、相撲での活躍が認められて中央大学へ進学した。大学では相撲部に所属し、3年時に1年先輩の栗本剛(後の十両・武哲山)と共に中央大学に34年ぶりの学生相撲団体戦日本一をもたらした。一方で個人では目立った活躍をしておらずタイトルは体重別大会の135 kg未満級での1冠どまりであり、他に全日本相撲選手権でベスト8の実績を残した程度であった。学生時代に11冠を獲得したこともあってプロ入り前から活躍が期待されていた同じ中央大学の2年後輩である出島とは対照的な評価を周囲から下されており、当時の中大監督の羽瀬重幸も「出島は確実に関脇にはなるが、玉春日は十両止まりかもしれない」と考えていた。

1994年1月場所が、幕下付出で初土俵であった。当時は、玉春日自身も「どこまで通用するか分からない」と疑心暗鬼だった。それでも、プロになってから頭角を表した。

初土俵から「玉春日」の四股名で相撲を取った。なお、学生時代の同期に武双山と土佐ノ海がいた。1994年1月場所を4勝3敗で終えてから自身に不足を感じ、一念発起して1日100番の猛稽古で鍛え直しを図った。

1995年3月場所に十両に昇進し、1996年1月場所には幕内に昇進した。初土俵から入幕まで13場所負け越し知らずだった。その新入幕の場所では10勝を挙げ敢闘賞を受賞した。さらに、1996年5月場所は技能賞を受賞。1997年3月場所では2回目の敢闘賞、5月場所では横綱・貴乃花を破り初金星を挙げて8勝7敗と勝ち越し、殊勲賞を受賞し、翌7月場所には関脇への昇進を果たした。その場所は7勝8敗と負け越し、関脇はこの1場所だけで、以後2度の小結を経験するも、三役での勝ち越しは無かった。それでも、全盛期には幕内上位の地位で7個の金星を挙げたなど、番付上位キラーとして活躍した。1998年9月場所は曙に勝ち2個目の金星、1999年1月場所は貴乃花に勝ち4個目の金星、9月場所は初日に若乃花に勝ち5個目の金星、11月場所はまたも初日に貴乃花に勝ち6個目の金星、2001年9月場所は武蔵丸に勝ち7個目の金星をもぎ取った。しかし2003年1月場所に右膝の半月板を痛めて休場し幕内から陥落した後は、怪我にも悩まされ幕内中下位や十両に甘んじることが増えた。

2006年7月場所では、本来の押し相撲が久々に鋭さを見せ、11勝4敗の好成績で技能賞を受賞した。この三賞受賞は前述した1997年5月の殊勲賞受賞以来55場所ぶりだが、これは史上最も2回の三賞受賞の間隔が開いた事例となった。また、この場所は幕内で初めて11勝をあげた。しかし、東前頭4枚目に昇進して久々の幕内上位となった翌9月場所は初日から12連敗で、1勝14敗と散々な成績だった。2007年1月場所は鋭い突き押しで初日から7連勝し、一時は優勝争いの先頭に立ったが、中日から6連敗を喫し、結局9勝6敗に終わった。3月場所は2日目から9連敗を喫するなど一転して不調に陥り4勝11敗だった。その後は首の痛みもあり幕内の中位〜下位を行き来していた。

十両に下がった2008年9月場所の千秋楽に引退を表明し、年寄・楯山を襲名した。引退相撲は2009年5月30日に行われた。その後、2010年2月4日に師匠である玉ノ富士茂との名跡交換により年寄・片男波(14代目)を襲名すると共に、片男波部屋を継承した。 部屋継承後は先代からの弟子である玉鷲が関脇昇進、幕内最高優勝を果たした。玉飛鳥の引退以降は関取が玉鷲しかいない状況だったが、玉鷲が長期に渡って幕内で取り続けられるように指導するなど一定の手腕を発揮し、玉鷲の義弟にあたる玉正鳳が2023年3月場所で十両に昇進した。相撲を取る稽古や押し合いの稽古を若い衆2人対玉鷲1人でやらせるアイデアは14代片男波の発案で、これは通常の稽古では玉鷲の稽古にならないと判断した上での考え

2021年3月場所9日目には、審判部の職務において、打ち出しまで3番を残した状態で、体調不良により大鳴戸審判委員に交代した。伊勢ヶ濱審判部長は片男波審判委員について「大丈夫ですけど、診療所で診てもらっているだけです」とだけ説明した。

2025年1月場所で玉正鳳が新入幕。幕下で足踏みしていた玉正鳳を玉鷲との稽古で幕内まで育てているため、片男波にとっては預かり弟子だが育ての弟子である。

基本に忠実な突き押し相撲は高く評価された。突き押しは角界入り後に磨きがかかった。ただ、土俵生活も後半にさしかかると若い頃の突き押しはやや影を潜め、左右のおっつけ、いなしなどの技を活かした押し相撲を取った。体が柔らかく、土俵際でのしぶとさがあり、突き落としや捨て身の首投げも時として鮮やかに決まった。

野村高校時代は生徒会役員を務めた。

真面目な性格、誠実な人柄で知られている。ある親方は玉春日の人柄を「真面目で素直。人のいうことをよく聞く。」と評していた。現役時代は、負けた時でも報道陣の受け答えに必ず応じていた。

現役時代、場所中はサインには応じなかった。だが、現役引退後に年寄楯山となってからは、サインにも気さくに応じる姿が見られる。

イヌを飼い始めたことなどが、2008年12月から始めたブログで報告されている。ちなみに犬種はゴールデン・レトリバー、名前はタロウでブログにも写真付でたびたび登場している。

2019年10月8日に、本名が松本良二から秋山良二に変わったことが日本相撲協会から発表された。

中央大学相撲部出身の幕内力士は、元小結・豊國範以来2人目であった。

2008年9月の引退場所では14日目に猛虎浪を破り白星を挙げた相撲が最後となった。場所途中で引退(あるいは休場)した場合、その旨を審判部に申し出ても既に次の日の取組が決まっているために、次の日の不戦敗が記録上の最後の一番となる、という場合が多いため、場所途中における白星を最後とする引退は非常に珍しい。これは、通例として千秋楽の取組が他の日に比べ決まるのが遅い上に、玉春日が14日目の取組の直後に千秋楽の取組を編成していた審判部に行き「明日の割から自分を抜いて下さい」と依頼したため、千秋楽の取組の編成に間に合い、千秋楽での取組が組まれなかったためである。

1999年の9月場所の3日目には横綱・貴乃花戦、翌4日目には横綱・曙戦と、史上2人目の2日連続での不戦勝を記録した。

1998年6月に愛媛県の久万高原天体観測館の職員が発見した小惑星の1つが、同じ愛媛県出身の力士として勝ち星を挙げて欲しいと願い、「Tamakasuga」と名付けられた。なお、天体に力士名が命名されたのは、これが世界初の事例である。

通算成績:603勝636敗39休 勝率.487

幕内成績:444勝537敗24休 勝率.453

現役在位:89場所

幕内在位:67場所

三役在位:3場所(関脇1場所、小結2場所)

三賞:5回

    殊勲賞:1回(1997年5月場所)

    敢闘賞:2回(1996年1月場所、1997年3月場所)

    技能賞:2回(1996年5月場所、2006年7月場所)

    金星:7個(貴乃花3個、若乃花2個、曙1個、武蔵丸1個)

    各段優勝

      十両優勝:1回(2003年5月場所)

      玉春日 良二(たまかすが りょうじ):1996年1月場所-2000年5月場所、2000年9月場所-2008年9月場所

      玉春日 公二(- こうじ):2000年7月場所

      楯山 良二(たてやま りょうじ)2008年9月-2010年2月

      片男波 良二(かたおなみ -)2010年2月-

      ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p26

      ^ 「力士往来」『相撲』2019年12月号、ベースボール・マガジン社、124頁。 

      ^ 水野尚文・亰須利敏編著『平成22年版大相撲力士名鑑』共同通信社、2009年、250頁

      ^ 現在で言う、西予市の愛宕山公園付近に位置する神社である。

      ^ 『郷土資料事典 38 愛媛県 ふるさとの文化遺産』 p.99 人文社 1997年7月1日発行

      ^ 人文社が1997年7月1日に発行した『郷土資料事典 38 愛媛県 ふるさとの文化遺産』のp.99にも、彼が乙亥相撲で土俵を盛り上げた1人であった旨が記されている

      ^ サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第1回「乙亥相撲で培った勝負魂」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-01 20:31:00

      ^ 大相撲力士になるためには自分の毛髪で髷を結えねばならないため、髪を伸ばす必要がある。いわゆる「若禿」のために髷が結えなくなったせいで引退に追い込まれた力士もいる位である。

      ^ サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第2回「本当は相撲が嫌いだった」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-02 21:40:00

      ^ サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第3回「雑草魂で前人未到の大記録達成へ」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-03 19:50:00

      ^ サイト10周年スペシャルコラム : 玉春日(愛媛県東宇和郡野村町出身)第4回「後輩・出島への挑戦状」<1999年7月> 二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS 2009-06-04 19:58:00

      ^ 同上

      ^ この四股名は野村高校在学時代の下宿先である相撲道場『春日館』に由来する。

      ^ この場所では、同部屋弟弟子の玉乃島も11勝を挙げ、こちらは敢闘賞を受賞している。

      ^ 玉春日が引退、年寄「楯山」を襲名 スポニチ 2008年09月29日配信

      ^ 玉鷲の前後に力士を配置し、1対2の状況で相撲を取らせる等。

      ^ 現役最年長関取の玉鷲が若い衆2人と「1対2」の稽古やり遂げる「動きを体に覚えさせないと」 日刊スポーツ 2022年9月2日13時24分 (2022年9月4日閲覧)

      ^ 審判が途中で交代 前日負傷の大鳴戸親方がカバー 日刊スポーツ 2021年3月22日20時22分 (2021年3月23日閲覧)

      ^ 『平成22年版大相撲力士名鑑』250頁

      ^ 左下肢蜂窩織炎により10日目から途中休場、13日目から再出場

      ^ 右膝内側半月板損傷により5日目から途中休場

      ^ 頸椎椎間板障害・左C7放散痛により3日目から途中休場

      ^ 頸椎椎間板ヘルニアにより千秋楽不戦敗

      ^ 14日目に引退。年寄楯山襲名

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      中央大学出身の大相撲力士

      高校相撲部出身の大相撲力士

      1972年生

      存命人物

      愛媛県出身の人物

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2025/01/24 00:24更新

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