皇司信秀の情報(おうつかさのぶひで) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
皇司 信秀さんについて調べます
■名前・氏名 |
皇司信秀の情報まとめ
皇司 信秀(おうつかさ のぶひで)さんの誕生日は1971年2月18日です。兵庫出身の相撲のようです。
趣味、現在、引退、結婚に関する情報もありますね。皇司信秀の現在の年齢は53歳のようです。
皇司信秀のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)皇司 信秀(おうつかさ のぶひで、1971年2月18日 - )は、兵庫県三木市福井出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士、現若藤親方。得意手は突き、押し、寄り、いなし、猫騙し。アマチュア相撲出身。最高位は西前頭4枚目(2001年7月場所)。身長175cm、体重152kg。趣味はビデオ鑑賞。本名は大内 信英(おおうち のぶひで)、血液型はA型。 兵庫県三木市福井出身の金属加工業の二男である。祖父と父が相撲好きだった影響で三木市立三樹小学校6年の時からの時から相撲好きで力士を志し、三木市立三木中学校で相撲を始め、相撲部(現在は廃部)に入部し、全国大会に出場した。市川高校相撲部では国民体育大会や全国高等学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献し、日本大学相撲部では全日本相撲選手権大会で活躍した。高校と大学では大日ノ出の1年後輩である。1993年3月場所、日大同学年の白崎と共に入間川部屋から初土俵を踏む。新関取を機に苗字の読みからヒントを得て皇司に改名した。 当初は右下手半身で寄る取り口で、特に大兵には体格で負けて勝ち味が遅く十両で低迷したが、立合いからの突き押しで離れて動き回る相撲が増えてからは強味を増して1999年9月場所に入幕を果たした。2001年7月場所には自己最高位の西前頭4枚目まで番付を上げ、2002年にかけて幕内に定着したものの、その後は次第に十両へ落ちることが多くなった。2005年11月場所には十両下位まで転落したが、そこから這い上がって、2006年1月場所は西十両4枚目で10勝5敗と大勝し、2005年3月場所以来1年ぶりの幕内復帰を果たしたが、4勝11敗と負け越して再び十両に陥落した。このように幕内では勝ち越せないが(新入幕以後、幕内での10度の勝ち越しはすべて8勝である)、十両では地力を見せつけ大勝することが多かった。幕内で2場所連続で負け越し、東十両筆頭で迎えた2007年3月場所には、11勝4敗で十両優勝次点の好成績を挙げている。しかし、10回目の入幕と史上3位の記録となった翌5月場所では、初日から10連敗してしまい4勝11敗だった。 また、2005年11月場所中の琴ノ若の引退で、2005年11月場所千秋楽時点で現役最高齢関取となった。30歳代半ばを迎えてもキビキビした動きは衰えず、相撲中継でもたびたび「関取最年長とは思えないほど動きは若い」と評されていた。 2008年1月場所、西十両4枚目で9勝6敗と勝ち越し、3月場所で11回目の入幕を決めた。37歳0カ月での幕内復帰は戦後3位の高齢記録で、入幕回数11回は昭和以降3位。この場所は初日から4連勝し、上記の不名誉な記録を脱却できるかと思われたが、5日目から10連敗してしまい結局5勝10敗と負け越し、十両へ陥落した。 東十両12枚目で迎えた2009年3月場所、4日目に勝ったものの、12日目終了の時点で1勝11敗と大不振に陥った。右肩を痛めたとの診断書を提出し、翌13日目から幕下時代の1993年7月場所以来15年半ぶりの休場。翌3月28日に引退、年寄若藤として後進の指導にあたることとなった。 日本相撲協会の業務では、現在は名古屋場所担当の委員を務めている。私生活では、2013年10月13日に、ダイエット目的で通っていたスポーツ関連施設で出会ったという女性と結婚した。 2023年2月1日付で同年4月に停年となる16代入間川が部屋付きの17代雷(元小結・垣添)と師匠を交代し雷部屋となるのに伴い、15代若藤(皇司)は同日付で木瀬部屋へ転属する事が発表された。 1993年 - 日本大学相撲部を経て入間川部屋入門。3月場所初土俵。 1996年 - 1月場所、新十両(四股名を本名の大内 信英改め皇司 信秀) 1999年 - 5月場所、十両優勝。9月場所に新入幕。 2005年 - 1月場所、2度目の十両優勝。 2009年 - 3月場所14日目に引退、年寄・若藤として入間川部屋の部屋付き親方となる。 幕内土俵入りであわや遅刻と言う失態を犯した事がある。土俵入りの列に割って入り、四股名を呼ばれる寸前でギリギリ間に合った。 2001年、30才を過ぎてから横綱と初対戦するのは年長記録として話題になった。 通算成績:616勝660敗2休 勝率.483 幕内成績:184勝266敗 勝率.409 現役在位:97場所 幕内在位:30場所 十両優勝:2回 (1999年5月場所、2005年1月場所) 幕下優勝:1回 (1993年5月場所) 大内 信英(おおうち のぶひで)1993年3月場所-1995年11月場所 皇司 信秀(おうつかさ -)1996年1月場所-2009年3月場所 若藤 信秀(わかふじ のぶひで) 2009年3月28日 - 2009年6月28日 若藤 信英(わかふじ のぶひで) 2009年6月29日 - 大相撲力士一覧 現役年寄一覧 株式会社前田精版印刷所 編『三木市立三木中学校 創立50周年記念誌 50年のあゆみ』(初版第1刷)三木市立三木中学校、2011年3月15日。 ^ 50年のあゆみ p57 ^ ベースボール・マガジン社刊 『相撲』 2014年10月号(秋場所総決算号) 127頁 ^ 元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え「雷部屋」62年ぶり復活 入間川親方4月定年 - 日刊スポーツ 2023年1月26日 ^ “皇司 信秀 力士情報”. sumodb. 2012年4月7日閲覧。 ^ 13日目に引退、年寄若藤襲名。 皇司 信秀 - 日本相撲協会 皇司 信秀 - 相撲レファレンス 大相撲 記録の玉手箱 相撲人名鑑 - ウェイバックマシン(2001年2月23日アーカイブ分) 表 話 編 歴 出羽海 中立 高崎 境川 関ノ戸 山科 振分 立田川 武隈 春日野 富士ヶ根 二十山 竹縄 三保ヶ関 清見潟 岩友 玉ノ井 雷 入間川(停年後再雇用) 藤島 大鳴戸 山分 待乳山 錦島 武蔵川 二子山 山響 小野川 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 千田川 尾上 千賀ノ浦 北陣 式守秀五郎(式秀) 立浪 二所ノ関 中村 佐渡ヶ嶽 粂川 白玉 浜風 荒磯 尾車 押尾川 鳴戸 秀ノ山 片男波 熊ヶ谷 田子ノ浦 西岩 放駒 松ヶ根 芝田山 峰崎(停年後再雇用) 高田川 花籠(停年後再雇用) 大嶽 阿武松 不知火 常盤山 湊川 湊 錣山 時津風 中川 枝川 荒汐 浦風 伊勢ノ海 勝ノ浦 甲山 立川 春日山 鏡山(停年後再雇用) 音羽山 陸奥(停年後再雇用) 追手風 立田山(停年後再雇用) 高島(停年後再雇用) 高砂 若松 錦戸 九重 谷川 佐ノ山 大山 八角 陣幕 東関 君ヶ濱 伊勢ヶ濱 楯山 照ノ富士(現役名年寄) 宮城野 間垣 安治川 大島 玉垣 浅香山 友綱 朝日山 桐山 出来山 表 話 編 歴 木村瀬平(木瀬) 若藤 稲川 井筒 千田川 宇良 美ノ海 金峰山 紫雷 志摩ノ海 英乃海 長村 肥後ノ海 良安 周志 靍林 須山 鳩岡 閃岳 肥後ノ丸 木瀬の海 一意 高野 肥後ノ龍 肥後光 直起 床熊 兵庫県出身の大相撲力士 日本大学出身の大相撲力士 高校相撲部出身の大相撲力士 入間川部屋 兵庫県出身の人物 1971年生 存命人物 ウィキデータにある日本相撲協会識別子 ウィキデータにある相撲レファレンス識別子
2025/01/25 01:52更新
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