直野敦の情報(なおのあつし) 東欧文学者 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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直野敦の情報まとめ
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直野 敦(なおの あつし)さんの誕生日は1929年3月18日です。大分出身の東欧文学者のようです。
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著書などについてまとめました。卒業に関する情報もありますね。
直野敦のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日本の翻訳家・東欧・ロシア文学者。東京大学教養学部名誉教授。 大分県大分市生まれ。1954年東京大学文学部仏文科卒、1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。金子幸彦ゼミ出身。1958年からルーマニア・ブカレスト大学に学び、63年同文学部卒業。1965年同大学院修士課程修了、帰国。翻訳をいくつか出し、1969年東京大学教養学部専任講師、71年11月助教授、76年12月教授、1989年定年退官し名誉教授、文化女子大学教授、90年文学部長。2004年退職。 主としてルーマニア語、ルーマニア文学の教育、翻訳をおこなった。かつては社会主義思想を信奉していたが、後年は、宗教学者ミルチャ・エリアーデが、初期に書いた小説作品の翻訳で知られる。また、ルーマニア語の他に、アルバニア語、ポーランド語の入門書、単語集などを著した。 長女・直野洋子も東欧文学者、その夫は深澤英隆・一橋大学教授(1956-、宗教学)。 著書『ルーマニヤ語文法入門』大学書林, 1967 『ルーマニア語会話練習帖』大学書林, 1974 『ルーマニア語基礎1500語』大学書林, 1975 『ルーマニア語小辞典』大学書林, 1976 『ルーマニア語の入門』白水社, 1977 『ルーマニア語基本文1000』大学書林, 1980 『ルーマニア語辞典』大学書林, 1984 『アルバニア語基礎1500語』大学書林, 1986 『ルーマニア語分類単語集』大学書林, 1986 『アルバニア語入門』大学書林, 1989 翻訳プレハーノフ『歴史における個人の役割』西牟田久雄共訳 未來社 1956 A.ガイダール『チムール小年隊』岩波少年文庫 1957 ジェルジ・ルカーチ『世界文学におけるロシア・リアリズム』西牟田久雄共訳 洋々社, 1957 ナジ・イシュトバン『キンタ横町の少年たち』新日本出版社 1967 スタンク『現代東欧文学全集第9 はだしのダリエ』恒文社 1967 ペトロ・マルコ『最後の町』新日本出版社(世界革命文学選) 1969 『珍しい毛皮 ルーマニア短編集』恒文社, 1974 ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』法政大学出版局, 1977 『ルーマニアの民話』住谷春也共編訳 恒文社 1978 『世界短編名作選 東欧編』高橋勝之,吉上昭三共編集 新日本出版社 1979 『バルカンの民話』恒文社, 1980 スミルノーフ,ザイツェフ『東京裁判』川上洸共訳 大月書店 1980 デサンカ=マクシモビッチ『世界のメルヘン16 妖精の女王ドーブラ』田中一生,八百板洋子共訳 講談社 1981 『ネコになったおきさき 東欧の昔ばなし』小峰書店 1986 『金のリンゴと九羽のクジャク 東欧の昔ばなし』小峰書店, 1987 エリアーデ『ホーニヒベルガー博士の秘密』住谷春也共訳 福武文庫 1990 『エリアーデ幻想小説全集』全2巻 住谷春也共訳 作品社 2003-04 2024/06/22 22:00更新
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naono atsushi
直野敦と同じ誕生日3月18日生まれ、同じ大分出身の人
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