禊鳳英二の情報(みそぎどりえいじ) 相撲 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]


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禊鳳英二の情報まとめ

禊鳳 英二(みそぎどり えいじ)さんの誕生日は1943年12月10日です。北海道出身の相撲のようです。

引退に関する情報もありますね。禊鳳英二の現在の年齢は81歳のようです。
禊鳳英二のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)禊鳳 英二(みそぎどり えいじ、1943年12月10日 - 没年不明)は、北海道上磯郡木古内町出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐々木 禊(ささき けい)。最高位は東前頭2枚目(1966年11月場所)。現役時代の体格は181cm、118kg。得意手は左四つ、寄り、投げ、外掛け。 出身地の上磯郡木古内町は横綱・千代の山の出身地である松前郡福島町にほど近く、その関係で引退後、年寄・九重を襲名していた千代の山がいる出羽海部屋へ17歳の時に入門。1961年1月場所で初土俵を踏んだ。同期生には後の小結・二子岳、前頭筆頭・大竜川らがいる。なお、当初の四股名は、本名と同じ「佐々木」であった。 1965年7月場所後、21歳で十両に昇進。1966年7月場所では13勝2敗と大勝ちし、前の山と十両優勝を賭けて優勝決定戦に出場。彼との決定戦では敗れたものの、翌場所で新入幕を果たした。 新入幕場所である同年9月場所では大鵬・柏戸の両横綱らと優勝を争う大活躍を見せ、12勝3敗という好成績を残し、生涯唯一の三賞となる敢闘賞を受賞した。 翌11月場所では、自己最高位となる東前頭2枚目に躍進。初日には横綱・栃ノ海、2日目には大関・豊山、3日目には横綱・柏戸を破るなど、観客を驚かせた。だが、それ以降は黒星が重なり、4勝11敗に終わった。 1967年1月場所後、元千代の山の九重親方の独立に伴い、大関・北の冨士や十両・松前山らと共に出羽海部屋から九重部屋へ移籍。以後はしばらく、幕内中堅どころに在って活躍していた。しかし、1968年5月場所4日目、関脇・清國との一番で右股関節を負傷したため5日目より休場。2場所後、十両に陥落した。 その後は十両から幕内下位に在ったが、1969年5月場所中、今度は左大腿部を負傷してしまった。結局この2つの怪我のため、以降は番付を大きく落とし、西幕下9枚目まで下がった同年9月場所を最後に25歳という若さで廃業した。 廃業後は、和歌山県田辺市や北海道函館市、札幌市で相撲料理の店を営んだ後にサラリーマンへと転じた。 また、1980年には『週刊ポスト』に掲載された四季の花による大相撲における八百長告発手記に呼応する形で、同誌に証言を寄せた事がある。 通算成績:274勝249敗32休1分 勝率.524 幕内成績:88勝109敗13休 勝率.447 現役在位:52場所 幕内在位:14場所 三賞:1回
金星:2個(栃ノ海1個、柏戸1個) 佐々木 英二(ささき えいじ)1961年3月場所-1965年11月場所 禊鳳 英二(みそぎどり えいじ)1966年1月場所-1968年1月場所 禊鳳 雄二(みそぎどり ゆうじ)1968年3月場所 禊鳳 雄治(みそぎどり ゆうじ)1968年5月場所-1969年1月場所 禊鳳 勇次(みそぎどり ゆうじ)1969年3月場所-同年9月場所(廃業) 大相撲力士一覧 千代の山雅信 『戦後新入幕力士物語 第3巻』(著者:佐竹義惇、発行元:ベースボール・マガジン社、p65~p69) ^ 右股関節亜脱臼により5日目から途中休場 ^ 左大腿部挫傷により7日目から途中休場、11日目から再出場 北海道出身の大相撲力士 出羽海部屋 九重部屋 1943年生 没年不明 北海道出身の人物 単一の出典
2025/04/06 10:20更新
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misogidori eiji
禊鳳英二と同じ誕生日12月10日生まれ、同じ北海道出身の人
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