笠松茂の情報(かさまつしげる) 体操 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
笠松 茂さんについて調べます
■名前・氏名 |
笠松茂と関係のある人
五十嵐久人: モントリオールオリンピックでは、当初、控え選手だったが、笠松茂が急病欠場し出場機会が廻ってきた。 内村航平: ゆかの種目別金メダルは1974年(ヴァルナ)の笠松茂以来34年ぶりの快挙。 加藤沢男: 後輩の塚原光男、笠松茂が難易度の高いオリジナル演技を自ら開発、演技するのに比べ、加藤の演技は美しさを追求するものである。 笠松昭宏: 父は1972年ミュンヘンオリンピックで4個のメダルを獲得した笠松茂(中京大学体操競技部出身)、母はメキシコ・ミュンヘンオリンピック二大会連続日本代表、羽生和永(日本体育大学体操競技部出身)で、日本の体操界で活躍した。 冨田洋之: 2005年世界体操競技選手権個人総合では、ついに日本選手として笠松茂以来31年ぶりの優勝。 鶴見修治: ^ 過去の10人は、竹本正男、小野喬、遠藤幸雄、山下治廣、加藤澤男、田中敬子、早田卓次、中山彰規、監物永三、笠松茂 (日本体操協会情報) |
笠松茂の情報まとめ
笠松 茂(かさまつ しげる)さんの誕生日は1947年7月16日です。三重出身の体操のようです。
成績、親族などについてまとめました。卒業、テレビ、引退、現在に関する情報もありますね。笠松茂の現在の年齢は76歳のようです。
笠松茂のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)笠松 茂(かさまつ しげる、1947年7月16日 - )は、三重県熊野市出身の元体操選手。 三重県立木本高等学校、中京大学体育学部卒。大学卒業後、東海テレビ放送に入社。同社が運営する体操クラブチーム「東海テレビレッツ体操クラブ」(現・笠松体操クラブ:長久手市)に所属していた。 1972年ミュンヘンオリンピックの体操男子団体金メダリストで、「カサマツ跳び」で知られた。 妻は同じく体操のミュンヘンオリンピック日本代表選手だった羽生和永、同じく体操選手だった笠松昭宏は息子(アナハイム世界体操選手権大会団体銅メダリスト)。 1970年の世界選手権(リュブリャナ)では補欠だったが、その後次第に頭角を現し1972年のミュンヘンオリンピックで個人総合5位、1974年の世界選手権(ヴァルナ)で個人総合優勝して「日本のエース」と呼ばれるようになった。1976年モントリオールオリンピックでも個人総合優勝候補の筆頭にあげられていたが、競技本番直前に盲腸炎(虫垂炎)を発症し無念の欠場となった(補欠の五十嵐久人が代わりに出場した)。残った日本選手団はこの逆境を跳ね返し、団体総合の金メダルを獲得した。 現役引退後は、「東海テレビレッツ体操クラブ」にヘッドコーチとして出向し、1987年に「笠松体操クラブ」として独立移転した。現在は、同クラブの顧問を務めている。 2005年に紫綬褒章を受章、2007年に国際体操殿堂入りを果たした。 過去に「東海テレビ社会人フェローの会」講師を務めていた。 成績1972年 ミュンヘンオリンピック(西ドイツ)団体総合金メダル、平行棒銀メダル、ゆか、鉄棒銅メダル、個人総合5位 1973年 NHK杯個人総合 優勝 1974年 ヴァルナ世界選手権(ブルガリア)団体総合、個人総合、ゆか、跳馬金メダル 1975年 NHK杯個人総合 優勝 1976年 NHK杯個人総合 優勝 1976年 モントリオールオリンピック(カナダ)代表 ※欠場、日本は団体総合金メダル 1977年 NHK杯個人総合 優勝 1977年 全日本選手権 個人総合優勝 1977年 中日杯 個人総合優勝 1978年 ストラスブール世界選手権(フランス)団体総合、鉄棒金メダル、ゆか銀メダル 1979年 FIG体操ワールドカップ東京大会(日本)個人総合銀メダル 1979年 フォートワース世界選手権(アメリカ)団体総合銀メダル 親族妻:羽生和永(体操選手) 息子:笠松昭宏(体操選手) 2024/06/24 14:50更新
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kasamatsu shigeru
笠松茂と同じ誕生日7月16日生まれ、同じ三重出身の人
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