船床定男の情報(ふなとこさだお) 映画監督 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
船床 定男さんについて調べます
■名前・氏名 |
船床定男と関係のある人
大友柳太朗: アフレコが出来ず、『大忍術映画 ワタリ』(1966年)ではこのため撮影が進まず、船床定男監督を困らせている。 金子吉延: この年、自身もファンであった白土三平の劇画『ワタリ』が東映京都で『大忍術映画 ワタリ』(船床定男監督)として映画化されると聞き、企画室に日参して出演売り込みを行った。 浅野進治郎: 『丹下左膳』 : 監督船床定男、東京放送 / 宣弘社プロダクション、1965年10月6日 - 1966年3月30日放映 - 作造 小栗一也: 豹マン(1967年、ピー・プロダクション、監督:船床定男) - 藤波博士 土屋啓之助: 続く『怪獣王子』では、京都の「日本特撮K.K.」での悶着を受けて、『マグマ大使』の箕面ロケ(ストップゴン登場編)の後の途中で、諸事情により急遽怪獣王子を演出する予定だった船床定男監督に代わって京都へ赴任する。 牧冬吉: この間に監督の船床定男と知り合い、宣弘社制作のテレビドラマ『豹の眼』(KRテレビ)の敵役「殺し屋ジョー」役でテレビドラマにデビューする。 佐伯秀男: 『星空の街』 : 監督小田基義、脚本芥田暮夫、助監督船床定男、主演江原達怡、製作・配給東宝、1957年1月15日公開 - 「富田教授」役 佐伯秀男: 『東京だヨおッ母さん』 : 監督斎藤達雄、脚本山上光穂、助監督船床定男、主演島倉千代子、製作・配給東宝、1957年4月23日公開(映倫番号 10118) - 「乾分B」役 伊上勝: 宣弘社で『隠密剣士』を手がけた西村俊一・船床定男と共に、東映京都の特撮時代劇映画『大忍術映画 ワタリ』に参加。 伊海田弘: 『隠密剣士』第4部忍法闇法師 第5話「葉隠れの忍者」 : 監督船床定男、脚本伊上勝、主演天津敏、製作宣弘社プロダクション、1963年8月4日放映 - 葉隠れの葉蔵役 小川寛興: 大忍術映画「ワタリ」(1966年、監督:船床定男、主演:金子吉延) 大橋史典: 『怪獣王子』クランクイン日の社長挨拶では舌が滑って、東急エージェンシーが招いた監督の船床定男をこきおろして激怒させ、『マグマ大使』を担当していた土屋啓之助と船床が、担当作品を入れ換わる事態となっている。 |
船床定男の情報まとめ
船床 定男(ふなとこ さだお)さんの誕生日は2月5日です。京都出身の映画監督のようです。
映画、テレビ、ドラマ、卒業、趣味、結婚に関する情報もありますね。1972年に亡くなられているようです。
船床定男のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)船床 定男(ふなとこ さだお、1932年2月5日 - 1972年2月22日)は、京都府出身の演出家、映画監督。本名荒井定男。妻は日本舞踊家の花柳寿位彦(本名・荒井満枝)。 日本初の「連続テレビ映画」番組である『月光仮面』を演出するなど、日本のテレビ黎明期において多くのテレビドラマを演出したことで知られ、14年間で約600本を監督した。 国民学校高等科卒業後、演劇青年となり、1952年に加藤泰らの「劇団こうもり座」に参加。その後、映画の世界に入り、加藤泰、伊藤大輔に師事する。 1958年に宣弘社が製作し、同じ独立プロダクション「綜芸プロ」に所属していた西村俊一が企画した日本初の「連続テレビ映画」である『月光仮面』を、監督経験のないまま26歳の若さで初演出。低予算の上「ワンカット28秒しか撮影できないカメラ」という制約の元で「スピーディーな演出」と「早撮り」の才能を発揮してヒット作品とした。 続いて『快傑ハリマオ』『隠密剣士』など宣弘社作品を中心に多くのテレビドラマを監督。 1967年には自身初の特撮ヒーロー物である『マグマ大使』のシリーズ後半より監督。その後も多くの作品の演出を続けたが、1970年のテレビドラマ『青春太閤記 いまにみておれ!』の演出前後に舌癌を発症。その後も治療を続けながら『ガッツジュン』などを監督したが、1972年に40歳の若さで死去。戒名の「月光院明世日定居士」は「『月光仮面』で世の中を明るくした」ことを意味している。 自宅に帰宅すると台本に線を引き、早撮りの工夫を考えていた。 1965年の『丹下左膳』当時のインタビューで、「テレビではスポンサーがあるので芸術家気取りは許されない。僕は実績を積み重ねるだけです」と述べている。 漫画収集が趣味で、特に白土三平や望月三起也を愛好していた。 『マグマ大使』では、船床がズームレンズを多用することが多く、本編と特撮が繋がらなくなることが増えたため、特撮監督の小嶋伸介が「早く帰って来るだけが撮影じゃないでしょう。徹夜して撮影している特撮スタッフのことも考えてほしいです」と苦言を呈した。それに対して船床は「今までそのようなことを言って来た奴はいない。その通りだよ」と答え、以後は快く注文に応じてくれたと小嶋は術懐している。 『ガッツジュン』では、前番組『柔道一直線』の好評を受けて野球をデフォルメした演出が行われたが、船床は野球については詳しく無く野球ファンからも不評だったため、監督を交代して路線変更するに至った。 『ガッツジュン』にゲスト出演した潮哲也は、野球の経験が無く下手投げしか出来なかったため、船床に相談した上で投球練習をした結果、走行中の電車の窓ガラスを割ってしまった。しかし大きな問題になることもなく、潮は撮影後に船床から「非常に良いから、諦めないで頑張りなさい」と声を掛けられたことが嬉しかったと述懐している。 月光仮面(1958年) 豹の眼(1959年) 快傑ハリマオ(1960年) 黒いパトカー(1961年) 恐怖のミイラ(1961年) 隠密剣士(1962年) 風雲真田城(1964年) 新・隠密剣士(1965年) 丹下左膳(1965年) 快傑黒頭巾(1966年) マグマ大使(1966年) まぼろし城(1968年) 風来坊(1968年) 水戸黄門(1969年) 鬼平犯科帳(1969年) 青春太閤記 いまにみておれ!(1970年) ガッツジュン(1971年) 弥次喜多隠密道中(1971年) 荒野の素浪人(1972年) 隠密剣士(1964年) 続・隠密剣士(1964年) 大忍術映画 ワタリ(1966年) 豹マン(1967年) ^ 結婚時に婿入りしたため荒井姓となった。 ^ 『伝説の昭和特撮ヒーロー』では、田村正蔵が全話を監督したとしている。 ^ 『読売新聞』1965年10月17日付朝刊、10面。 ^ 平凡社 1998, p. 102. ^ 石橋春海 2014, pp. 72–73, 「特別インタビュー 船床定男監督 長男・荒井伸定さん」 ^ 平凡社 1998, p. 116. ^ 石橋春海 2014, p. 71, 「宣弘社作品を作った職人たち2 評伝 監督・船床定男 600本のテレビ映画を作った男」 ^ 平凡社 1998, p. 104. ^ 平凡社 1998, pp. 104–106. ^ 平凡社 1998, p. 108. ^ 平凡社 1998, pp. 130–134. ^ 平凡社 1998, pp. 137–138. ^ 平凡社 1998, p. 112. ^ 平凡社 1998, pp. 133–135. ^ 石橋春海 2014, pp. 68–70, 「1971 ガッツジュン」. ^ 出演当時は本名の「本保明啓」名義であった。 ^ 『快傑・風雲ライオン丸』ソニーマガジンズ〈ピー・プロ70’sヒーロー列伝2〉、2000年9月21日、31-32頁。ISBN 4-7897-1551-5。 ^ 石橋春海 2014, p. 41, 「1961 恐怖のミイラ」. 樋口尚文『「月光仮面」を創った男たち』平凡社〈平凡社新書〉、2008年9月16日。ISBN 978-458-285435-0。 石橋春海『伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2014年7月9日。ISBN 978-4-7747-5934-0。 VIAF 日本のテレビディレクター 日本の映画監督 京都府出身の人物 1932年生 1972年没 VIAF識別子が指定されている記事
2024/11/02 00:33更新
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funatoko sadao
船床定男と同じ誕生日2月5日生まれ、同じ京都出身の人
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