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菅原牧子
菅原 牧子(すがわら まきこ)さんの誕生日は1945年5月9日です。岩手出身のアナウンサーのようです。
出演番組などについてまとめました。卒業、退社に関する情報もありますね。菅原牧子の現在の年齢は79歳のようです。
菅原 牧子(すがわら まきこ、1945年5月9日 - )は、日本のアナウンサー、プロデューサー、日本大学芸術学部放送学科特任教授。 岩手県陸前高田市出身。青山学院大学文学部フランス文学科卒業。俳人協会会員、岩手県ふるさと大使、陸前高田市ふるさと大使。 1968年4月、TBSにアナウンサー第13期生として入社(同期には小島一慶・松永邦久・池田園子・石井和子・見城美枝子・郷司淑子)。 35年間、アナウンサー・番組企画制作者として活躍。『歌のない歌謡曲』、『菅・牧のお昼ですよ』、『講談社 ラジオブックス』他多数に出演。1987年、アノンシスト賞 テレショップ番組最優秀賞。1990年、アノンシスト賞 放送活動賞。1993年、『母と子の朗読コンサート』における第19回アノンシスト賞 ラジオ番組部門最優秀賞を受賞。 永年、TBSで「朗読勉強会」を主宰。TBSアナウンサーの“読みの技術”向上に取り組んできた。スタジオ、ホールでのライブ「朗読コンサート」や、朗読番組の制作・演出・出演を通して、“美しい日本語・言葉の魅力”の探求を続けている。 公演回数20数回にわたる「朗読コンサート」をプロデュース。朗読と音楽のコラボレーションによる、健全かつ高品質な日本語の普及・浸透を目指している。 2003年、TBSを退社し、日本大学芸術学部放送学科教授に就任。同時並行して、年数回、ライブハウスやホールで「朗読公演」を開催。地方色の溢れる文芸作品を中心に、第一線の音楽家、アナウンサー、大学の若人達と“言葉と音楽”による舞台創りをしている。 その後も古巣・TBSラジオの「ラジオブックス」のプロデューサーを務めてきたが、2009年3月27日の放送をもって終了。また近年では一時同局の女性アナウンサーの人材不足状態が続いたこともあって、「朗読コンサート」はしばらく行われていない。 2012年3月で放送学科教授を定年退職、同年4月から同学科の特任教授に就任。 出演番組東京エコー(1970年) スーパーダイスQ(1980年3月3日 - 1984年3月30日)ナレーション モーニングEye(1984年11月5日 - 1985年3月29日)司会 ミームいろいろ夢の旅(1985年4月7日 - 1985年9月29日)オープニング・エンディングの提供スポンサーアナウンス《NTT時代》 新鮮卓急便(1986年) JNNニュースショー 今週のスター5 JNNおはようニュース&スポーツ JNNニュース1130 パンチDEショッピング(1997年) ケータイ刑事 銭形愛(2002年10月6日 - 2003年3月30日、BS-i)「警視庁から入電中」ボイス(声の出演) 役 こども音楽コンクール(1969年) 今日も明るく健康で(1970年) TBS それ行け!歌謡曲(1971年、1975年6月 - 1979年4月) 歌のない歌謡曲(1971年 - 1990年) 土曜でジャンプ(1972年)アシスタント ディスカバー歌謡曲(1972年) 旅そしてふるさとの詩(1972年) 三越夕べの音楽(1977年) Our Music'80(1979年) サブちゃんの演歌街道まっしぐら(1981年) スバルリラックスタイム(1982年) ナイターゴールデンスタジアム(1982年) 近石真介の口八丁耳八丁(1983年) 日本列島盛り場ヒット情報(1984年) 毒蝮三太夫の土曜ワイド商売繁盛(1985年) 日本列島おもしろヒット情報(1985年) はやおき倶楽部(1986年) 青春リターンマッチ(1986年) 菅原牧子のお昼にしましょう(1989年) 母と子の朗読コンサート TBS朗読コンサート 講談社 ラジオブックス 2024/05/21 18:10更新
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sugawara makiko
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