菊池桃子の情報(きくちももこ) 歌手、タレント 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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菊池 桃子さんについて調べます
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菊池桃子の情報まとめ
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菊池 桃子(きくち ももこ)さんの誕生日は1968年5月4日です。東京出身の歌手、タレントのようです。
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人物、ディスコグラフィなどについてまとめました。家族、映画、姉妹、テレビ、卒業、ドラマ、解散、現在、事件、結婚、離婚、再婚、退社、趣味に関する情報もありますね。今年の情報もありました。菊池桃子の現在の年齢は56歳のようです。
菊池桃子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)菊池 桃子(きくち ももこ、1968年〈昭和43年〉5月4日 - )は、日本の女優、歌手、タレント、大学教員、ナレーター。ヴァイサイト(Weisheit。個人事務所)所属。愛称は「桃ちゃん」。 東京都品川区出身。桃子という名前の由来について本人は、「"桃"は、古来中国では不老長寿をもたらす実であるという伝説があり、とても大切な果物とされていたことに因み、みんなから大切にされて愛されるようにという意味で名づけられた」と話していたことがある。3歳の時に埼玉県大宮市(現・さいたま市)に移るが、小学校入学時に品川へ戻る。両親は共に北海道出身(父は札幌、母は知床)。 菊池の叔母が青山で飲食店を経営しており、レジ横に家族や親族の写真を飾っていた。1982年の夏、たまたま来店していた音楽事務所トライアングル・プロダクションの関係者がその中の一枚、菊池が微笑んでいる写真に目を留め、その場で菊池の名前や年齢、事務所に所属していないかなど身上を聞いたという。叔母を介し、後日スカウトされる。芸能界入りに関して、菊池の父は学校に行かせること・学業に支障が出ないスケジュールであることを条件とし、本人の希望を優先に承諾した。 1983年春、映画『パンツの穴』のオーディションに合格。芸能活動をスタート。11月、学習研究社のアイドル雑誌『BOMB』の姉妹誌『Momoco』のイメージガールとなり、創刊号の表紙を飾る。 1984年3月17日、映画『パンツの穴』公開。ヒロインを演じて注目される。同年4月21日、VAPより『青春のいじわる』でアイドル歌手デビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「It's Real Fresh 1000%」。 "ふつうの女の子"といった親しみやすい庶民的魅力を持ったアイドルとして幅広い人気を獲得し、1984年にリリースした『青春のいじわる』『SUMMER EYES』『雪にかいたLOVE LETTER』の3枚のシングルをヒットさせ、1984年の日本レコードセールス大賞女性新人賞受賞。ブロマイドの年間売上も1位となる。また、同年9月リリースのファーストアルバム『OCEAN SIDE』はオリコンアルバムチャート1位となった。1981年に設立されたバップレコードの売上げを大きく伸ばし、テレビ局、映画会社は"ポスト聖子"として1985年の"超目玉アイドル"と見なし、テレフィーチャー『卒業』の製作を決め、東映は小柳ルミ子級のギャラを提示し主演映画の交渉に当たった。また資生堂や江崎グリコ、日立製作所など大手企業のCMキャラクターにも起用され、雑誌などとのメディアミックス戦略により一気にトップ・アイドルへと駆け上った。大手プロダクションの手によらない雑誌メディア出身の菊池が成功したことは1980年代のアイドル地図に変動を起こし、斉藤由貴や中山美穂など雑誌やドラマをきっかけに歌の世界へ進出するアイドルの先駆的存在となった。 1984年12月、第26回日本レコード大賞新人賞受賞。ただし最優秀新人の選考対象とされることについては全て辞退した(辞退理由は「気持ちの整理が付かないから」というものだった。実際は菊池のレコードを製作販売していたバップレコードは日本テレビ系列のための諸事情と言われる。授賞式は海外・サイパンでの仕事のため欠席、ファンへの感謝の手紙がバップ社員より代読された。この年、最優秀新人賞に選ばれたのは岡田有希子)。 1985年に行われた日本武道館でのコンサートは、武道館においては当時の時点で最年少公演記録となり、ビートルズの公演の観客動員数を抜き(二万二千人超)、九段下駅から日本武道館へと長い行列が出来、話題になった。入場できなかった観客も一万人超とされ伝説となっている。同時期の『ザテレビジョン』誌上のタレント人気投票の歌手部門でも1位となるなど、トップアイドル歌手として人気を博した。1985年のアーティスト別年間シングルセールスでは中森明菜、チェッカーズ、安全地帯に次ぐ第4位となった。 1985年2月発売の4枚目のシングル「卒業-GRADUATION-」から1987年3月発売の「アイドルを探せ」まで7作連続オリコンチャート1位の売り上げを記録した。この記録は、1985年から87年にかけてオリコンチャートの上位をおニャン子クラブ関係の曲が独占する中での記録である。 ラジオパーソナリティとしても人気があり、1985年10月から1987年3月までTBSラジオ・文化放送・ニッポン放送の在京3局で自身がメインパーソナリティーのレギュラー番組があった。それぞれ曜日ごとに分かれていたため、月曜から日曜まで毎日、菊池の番組があった。雑誌『ラジオパラダイス』のパーソナリティ人気投票では1985年から1987年までベスト10内にランクインしていた。ラ・ムー 結成後も、1988年4月まで『菊池桃子の青春トライアングル』(TBSラジオ)、1988年10月まで『青春ファンタジア 菊池桃子 あなたと星の上で』(ニッポン放送)が放送されていた。 1986年、エランドール賞新人賞受賞。シングル「夏色片想い」発売キャンペーンとして全国25万人握手会を行う(実際には27万人を動員した)。 1986年8月、日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う』に出演。チャリティー・歌のイベントなど番組に参加。当時の新曲『Say Yes!』をシングル発売前に歌唱した。 1987年4月11日、映画『アイドルを探せ』(吉田まゆみ原作、松竹配給)公開。主役の藤谷知香子(チカちゃん)役で出演。以前の映画・ドラマのシリアスな役柄とは違い、明るい女子短大生を演じた。共演は伊藤かずえ、武田久美子など。同年3月25日には同名の主題歌を発売。自身最後のオリコンシングルランキング1位となった。同年6月にビデオ(発売先はバップ)が発売。1988年5月13日の日本テレビ系『金曜ロードショー』で放送。2003年6月25日発売の『菊池桃子プレミアム・コレクション BRAND』でDVDが収録されている。 1987年8月22日・8月23日、日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う』でチャリティー・パーソナリティを務める。日本武道館での出演の他、国連国際居住年親善大使としてアフリカ取材も行った。自身の楽曲『Nile in Blue』が番組テーマ曲として使用された。 1987年10月21日、日本テレビ系のドラマ『恋はハイホー!』(水曜19:00)で連続テレビドラマ初主演。当時多く放送されていた業界もののドラマだった。裏番組にテレビアニメ『ドラゴンボール』『めぞん一刻』(いずれもフジテレビ系)、テレビドラマ『オヨビでない奴!』(TBS系・高橋良明主演)『あぶない少年』(テレビ東京系・光GENJI主演)、『NHKニュース』『連想ゲーム』(NHK総合テレビ)などといった高視聴率番組があり、視聴率は低迷した。1987年4月から1988年3月まで日本テレビ系では土曜21時台の『土曜グランド劇場』が放送されなかった。西川きよし・星野知子・加納みゆき司会の『ワールドクイズ ザ・びっくり地球人!』、福留功男(当時日本テレビアナウンサー)・堀江しのぶ司会の『クイズ・地球NOW』が放送されていた。関西地区でMBSラジオ(毎日放送)の『菊池桃子の青春トライアングル』(土曜21:30から放送)との競合を避けたことによるものである。 1988年2月、記者会見を行い、ロックバンド「ラ・ムー」を結成、自らがメインボーカルを担うと宣言した。自身が出演するダイドードリンコのCMソングとなった『愛は心の仕事です』を皮切りに、シングル4作、アルバム1作をリリース。過激な歌詞や肩パットを披露するなど清純派だったアイドル歌手時代とは全く違っていた。ライブも行ったがレコードのセールスはソロ時代を超えることはできず、オリコンチャートで4位となった『少年は天使を殺す』以降は話題とならなくなり、興行的には大きな成功は得られなかった。1989年2月リリースのシングル『青山Killer物語』を最後にバンド活動は凍結。事実上解散となった。ブラック・コンテンポラリーとアイドル歌謡の組み合わせは、当時の常識からかけ離れていたため、ヒットには恵まれず短期間で解散した。現在は2010年代以降のシティ・ポップブームの中で再評価を受けている。 1988年2月にTBSラジオで放送された『菊池桃子の青春トライアングル』ではアイドル歌手出演の歌番組で最年長になっていることを触れていた。歌手としてはラ・ムー、女優としては菊池桃子で活動すると発言していた。 ラ・ムー解散後の1989年以降、女優としての活動が多くなる。中山美穂主演の『君の瞳に恋してる!』・安田成美主演の『同・級・生』といったフジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ(トレンディドラマ)で大鶴義丹や緒形直人とキスシーンを披露。それまでの清純派だった菊池が奔放な女性を演じてイメージチェンジとなった。これらの作品での演技が評価され、1993年の同枠の『あの日に帰りたい』では主演を務めた。 井森美幸と共演したフジテレビ系のドラマ『お嬢さんシリーズ』は1989年から1990年にかけて3作放送された。家事などができず、わがままな女性を演じていた。ドラマはホリプロが制作していたが、1987年4月公開の映画『アイドルを探せ』で所属タレントの伊藤かずえ・武田久美子が出演していた。井森美幸はドラマ共演前、テレビのバラエティ番組で菊池のものまねを披露していた。 1989年頃から1995年頃までは連続ドラマや2時間ドラマに多数出演していた。事件ものの2時間ドラマ出演はほとんどなかった。2010年代以降はテレビ朝日系『相棒』、TBS系『浅見光彦シリーズ』に出演していた。 1989年9月、事務所をトライアングル・プロダクションから、パーフィットプロダクションに移籍。 1989年10月26日発売の男性向け隔週週刊誌『スコラ』で背中などを見せているセクシーショットを披露。表紙には「菊池桃子セクシー」と赤色の大きな文字で書かれていた。この写真などを集めた「菊池桃子写真集」が1990年11月に発売されている。 1990年9月以降に放送された、日本ビクターのビデオカメラCMのセリフ『その目、ちょっとエッチ!』が話題となった。 1990年12月、1991年3月発売のアルバムジャケット写真などが入っている写真集「とびいろのなつ」を発売。 1991年3月3日、2年ぶりの歌手復帰。ソロとしては3年10か月ぶり、歌手としては2年半ぶりの11曲入りアルバム『Mirour-鏡の向こう側に』(セルフ・プロデュース)を発売。音楽雑誌『FM STATION』『WHAT's IN?』『オリコン』ではインタビュー記事が掲載されていた。アイドル時代同様、シティ・ポップ調の楽曲を歌っている。作家陣には湯川れい子・日野皓正・神山純一などが加わり、菊池自身も作詞4曲・作曲2曲を手掛けている。 1992年、フジテレビ系のドラマと松竹配給の映画『パ★テ★オ』に江川真理役で主演。共演は加勢大周・保阪尚希・鈴木京香など。 1994年8月8日、1993年に「フジサンケイクラシック」のプロアマ戦で一緒にラウンドを回ったことが縁で交際をしていたプロゴルファーの西川哲との婚約を発表。1995年4月24日に挙式をする旨を記者会見で明らかにした。
1995年5月1日、結婚。 1996年2月6日、高輪プリンスホテルで挙式。西川の師匠であるプロゴルファー・青木功が媒酌人を務めた。挙式後の会見で妊娠4カ月であることを明かした。 1996年8月7日 - 長男を出産。 2001年10月18日、長女を出産。 2003年12月24日、日野皓正のライブにゲスト出演。『Say Yes!』など4曲を歌唱 2008年3月31日、TBSの生活情報番組『はなまるマーケット』の月曜レギュラーとなる。 2008年5月28日、14年ぶりとなる鈴木雅之とのコラボレーションシングルとなる「恋のフライトタイム〜12pm〜」をリリース。 2009年1月4日、テレビ朝日『人生の楽園』のレギュラー(ナレーション)となる。 2010年3月31日、『はなまるマーケット』の月曜レギュラーから水曜レギュラーになる。 2011年3月23日、『はなまるマーケット』を卒業(後任はいとうあさこ)。 2011年7月30日、文化放送『菊池桃子のライオンミュージックサタデー』のメインパーソナリティとなる。ラジオのメインパーソナリティ出演は1994年4月以来、17年3か月ぶりとなる。番組では『MOMOKO STYLE』のタイトルでアイドル・ラ・ムー・ソロ復帰後の楽曲を毎週放送している。 2012年1月28日、西川哲と離婚していたことが判明し、菊池本人が同日、所属事務所を通して離婚を正式発表した。具体的な理由については明かされていない。 2012年2月28日、『週刊朝日』3月9日号で離婚前から特定疾患シェーグレン症候群を患っていることを明かした。 2012年3月25日、法政大学大学院政策創造研究科政策創造専攻修士課程修了、修士号(政策学)取得。研究分野は「雇用政策を踏まえた人々のキャリア形成」。 2012年8月1日、母校・戸板女子短期大学の客員教授に就任。キャリア教育の講義を担当中。 2013年4月16日、労働者が自分の働き方を主体的に選べる「キャリア権」の普及を目指すNPO法人「キャリア権推進ネットワーク」が発足、理事に就任。 2014年4月30日、23年ぶりのアルバムCD『青春ラブレター 〜30th Celebration Best〜』をソニー・ミュージックレーベルズ(エピックレコードジャパンレーベル)から発売。 2014年5月、東京・大阪で27年ぶりのライブを開催。 2015年10月23日、「一億総活躍国民会議」の民間議員に起用。 2015年12月17日、単行本『午後には陽のあたる場所』を発売。初の書き下ろし著書。 2016年7月、文部科学省 初等中等教育局 視学委員就任。 2019年11月、自身のブログで再婚を発表。ブログ内では詳細が触れられていなかったが、その後の報道で相手が経済産業省経済産業政策局局長(当時)の新原浩朗であることが報じられた。 2020年6月20日、パーフィットプロダクションを退社。 2020年6月22日、新会社の設立を発表。 2020年10月27日、公式YouTubeチャンネル“菊池桃子のYouTubeラジオ『今日もお疲れ様です。』”開設。 2021年3月26日、2020年東京オリンピックの聖火リレーで、福島県の第2日、福島市の第一走者として福島市信夫ヶ丘競技場を走る。 2021年12月28日、公式YouTubeチャンネル“菊池桃子のYouTubeラジオ『今日もお疲れ様です。』”終了。 2022年7月27日、新曲『Again』『奇跡のうた』(いずれも林哲司作曲)や過去のアルバム収録曲を集めた全16曲収録のコンセプトアルバム『Shadow』をバップから発売。 2022年8月4日、自宅で転倒して仙骨にひびが入るけがを負い、入院して治療。ラジオ番組などへの出演が見送りとなった。 2022年11月22日、『週刊朝日』(朝日新聞出版)で表紙を飾った。巻頭写真4ページと作曲家・林哲司との『シティポップ』についての対談を掲載。林哲司とは1987年以来、35年ぶりの再会となった。 2022年11月30日、神奈川県横浜市のビルボードライブ横浜と2022年12月3日、大阪府大阪市のビルボードライブ大阪で行われた林哲司のライブにゲスト出演。 2023年4月1日、東京・恵比寿のザ・ガーデンホールの『林哲司 SONG FILE SPECIAL with 杉山清貴 菊池桃子』でゲスト出演。 2023年7月1日、日本テレビ系の『THE MUSIC DAY 2023』に出演。『Say Yes!』を歌唱。日本テレビ系の歌番組には35年ぶりに出演。 2023年10月24日、NHK総合テレビの『うたコン』で林哲司とともにゲスト出演。『もう逢えないかもしれない』を歌唱。 2023年11月5日、東京国際フォーラムAで行われた『ザ・シティ・ポップ・クロニクル 林哲司の世界inコンサート』にゲスト出演。『卒業 〜Graduation〜』『もう逢えないかもしれない』『ガラスの草原』『Blind Curve』の4曲を歌唱。 2023年11月15日、テレビ東京系の『テレ東60祭!ミュージックフェスティバル2023』にゲスト出演。『卒業 〜Graduation〜』『もう逢えないかもしれない』を歌唱。 2024年4月17日、歌手デビュー40周年を記念して6曲入りのEP『Etarnal Harmony』をバップから発売。ホリエアツシ(『星の蜃気楼』)、andropの内澤崇仁(『もうすぐ0時』)が楽曲提供。菊池自身が作詞・作曲した『Starry Sky』は林哲司が編曲を担当している。 2人目の子供が障害児であり、就学や学習機会の場を探すのに苦労したことから、子供たちのキャリア形成について問題意識を持ち始め、教育活動を行うようになる。 2015年10月23日、一億総活躍国民会議の民間議員に選出された事が発表される。10月29日、「一億総活躍国民会議」の初会合に出席し、「一億総活躍」という名称が分かりづらい、1つの見方、言い方として、「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」という名称を提案。「ソーシャル・インクルージョン」とは、社会の中から排除する者をつくらない、全ての人々に活躍の機会があるという言葉としている。その他、女性の就業曲線を表す「M字カーブ(産前産後休業)」について提言。結婚・出産を機に離職した女性が、子育てを一段落した段階で仕事に復帰する際に「何が課題になっているのか」ということなどについて発言した。カタカナ言葉を使った事については、10月30日に自身のブログで「取材時間の限りがあった」「代替案となる日本語が見つからなかった」と述べた。また、横文字を使っての説明についても、親切ではなかった、使った場合はその後に十分な説明をすることが大切だといつも思っていると述べた。 2016年5月で退任。 人物一男一女の母。菊地は誤記。血液型はB型。 初婚相手の西川哲との間に1男1女をもうけている。第一子は長男。 2001年に長女を出産したが、乳児期に脳梗塞になり、快復したものの左手足に麻痺の後遺症が残る。それより1年半前にも第二子を妊娠し死産している。前もって障害を持っているかも知れないことを医師から告げられ、育てていく覚悟をしていたことも併せて告白した。 愛犬家で動物好きである。 富士山に造詣が深い。 読書家であり(英字書を含む)手工芸や料理が趣味。またスキューバダイビングも趣味のひとつで1980年代にはグアムやハワイなど海外に赴いてダイビングを楽しんでいる。 独身時代は自宅で懐石料理やシチューを数日煮込んで作るほど熱中していたという。 縄文時代マニアである。 エピソード元来、大人しい性格の菊池が芸能界に興味を示したのは「見てみたいと思った」程度の好奇心からなる軽い気持ちであり、芸能界に対して強い憧れや目標とする芸能人が存在したわけではないという(考古学者になることが長年の夢であった)。デビュー以前、度重なるオーディションに「自分には向いていない、辞めたい」と思ったと後年、述懐している。 1982年、デビュー前の準備の一環として作曲家・アレンジャーである神山純一の自宅スタジオにて歌唱レッスンを始める。初めて神山宅を訪れた際には住所のメモだけで他の情報がないままでの初対面であり、玄関で出迎えたのが神山の妻である元女優・夏純子だったため、なんて美人な奥さんなんだろうと思うと同時に「TVで見たことある人だ!」と、とても驚いたと後述している。また、音楽に関することであれば、歌唱も楽器も神山が全ての質問に明確に回答を示す百科事典のような存在となったため、自分の知らなかった新たな世界が広がっていく感覚が嬉しかったとも明かしている。 吉本ばななの小説『キッチン』文中に『ふたりのNIGHT DIVE』(1984年9月10日発売のアルバム『OCEAN SIDE』に収録)の歌詞(作詞は秋元康)が挿入されている。アイドルを含めて歌手の曲が、小説に挿入されているのは極めて異例である。 2013年3月31日放送のフジテレビ系『爆笑 大日本アカン警察』にて、フジテレビの食堂で早食いをしている模様を隠し撮りされた。菊池は牛丼、サラダ、味噌汁を2分18秒で完食した。 日本テレビ系の『歌のトップテン』で歌唱後、1984年に同期デビューした長山洋子と話していた場面が何度か放送されていた。 同時期にトップアイドルとなっていた南野陽子とは1985年にニッポン放送『青春ファンタジア 菊池桃子 あなたと星の上で』のラジオドラマで共演している(南野陽子はデビュー直後だった)。歌番組では何度か共演していたが、2013年5月4日放送のNHKラジオ第1放送『菊池桃子、南野陽子のキラキラウーマン白書』で二人そろって共演している。以後も2014年放送の関西テレビ・フジテレビ制作『SMAP×SMAP』、2020年放送の東海テレビ制作『おてらツアーズ3』などで共演している。 2016年8月7日放送のフジテレビ系『ボクらの時代』で、ドラマ共演経験のある鈴木保奈美が『自分の子供に「桃ちゃんって、今のAKBの何百人分をひとりでやってた」って説明して。』と菊池のアイドル時代を振り返っていた。 1987年5月号の雑誌『BOMB』(学習研究社)では松竹映画『アイドルを探せ』で共演した伊藤かずえが『こんな可愛くてこんな性格のいいコがいるわけない。絶対ウラがあるって思ったんだけど。ホントにいいコなんでビックリしちゃった』と述べている。 『日本レコード大賞』『日本歌謡大賞』などの賞レースに出演する機会は少なかったが、1987年放送のフジテレビ系『FNS歌謡祭』で作詞賞を受賞した売野雅勇が作詞した『ガラスの草原』を歌唱していた。 別冊宝島の調査によると、1980年代の年間ベスト50位以内ランクイン曲数は5曲と、当時の女性アイドルでは中森明菜、松田聖子、小泉今日子、中山美穂、南野陽子、工藤静香に次ぐ7位であった。 2023年3月8日発売の『80年代アイドル総選挙!ザ☆ベスト100』(株式会社ヘリテージ発行)で8位にランクインしている。 シティ・ポップブームで楽曲が再評価されている。ミュージック・マガジン社が発行している『レコード・コレクターズ』2020年7月号『1980-1989 シティ・ポップの名曲ベスト100』で1987年にシングルリリースされた『ガラスの草原』が69位にランクインしている。100位内でアイドル歌手の曲がランクインしているのは、松田聖子『マイアミ午前5時』(35位)『風立ちぬ』(89位)・薬師丸ひろ子『探偵物語』(80位)・『ガラスの草原』の計4曲。 アイドル時代に全曲作曲していた林哲司とは2022年、1987年以来35年ぶりに再開した。以後、ライブにゲスト出演する機会が多くなっている。 ヒット曲が多数あるが『NHK紅白歌合戦』の出場は、2023年現在一度もない(1980年代後半当時同じく人気アイドル歌手だった南野陽子・浅香唯なども同様)。NHK総合テレビの音楽番組は『レッツゴーヤング』『ヤングスタジオ101』『SONGS』『うたコン』など多数出演している。 ディスコグラフィデビューシングル『青春のいじわる』から『ガラスの草原』までバップからリリース(1988年に菊池がボーカルを務めたラ・ムーの楽曲もバップからリリースされている)。『卒業-GRADUATION-』から『アイドルを探せ』まではオリコン週間1位を獲得。『青春ラブレター 〜30th Celebration Best〜』はERJ(旧 EPIC・ソニー)レーベルから。 シングル青春のいじわる(1984年4月21日) SUMMER EYES(1984年7月10日) 雪にかいたLOVE LETTER(1984年11月1日) 卒業-GRADUATION-(1985年2月27日) BOYのテーマ(1985年5月15日) もう逢えないかもしれない(1985年9月26日) Broken Sunset(1986年2月13日) 夏色片想い(1986年5月14日) Say Yes!(1986年9月3日) アイドルを探せ(1987年3月25日) Nile in Blue(1987年7月29日) ガラスの草原(1987年10月8日) EPEtarnal Harmony(2024年4月17日) アルバム
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