もしもし情報局 > 1950年 > 4月29日 > 政治家

谷藤裕明の情報 (たにふじひろあき)
芸能人・有名人Wiki検索(誕生日、出身地)

【9月29日】今日誕生日の芸能人・有名人

谷藤裕明の情報(たにふじひろあき) 政治家 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]

  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア
もしもしロボ

谷藤 裕明さんについて調べます

■名前・氏名
谷藤 裕明
(読み:たにふじ ひろあき)
■職業
政治家
■谷藤裕明の誕生日・生年月日
1950年4月29日 (年齢74歳)
寅年(とら年)、牡牛座(おうし座)
■出身地・都道府県
岩手出身

(昭和25年)1950年生まれの人の年齢早見表

谷藤裕明と同じ1950年生まれの有名人・芸能人

谷藤裕明と同じ4月29日生まれの有名人・芸能人

谷藤裕明と同じ出身地岩手県生まれの有名人・芸能人


谷藤裕明と関係のある人

桑島博: 2003年の市長選では3選を目指したが、元岩手県議会議長の谷藤裕明に敗れた。


甲斐谷望: 輝け!ひと・まち・未来〜谷藤裕明 盛岡市長に聞く〜(司会、2015年9月22日放送)


増田寛也: 岩手県議会議長だった盛岡市長谷藤裕明と親しい。


谷藤裕明の情報まとめ

もしもしロボ

谷藤 裕明(たにふじ ひろあき)さんの誕生日は1950年4月29日です。岩手出身の政治家のようです。

もしもしロボ

卒業に関する情報もありますね。去年の情報もありました。谷藤裕明の現在の年齢は74歳のようです。

谷藤裕明のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)

谷藤 裕明(たにふじ ひろあき、1950年(昭和25年)4月29日 - )は、日本の政治家、実業家。元盛岡市長(5期)。盛岡市出身。岩手県議会議長、岩手県議会議員(3期)を務めた。

岩手県盛岡市生まれ。盛岡市立厨川小学校、盛岡市立城西中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、早稲田大学教育学部卒業。大学卒業後、盛岡市に本社を置く株式会社橋市の役員を経て、1991年に岩手県議会議員選挙に盛岡市選挙区から出馬し、初当選を果たした。以後3期連続当選。岩手県議時代は自由民主党系の会派(自由民主クラブ)に所属した。2001年、岩手県議会議長に就任。2003年の岩手県議会議員選挙では、同年8月の盛岡市長選挙への出馬を見越し、4選出馬を見送った。市長選出馬に伴い、自民党籍を離脱。

2003年8月、無所属(公明党推薦)で盛岡市長選挙に出馬。民主・社民2党が推薦する現職の桑島博盛岡市長、市民派市長をつくる盛岡市民の会及び日本共産党が勝手連的に支援した作家の斎藤純、会社役員の芦名鉄雄を破り、当選した。立候補者4人による争いは、戦後の盛岡市長選では最多であった。なお、谷藤が県議時代に所属していた自民党や小沢一郎が党首を務めていた自由党は、支持する候補を一本化できず(桑島、谷藤で支持が割れた)、特定の候補を支援するには至らなかった。谷藤は公明党の推薦に加え、盛岡市議会の有志議員による「発進会」の支援も取り付け、桑島市長が獲得した39,473票を約6千票上回る47,432票を獲得し、辛勝した。なお投票率は53.67%であった。

2007年の盛岡市長選では、国政政党各党が目前に迫った第21回参議院議員通常選挙や、達増拓也の岩手県知事選挙出馬に伴う衆議院岩手県第1区補欠選挙への対応を優先させたため、対立候補は前回も立候補した会社役員の芦名鉄雄のみで、選挙戦は盛り上がらず、戦後最低の投票率(30.94%)を記録。谷藤は57,700票を獲得し、芦名の12,674票を大きく上回って再選を果たした。

2011年の盛岡市長選では、同年3月11日に発生した東日本大震災の影響により、同日選挙になった盛岡市議会議員選挙への対応を優先させるため、日本共産党が候補者の擁立を断念したため、現職の谷藤以外に立候補の届出がなく、谷藤は無投票で3選を果たした。盛岡市長が無投票で選出されたのは60年ぶりであった。

2015年の盛岡市長選では、前回と同じ市議選と同時選挙となり、候補者は現職の谷藤の他民主・社民2党が推薦する新人で会社社長の内舘茂が立候補し2人となり、8年ぶりの投票となった。選挙の結果、谷藤が68,583票、内舘は51,930票で谷藤が4選を果たした。投票率は51.45%だった。

2019年の盛岡市長選で内舘らを破り5選。

2023年の盛岡市長選では、3回連続の挑戦となる内舘が65,704票に対し谷藤は48,022票で、谷藤は落選した。

盛岡市長就任後、人口30万人以上が条件である中核市への移行を目指し、市町村合併を推進。2006年、盛岡市・旧玉山村(人口約13,000人)が合併し、これによって盛岡市の人口が30万人を上回ったため、2008年4月1日をもって中核市に移行した。中核市に移行した後、盛岡市保健所を開設。

盛岡市の中核市移行後も、谷藤は周辺の市町村(岩手郡滝沢村・雫石町・紫波町・矢巾町)に対して合併を呼びかけ、盛岡市を人口50万人規模の都市にする「50万人都市構想」を提唱している。この谷藤の意向を受けて、岩手県が示した「市町村合併モデルプラン」にも「50万人都市構想」が盛り込まれ、増田寛也元岩手県知事からも「奨励」を取り付けている。しかし、盛岡市の呼びかけに対し周辺の自治体は必ずしも呼応しておらず、岩手日報が実施した世論調査では、盛岡市への合併が検討される市町村の中では最多の人口を有する滝沢村の住民の6割が合併に賛成しておらず、他の自治体もおおむね合併に対して消極的な姿勢を崩していない。

谷藤は盛岡市長選出馬に際して、危機的な状況に陥っていた盛岡市の財政を再建するため、財源不足の解消、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化、新規の市債発行額の予算総額の8%以内への抑制、外部監査の導入、市長の退職金の半額カット、職員数及び給与の削減を掲げた。このうち、財政規律に関する選挙公約は概して遵守されており、盛岡市の市債発行残高は谷藤市長就任の翌年(2004年)以降、減少を続けている(地方交付税交付金による臨時財政対策費等は除外)。2007年10月には、計画されていた盛岡市役所の移転計画を財政再建を理由に白紙撤回した。盛岡市役所の盛南地区への移転計画は桑島前市長の時代から検討されていたもので、盛岡市は以前から盛南地区の開発を進めており、旧都南村が盛岡市へ合併する際も市役所の移転を条件に合併に合意していた。また、盛岡市内丸の市庁舎は震度6強の地震が倒壊する危険性が高く、防災面からも新庁舎建設が検討されていたが、谷藤は新庁舎を建設する土地の取得に必要な高額の財政負担や、市庁舎は簡易な耐震補強工事を施せば引き続き使用が可能である事情を考慮し、市庁舎移転計画の白紙撤回を決定。この決定に対しては、旧都南村地区選出の市議らの間からは合併の際の条件を反故にした谷藤市長に対し、批判の声が上がった。

盛岡市の特産をはじめ、モノのブランドに限らず市民の暮らしや地場産業、文化等全てを総合した「盛岡らしさ」をブランド化し、日本全国へ発信。盛岡市への定住の促進や、地場産業の振興を目指している。この一環で、2006年には岩手公園(旧盛岡城)の愛称を「盛岡城跡公園」に設定。これは、盛岡市が城下町であったにもかかわらずそれが全国的に知られていなかったためであった。盛岡市内の交通標識も順次、改称が進められている。ただし岩手公園の名称は明治維新以降一貫して引き継がれてきたものであり、名称変更に反対する声も地元紙・岩手日報で紹介された。

かつては高い収益を誇っており、「地方競馬の優等生」の異名を取っていた、盛岡市も参加する岩手県競馬組合は、1999年以降は事業不振に苦しむようになり、赤字を計上し続けていた。2007年、同組合の経営の行き詰まりが表面化し、組合の構成団体である岩手県・盛岡市・奥州市が競馬組合に融資を実施し、当面の救済を図る計画が持ち上がった。しかし、この融資に際して競馬そのものの存続をめぐって議論が巻き起こり、岩手県議会においても岩手県競馬組合への融資案が一度は否決され、大きな混乱が生じた。谷藤は、岩手県議会での融資案の採決に先立ち、盛岡市議会に岩手県競馬組合への融資案を提出して可決させ、競馬組合の存続を支持する考えを強調した。結局、融資案を一度は否決した岩手県議会もその後は一転して同案を可決し、競馬事業は存続された。

2020年5月22日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身を含めた特別職6人の期末手当を減額する条例案を市議会臨時会に提出した。谷藤の減額率は最大の20%。同日、同条例案は賛成多数で可決された。

増田寛也 - 谷藤が岩手県議会議長を務めていた当時の岩手県知事で、親交がある。

^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、27頁。

^ 盛岡タイムス2007年5月19日朝刊 ‐ 盛岡タイムス社

^ 盛岡市選挙管理委員会サイト - 盛岡市選挙管理委員会、2008年11月23日確認。

^ 〈盛岡市長選〉谷藤氏ただいま独走中 - 盛岡タイムス電子版、2008年11月23日確認。

^ 盛岡市選挙管理員会サイト - 盛岡市選挙管理委員会、2008年11月23日確認。

^ “選挙:盛岡市長選 共産が候補擁立見送る 現職、無投票3選も /岩手”. 毎日新聞. (2011年8月18日). http://mainichi.jp/area/iwate/news/20110818ddlk03010015000c.html 2011年8月21日閲覧。 

^ “盛岡市長選60年ぶり無投票、谷藤氏3選”. 読売新聞. (2011年8月21日). https://web.archive.org/web/20111229191656/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20110821-OYT1T00403.htm 2011-08-閲覧。 

^ “盛岡市長選、谷藤氏が4選 野党系新人を破る”. 産経新聞. (2015年8月23日). https://www.sankei.com/article/20150823-MXVH2L5HU5MNVDC52TT7MIJ6QQ/ 2015-08-閲覧。 

^ “盛岡市長選、現職・谷藤裕明氏が5選決める”. 読売新聞. (2019年8月25日). https://www.yomiuri.co.jp/election/local/20190825-OYT1T50274/ 2023年8月13日閲覧。 

^ “盛岡市長選、新人の内舘茂氏が初当選…3回連続で挑戦し5期20年の現職破る”. 読売新聞. (2023年8月13日). https://www.yomiuri.co.jp/election/20230813-OYT1T50200/ 2023年8月13日閲覧。 

^ “盛岡市長に内舘氏初当選 3度目挑戦、現職6選阻む”. 産経新聞. (2023年8月13日). https://www.sankei.com/article/20230813-CLYLWWKTTJJWZAPO3PUPHGO3LY/ 2023年8月13日閲覧。 

^ ウェブもりおか:市長記者会見 - 盛岡市役所、2008年11月23日確認。

^ 盛岡市はさらに合併を 増田知事が会見で奨励 - 盛岡タイムス電子版、2008年11月23日確認。

^ 岩手日報2008年3月1日付朝刊 - 岩手日報社

^ 広報もりおかオンライン - 盛岡市役所、2008年11月23日確認。

^ 盛南開発の行政施設用地取得断念 盛岡市が機構側へ回答へ - 盛岡タイムス電子版、2008年11月23日確認。

^ 岩手日報2008年3月27日付朝刊 - 岩手日報社

^ 合併時の合意尊重を 都南地区市議7人が申し入れへ - 盛岡タイムス電子版、2008年11月24日確認。

^ 愛称は「盛岡城跡公園」か「盛岡お城跡公園」か - 盛岡タイムス電子版、2008年11月23日確認。

^ 政治に翻弄される、「地方競馬の優等生」 - 2008年11月24日確認。

^ “新型コロナ 盛岡市長らの期末手当削減 条例改正案可決 /岩手”. 毎日新聞. (2020年5月24日). https://mainichi.jp/articles/20200524/ddl/k03/040/096000c 2020年5月29日閲覧。 

盛岡市長

盛岡市役所

盛岡市

岩手県議会

谷藤ひろあき後援会ホームページ

谷藤裕明 (h.tanifuji) - Facebook

盛岡市公式ウェブサイト

上田農夫

中村栄儒

谷河尚忠

平田箴

舟野弥七郎

工藤啓蔵

中沢種徳

阿部豊年

宮杜孝一

泉田健吉

藤原理八

大矢馬太郎

長内庄七

高橋国治

大矢馬太郎

関口松太郎

佐々木保五郎

高橋栄次郎

村上徳一郎

高橋寛城

村上順平

中野吉郎

内村一三

橋本八百二

金子太右衛門

山崎権三

千葉一

高橋清孝

藤原哲夫

田代三郎

舘石基治

高橋清孝

藤根順衛

菅三郎

川口善弥

菊池正

佐々木俊夫

堀口治五右衛門

那須川健一

山内隆文

谷藤裕明

藤原良信

伊藤勢至

渡辺幸貫

佐々木一榮

佐々木博

千葉伝

田村誠

佐々木順一

関根敏伸

五日市王

工藤大輔

目時敬之1889.5-1894.3

清岡等1894.3-1901.10

関定孝1901.10-1906.5

北田親氏1906.5-1907.11

大矢馬太郎1907.11-1910.8

北田親氏1910.12-1928.12

堀合由巳1929.1-1929.3

中村謙蔵1929.5-1934.6

大矢馬太郎1934.6-1939.7

見坊田鶴雄1939.9-1943.9

二見直三1943.9-1946.10

小泉多三郎1947.4-1952.6

二見直三1952.7-1953.12

山本弥之助1954.2-1965.1

吉岡誠1965.2-1969.2

工藤巌1969.2-1979.8

太田大三1979.9-1995.9

桑島博1995.9-2003.9.1

谷藤裕明2003.9.2-2023.9.1

内舘茂2023.9.2-

盛岡市長

岩手県議会議員

自由民主党の人物

20世紀日本の実業家

早稲田大学出身の人物

岩手県立盛岡第一高等学校出身の人物

岩手県出身の人物

1950年生

存命人物

プロジェクト人物伝項目

2024/09/25 05:24更新

tanifuji hiroaki



TOPニュース

Hey! Say! JUMPの有岡大貴松岡茉優が結婚を発表

令和6年6月6日に66歳になった人は?

藤原さくら、ライブ活動休止を発表

サッカー日本代表の堂安律が一般女性と結婚を発表

NHK大河ドラマ「光る君へ」で松下洸平がペラペラの宋語で話題に

King&Prince永瀬廉が右耳負傷の為一時活動休止を発表

いくよくるよの今くるよさん、膵がんの為死去

立憲民主党の蓮舫氏が東京都知事選に出馬

平野紫耀神宮寺勇太岸優太の3人ダンスボーカルグループのNumber_iから新曲「BON」のMV公開。

結婚・離婚・再婚・年の差婚まとめ

元宝塚トップスターの光原エミカが1000万円詐取の疑いで逮捕

超有名女優と結婚した人気歌手が不倫の噂

藤原さくらYouTubeで新曲公開!『初恋のにおい』ショートアニメ

「つばさの党」代表の黒川敦彦ら3人を逮捕


谷藤裕明と近い名前の人

谷藤 リョーコ(たにふじ りょーこ)
1977年3月22日生まれの有名人 京都出身

谷藤 リョーコ(たにふじ リョーコ、1977年3月22日 - )は、近畿地方を拠点に活動している日本のタレント。主にリポーター、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優として活動している。 京都府生ま…

谷藤 太(たにふじ ふとし)
1968年2月2日生まれの有名人 京都出身

2月2日生まれwiki情報なし(2024/09/26 05:11時点)

大谷 藤郎(おおたに ふじお)
1924年3月27日生まれの有名人 滋賀出身

大谷 藤郎(おおたに ふじお、1924年3月27日 - 2010年12月7日)は、日本の厚生官僚(テクノクラート)。元厚生省医務局長。大学教授。精神障害者やハンセン病患者の人権保護・待遇改善に積極的に…

梅ヶ谷 藤太郎 〈2代目〉(うめがたに とうたろう)
1878年3月11日生まれの有名人 富山出身

3月11日生まれwiki情報なし(2024/09/28 16:40時点)

梅ヶ谷 藤太郎 〈初代〉(うめがたに とうたろう)
1845年3月16日生まれの有名人 福岡出身

3月16日生まれwiki情報なし(2024/09/28 16:39時点)

大谷 藤子(おおたに ふじこ)
1903年11月3日生まれの有名人 埼玉出身

大谷 藤子(おおたに ふじこ、1901年11月3日 - 1977年11月1日)は日本の小説家。埼玉県秩父郡両神村(現小鹿野町)に生まれる。三田高等女学校を卒業したのち、東洋大学聴講生となるが、結婚のた…

谷藤 満(たにふじ みつる)
1974年10月17日生まれの有名人 出身

谷藤 満(たにふじ みつる、1974年10月17日 - )は、日本の漫画家。 秋田県秋田市生まれ(北海道紋別郡雄武町育ち)。北海道興部高等学校卒業、道都大学美術学部中退。2005年、月刊アフタヌーン…

注目の芸能人・有名人【ランキング】
話題のアホネイター
谷藤裕明
  • Google+でシェア
  • はてなブックマークに追加
  • LINEでシェア

最近追加された芸能人・有名人

松島かのん 澤繁実 小野寺紘毅 桜井誠_(活動家) 安野貴博 ジャンボ松田 後藤輝樹 石丸幸人 暇空茜 りんごちゃん_(ものまねタレント)

グループ

asfi palet ALLOVER アイドルカレッジ 

▲ページトップに戻る

この記事は、クリエイティブ・コモンズ・表示・継承ライセンス3.0のもとで公表されたウィキペディアの項目「谷藤裕明」を素材として二次利用しています。

twitterはじめました