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ピョートル=クロポトキン: 『ロシア文学の理想と現実』 高杉一郎訳、岩波文庫 上下、1984-85年 ピョートル=クロポトキン: 『ある革命家の手記』各・上下、高杉一郎訳、岩波文庫、1979年/平凡社ライブラリー、2011年 宮本顕治: なお、宮本は百合子の死去後、百合子の秘書だった大森寿恵子(評論家・翻訳家の高杉一郎の義妹)と再婚している。 |
高杉一郎
高杉 一郎(たかすぎ いちろう)さんの誕生日は1908年7月17日です。静岡出身の作家、翻訳家のようです。
人物、著書などについてまとめました。卒業、家族に関する情報もありますね。亡くなられているようです。
高杉 一郎(たかすぎ いちろう、1908年7月17日 - 2008年1月9日)は、日本の評論家・小説家・翻訳家・エスペランティスト。和光大学名誉教授。本名は小川 五郎(おがわ ごろう)で、大学教授としてはこの名前で教えた。 静岡県生まれ。東京文理科大学教育学科中退。 1933年より改造社に勤務、雑誌『文藝』編集主任ののち、1942年東京文理科大学英文科卒業。1944年徴兵され、ハルピンで敗戦を迎え、シベリア抑留を体験。 1949年復員。帰国後書いた抑留体験記『極光のかげに』『人間』(1950年8-12月)が第24回芥川龍之介賞候補にあがり、ベストセラーとなる。 1950年静岡大学教育学部講師、1957年同文理学部助教授、1965年教授、1967 - 1972年評議員、1972年定年退官。 同年常葉女子短期大学教授。1973年和光大学教授。1989年退職。 1980年、古田拡らとの共著『源氏物語の英訳の研究』で毎日出版文化賞受賞。 2008年、99歳で死去。没する直前にETV特集のインタビューに出演し、改造社編集者時代を長女の介添で語っている。 没後に、太田哲男著『若き高杉一郎 改造社の時代』(未來社)が出版された。 人物ロシアの詩人・ワシリー・エロシェンコのエスペラントからの翻訳や紹介、アグネス・スメドレーの英語からの翻訳や紹介、フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』などの英語およびロシア語の児童文学の翻訳でも有名である。 長女はロシア文学者で大阪外国語大学教授を務めた田中泰子、次女はロシア文学者佐野朝子。三女は文教大学教授で、絵本研究家中川素子。義妹(妻の妹)の大森寿恵子は宮本顕治夫人。 孫の田中友子(翻訳家)は、日中戦争さなかの次のようなエピソードを記している。1930年 代末期、 関東軍の大佐だった妻順子の兄から満州への移住を打診される。迷った高杉は「家族ぐるみの付き合いをしていた」作家の宮本百合子に相談をした。「そして、結局、義理の兄に断りの電話を入れることになる」。百合子はこの時の高杉夫妻をモデルにして短編『杉垣』を執筆していると。 著書『極光のかげに』(目黒書店) 1950、新潮文庫 1951、冨山房百科文庫 1977、岩波文庫 1991 『盲目の詩人エロシェンコ』(新潮社) 1956 『英米児童文学』(編著、中教出版) 1977 『中国の緑の星 長谷川テル反戦の生涯』(朝日選書) 1980 『ザメンホフの家族たち あるエスペランティストの精神史』(田畑書店) 1981 『夜明け前の歌 盲目詩人エロシェンコの生涯』(岩波書店) 1982 『大地の娘 アグネス・スメドレーの生涯』(岩波書店) 1988 『スターリン体験』(岩波書店、同時代ライブラリー) 1990、改題改訂『わたしのスターリン体験』岩波現代文庫 2008 『シベリアに眠る日本人』(岩波書店、同時代ライブラリー) 1992 『征きて還りし兵の記憶』(岩波書店) 1996、岩波現代文庫 2002 『ひとすじのみどりの小径 エロシェンコを訪ねる旅』(リベーロイ社) 1997 『あたたかい人』(太田哲男編、みすず書房) 2009 - 遺文集 2024/05/17 20:10更新
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takasugi ichirou
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