鷲津名都江の情報 (わしづなつえ) 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、出身地]
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鷲津名都江
鷲津 名都江(わしづ なつえ)さんの誕生日は1948年1月20日です。愛知出身の声優、児童文学者のようです。
エピソードなどについてまとめました。卒業、テレビ、現在、ドラマ、子役、映画、結婚に関する情報もありますね。鷲津名都江の現在の年齢は76歳のようです。
鷲津 名都江(わしづ なつえ、1948年1月20日 - )は、日本のイギリス文学者、児童文学研究者、翻訳家で、元目白大学外国語学部および目白大学大学院言語文化学科教授。童謡歌手・女優・声優として小鳩 くるみ(こばと くるみ)、タレント・翻訳家としてわしづなつえの名義でも活動している。作家・永井荷風の大叔父である鷲津蓉裳の曾孫に当たる。 愛知県一宮市出身。渋谷区立代々木小学校、渋谷区立外苑中学校、東京都立青山高等学校を経て、青山学院大学文学部英米文学科(1970年3月)・教育学科(1980年3月)卒業、青山学院大学大学院教育学研究科修了(1982年3月)。ロンドン大学大学院修士課程修了(M.A.)。 3歳の時、NHK名古屋放送局主催の歌唱コンテスト「声くらべ腕くらべ子供音楽会」に飛び入りで出場、47人の参加者の中から唯一の合格者となる。童謡歌手として本格的なレッスンを受けるように勧められ、上京しくるみ芸術学園へ入学、くるみ芸術学園が芸名・小鳩くるみの由来になった。1952年10月に、日劇の「秋の踊り」で歌手・小鳩くるみとして4歳で日劇最年少デビューを果たす。愛らしい容姿、明朗な歌声で人気となり、同年12月から『ちえのわクラブ』(ラジオ東京)に童謡歌手として、またこの番組がテレビ開局に合わせてラジオ東京テレビに移行すると同時に司会者となり、1968年3月に終了するまで16年間レギュラー出演した。1953年5月に、ビクターの専属となり、音楽活動をストップしている現在も専属継続中で、2013年に専属50周年を迎えた。 小学生時代の1955年から1961年まで雑誌『なかよし』のカバーガールを担当したり、女優としてテレビドラマ『どんぐり日記』シリーズ(日本テレビ)、国産初のテレビドラマ『ぽんぽこ物語』(ラジオ東京テレビ)に出演したりするなど、天才子役ともなる。高校生時代の1964年から1966年まで『ドレミファ船長』(NHK教育)のお姉さんが初のレギュラー番組となり、『ドレミファ船長』後継番組の『なかよしリズム』では大学進学後の1966年から1972年まで初代お姉さんとして出演。1972年4月から1974年3月まで『おかあさんといっしょ』(NHK総合)にうたのおねえさんとして出演し、10年間NHKテレビの歌のお姉さんとしてレギュラー出演した。本名を平仮名にした「わしづなつえ」名義で、前述の『なかよしリズム』の初代お姉さんの他に、ワイドショー番組『アフタヌーンショー』(テレビ朝日)の司会を務めたこともある。またアニメ『アタックNo.1』(フジテレビ)のヒロイン・鮎原こずえ、ディズニー映画『白雪姫』の主役・白雪姫の声などを担当していた。声優としては同人舎プロダクションに所属していた。 1976年から1986年まで『お達者ですか』『お達者くらぶ』(NHK教育)(日本初の高齢者向け番組)の司会者として通算10年間出演。1985年4月、目白学園短期大学(現・目白大学短期大学部)非常勤講師(英文科)に就任。『お達者くらぶ』が11年目の番組改編により、4歳でデビュー以来初めてレギュラー番組が切れるのを機にイギリス留学を決意。1986年に、目白学園短期大学(現・目白大学短期大学部)助教授(英文科)に就任してイギリス古来の童謡・マザーグースの研究を進め、1986年9月から1990年にはイギリスに研究留学を行った。 帰国後に一般男性と結婚した後、芸能活動を再開することはなく、教育・研究活動に専念するが、過去の出演作の再演で声優活動をする事はある。2004年12月から2005年1月放送『NHK人間講座』(NHK教育)で、毎週月曜日にマザーグースの研究成果を紹介する講義『ようこそ!マザーグースの世界へ』を担当、久しぶりのテレビへの復帰となった。 2018年3月、目白大学を定年退職した。 1978年、第17回久留島武彦文化賞受賞。1983年、第13回日本童謡賞特別賞受賞。 エピソードディズニー映画『白雪姫』の主役・白雪姫は1980年から担当しており、吹き替えにあたってウォルト・ディズニー・カンパニーが「台詞と歌唱を1つの人物に依頼したい」というこだわりを持っていて、鷲津(小鳩くるみ)のクラシックではない歌い方、幼さが残る歌声が魅力的だったことから白雪姫の吹き替えに起用された。2015年現在は、小鳩くるみ名義の活動は白雪姫を担当する場合のみ行っている。 1985年5月に行われた『こどもの国20周年式典』では、参加者で『こどもの国の歌』を歌う際、司会を務めていた鷲津が、臨席していた上皇・上皇后(当時の皇太子・皇太子妃)夫妻にマイクを差し出すと、夫妻は歌をマイク越しに口ずさんだ。鷲津は「全くの予想外でございました。『こどもの国の歌』を、(夫妻に)歌唱指導してくださいというお話を、突如、当日に伺いまして。歌唱指導でしたら、(当時の)皇太子殿下にもマイクを向けてもよろしいのでしょうかと、本当に軽い気持ちでマイクを向けてしまいまして」と語った。当時の反応について、鷲津は「(夫妻の)歌声は、一度も電波に乗ったことがないというお話を聞きまして、私は本当に大変なことをしてしまいましたかしらと思って、固くなっておりましたけれど。あちらこちらから、皇室の皆さまのお歌も聞こえて、身近に感じられて。『いいシャッターチャンスをありがとうございました』なんて、お礼のお手紙をいただいたり、かえって恐縮しています」と語った。実際には前日に夫妻主催のパーティーに参加して、鷲津はその場で夫妻の演奏で『荒城の月』を歌っており、「それが無ければこういう風にはなっていないのでは」とも語っている。 2024/05/22 00:27更新
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washidu natsue
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