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■名前・氏名
曽野 綾子
(その あやこ)
■職業
作家
■曽野綾子の誕生日・生年月日
1931年9月17日
■出身地・都道府県
東京出身

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曽野綾子

活動・主張

沖縄戦における集団自決強要の渡嘉敷島での真偽を調査したノンフィクション『ある神話の背景』や小中高校生への奉仕活動を打ち出した「日本人へ」(教育改革国民会議第一分科会報告書)などでは論争を巻き起こした。特に『ある神話の背景』では、集団自決の軍命があったとする『鉄の暴風』や大江健三郎の『沖縄ノート』等が現地取材もせず間違った記述が多いと主張(軍命をしたとされてきた本人は曽野の原稿の雑誌連載の数年前ほどから命令説を否定し出していた)した。この著書を一つの証拠資料として、2005年8月に軍命をしたとされてきた梅澤裕と赤松大尉の遺族が、大江健三郎と岩波書店に名誉毀損と賠償・出版差し止めを求める裁判(「集団自決」訴訟)を起こした。2007年の教科書検定で文部科学省は、高校歴史教科書の検定において、これまで事実とされてきたことが裁判係争中であることを理由の一つとして、日本軍の強制記述を削除する検定意見を付けて削除させた。2007年9月これを受けて「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が沖縄県宜野湾海浜公園で開かれ、11万人が参加。同年12月文部科学相の諮問機関「教科用図書検定調査審議会」は、訂正申請をした教科書会社に対し「軍の関与」などの表現で、日本軍が住民の集団自決にかかわっていたとする記述の復活を認めた。裁判は、2008年3月第一審は「集団自決に日本軍が深く関わった」と判断して大江・岩波側の勝訴した(曽野の著作は「客観的な根拠を示して赤松大尉命令説を覆すものとも、渡嘉敷島の集団自決に関して軍の関与を否定するものともいえない」と判示された)。その後二審も原告側控訴を棄却。2011年、最高裁は原告側の上告を退け大江・岩波側の勝訴が確定した。

『ある神話の背景』については1985年に『鉄の暴風』の著者太田良博より反論があった。太田の主な主張は、曽野は自決命令があったことを自身の手記に書いている金城重明に取材していない、責任者と見られる赤松の主張に不自然な点が多々ありながらそれらを問題にしていない、朝鮮人徴用工の扱いについて曽野がこれを書けば大変なことになると言うのを太田が聞いた(つまり、それが実際に書かれていない以上、曽野は不都合なことは伏せていると思われる)といったものであった。曽野は、太田に対して「こういう(『鉄の暴風』のような)書き方は歴史ではない。神話でないというなら、講談である」「太田氏という人は分裂症なのだろうか」と返した。

上記太田良博の『鉄の暴風』では赤松が住民自決の要を主張したとされる"地下壕"における夜の会議について、曽野の『ある神話の背景』では赤松らの壕濠りについて延々と書いた後で「しかし、鉄の暴風はその夜のことを決してそのように伝えていない。それどころか、全く別の光景が描かれている」と紹介し、さしたる根拠も示さず、壕濠りしていた以上会議はなかった筈と印象付けるかのような書き方になっている。また続けて、上記会議で『鉄の暴風』では赤松の島民自決の主張を聞いて悲憤したとされる赤松副官の知念元少尉に会った時の話として、地下壕の存在について知念に質問し、当時地下壕はなかったという回答を得て、肝腎の赤松の自決主張の有無については知念に質問したのかどうかは完全にうやむやに、「地下壕はなかった。だから、『鉄の暴風』の内容はそのまま信じられない。当の知念元少尉自身が承認しない」と、通常ならば壕を地下壕と書いてしまったかどうかであろうという問題を、さながら、壕が地下壕でなければ自決論自体がありえないかのような話にすり替えている。

山崎行太郎は、(1) 『SAPIO』2007年11月28日号の曽野の対談や『ある神話の背景』を見て、曽野が大江健三郎の『沖縄ノート』に記された、軍の責任なり、起こった事態の罪深さとしての「罪の巨塊」(物・概念) を「罪の巨魁」(人)と誤読しているとし、(2) 曽野が沖縄での取材で富山真順への取材が自分に不利なこととわかると、家永教科書裁判の法廷で「そういう人物は知らない」と嘘の証言までして、富山真順との接触を否定したとし、(3) 曽野の依拠する『陣中日誌』が渡嘉敷島にいた軍関係者の手によって一種の政治的な意図をもってまとめ直され1970年に発表された二次資料に過ぎないとし、(4) 『鉄の暴風』が新聞社の企画した「集団自決」の生き残りや目撃者達との座談会に出席した上で、彼等の体験談や目撃談を元に書き上げたもので、伝聞情報だけを元に記者たちが勝手に想像して書き上げものではない、などと自身のブログで主張した。しかし上記 (1) については、『SAPIO』2007年11月28日号にて曽野の対談相手であった上武大学大学院教授の池田信夫は、彼女は「キョカイ」と発音しており、それを「巨魁」と誤記したのは編集部なだけである、と曽野が誤読などしていないと主張し、「山崎行太郎という著書といえば自費出版しかないような自称評論家は対談もしたことがないのだろうか」と批判している。これに対し、山崎は、1984年以降に出された曽野の『ある神話の背景』においては全て「罪の巨魂」と表記されていることを示して、「池田信夫君、逃げないでね(笑)。君の日本語は大丈夫か?」と反論している。すなわち、『ある神話の背景』の初版では「罪の巨塊」と正しく記されているにもかかわらず、1984年の読売新聞社版以降の版では全て「罪の巨魂」と記されていることから、「曽野綾子は、初版本の段階から、というより沖縄集団自決問題に関心を持ち現地取材を開始する時点から、大江健三郎も指摘しているように、明らかに『巨塊』を『巨魁』と誤読し、誤解していたと思われる」と述べている。実際に、上記『SAPIO』2007年11月28日号では曽野は「人を罪のキョカイだと思ったことはない。罪のキョカイという人がいるのなら絶対見に行かなきゃいけないと思った」と述べており、また、この当時の産経新聞のオピニオン欄でも曽野は、私はこれまで罪のキョカイだと思える人物に会ったことがなかった、それほど悪い人がいるなら会っておきたいと思った、たとえは悪いが、サーカスの呼び込み屋が人魚がいるよと言うのを聞いて人魚を見に行くようなもの、と述べており、少なくともこの時点ではキョカイを(字としては、巨塊であろうが巨魂であろうが)明らかに巨魁という意味で曽野は使っていたと思われる。曽野の引用の元となった大江の文章は、別段、大江が個人そのものを罪の巨魁扱いしているわけではない事が理解できるような内容のものであったが、この記述も理由の一つとして、いわゆる保守派の後押しを受けた原告らによって大江と岩波書店は名誉棄損訴訟を起こされ、それに関連して曽野が2007年にこれらのインタビューや寄稿依頼を受けることになったものである。そのため、当時未だに曽野が内容を事実上巨魁として思い込んでいたらしき事に、曽野は問題が出てきても文章を読み返さなかったのだろうかと驚く声は多かった。

「沖縄は閉鎖社会」と発言。「学校教育の場では「日の丸」を掲揚し、「君が代」をきちんと歌わせる」べしと主張した(沖縄タイムス1985年4月8日 - 4月18日)。

慶良間列島の島々の名前を覚えにくいという人のためと「慶良間ケラケラ、阿嘉んべ、座間味やがれ、ま渡嘉敷」という戯れ歌を作った(諸君!1971年10月)。これは『ある神話の背景』の冒頭近くにそのまま載せられており、週刊新潮や地元マスコミの記事から赤松と一部地元住民の意見対立、先行の石田郁夫の渡嘉敷島訪問時のルポから住民間にも当時の評価について意見の違いがあること等を知った曽野が、大江健三郎、太田良博へのアンチテーゼとして作品をまとめるつもりで、初めから取材の方向性を決めていたのではないかと疑う声は強い。太田良博は、当時島にいた朝鮮人徴用工の扱いについて、これを書いたら大変なことになる(←赤松部隊から彼らが虐待と言えるような扱いを受けたことか?)と曽野が言うのを聞いたとしており、事実であれば、曽野は自身の書きたい結論にそぐわないことは無視して取りあげていないことになる。

家永教科書裁判三次訴訟では被告(国側)側の証人として証言し、沖縄戦の渡嘉敷島での「集団自決」についての見方を示した。証言は以下「彼ら(赤松隊)は好むと好まざるとに関わらず島を死守することになったが、それとても決して島民のためではなかった。村民はおそらく『小の虫』であって、日本の命運を守るために犠牲となる場合もある、と考えられていたに違いない」(出典:沖縄戦と教科書、安仁屋政昭他、2000年)

2016年11月 - 沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)移設工事反対派に対し、大阪府警の機動隊員が「土人」と発言したことについて、産経新聞において、「私は父のことを『東京土人』とか、『東京原住民』とかよく書いている。私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。『沖縄の土人』というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる」と書き、物議を醸す。

中学教科書において必修とされていた二次方程式の解の公式を、作家である自分が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」と発言したことを夫・三浦朱門が紹介している(この後、三浦朱門が教育課程審議会で削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなった)。数学者の岡部恒治は、西村和雄編『学力低下が国を滅ぼす』中でこれに異議を唱えている。また自身もゆとり教育の導入を決定した、中曽根政権における臨時教育審議会(臨教審)のメンバーを務めた。

2013年第二次安倍内閣における教育再生実行会議の第一次有識者メンバーに選任された。産経新聞の連載コラムに、「(体罰教師と橋下徹市長には)人を変えられるという思い込み」があると持論を展開したことで橋下徹市長の怒りを買い、twitterで「教育再生会議のメンバーを辞めるべきだ」「とっとと教育の場から去って欲しいね」「教育の現場では、その思い込みがないとやってられない。僕は教育者でないので人を変える役割ではない。しかし教育者にはその思い込みを持ってもらわなきゃ困る」などと反論された。

大型台風被害について、「一晩くらいの事で何でそんなに避難者を甘やかすのか。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠るのが当然。弁当なども配る必要はない。天気予報があるのだから、健常者は食糧寝具くらい持って早めに避難所に来るのが普通」とコラムで述べる。

新潟県中越地震について、「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」とコラムで述べた。

2011年、渡部昇一との対談で福島第一原子力発電所事故に言及し、東京電力に責任はなかったとしつつ、「放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。何も若者を危険にさらすことはない。私も行きますよ。もう運転免許は失効していますが、あそこは私有地だから無免許でも構わないでしょう(笑)」、「かえって元気になるかもしれません(笑)」と発言した。ただしその後、曽野が福島第一原子力発電所を訪問した事実はない。曽野はまた2014年に「被災者や高齢者といった"弱者"と呼ばれる人々の甘え、そしてその甘えを当然の権利と認めてしまう社会に不安を覚えます」とも発言した。

日本財団の会長時代に、ペルーでの小学校建設や不妊手術を伴う家族計画の保健所整備等の援助を通してアルベルト・フジモリ元大統領と交流を持つようになり、2000年の日本亡命時には宿を提供した。

1972年から2012年まで海外邦人宣教者活動援助後援会 (JOMAS) の代表として海外の聖職者たちのボランティア活動にも協力(『神さま、それをお望みですか―或る民間援助組織の25年』に詳しい)。

2013年8月 - 週刊現代への寄稿文『「私の違和感」 何でも会社のせいにする甘ったれた女子』が物議を醸す。

2015年7月 - 岩手県矢巾町の13歳の男子中学生がいじめを苦に自殺した問題で、「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまった」(『週刊ポスト』9月18日号)と持論を展開して問題となった。

2016年2月 - 90代の病人がドクターヘリによる救助を要請した話を発端として、「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」(『週刊ポスト』など一連の記事で「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」「ある年になったら人間は死ぬのだ、という教育を、日本では改めてすべき」などと主張した。

チリ・クーデターの際に、サルバドール・アジェンデは左翼にしか奉仕しない政治家だとしてアウグスト・ピノチェト将軍を首班とする独裁軍事政権を擁護した。

学生運動の評価をめぐって上野千鶴子と論争(1989年)。

クリスチャンの立場からか、靖国神社に代わる国立追悼施設建設に賛成している。個人としては靖国神社に参拝しており、2007年6月に李登輝が靖国神社に参拝した際、夫・三浦朱門と共に同行した。

政府の教育改革国民会議委員として、「バーチャル・リアリティはある面では悪であるとはっきり(言う)」「満18歳で、国民を奉仕役に動員すること」を主張。特に前者は、政府の公式サイトで「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」と要約されたため、話題になったが、「ある面」とは何を指すのか、当人も明言していない。

キリスト教徒(カトリック)の立場から人工妊娠中絶には反対の立場をとっている。「言い残された言葉」で赤ちゃんポストを「どうしても赤ちゃんを育てられない母親が、子供を安全に捨てるための制度であり、装置である」として支持している。

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