あした順子の情報(あしたじゅんこ) 漫才師 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
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あした順子と関係のある人
昭和のいる: さらにこいるは同じ馬風ファミリーで相方の療養という境遇であったあした順子としばしば組んで漫才で活動したこともあった(ひろしの死去により順子が事実上引退状態となったため、これ以降こいるは亡くなるまで漫談がメインとなっていた)。 昭和こいる: さらにこいるは同じ馬風ファミリーで相方の療養という境遇であったあした順子としばしば組んで漫才で活動したこともあった(ひろしの死去により順子が事実上引退状態となったため、これ以降こいるは亡くなるまで漫談がメインとなっていた)。 内海桂子: 2010年 あした順子・ひろしの順子とコンビとして活動開始。コンビ名はAKB48(A - あした順子、K - 内海桂子、B - ババア、48 - シワだらけ)。 内海桂子: 2011年(平成23年)8月7日に放送された『笑点』には、あした順子とコンビを組んで出演。 大野源一: 五人兄弟の長男であり、末弟は漫才師のあした順子・ひろしのひろしである。 あしたひろし: 2016年12月7日に放送されたマツコ&有吉の怒り新党のコーナー「記憶調査委員会」で『オチで相方を投げ飛ばすベテラン漫才師がいた』としてあした順子・ひろしが取り上げられ、首投げを決める当時の貴重な映像が披露された。 |
あした順子の情報まとめ
あした 順子(あした じゅんこ)さんの誕生日は1932年12月12日です。東京出身の漫才師のようです。
解散、結婚、離婚、引退、映画、病気、テレビ、ドラマに関する情報もありますね。2015年に亡くなられているようです。
あした順子のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)あした 順子・ひろし(あした じゅんこ・ひろし)は、かつて漫才協会・落語協会に所属していた男女漫才コンビ。 1960年結成。五代目柳家小さん一門、のちに五代目鈴々舎馬風一門(「馬風ファミリー」)へ移籍。昭和後期から平成にかけて体を張ったどつき漫才で人気を博し、2015年11月のあしたひろしの逝去により事実上の解散となった。出囃子は『啼くな小鳩よ』。二人は師匠と弟子のコンビであり、夫婦ではない。 あした 順子(あした じゅんこ、 (1932-12-12) 1932年12月12日(91歳) - )ツッコミ担当
両親は音曲漫才の市山寿太郎・小寿。父・寿太郎(河野晴雄)は当時珍しい大卒芸人で、英語が堪能だったという。日本舞踊市山流の名取、壮士芝居、講釈師を経て、妻とコンビを組んだ。 姉の一枝は大阪の上方柳次に嫁ぎ、のちに夫婦で漫才コンビを組んだ。いとこは歌舞伎役者の六世中村東蔵、日本舞踊家の藤間紫。 芸能一家に育ち、日本舞踊(市山松扇門下で市山扇寿を名乗る)やモダン・バレエの素養があったため、戦後間もなく、楽団専属ダンサーとして進駐軍のキャンプ回りで稼ぎ始める。その後1950年に一般人と結婚し娘1人をもうけたが、怠け者の夫に愛想を尽かせてすぐ離婚。松旭斎一門の奇術師(和妻師)「松旭斎純子」として再出発したところを、旧知のひろしに見出されコンビを組んだ。結成当時の芸名は南 順子(みなみ じゅんこ)。 2010年5月にひろしが膝を悪くして入院して以来、順子は一人で高座に上がったり、昭和こいるや内海桂子とコンビを組んで、漫才をしたりしていた。ひろしの死後、2017年4月30日付で落語協会を退会し事実上引退したが、漫才協会には同協会の監事ならびに「名誉会員」として籍を残している。 あした ひろし(1922年6月10日 - (2015-11-03) 2015年11月3日(93歳没))ボケ担当
兵役検査では、丙種合格に留まったため徴兵されなかった。大都映画の雑用係、『笑の王国』の端役、東海林太郎らの歌謡ショーの司会者を経て、順子とコンビを組む。結成当時の芸名は北 ひろし(きた ひろし)。 長兄は将棋棋士の大野源一で、大野によればひろしの将棋の腕前もプロ級とされる。なお、大野は1979年1月14日、踏切をくぐろうとしたところに列車にはねられ、帰らぬ人となっている。 2015年11月3日、老衰のため逝去した。93歳没。関係者によると、ひろしは2010年に浅草演芸ホールの5月上席に出演したのを最後に舞台から遠ざかり、その後体調を崩して入退院を繰り返していた。 1960年に南 順子・北 ひろし(みなみ じゅんこ・きた ひろし)の名で結成。最初は漫才ではなく、ひろしの司会で順子が手品をするマジック・コント主体だったが、覚えも要領も悪いひろしを、順子が舞台上で思わず叩いたのを見たリーガル天才・秀才に、どつき漫才への転向を勧められる。歌謡ショーやキャバレー、女子プロレスの前座などで稼ぐうち、ドサ回りで芸が荒れるのを自覚し、1965年の大須演芸場開場を期に高座に専念。 秋田實の後見を得て1960年代末から上方に移り、ミヤコ蝶々・南都雄二、京唄子・鳳啓助、中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケ、かしまし娘ら大看板の中で揉まれて芸を磨き、認められて「秋田」の屋号を許されたものの、畏れ多いと辞退して、一字違いの「あした」を名乗るようになった。 大阪万博終了後の1971年に拠点を東京に戻し、五代目柳家小さんの身内となり、落語協会に入会。1976年、漫才協会真打ちに昇進。ひろしが老境に差しかかった1990年代後半から猛然と売れ出す。弟子はいない。 2010年5月以降、ひろしの病気療養でコンビとしての活動は見られなくなり、2015年11月にひろしが逝去。その後、2017年4月に順子が落語協会を退会し、事実上の引退状態となっている。 漫才でふたりは夫婦のような役回りを演じた。恰幅のよい順子が亭主を尻に敷く猛妻のような貫禄を漂わせ、痩身のひろしは妻に頭が上がらぬ蚤の亭主のようにたたずんだ。順子が大声で一方的にまくし立てたりひろしを張り倒したりし、弱々しいひろしが狼狽する滑稽な構図は、幅広い世代から支持された。 時事を扱ったネタを得意にした。マイケル・ジャクソン死去時はひろしの「暗闇の歩き」のような珍妙なムーンウォークで演芸場内を沸かせた。テレビドラマ『アテンションプリーズ』が人気だった頃には「アテンション、ブー」で始まる航空ネタを展開し、パラパラ、マツケンサンバ、モーニング娘。、ヒロシ(ひろしが物真似をする)、羞恥心などもギャグに変えた。 芸歴を活かし、奇術やコントも披露した。 武田鉄矢・芦川よしみの『男と女のはしご酒』の替え歌を、ふたりが向き合ってジルバのステップで歌い踊るもの。 順子が「男は〜あなたひろしぃ〜」と歌うと、ひろしが「女は〜君さ順子ぉ〜」と返し、ふたりで「切なさが胸に来る……」と揃え、調子づいて順子に迫るひろしを、順子が「気持ちが悪いよ〜!」と叫んで突き飛ばす。 日本舞踊の名取である順子が、切れの良い所作を見せるのに対し、ひろしは順子の軽快な動きについていけず、戸惑うしぐさを見せる。 順子が『黒田節』を謡いつつなぎなた捌きを披露し、小道具を持ちながら前を横切るひろしを足蹴にするネタは、正月初席などで見せた。 女子プロレス興行の前座として巡業した際、現役レスラーから伝授され体得した技で、首投げよりむしろフライング・メイヤーと呼ぶのが正しい。体格の良い順子が痩躯のひろしを投げ飛ばし、柔道初段の心得のあるひろしが見事な受身を披露する定番ネタ。高齢となってからは披露されなくなった。 2016年12月7日に放送されたマツコ&有吉の怒り新党のコーナー「記憶調査委員会」で『オチで相方を投げ飛ばすベテラン漫才師がいた』としてあした順子・ひろしが取り上げられ、首投げを決める当時の貴重な映像が披露された。 順子が「おじいちゃん、おしっこに行きましょうね」とひろしの両手を繋ぐと、ひろしが「やだー!」と叫んで、順子がひろしを張り倒すという介護ネタ。 順子がひろしの頭を叩き、ひろしが「そんなに頭を叩くから薄くなるんだよ」と半泣きになる。すると順子が「そんなの心配しないでこれやるから!!」と怒って、自分の頭に付けてあったカチューシャをひろしの頭に載せ、そのまま深々と黙礼して高座を下りる。 踊り欄に記載の『黒田節』ネタを正月元旦「初詣ヒットパレード」で披露したが、小道具の盃の用意を忘れてしまい、舞台裏で順子に責められアタフタするひろしの様子がマイクONのまま音声で拾われてしまった。いつまでも舞台袖から出てこずにあ~だこ~だ言い合いしてる異変に気づいた司会の西川きよしと桂文枝(当時は三枝)がフォローしてなんとか事なきを得たという正月からヒヤヒヤもののエピソードがある。 初詣!爆笑ヒットパレード(フジテレビ) おはよう笑点(日本テレビ) 笑いがいちばん(NHK総合) 笑点(日本テレビ) 年忘れ漫才競演(NHK総合) いろもん(日本テレビ) たけしの誰でもピカソ(テレビ東京) めちゃ×2イケてるッ!(フジテレビ、2000年)コーナー「第3回笑わず嫌い王決定戦」に出演 FNS27時間テレビ(フジテレビ、2004年)コーナー「第7回笑わず嫌い王決定戦」に生出演 もっともっと笑い亭 (tvk)順子のみ、コーナー「懐かしの昭和漫才」に出演 日曜ビッグバラエティ(日本テレビ) いい旅・夢気分(テレビ東京) 巣鴨バラエティ座(独立UHF局、2007年5月20日にゲスト出演など多数) 真打ち競演(NHKラジオ第1) ラジオ寄席(TBSラジオ) 1972年 第20回NHK漫才コンクール 努力賞 1996年 第13回浅草芸能大賞 奨励賞 東京漫才傑作集ベスト(1)『あした順子・ひろし 爆笑漫才集』(1998年10月21日、COCJ-30118)
僕の社交会(1998年7月11日収録)/恋で苦労をしてみたい(1998年7月13日収録)/娘の結婚式(1998年7月13日収録) あした順子・ひろし『米寿漫才』(2010年6月30日、RGS-002)
^ 漫才師・あしたひろしさんが死去 享年93歳 どつき漫才で人気 ORICON STYLE、2015年12月4日 ^ あした 順子 落語協会 ^ あした 順子・ひろし 鈴々舎馬風 一門のオフィシャルホームページ ^ 【今週のご推笑・東】あした順子・ひろし「磨きこんだ絶妙なネタ」 ZAKZAK、2009年10月10日 ^ 芸能界にもファン、漫才のあしたひろしさん死去 読売新聞、2015年12月4日 ^ 稲田和浩 (平成30年3月28日). 「演芸界、2017年のできごと」東京かわら版寄席演芸年鑑2018年版(東京かわら版2018年4月号). 東京かわら版. p. 68 ^ あした順子 - 一般社団法人 漫才協会プロフィール ^ あした ひろし 落語協会 ^ あしたひろし 訃報 落語協会 2015年12月4日閲覧 ^ “漫才師あしたひろしさん死去”. デイリースポーツ (2015年12月5日). 2021年9月23日閲覧。 ^ あした ひろし・順子 落語協会 あした 順子・ひろし - 鈴々舎馬風 一門のオフィシャルホームページ あした 順子・ひろし - 漫才協会 あしたひろし・順子 - 落語協会 あした順子 - 漫才協会 あしたひろし - 落語協会 お笑い芸人 奇術師 松旭斎派 東京都区部出身の人物 1932年生 存命人物 市山流 お笑い芸人 日本の司会者 東京都区部出身の人物 1922年生 2015年没 日本の男女お笑いコンビ 東京都出身の人物 漫才真打
2024/11/19 10:47更新
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ashita junko
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