大野源一の情報(おおのげんいち) 将棋 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
大野 源一さんについて調べます
■名前・氏名 |
大野源一と関係のある人
木見金治郎: 大野源一 久保利明: 大野源一の振り飛車を学んだ。 坂田三吉: 坂田が得意とした振り飛車戦法は、木見門下である大野源一が改良を加えて引き継いでいる。 花田長太郎: 次の第7期名人戦では、第2期順位戦で前名人となった木村を押しのけて3位となり、升田幸三、大野源一、大山康晴と共に挑戦者決定戦の出場資格を得た。 あした順子: 長兄は将棋棋士の大野源一で、大野によればひろしの将棋の腕前もプロ級とされる。 大山康晴: この転向について、勝又清和は「ファンに喜ばれる将棋を指そうと考えたため」と説明しているが、大山の場合は多忙の中、兄弟子の大野源一から序盤がある程度決まっている(序盤の研究を省略できる)振り飛車を勧められたためとも言われている。 あしたひろし: 長兄は将棋棋士の大野源一で、大野によればひろしの将棋の腕前もプロ級とされる。 大山康晴: 木見門下の兄弟子に大野源一、角田三男、そして終生のライバル升田幸三がいた。 米長邦雄: A級昇級争いは、12回戦まで終了した残り1局の時点で、内藤國雄が11勝1敗で昇級が決まり、もう1人の昇級枠を58歳の大野源一と22歳の中原誠が、ともに9勝3敗で争っていた(順位が上の大野のほうが中原より有利)。 大山康晴: 大山の希望は叶えられ、4月20日から23日の間に、大野源一・八段、高島一岐代六段、松浦卓造四段、星田啓三・四段(段位はいずれも当時)と4局を指したが、松浦四段に1敗を喫し、3勝1敗の成績で昇段はできなかった。 升田幸三: 同門の先輩には大野源一、角田三男、また後輩には終生のライバル大山康晴がいる。 |
大野源一の情報まとめ
大野 源一(おおの げんいち)さんの誕生日は1911年9月1日です。東京出身の将棋棋士のようです。
兄弟、事故、卒業、引退、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。1979年に亡くなられているようです。
大野源一のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)大野 源一(おおの げんいち、1911年9月1日 - 1979年1月14日)は、将棋棋士。棋士番号7。東京府東京市(現:東京都台東区)出身期。木見金治郎九段門下。 東京出身だが大阪の棋士・木見金治郎の内弟子となる。同門の後輩には角田三男、升田幸三、大山康晴がいる。1929年に四段昇段。 戦前は居飛車党だったが、戦後の1947年(昭和22年)に順位戦がスタートした際に、振り飛車を積極的に採用するようになる。それまで2日制以上の長丁場が当たり前だった対局が「持ち時間各7時間の1日制」に短縮されたことから、居飛車と比べてあまり長考の必要がない振り飛車を採用したとされる。この結果、江戸中期以降は廃れていた振り飛車をプロの戦法として復活させ、「振り飛車の神様」の異名を持つ。升田の向かい飛車、大山の四間飛車に対して大野は三間飛車を得意とした。彼の戦法は後に大内延介、近藤正和らに受け継がれているといわれる。 14世名人木村義雄は、当時は角道を止めた上に1手使って飛車を振るため、守勢になることが好ましくないとされていた振り飛車と言う不利な戦法を研究の上で得意戦法としてA級順位戦に返り咲いたことを評価した。大野の振り飛車の捌きは高く評価され、弟弟子の升田幸三も「大野さんの捌きは日本一だ」と絶賛。大山康晴は「受け一方ではなく攻める振り飛車だから恐れられている」と評した。また、久保利明も大野の棋風に影響を受けたらしく、将棋年鑑のアンケートの「故人を含めて指したい棋士」で大野の名前を挙げている。当の大野は、振り飛車について、美濃囲いが他の囲いに比べて固く、左翼を突破されても玉にはすぐには響かないなどの点が、捌きを身上とする自身にとって相応しいと語っていた。 1963年のA級順位戦で塚田正夫と対局した際、塚田が大野の玉に王手をかけたにもかかわらず、大野は構わず塚田の王に王手返しをかけ、塚田に「これ、もらっておくね」と言われ玉を取られてしまった。将棋の規定では王手をかけられた際に「玉を逃す」「合駒をする」「王手している駒を取る」以外の手を指すのは反則とされているため、大野の反則負け扱いとなっている。 1969年のB級1組順位戦最終局でA級昇級(復帰)をかけて米長邦雄と対局する。その勝敗で昇級・降級どちらにも絡まない(消化試合である)米長に対し、大野は勝利すれば当時のA級昇級の最年長記録を更新し、往年の大ベテランのA級復帰として世間から注目された大一番であった。しかし、米長は「自分にとっては消化試合だが相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす」という、いわゆる米長哲学によって本気で臨み、大野は敗局、昇級を逃した(代わりに中原誠がA級昇進を決めた)。 タイトル戦では、名人戦の挑戦者決定プレーオフで4度敗退する等、タイトル挑戦に絡むことはなかったが、一般棋戦では1973年の王座戦で決勝トーナメントを勝ち抜き、62歳で挑戦権を獲得。中原誠王座との三番勝負は0勝2敗に終わった。 1975年、関西将棋会館建設に当たって建設委員長に推戴された。 1979年1月14日、踏切をくぐろうとしたところ、電車にはねられ即死。享年67。 五人兄弟の長男であり、末弟は漫才師のあした順子・ひろしのひろしである。 律儀な人で、事務局からの対局通知の返信を必ず出していた。それがあるとき、東京で対局が予定されていたにもかかわらず、朝、姿を見せなかった。事務局で調べてみたら、いつも来ているはずの返信がなかった。そこで郵便事故かもしれないということで、不戦敗にはならなかった。 1925年00月00日: 入門 1931年00月00日: 四段 1932年00月00日: 五段 1936年00月00日: 六段 1938年00月00日: 七段 1940年00月00日: 八段 1974年00月00日: 贈九段(表彰感謝の日表彰) 1979年01月14日: 逝去(享年67) 九、八、七段戦:1回(1955年 = 第2回) 高松宮賞争奪戦:1回(1963年 = 第8回) ^ ここでは便宜上、四段昇段日をプロ入り日として扱うが、大野のプロ入り当時は初段昇段時から専門棋士として扱われていたとされる。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった。その頃、それと並行して奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立していった。 ^ 東京都は1943年設置。台東区は1947年に下谷区と浅草区が合併して成立。 ^ 1977年4月1日の棋士番号制定時は大野が現役最古参で、当時の現役で唯一の一桁番号付与者であった(1-6,8,9の棋士番号付与者は引退棋士。10を付与された坂口允彦は当時現役)。 ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36 ^ 加藤治郎、原田泰夫、田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220 ^ 捌く居飛車 - 将棋ペンクラブログ・2015年1月3日 ^ 湯川 (2005) p.204 - 『将棋世界』 1954年5月号からの孫引き。 ^ 湯川 (2005) p.208 - 1954年のこと。 ^ 湯川 (2005) p.211 - 『将棋世界』 1954年9月号よりの孫引き。 ^ “「対局場が大阪だと思ったら東京だった」「起きたら昼前だった」将棋界、遅刻不戦敗事件簿(松本博文) - エキスパート”. Yahoo!ニュース. 2024年1月14日閲覧。 ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。 ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。 湯川博士、2005、『振り飛車党列伝』、毎日コミュニケーションズ ISBN 4-8399-1888-0 将棋棋士一覧 大野源一 - 日本将棋連盟 表 話 編 歴 関根金次郎 (※1938名人退位) 坂田三吉 (※1940引退) 永沢勝雄 (1946引退) 金易二郎 (1947引退) 渡辺東一 (1985引退) 加藤治郎 (1949引退) 奥野基芳 (1949引退) 土居市太郎 (※1949引退) 金子金五郎 (1950引退) 志沢春吉 (1950引退) 北楯修哉 (1951引退) 木村義雄 (1952引退) 中井捨吉 (1952引退) 市川一郎 (1956引退) 吉田六彦 (1956引退) 佐藤豊 (1956引退) 加藤恵三 (1957引退) 畝美与吉 (※1957引退) 増田敏二 (1958引退) 浅沼一 (1958引退) 梶一郎 (1959引退) 荒巻三之 (1959引退) 板谷四郎 (1959引退) 京須行男 (※1960引退) 高島一岐代 (1962引退) 高柳敏夫 (1963引退) 萩原淳 (1964引退) 平野広吉 (1965引退) 山本武雄 (1968引退) 木川貴一 (1968引退) 山川次彦 (1970引退) 津村常吉 (1970引退) 賀集正三 (1970引退) 山田道美 (※1970現役死去) 佐藤庄平 (1971引退) 岡崎史明 (1972引退) 神田鎮雄 (1972引退) 大友昇 (1972引退) 西本馨 (1973引退) 大村和久 (1975引退) 塚田正夫 (1977現役死去) 清野静男 (1977現役死去) 熊谷達人 (1977現役死去) 升田幸三 (1979引退) 大野源一 (1979現役死去) 高田丈資 (1979現役死去) 二見敬三 (1980現役死去) 松下力 (1981引退) 本間爽悦 (1981現役死去) 原田泰夫 (1982引退) 北村秀治郎 (1982現役死去) 灘蓮照 (1984現役死去) 坂口允彦 (1985引退) 角田三男 (1985引退) 松田茂役 (1985引退) 南口繁一 (1985引退) 下平幸男 (1985引退) 橋本三治 (1985引退) 花村元司 (1985現役死去) 山中和正 (1986引退) 星田啓三 (1986引退) 小堀清一 (1987引退) 北村文男 (1987引退) 芹沢博文 (1987現役死去) 廣津久雄 (1988引退) 五十嵐豊一 (1988引退) 板谷進 (1988現役死去) 伊達康夫 (1989引退) 佐瀬勇次 (1990引退) 加藤博二 (1990引退) 二上達也 (1990引退) 大原英二 (1990引退) 木村嘉孝 (1991引退) 木村義徳 (1991引退) 有野芳人 (1991引退) 吉田利勝 (1992引退) 大山康晴 (1992現役死去) 長谷部久雄 (1993引退) 森安秀光 (1993現役死去) 小野敦生 (1993現役死去) 富沢幹雄 (1994引退) 北村昌男 (1994引退) 関屋喜代作 (1994引退) 丸田祐三 (1996引退) 佐藤大五郎 (1996引退) 高島弘光 (1996現役死去) 村山聖 (1998現役死去) 宮坂幸雄 (1999引退) 田辺一郎 (1999引退) 剱持松二 (2000引退) 木下晃 (2000引退) 若松政和 (2000引退) 池田修一 (2000引退) 青木清 (2000引退) 瀬戸博晴 (2000引退) 安恵照剛 (2001引退) 関根茂 (2002引退) 佐伯昌優 (2002引退) 山口英夫 (2002引退) 河口俊彦 (2002引退) 椎橋金司 (2002引退) 山口千嶺 (2003引退) 米長邦雄 (2003引退) 野本虎次 (2003引退) 本間博 (2003引退) 森安正幸 (2004引退) 中田章道 (2004引退) 鈴木輝彦 (2004引退) 西村一義 (2006引退) 酒井順吉 (2006引退) 桜井昇 (2007引退) 桐谷広人 (2007引退) 小野修一 (2007引退) 関浩 (2007引退) 真部一男 (2007現役死去) 達正光 (2007現役死去) 菊地常夫 (2008引退) 加瀬純一 (2008引退) 中原誠 (2009引退) 坪内利幸 (2009引退) 沼春雄 (2009引退) 有吉道夫 (2010引退) 大内延介 (2010引退) 小阪昇 (2010引退) 依田有司 (2010引退) 勝浦修 (2011引退) 飯野健二 (2011引退) 伊藤果 (2011引退) 松浦隆一 (2011引退) 児玉孝一 (2011引退) 神吉宏充 (2011引退) 石田和雄 (2012引退) 櫛田陽一 (2012引退) 滝誠一郎 (2013引退) 武者野勝巳 (2013引退) 植山悦行 (2013引退) 野田敬三 (2013引退) 佐藤義則 (2014引退) 前田祐司 (2014引退) 武市三郎 (2014引退) 大野八一雄 (2014引退) 飯田弘之 (2014引退) 内藤國雄 (2015引退) 田中魁秀 (2015引退) 淡路仁茂 (2015引退) 大島映二 (2015引退) 安西勝一 (2015引退) 熊坂学 (2015引退) 田丸昇 (2016引退) 伊藤能 (2016現役死去) 加藤一二三 (2017引退) 森雞二 (2017引退) 宮田利男 (2017引退) 森信雄 (2017引退) 堀口弘治 (2017引退) 中尾敏之 (2018引退) 高田尚平 (2019引退) 土佐浩司 (2020引退) 伊藤博文 (2020引退) 東和男 (2021引退) 西川慶二 (2021引退) 金沢孝史 (2021引退) 桐山清澄 (2022引退) 小林健二 (2022引退) 田中寅彦 (2022引退) 小林宏 (2022引退) 藤倉勇樹 (2022引退) 石川陽生 (2023引退) 上野裕和 (2023引退) 中田宏樹 (2023現役死去) 青野照市 (2024引退) 室岡克彦 (2024引退) 中座真 (2024引退) 伊奈祐介 (2024引退) 永作芳也 (1988退会) 橋本崇載 (2021引退、2022退会) 表 話 編 歴 1 丸田祐三 2 大野源一 3 升田幸三 1 下平幸男 2 加藤一二三 3 灘蓮照 4 加藤一二三 1 二上達也 2 灘蓮照 3 廣津久雄 4 内藤國雄 5 山田道美 6 内藤國雄 7 山田道美 8 山田道美 9 有吉道夫 10 内藤國雄 11 中原誠 12 有吉道夫 13 原田泰夫 共同通信社 古豪新鋭戦 表 話 編 歴 1 加藤一二三 2 丸田祐三 3 丸田祐三 4 原田泰夫 5 大山康晴 6 大山康晴 7 二上達也 8 大野源一 9 加藤一二三 10 山田道美 11 有吉道夫 1 下平幸男 2 梶一郎 3 関根茂 4 芹沢博文 5 長谷部久雄 6 有吉道夫 7 大友昇 8 加藤博二 9 花村元司 10 北村昌男 11 加藤一二三 東京新聞社 VIAF 日本 将棋棋士 東京都区部出身の人物 鉄道事故死した人物 1911年生 1979年没 Pages using the JsonConfig extension 言葉を濁した記述のある記事 (誰2)/2022年 2024/11/17 13:51更新
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