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大野雄大の情報 (おおのゆうだい)
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【5月27日】今日誕生日の芸能人・有名人

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大野 雄大さんについて調べます

■名前・氏名
大野 雄大
(おおの ゆうだい)
■職業
野球選手
■大野雄大の誕生日・生年月日
1988年9月26日 (年齢35歳)
辰年(たつ年)、天秤座(てんびん座)
■出身地・都道府県
京都出身

大野雄大と同じ1988年生まれの有名人・芸能人

大野雄大と同じ9月26日生まれの有名人・芸能人

大野雄大と同じ出身地京都府生まれの有名人・芸能人


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大野雄大と関係のある人

森山暁生: 最速146km/hのストレートや、大野雄大を参考にしたツーシームのほか、カーブ、ナックルカーブ、スライダー、カットボール、チェンジアップを投げる。


石田健大: 初安打:2015年8月27日、対中日ドラゴンズ20回戦(横浜スタジアム)、3回裏に大野雄大から三塁内野安打


丸佳浩: 2回裏に大野雄大から同年のNPB第1号を記録。


廣岡大志: その後、4月13日の中日ドラゴンズ戦では「7番・一塁手」で先発出場すると同点の7回二死の場面で大野雄大から右翼へ移籍後初本塁打となる勝ち越し本塁打を打ちこれが決勝点となりチームの勝利に貢献した。


大野奨太: また、この年は、スコアボード等の登録名を以前より希望していた「大野奨太」に変更した(同姓の大野雄大もこの年より「大野雄大」とフルネームで登録している)。


澤村拓一: ドラフト直前には『中日スポーツ』・『スポーツ報知』・『スポーツニッポン』が、「中日ドラゴンズも澤村を1位指名する方針である」と報道していたが、中日は最終的に澤村ではなく、大野雄大(佛教大学)を単独1位指名した。


大矢根博臣: また同年には40回1/3の連続イニング無失点記録を樹立したが、これは2020年10月14日に大野雄大が更新するまで、64年間にわたり中日の球団記録だった。


木下雄介: 中日でのチームメイトで、東京オリンピックの野球日本代表の大野雄大は、木下の死去から数日後の東京オリンピック野球競技の表彰式の際に天に向かって金メダルを掲げた。


清水誉: 初打点:2013年8月23日、対中日ドラゴンズ16回戦(ナゴヤドーム)、6回表に大野雄大から中前適時打


木下拓哉: 最優秀バッテリー賞:2回(2020年 投手:大野雄大、2021年 投手:柳裕也)


齋藤俊介: 初安打:2019年9月8日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤドーム)、3回表に大野雄大から中前安打


福田永将: 2018年、大野雄大に代わり、選手会長に就任した。


青柳晃洋: 5月6日の対中日戦(バンテリンドームナゴヤ)では、大野雄大との熾烈な投手戦を展開。


山崎武司: 背番号は、支配下選手登録上では20とされたが、試合では中日で2002年まで使用した22を球団と登録上22番だった大野雄大の了承を得た上で使用し、4番指名打者で出場。


西口文也: 2022年5月6日、中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦(バンテリンドーム)において、中日の先発・大野雄大が9回終了まで相手打線を完全に抑えながらも、0-0で延長戦に突入してしまい、そこで被安打を喫して完全試合達成を逃すという、2005年8月の西口のケースからNPB史上2度目となる出来事が発生した。


中村剛也: 6月18日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で7回に大野雄大から右中間へ2点本塁打を放ち、交流戦通算打点を200に乗せると、6月22日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)では高校時代の同級生岩田稔から2打席連続で本塁打を放ち、奪本塁打投手数を阿部慎之助の持つプロ野球最多タイ記録230人に並べた。


中根佑二: 第59回全日本大学野球選手権大会では、佛教大学の大野雄大と投げ合い6回途中を2失点と試合を作ったが、チームは大野の前に2安打完封と抑え込まれ初戦で敗退。


辻孟彦: 契約金4,500万円、年俸1,200万円(金額は推定)という条件で、高校で1学年先輩である大野雄大と再びチームメイトになった。


山口翔: 初奪三振:同上、5回裏に大野雄大から見逃し三振


上田洸太朗: 目標とする選手は大野雄大で、菊池雄星を尊敬している。


松井雅人: 2011年10月14日の読売ジャイアンツ戦では捕手で先発出場し、プロ初先発のルーキー大野雄大をリードした。


米村明: 吉見一起、大島洋平、大野雄大、根尾昂を担当した。


菅野智之: 最優秀防御率と最多奪三振を獲得した大野雄大と沢村栄治賞争いをしたが、防御率、完投数、投球回で12球団トップの成績を残した大野が沢村賞を受賞し、自身3度目の沢村賞は叶わなかった。


阿部慎之助: 3000塁打:2014年7月25日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、2回表に大野雄大から遊撃内野安打 ※史上53人目


小野塚康之: フリー転身後の2019年9月14日にナゴヤドームで催された中日ドラゴンズ対阪神タイガース戦では、DAZNで配信された中継の実況アナウンサーとして、中日の大野雄大がノーヒットノーランを達成した瞬間を伝えた。


寺島成輝: 初打席:2017年9月30日、対中日ドラゴンズ24回戦(明治神宮野球場)、2回裏に大野雄大から空振り三振


青木宣親: 100死球:2019年9月1日、対中日ドラゴンズ23回戦(ナゴヤドーム)、1回表に大野雄大から ※史上22人目


伊東勤: 日本プロ野球において、先発投手が9イニング完全試合状態を継続しながらも、9回終了時に0-0だったためその時点で記録が成立せず延長戦となり、延長10回に登板して安打を許し記録達成を逃した事例は僅か2回だけであるが、伊東は最初の2005年8月27日、インボイスSEIBUドームにおける西口文也の事例においては監督として、2例目となった2022年5月6日、バンテリンドームナゴヤにおける大野雄大の事例においてはNHK BS1の生中継解説者として、いずれも現場に立ち合うという稀有な経験をしている。


井上広大: 初打席:同上、2回表に大野雄大から空振り三振


権藤博: 残る先発投手はシーズン10勝の山内壮馬を除けば4勝の大野雄大、3勝の川上憲伸、山本昌、1勝の伊藤準規という状況であったが、ファイナルステージ第1戦から第3戦まで巨人に3連勝。


大野雄大

もしもしロボ

大野 雄大(おおの ゆうだい)さんの誕生日は1988年9月26日です。京都出身の野球選手のようです。

もしもしロボ

代表経歴、選手としての特徴などについてまとめました。離婚、家族、テレビに関する情報もありますね。去年の情報もありました。大野雄大の現在の年齢は35歳のようです。

大野 雄大(おおの ゆうだい、1988年9月26日 - )は、京都府京都市伏見区出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。中日ドラゴンズ所属。

2020年(令和初)の沢村栄治賞受賞者。2021年開催の東京オリンピック 野球 金メダリスト。

2歳の時に両親が離婚、それまで過ごしていた兵庫県尼崎市から2歳上の姉とともに母のもとで京都市伏見区深草で育つ。京都市立砂川小学校5年時に修道スポーツ少年団に入団し軟式野球を始め、6年からは投手を務める。京都市立藤森中学校では軟式野球部に所属し、2年時の練習試合で四球を連発して試合を壊してしまい、大野も不甲斐なさや悔しさから野球を辞めようと考えていたがチームメイトの励ましで立ち直り、その後は必死に練習するようになった。大野はこの試合が投手としての第一歩になったと語っている。それまで外野手との兼任だったが投手に専念し、3年夏に京都市大会で優勝した。その頃から京都の軟式野球界では名の知れた存在となっていた。プロ入り後にチームメイトとなる辻孟彦は小学校、中学校、高校時代の1年後輩であった。

前述の通り、大野は母子家庭だったこともあって公立の鳥羽高等学校への進学を考えていたが、三原新二郎が野球部監督を務める京都外大西高等学校へ誘われて入学。なお三原は1年時に監督退任することになり、2年時からは上羽功晃に師事することになる。2年春からベンチ入りし、チームは第87回全国選手権に進出。決勝で対戦した駒大苫小牧の田中将大の投球を見て「ああいうやつがプロ選手になるんだな」と思ったという。この大会で、大野は登板機会がなかったため悔しい思いをしていたが、秋からの新チームでは先発を任される機会が増え、3年春の第78回選抜の初戦で東海大相模に敗れたものの甲子園初先発を果たした。3年夏も甲子園出場を目指したが京都大会準決勝で福知山成美高等学校に敗れた。

高校では三原から「ちゃらんぽらんな人間」と言われ続けていたため、「野球人としても人間としても成長できる」と勧められた佛教大学社会学部現代社会学科に進学を決め、2007年4月より硬式野球部に入部する。1年春からベンチ入りし、春秋リーグ連続優勝。秋の近畿大学戦では145km/hを記録。この頃から速球に自信を持ったという。真ん中に投げる練習を続けたことで球速が上がったと語っている。その結果、四死球も減り3年秋の京滋リーグでは44回で与えた四死球は2だった。単位を落としたため、2年春から半年間は佛教大のルールにより練習や試合に出場できなかった。秋からは先発ローテーションに定着し、1年秋から4年春まで続く16連勝の活躍で3季連続でリーグMVPとベストナインを獲得する。4年時の4月24日に太陽ケ丘野球場で完全試合(7回コールドのため参考記録)を達成するなどしリーグ優勝に貢献。6月の全日本大学野球選手権大会において初戦で強豪東北福祉大学を2安打完封し、大学No.1左腕として頭角を現すが2回戦で秋山翔吾率いる八戸大学に完封負けした。京滋リーグでは通算で24試合に登板し18勝1敗の成績を残した。全国大会における活躍で斎藤佑樹、大石達也、澤村拓一とともに「大学球界BIG4」と称される。

第5回世界大学野球選手権大会の日本代表に落選した際は、佛教大学監督の菊野義朗が「見たことない」というほど意気消沈し、候補合宿から帰る新幹線の車内で泣き通したが、その後第25回ハーレムベースボールウィークの日本代表に選出された。大野も「こっちもジャパンのユニホームですから。キューバを倒してきますよ」と語り、言葉通りキューバから2失点完投勝利を挙げ、この経験を通じて「代表から外れて良かった。この大会に出たことで目標が『メジャーリーガー』に変わりましたから。自身を支えてくれた家族や監督、選手の目の届く場でプレーして喜んでもらって、実績を積んでからメジャーに行きたい」と思うようになったという。

2010年8月のオープン戦で肩を痛めてからは登板できず、ドラフトで指名を回避されるかもしれないという不安感を持っていたが、中日ドラゴンズから単独1位指名を受けて入団。12月1日に、契約金1億円、出来高払い5000万円、年俸1500万円で仮契約を結んだ。背番号は憧れで目標とする藤川球児と同じ22に決定した。また、12月には京都府警北警察署の2011年啓発ポスターのイメージキャラクターに起用されることになった。ポスターは「安全、安心にストライク」の標語と佛教大時代の投球フォーム写真を組み合わせたもので、1年間の掲示を想定された。大学時代は1学年上の河野秀数と2学年下の張本優大がチームメイトだった。

2011年の合同自主トレ・沖縄キャンプは左肩のリハビリに費やし、3月末から本格的な投球練習を開始。6月25日のプロアマ交流戦(ナゴヤ球場)で実戦デビューして満塁本塁打を打たれるも、その後はファームで先発の一角となる。10月8日のファーム日本選手権で先発し、5回無失点で勝利投手となり優秀選手賞を受賞した。その後一軍昇格し、チームが優勝へのマジックナンバーを2として迎えた10月14日の読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に初登板初先発。4回7失点(自責点6)で敗戦投手となったものの、この登板で自分の武器は直球だと感じることができたと後年振り返っている。この試合で落合博満監督(当時)は「何点取られても構わないから、自分の投球をして来い」と伝えていた。同年はこの1試合の登板にとどまり、オフの11月25日に年俸1350万円(150万円減)で契約を更改した。

2012年は7月上旬に一軍昇格し、7月11日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)でシーズン初登板・初先発(自身2回目の先発登板)。この試合では5回1/3を7安打1失点と好投しプロ初勝利を挙げた。この年は8試合に先発して4勝3敗の成績だったほか、CSファイナルステージで初戦に先発し勝利投手となった。オフの11月に開催された「侍ジャパンマッチ2012」の日本代表にも選出された。12月4日に400万円増の年俸1750万円で契約更改。

2013年は開幕ローテーション入り。開幕2戦目、3月30日の横浜DeNAベイスターズ戦(ナゴヤドーム)に先発したが、3回4失点で敗戦投手になった。その後もなかなか勝てず自身開幕4連敗を喫したものの、6試合目の登板となった5月3日のDeNA戦(ナゴヤドーム)でシーズン初勝利を挙げた。同年は先発投手として一軍に定着。自身の25歳の誕生日である9月26日の広島東洋カープ戦(ナゴヤドーム)では、9回1失点でプロ初完投勝利を挙げたほか、この試合で自身初となる2桁勝利を達成した。最終的に25試合に先発登板し、10勝10敗、防御率3.81の成績だった。

オフの11月には、台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。11月13日、1050万円増となる推定年俸2800万円で契約を更改した。

2014年はオープン戦で防御率1.29と好投したものの、川上憲伸との開幕投手争いに敗れた。開幕2戦目、3月29日の広島戦(ナゴヤドーム)に先発したが、6回3失点で敗戦投手になった。その後も勝ち星を挙げられず、4月26日の東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では先発登板したものの初回に5失点し降板。試合中に名古屋へ帰るように言われ二軍落ちした。5月14日のDeNA戦(横浜スタジアム)で復帰し、この試合では7回2失点でシーズン初勝利を挙げた。

この年は初めてオールスターゲームに選出され、7月18日の第1戦(西武ドーム)に登板。2回無失点に抑えた。

後半戦は、7月25日の読売ジャイアンツ戦(ナゴヤドーム)では自身初の完封勝利を無四球で挙げたほか、10月1日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で2年連続2桁勝利を達成した。最終的に、10勝8敗、防御率2.89(リーグ4位)の成績でシーズンを終えた。オフに、1700万円増となる推定年俸4500万円で契約を更改した。

2015年は本拠地開幕戦、3月31日の巨人戦(ナゴヤドーム)でシーズン初先発し、勝利投手とはなれなかったものの7回1失点と好投。5月はリーグトップの4勝を挙げ、初めて月間MVPに選出された。7月8日の阪神戦(阪神甲子園球場)でリーグトップの9勝目を挙げるなど、前半戦を9勝4敗、防御率2.13(リーグ3位)の成績で終えた。また、同年も監督推薦でオールスターゲームに選出され、7月18日の第2戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)に登板した。

9勝目を挙げてからはなかなか勝てなかったものの、8月20日の広島戦(ナゴヤドーム)では8回1失点で勝利投手となり、3年連続2桁勝利を達成した。8月27日のDeNA戦(横浜スタジアム)で自己最多かつリーグ最多トップとなる11勝目を挙げたが、その後は打線の援護の無さなどから勝ち星を伸ばせなかった。また6連敗や4連敗でマウンドを託された際に連敗を止めることができず、勝負弱さも指摘された。

後半戦は2勝6敗と負け越したものの、最終的に11勝10敗、防御率2.52(リーグ6位)。207.1投球回は12球団最高となった。同年11月29日に谷繁元信監督がテレビ番組で翌年の開幕投手に起用すると述べた(これは、12球団最速の発表となった)。11月30日の選手納会で大島洋平に代わり翌年より選手会長を務めることが発表された。12月8日に6300万円増の推定年俸1億800万円で一発更改した。

2016年は3月25日の阪神戦(京セラドーム大阪)で自身初の開幕投手を務め、7回2/3を投げ2失点で勝利投手となった。しかし、左肘痛のため4月15日に登録抹消された。6月4日に復帰し、同日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦(ナゴヤドーム)で先発登板したが、7回3失点(自責点0)で敗戦投手となった。6月28日の巨人戦(東京ドーム)でシーズン初完封勝利(5勝目)を挙げたが、その後は8月21日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で6勝目を挙げるまで2か月近く勝てなかった。

最終的に7勝10敗、規定投球回未到達で防御率3.54。この年は25年ぶりにリーグ優勝した広島に相性が悪く、5試合の登板で1勝4敗、防御率7.36と打ち込まれたほか、7月19日の試合(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では4回を投げて自己最悪の11失点を喫した。オフの11月18日、2160万円減の推定年俸8640万円で契約更改した。

2017年は2年連続の開幕投手に指名され、3月31日の巨人との開幕戦(東京ドーム)に登板したが、6回6失点で敗戦投手となった。その後もなかなか勝てず、5月には中継ぎに配置転換された。だが、5月14日のヤクルト戦(坊っちゃんスタジアム)では同点の9回裏に登板したものの荒木貴裕にサヨナラ満塁本塁打を打たれ、その後出場選手登録を抹消された。5月31日に一軍に復帰し6月7日の千葉ロッテマリーンズ戦(ZOZOマリンスタジアム)で10試合目の登板でようやくシーズン初勝利を挙げたが、試合後のヒーローインタビューで涙を流した。最終的に24試合登板で規定投球回には到達したものの、5月までの不振が響き、7勝8敗、防御率4.02の成績だった。

オフの11月29日、640万円ダウンとなる推定年俸8000万円で契約更改した。また、この年の春季キャンプから、練習などをめぐって朝倉健太投手コーチ(翌シーズン終了後に退団)との確執が取り沙汰され始める。フリーエージェントで同姓の大野奨太が入団、自身の意向により、スコアボード表記をフルネームである「大野雄大」に変更した。

2018年は開幕ローテーション入りを逃した。4月25日の巨人戦(上毛新聞敷島球場)でシーズン初先発したものの、4回5失点で敗戦投手となった。二軍では防御率2.10と安定感を見せたが、一軍では6試合の先発で0勝3敗、防御率8.56に終わった。11月25日に減額制限一杯の25%ダウンとなる推定年俸6000万円で契約更改した。

2019年は開幕を一軍で迎え、4月16日のDeNA戦(ナゴヤドーム)で7回途中1失点と好投し、2017年以来の白星を挙げた。4月30日の巨人戦(東京ドーム)で球団で平成最後の勝利投手となったほか、5月7日の広島戦(ナゴヤドーム)ではセ・リーグで令和一番乗りとなる完封勝利を記録した。また、8月13日の阪神戦(ナゴヤドーム)で通算1000投球回を達成したほか、9月14日の阪神戦(ナゴヤドーム)ではNPBで81人目となるノーヒットノーランを達成した。

同年は4年ぶりの2桁勝利とはならなかったものの、1年間ローテーションを守って2年ぶりに規定投球回に到達し、自身初の最優秀防御率を獲得するなど復活のシーズンとなった。オフに、7000万円増となる1億3000万円で契約を更改した。球団からは3年契約も提示されたが、単年契約を選択した。

2020年は6月19日のヤクルトとの開幕戦(明治神宮野球場)で開幕投手を務めたが、4回8安打6失点で降板した。その後もなかなか白星を挙げられず、6試合に登板した時点で0勝3敗、防御率4.04の成績だったものの、国内FA権を取得した7月31日のヤクルト戦(ナゴヤドーム)では9回3失点で完投勝利し、7試合目の登板でシーズン初勝利を挙げた。この試合から9月1日の広島戦(ナゴヤドーム)にかけて球団最多タイ記録となる5試合連続完投勝利を挙げた(詳細後述)。9月は防御率1.35(リーグ2位)、40投球回、42奪三振(いずれもリーグ1位)などの成績が評価され、5年ぶりに月間MVPを受賞した。10月22日のDeNA戦(ナゴヤドーム)では、9月15日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)の2回から続けた連続イニング無失点を「41」とし、1956年の大矢根博臣を抜き球団新記録を達成した。この記録は22日の9回まで続き、歴代12位となる「45」イニング連続無失点を記録(詳細後述)。11月11日にはシーズン中に取得した国内FA権を行使せず、3年総額9億円+出来高で残留することに大筋で合意したことが発表された。

最終的に20試合に登板、2年連続リーグ最多投球回である148.2回を投げ、5年ぶりに2桁勝利を達成。防御率1.82、148奪三振で最優秀防御率と自身初となる最多奪三振を獲得して投手2冠を達成した。なお、2年連続で最多投球回と最優秀防御率を達成したのは1957年 - 1958年の稲尾和久以来となる史上2人目である。45イニング連続無失点や両リーグ最多となる10完投6完封が評価され、中日では川上憲伸以来16年ぶりで自身初となる沢村賞を受賞した。さらに、8月・10月度の月間および年間最優秀バッテリー賞を捕手の木下拓哉と共に受賞するなど、エースとして申し分ない活躍を見せた。また、この年はDeNAに対して25イニングで無失点を記録した。

12月22日に行われた契約更改では、推定年俸3億円+出来高5000万円の3年契約で更改した。中日の選手で年俸が3億円に到達するのは、2015年度の岩瀬仁紀の年俸3億円以来であり、落合博満、岩瀬仁紀、福留孝介、川上憲伸、井端弘和、和田一浩に次いで7人目となる。

2021年は本拠地開幕戦、3月30日の巨人戦(バンテリンドーム ナゴヤ)でシーズン初先発。5試合目の先発となった4月27日の阪神戦(バンテリンドーム ナゴヤ)でシーズン初勝利を挙げ、5月4日のDeNA戦(バンテリンドーム ナゴヤ)で2勝目を記録したが5月9日にコンディション不良で登録抹消された。6月11日の埼玉西武ライオンズ戦(メットライフドーム)で1か月ぶりの白星。だが、前半戦は3勝7敗と勝ち星に恵まれなかった。最終的に規定投球回に到達しリーグ3位の防御率2.95を記録したものの、7勝11敗と負け越した。また、左打者に対して被打率.303(自己ワースト)を記録するなど課題を残した。オフの11月10日に推定年俸3億円(現状維持)で契約更改。

2022年は、立浪和義新監督から投手キャプテンに指名された。また、2年ぶりに開幕投手に指名され、3月25日の巨人との開幕戦(東京ドーム)に登板したが、6回4失点(自責点3)で敗戦投手となった。5月6日の対阪神戦(バンテリンドーム ナゴヤ)において、延長10回二死まで打者延べ29人を相手に完全試合を継続したものの、30人目の打者である佐藤輝明に二塁打を許し、2005年8月27日の西武・西口文也(対楽天戦)以来史上2人目となる「9回終了まで完全試合を継続しながら延長戦で安打を許し完全試合達成を逃した投手」となった。しかし続く打者の大山悠輔は抑え10回を無失点で終えた後、10回裏味方のサヨナラ勝ちにより2年ぶりに完封での勝利投手となった。完全試合の達成はならなかったものの、1試合での試合開始からの29人連続アウトはNPB新記録である(試合途中からの記録は江夏豊の34人)。なお、当日の大野自身の3度目の打席は、8回裏の攻撃時に二死一・三塁のチャンスで回ってきたものの、センターフライに倒れている。前半戦を4勝6敗、防御率2.74(リーグ5位)の成績で終え、また、監督推薦でオールスターゲームに選出された。オールスターでは第2戦の3回表から2番手で登板。2回を無安打無失点に抑え、敢闘選手賞を受賞した。

後半戦は、8月12日の阪神戦(京セラドーム大阪)で約2か月ぶりとなる5勝目を挙げた。また、8月、9月とも月間防御率1点台を記録した。最終的に4年連続で規定投球回に到達し、8勝8敗、防御率2.46(リーグ4位)、4完投(リーグ2位タイ)でシーズンを終えた。オフに推定年俸3億円(現状維持)で契約更改。

2023年は4月に受けた左肘の遊離軟骨除去手術の影響で、一軍では同月4日のわずか1試合の登板に留まった。オフの11月9日に、3年契約を1年延長するオプションを行使して、現状維持の推定年俸3億円で契約更改した。直後の会見の席上では選手だけでなく球団や監督、コーチなどにも変革を求め、2年連続リーグ最下位に終わったチームの状態に対する危機感を表明した。

代表経歴

2012年11月6日、侍ジャパンマッチ2012の日本代表に選出された。11月16日の第1戦(福岡ドーム)で8回表一死から登板し、2/3回を無失点に抑えた。

2013年10月28日には、台湾で開催された「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。

2015年7月16日、11月に行われる第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された。

2016年、シーズン開幕前の3月に開催された野球チャイニーズタイペイ代表との強化試合の日本代表に選出された。

2019年、オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。

2021年6月16日、東京オリンピックの野球 日本代表に選出された。大野は準々決勝のアメリカ戦でリリーフ登板し、1回を無失点に抑えた。大野の登板はこの1試合のみにとどまったが、チームは金メダルを獲得した。その表彰式で大野は金メダルを天に掲げ、8月3日に亡くなった木下雄介に金メダルを獲得したことを報告した。また、金メダルを獲得した栄誉をたたえ、同年12月16日、名古屋市東区のナゴヤドーム(バンテリンドーム ナゴヤ)2Fオープンデッキ 1番ゲート付近に記念のゴールドポスト(第31号)が設置された(ゴールドポストプロジェクト)。

選手としての特徴

二段モーションのオーバースローから平均球速145.9km/h、最速152km/hのキレのあるストレート、フォークボール、100km/h台のカーブ、縦横に曲がる2種類のスライダー、縦に大きく変化するツーシームを投げ分ける。アマチュア時代には上半身の強い投球フォームには故障を心配する声もあったが、大野本人はフォームを変えるつもりはないと語っている。

2024/05/26 17:23更新

oono yuudai


大野雄大と同じ誕生日9月26日生まれ、同じ京都出身の人

黒木 マリナ(くろき まりな)
1988年9月26日生まれの有名人 東京出身

黒木 マリナ(くろき マリナ、1988年9月26日 - )は、日本の元女優、元歌手。出身地:東京都世田谷区。血液型はA型。所属事務所はSRプロモーション→株式会社大越エンタープライズ。堀越高等学校卒…

稲田 奈緒(いなだ なお)
1977年9月26日生まれの有名人 東京出身

稲田 奈緒(いなだ なお、1977年9月26日 - )は、日本の女優、タレント。旧芸名、稲田 奈穂(読み同じ)。東京都出身。 1997年、テレビ東京で放映された深夜番組『BiKiNi』にレギュラー…

麻生 真友子(あそう まゆこ)
1982年9月26日生まれの有名人 東京出身

麻生 真友子(あそう まゆこ、1982年9月26日 - )は、日本の女優、タレント。血液型はAB型。本名・百地千寿。東京都出身。 幼少の頃からドラマや特撮などに出演し、まニャン子クラブのメンバーに…

秋山 莉奈(あきやま りな)
1985年9月26日生まれの有名人 東京出身

秋山 莉奈(あきやま りな、1985年9月26日 - )は、日本の女優、タレント、元グラビアアイドルである。 現在の本名は後藤 莉奈(ごとう りな。結婚前の旧姓は現芸名と同一)。 東京都出身。キリ…

徳田 いずみ(とくだ いずみ)
1982年9月26日生まれの有名人 東京出身

徳田 いずみ(とくだ いずみ、1982年9月26日 - )は、東京都出身の女性ファッションモデル。ナウファッションエージェンシー→イデア(2009年4月より)所属。 高校時代は介護福祉士を目指して…

長崎 莉奈(ながさき りな)
1987年9月26日生まれの有名人 東京出身

長崎 莉奈(ながさき りな、1987年9月26日 - )は、日本の元ファッションモデル、タレント、女優、グラビアアイドル。バードレーベル所属。 東京都出身。東京都立広尾高等学校卒業、立教大学文学部卒…

牧 伸二(まき しんじ)
1934年9月26日生まれの有名人 東京出身

牧 伸二(まき しんじ、本名:大井 守常〈おおい もりつね〉、1934年9月26日 - 2013年4月29日)は、日本のウクレレ漫談家、司会者。牧プロダクション所属。東京演芸協会第6代会長。 ハワイ…

田村 連(たむら れん)
1949年9月26日生まれの有名人 東京出身

田村 連(たむら れん、1949年9月26日 - )は、日本の男性俳優、声優、演出家、振付師。東京都出身。ザ・スーパー・カムパニイ所属。桐朋学園演劇科卒業。東京声優アカデミーで講師も務めている。 …

作間 功(さくま いさお)
1942年9月26日生まれの有名人 東京出身

作間 功(さくま いさお、1942年9月26日 - )は、日本の男性声優、俳優。東京府(現:東京都)出身。旧芸名は、作間 伊佐夫(読み同じ)。 立教大学卒業。以前はテアトル・エコー、シグマ・セブン…

むらかわみちお(1964年 - )
1964年9月26日生まれの有名人 東京出身

むらかわみちお(1964年9月26日 - )は、日本の漫画家。東京都荒川区在住。 東京生まれ、埼玉の寒村に育つ。 浦和市立浦和高等学校、某大学法学部卒。 現在は東京都荒川区在住。 大学卒業後、広…

鈴木 真梨耶(すずき まりや)
【CheekyParade】
1999年9月26日生まれの有名人 東京出身

Cheeky Parade(チィキィパレード、略称:チキパ)は、日本の女性アイドルグループ、ダンス&ボーカルグループ。2012年に結成、2018年に解散。当時の所属事務所はエイベックス・マネジ…


大野雄大と近い名前の人

大野 由加里(おおの ゆかり)
1979年2月9日生まれの有名人 愛知出身

大野 由加里(おおの ゆかり、1979年(昭和54年)2月9日 - )は、日本の司会、タレント、女優。現在はフリー。2005年9月から2007年1月まで毬谷くるみ(まりや くるみ)という芸名で活動して…

大野 かなこ(おおの かなこ)
1986年3月27日生まれの有名人 北海道出身

大野 かなこ(おおの かなこ、1986年3月27日 - )は、日本の女優、タレント、モデル。北海道空知(樺戸郡新十津川町)出身。 北海道樺戸郡新十津川町生まれ。実家は農家。 夢は北海道米のイメージ…

大野 愛友佳(おおの あゆか)
1994年6月14日生まれの有名人 千葉出身

大野 愛友佳(おおの あゆか、1994年6月14日 - )は、日本の女優、タレント。千葉県出身。亜細亜大学経営学部経営学科卒業。 2009年までSugar&Spice所属、子役タレントとし…

大野 いと(おおの いと)
1995年7月2日生まれの有名人 福岡出身

大野 いと(おおの いと、1995年〈平成7年〉7月2日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。福岡県中間市出身。ホリプロ所属。 兄が2人、2歳年上の姉が1人おり、「いと」は本名である。姉の名…

大野 舞(おおの まい)
1995年8月25日生まれの有名人 愛知出身

大野 舞(おおの まい、1995年8月25日 - )は、愛知県出身の女性シンガーソングライター、グラビアモデル。 愛知県出身。名古屋スクールオブミュージック&ダンス専門学校・ソロヴォーカルコース卒…

大野 敏隆(おおの はるたか)
1978年5月12日生まれの有名人 埼玉出身

大野 敏隆(おおの はるたか、1978年5月12日 - )は、埼玉県生まれ、群馬県育ちの元プロサッカー選手。ポジションはMF。 1997年に前橋商業高校から柏レイソルに入団。ユース代表では中村俊輔…

大野 勢太郎(おおの せいたろう)
1947年4月24日生まれの有名人 東京出身

大野 勢太郎(おおの せいたろう、本名:大野 正(おおの ただし)、1947年4月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー。レディオパワープロジェクト所属。元文化放送アナウンサー。東京都出身。 …

大野 香菜(おおの かな)
1958年5月17日生まれの有名人 東京出身

大野 香菜(おおの かな、1958年5月17日 - )は、日本のフリーアナウンサー。圭三プロダクション所属。旧名:大野 かおり(おおの かおり)。 3人兄妹の長女として誕生(兄1人、弟1人)。東京…

大野 幹代(おおの みきよ)
1974年6月17日生まれの有名人 千葉出身

大野 幹代(おおの みきよ、1974年6月17日 - )は、日本のタレント、女優、歌手。アイドルグループCoCo元メンバーである。東京都出身。日出女子学園高校、大東文化大学卒業。愛称はミッキー。 …

大野 聡美(おおの さとみ)
1991年1月29日生まれの有名人 大阪出身

大野 聡美(おおの さとみ、1991年1月29日 - )は、朝日放送テレビ(ABC)報道局ニュースセンター所属の記者(経済→大阪府政・市政担当)で、元アナウンサーである。 大阪府貝塚市の出身で、大…

大野 克郎(おおの かつろう)
1966年5月23日生まれの有名人 沖縄出身

大野 克郎(おおの かつろう、1966年5月23日 - )は、NHKのエグゼクティブアナウンサー。 西南学院高等学校を経て熊本大学卒業後、同大学院に進むも単位取得中退し、1991年入局。 和歌山…

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