阿部慎之助の情報(あべしんのすけ) 野球選手 芸能人・有名人Wiki検索[誕生日、年齢、出身地、星座]
阿部 慎之助さんについて調べます
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田島慎二: 2016年9月22日には1点リードの9回裏にギャレット・ジョーンズに逆転サヨナラ2点本塁打を、同9月27日には同点の9回裏に村田修一にサヨナラ満塁本塁打を打たれ、翌2017年4月1日の開幕2戦目には1点リードの9回裏に阿部慎之助に逆転サヨナラ3点本塁打、6月25日には1点リードの9回裏に陽岱鋼の適時打で同点に追いつかれた直後に石川慎吾の代打サヨナラ適時打を打たれ、同8月4日には1点リードの9回裏に橋本到の同点ソロ本塁打を被弾している。そして2019年6月1日には4点リードの6回裏無死満塁から登板した結果、クリスチャン・ビヤヌエバに初球をバックスクリーンに運ばれ同点満塁本塁打を打たれた後、阿部慎之助のプロ通算400号本塁打を献上し4点差からの逆転を許した。 脇谷亮太: シーズンでは5月下旬に二塁でスタメン出場の試合はあったものの、起用は代打または一塁手阿部慎之助の守備固めがメインになった。 相川亮二: 壮行試合のオーストラリア戦では逆転3ランとなる決勝本塁打を放ったこともあって、初戦のブラジル戦では、負傷した阿部慎之助に代わってスタメン出場した。 ボイ=ロドリゲス: 初盗塁:2002年5月18日、対読売ジャイアンツ10回戦(東京ドーム)、2回表に二盗(投手:上原浩治、捕手:阿部慎之助) 高橋尚成: 入団8年目にして監督推薦によりオールスターゲーム初出場を勝ち取り、フルキャストスタジアム宮城での第2戦に先発、山﨑武司に本塁打を打たれ2イニングで2失点を喫したものの、阿部慎之助の3ランなどのセ・リーグの打線の奮起に助けられて勝利投手となっている。 澤村拓一: 2010年10月のドラフト会議では、同じ中央大学出身の阿部慎之助・亀井義行の活躍を見て入団を希望し、相思相愛とも言われた読売ジャイアンツ(巨人)から単独1位指名を受け、記者会見では喜びの涙を流した。 澤村拓一: この試合では、初回にピンチを背負い、牽制のサインを見逃したため捕手の阿部慎之助にマウンド上で頭を叩かれるシーンもあった後に立ち直ったということも話題となった。 クレイグ=ブラゼル: 6月19日の対横浜戦で大家友和から本塁打を打ち、両リーグ1番乗りの20号を記録(同日、読売ジャイアンツの阿部慎之助も記録)。 ギャレット=ジョーンズ: NPB移籍後の2016年は、当初は一塁手として起用されたが、阿部慎之助の一軍復帰後は左翼手として起用された(一塁手43試合、左翼手78試合)。 坂本勇人: 巨人のOBである阿部慎之助からも認められており、2022年4月12日に通算2133安打を記録し、阿部の2132安打記録を追い抜いたときには阿部からも「3000本を目指す勢いでがんばってほしい」と激励を受けた。 陽岱鋼: 代打の切り札である阿部慎之助と共に右の代打として、代打打率.394を記録した。 江尻慎太郎: 11月3日第3戦でも8回1点ビハインド二死一三塁の場面で起用されたが阿部慎之助に追加点を許した。 黒瀬春樹: 初盗塁:2009年5月31日、対読売ジャイアンツ2回戦(西武ドーム)、10回裏に二盗(投手:マーク・クルーン、捕手:阿部慎之助) 坂本勇人: 野球選手の総合評価指標WARにおいて、2012年は阿部慎之助に次ぐ2位を記録。 山下斐紹: 好きな選手には城島健司、目標とする選手には阿部慎之助を挙げている。 須田幸太: 9月24日の対巨人戦(横浜)で、7回表2死1塁から阿部慎之助へ初球を投げたところ、左太腿の裏を痛めて緊急降板。 村田修一: 9月16日から10月1日までは、元木大介一軍ヘッドコーチが虫垂炎のため緊急入院した影響で、阿部慎之助二軍監督が一軍ヘッドコーチ代行になったことにより、二軍監督代行を務めた。 實松一成: 二軍監督の阿部慎之助は12月8日に行われた、札幌市内のチャリティートークショーにゲスト出演した際「實松だけは俺が原監督に言って呼び寄せました」と述べている。 渡辺みり愛: 阿部慎之助のファン。 金城龍彦: 阿部慎之助は現役時代にキャッチャーとして出場していた際に、「狙い球が全く読めなかったバッター」として金城の名を挙げている。 中田歩夢: 巨人監督の阿部慎之助は中田の守備力について「一軍のメンバーといても守備は遜色ない」と評する。 福田昌久: ^ 張本勲に阿部慎之助を批判する権利はある - 野球の記録で話したい 宇佐見真吾: 2019年は、小林誠司、大城卓三、炭谷とライバルが多く、さらに左の代打にも捕手登録の阿部慎之助がいたため開幕一軍を逃し、3試合の出場に終わる。 鳥谷敬: 2013年には野球選手の総合評価指標WARにおいて阿部慎之助に次ぐ2位を記録する。 原俊介: 強肩強打の選手として早い時期からファームの主軸打者であったが、守備位置が一定せず(ポジションは捕手・内野手・たまに外野も)、村田真一に替わる正捕手候補は村田善則や小田幸平が起用されることが多く、その後鳴り物入りで入団した阿部慎之助の打撃力の向上もあり、二軍暮らしが長く続いた。 小林誠司: 2014年は阿部慎之助の後継者として期待され、開幕戦で阿部に代わって途中出場。 大谷翔平: 7月19日の第2戦(甲子園)に先発登板し、1回裏に先頭打者の鳥谷敬への2球目でオールスターゲーム史上最速の162 km/hを計測、この後、阿部慎之助への初球でも計測。 岡本和真: オープン戦で結果を残すと、前年まで正一塁手だった阿部慎之助からレギュラーの座を引き継ぎ、3月30日の対阪神戦で「6番・一塁手」として2年連続で開幕スタメンで起用された。 尾形佳紀: 初盗塁:2004年7月29日、対読売ジャイアンツ21回戦(東京ドーム)、4回表に二盗(投手:木佐貫洋、捕手:阿部慎之助) 中川皓太: 秋季キャンプからは阿部慎之助のアドバイスもあり、オーバースロー気味のスリークォーターからサイドスロー気味のスリークォーターに変更を試みた。 |
阿部慎之助の情報まとめ
阿部 慎之助(あべ しんのすけ)さんの誕生日は1979年3月20日です。東京出身の野球選手のようです。
現在、引退、母親、父親、結婚、テレビ、姉妹、事件に関する情報もありますね。今年の情報もありました。阿部慎之助の現在の年齢は45歳のようです。
阿部慎之助のプロフィール Wikipedia(ウィキペディア)■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート 阿部 慎之助(あべ しんのすけ、1979年3月20日 - )は、千葉県浦安市出身の元プロ野球選手(捕手・内野手、右投左打)、プロ野球監督。現在は読売ジャイアンツの監督を務める。 読売ジャイアンツ(巨人)一筋で19年間プレーし、正捕手や一塁手として8度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。2007年から2014年までは第18代主将も務めた。国際大会でも2009年にWBC優勝を経験。2013年のWBCでは日本代表の正捕手も務めていた。引退翌年の2020年からは巨人の二軍監督やヘッド兼バッテリーコーチ等を歴任し、2024年からは第20代一軍監督を務める。 愛称は「慎ちゃん」、「慎之助」など。 元実業団野球チーム・電電東京に所属した阿部東司の第2子(1歳上の姉と3歳下の妹がいる)として誕生。慎之助の名は母親が池畑慎之介(ピーター)の大ファンだったことから名付けられた。父は掛布雅之と習志野市立習志野高等学校で同期であり、掛布とクリーンナップを組み、掛布が3番・父が4番を打ち、全国高等学校野球選手権大会に出場経験がある。その影響もあり、幼い頃から阪神タイガースファンで掛布に憧れ左打ちになった。ただし、掛布の存在も大きかったが直接的な理由は小学校低学年で右目を悪くしたことで父親から勧められたことだという。また父もポジションは捕手、中央大学と共通している。父の勧めもあり、浦安市野球協会学童部所属・軟式少年野球チーム・浦小クラブに所属。その縁で浦安市野球協会で阿部慎之助杯争奪少年野球大会を協賛している。 浦安市立浦安中学校から安田学園高等学校へ進学。高校では通算38本塁打を打つ。高校3年時の1996年度NPBドラフト会議前には、中日ドラゴンズのスカウトを務めていた堀江忠一(関東地区担当スカウト)と中田宗男が阿部の打撃を高く評価しており、また当時の安田学園高校野球部の監督が中田の大学時代の後輩でもあった縁から、中田は監督に阿部をドラフト会議で指名したい旨を伝えており、仮に本人がプロ志望であれば森野将彦に次ぐ3位で指名しようと考えていたという。しかし同年9月、監督は中田に阿部が中央大学へ進学するという旨を伝えたため、中日が阿部を指名することはできなかった。中田はこの出来事について、当時巨人のスカウト部長を務めていた末次利光(中央大学OB)が介在していた可能性を指摘している。 中央大学商学部に進学し3年生春まで東都大学野球連盟2部リーグでプレーする。2部リーグ通算51試合出場、186打数58安打、打率.312、12本塁打、41打点。花田真人との強力バッテリーで、3年生春に2部優勝し、入替戦を制したことで秋にチームは1部昇格。1部リーグ通算28試合出場、92打数27安打、打率.293、5本塁打、19打点。ベストナイン1回。 大学3年時の1999年にはアマチュアの有力選手をプロのキャンプへの派遣する制度によって日本ハムファイターズのキャンプに参加。シート打撃で当時日本ハムのエースだった岩本勉からバックスクリーンへ特大の本塁打を打った。中大時代は打撃には定評があり、(捕手以外の)野手への転向を勧められることもあったが固辞した。2000年11月のNPBドラフト会議において、ドラフト1位(逆指名)で読売ジャイアンツに入団。契約金の最高標準額(1億円プラス出来高払い5000万円)で契約した。 2001年、一軍ヘッドコーチの原辰徳の推薦を受け、3月30日の阪神タイガースとの開幕戦で、球団では山倉和博以来23年ぶりとなる新人捕手開幕スタメンとして先発出場(8番・捕手)。その試合で星野伸之からプロ入り初打席初安打初打点を含む4打点を挙げる活躍を見せた。当時の巨人は村田真一に代わる正捕手の育成が急務だったこともあり、監督の長嶋茂雄は村田を阿部の「教育係」にするとともに、127試合に起用して経験を積み重ねさせた。8月1日の対中日ドラゴンズ戦では6回に遠藤政隆から満塁本塁打を放つなど、最終的には13本塁打を記録したが、規定打席にはあと6打席足りず。なお、新人捕手の2桁本塁打は田淵幸一以来2人目。 2002年、前年と同じ127試合に出場し、自身初、球団では1987年の山倉和博以来の捕手による規定打席到達を果たし、初のベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した。6月24日の対広島東洋カープ戦(札幌ドーム)の8回表、本塁で三塁走者の福地寿樹と交錯、左足を負傷し、試合後出場登録抹消されるが、後半戦からは高橋由伸の離脱に伴い主に3番で起用され、8月の3度を含む4度のサヨナラ打を記録した。このことから『サヨナラ慎ちゃん』と呼ばれるようになった。8月11日の広島東洋カープ戦でのサヨナラ本塁打は自身初のサヨナラ本塁打であるとともに、巨人の東京ドーム通算1000号本塁打となるメモリアルアーチであった。さらに打率も.298と3割の一歩手前までいくなど、打撃も好調だった。 2003年、3月29日の対中日ドラゴンズ戦で5回一死満塁の打席で朝倉健太から満塁本塁打を放つも、シーズン途中で右肩を故障したこともあり、この年は94試合出場。規定打席には届かなかったものの打率.303を記録した。また、初めてオールスターゲームに出場した。 2004年、4月9日から4月16日にかけて6試合連続本塁打、4月28日は対ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)で1試合3本塁打を放った。4月の月間16本塁打は王貞治の球団記録を更新し、1981年の門田博光(南海)、1994年の江藤智(広島)と並ぶ日本タイ記録だった。5月1日の対広島東洋カープ戦では3-3の同点の延長11回一死一塁の打席で永川勝浩からサヨナラ2点本塁打を放ち、5月12日には1998年にマーク・マグワイアが記録した従来の世界記録である「開幕35試合目での20本塁打」を2試合更新した「開幕33試合目での20本塁打」を記録した。だがその後は失速し、5月後半 - 7月はそれぞれ2本ずつに留まったうえ、6月25日に左太ももを故障、7月18日の対ヤクルトスワローズ戦では2-2の同点の9回無死一・二塁の打席で河端龍からサヨナラ3点本塁打を放つが、8月20日に右脇腹を故障したこともあり、最終的には33本塁打だった。しかし、巨人の捕手として球団史上初となるシーズン30本塁打を記録し、2年ぶりに規定打席に到達。さらに自身初となる打率3割も記録した。11月には日米野球に捕手・代打で8試合中6試合に出場したが、13打席11打数0安打2四球だった。 2005年、シーズンを通して5番に定着し、最終的に2年連続で打率3割を越え、出塁率、得点圏打率はチームトップの成績だった。8月13日の対阪神タイガース戦(東京ドーム)では3-3の同点の延長12回無死満塁の打席で久保田智之からサヨナラ安打、8月23日の対横浜ベイスターズ戦では右肩痛のため、プロ入り後初めて一塁手として出場、9月4日の対広島東洋カープ戦(旧広島市民球場)では4回二死満塁の打席でケニー・レイボーンから満塁本塁打を放った。また、オフに守備の負担を減らせば4番打者を務めることができると考えた原辰徳監督に一塁手への配置転換を提案されたが、「捕手として勝負したい」と辞退した。12月2日の契約更改では年俸2000万円増の1億4000万円でサインした。 2006年、ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に選出されたが、前年の故障の影響で出場を辞退。シーズンでも4年ぶりに打率3割を割り、自己ワーストの10本塁打に終わったが、キャリアハイの盗塁阻止率.443を記録した。10月18日に、元・日産ミスフェアレディの一般女性との結婚を発表した。 2007年、主将に任命された。6月9日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で巨人軍第72代4番となり、この試合で2本塁打5打点と活躍した。また、6月14日のオリックス・バファローズ戦で、平野佳寿から満塁本塁打を打ったが、これはプロ野球史上初の球団通算200満塁本塁打となった。さらにオールスター第2戦ではMVPを獲得。9月25日には33本塁打を打ち、同時に自身初となるシーズン100打点に到達。これは2003年の城島健司(当時ダイエー)以来、史上4人目の捕手登録選手のシーズン100打点達成となった(セ・リーグでは門前真佐人以来2人目で、57年ぶりの記録)。2008年の北京オリンピックの野球日本代表予選3試合に出場し、打率.769(13打数10安打)4打点を記録し、最優秀打者賞・MVPを獲得した。 2008年は本塁打1本に付き1万円を慈善団体に寄付するようになった。優勝が決定した10月10日の試合では2打点を挙げるが、牽制球で二塁へ帰塁した際に右肩を負傷。その結果、クライマックスシリーズは欠場し、日本シリーズは代打・指名打者として出場し、1本塁打含む打率.400を記録するも、捕手の守備に就くことはできなかった。 2009年はスタメンを外れたり、セス・グライシンガーの先発時は鶴岡一成がマスクを被った一方で、4年ぶりに一塁手で出場することもあった。9月には5試合で7本塁打を打つ活躍で月間MVPを受賞。最終的にチームトップ、リーグ2位の32本塁打、リーグ1位の本塁打率、リーグ1位の長打率を記録し、チームのリーグ3連覇に貢献。9月18日の東京ヤクルトスワローズ戦では、巨人の捕手で史上初となる通算200本塁打を達成した。日本シリーズでは北海道日本ハムファイターズと対戦し、第5戦で武田久からサヨナラ本塁打、第6戦では武田勝から決勝打を記録し、ピンチの場面で3番・稲葉篤紀、4番・髙橋信二を三振に仕留める好リードを見せるなど活躍。チームも日本一を達成し、シリーズMVPを受賞した。 2010年5月21日の楽天戦で永井怜から本塁打を打ち、10年連続2桁本塁打を達成した。6月19日の中日ドラゴンズ戦では浅尾拓也からこの試合2本目の本塁打を打ち、6度目の20本塁打を記録した。そして、2004年以来となる両リーグ最速の20本塁打を記録(同日、クレイグ・ブラゼルも記録)した。このペースは2004年に次ぐものであった。さらに、6月は打率.375、14本塁打、21打点の成績で月間MVPに選出された。9月11日の広島戦で、捕手としては野村克也・田淵幸一に次ぐ史上3人目のシーズン40本塁打を達成した。捕手としては球団初、左打者の捕手としても史上初の記録であった。本塁打率は2年連続でセ・リーグ1位だった。契約更改では、4億円を提示された。 2011年は東日本大震災の影響で日程が遅れたことに加え、4月5日の阪神との練習試合で右脹脛を負傷し、開幕に出遅れた。その後は二軍での調整を経て、交流戦初戦の楽天戦で5番・捕手で一軍復帰すると、初安打を打った。その後も正捕手としてだけではなく、終盤はラミレスに代わって4番に定着するなど、攻守にわたってチームを牽引した。9月29日の横浜戦では谷繁元信が打ち立てた、セ・リーグ記録の連続守備機会無失策1708を抜く、新記録の1709を達成した。最終的には114試合に出場して、打率.292、114安打、61打点を記録したが、開幕から1か月の間欠場した影響で8年ぶりに規定打席には到達できず。それでもチーム2位、そして5年連続となるシーズン20本塁打を達成した。シーズン中には、第7回「ジョージア魂賞」を受賞し、JA全農Go・Go賞は、8月の「最多盗塁阻止賞」部門、9月の「最多二塁打、三塁打賞」部門、10月の「最優秀賞」と3か月連続で受賞。また、5年連続となるベストナインにも選出された。契約更改では、怪我で出遅れながらもチームを牽引したことが評価され、現状維持の4億円(推定)で更改した。 2012年1月に第3子が誕生した。主に4番で起用され、史上最多タイとなる年間3度の月間MVPを受賞するなどチームを牽引し、自身初の打撃タイトルとなる首位打者、打点王、最高出塁率を獲得した。本塁打もウラディミール・バレンティンに4本差の2位であり、一時は三冠王も視界に入れた。打率.3404は1991年に古田敦也が記録した.3398を上回る捕手の最高記録であり、打点は両リーグで唯一100を超える104を記録した。また、三振数も規定打席到達者の中でセ・リーグ最少で、出塁率・長打率も12球団トップだった。リード面でもチーム防御率2.16は、1966年の西鉄ライオンズ(2.13)以来の好成績となった。日本シリーズでは、3戦目に右膝裏を痛めて途中交代し、4戦目と5戦目に出番はなかったが、6戦目は4番・捕手で出場し、7回裏に決勝適時打を打ってチームを日本一に導いた。また、原監督と共に正力松太郎賞を受賞し、さらにセ・リーグMVPにも選出された。11月6日に発表された「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表にも選ばれた。契約更改では推定年俸5億7000万円の1年契約で更改。佐々木主浩、松井秀喜に次ぐNPBで日本人史上3位の高額年俸となった。12月4日に発表された第3回WBC日本代表候補選手34人に選ばれた。 2013年は前年に続き安定した活躍を続け、攻守にわたってチームを牽引した。だが優勝マジックを1として迎えた9月21日の広島戦で、試合開始10分前に肩に強い違和感を持ち欠場。代役として井野卓が出場することになった。そして診断の結果、帯状疱疹に感染していることが明らかとなった。それでも翌日の9月22日の広島戦、1点リードの9回に捕手として出場し、チームの顔として優勝の瞬間にグラウンドに立った。前年ほどの傑出した成績ではなかったものの、それでも3年ぶりに30本塁打を記録するなど、この年も打撃各部門で高い数字を記録した。また、推定年俸が6億円となり、松井秀喜と並ぶ球団最高年俸タイ記録、NPBでは史上2位タイ記録となった。 2014年5月1日のヤクルト戦で西村健太朗の逆球を捕った際に首を痛め、途中交代した。6月7日の西武戦で岸孝之から本塁打を打ち、球団歴代本塁打数332本で並んでいた松井秀喜を抜いて球団歴代単独4位に浮上した。なお、この本塁打で捕手としては史上5人目となる通算1000打点も達成した。7月11日の阪神戦では、プロで初の退場処分。7月25日の中日ドラゴンズ戦では、球団史上6人目となる通算3000塁打を達成した。しかし、この年は怪我や不振に泣かされ、一塁手で出場することもあった。そのうえ本塁打も19本に終わり、2006年の10本以来、8年ぶりに20本を下回ったほか、打率.248は規定打席到達者の中で最下位だった。クライマックスシリーズでは全試合4番打者を務め、第1戦に藤浪晋太郎から本塁打、第3戦ではランディ・メッセンジャーから先制適時打を打ったが、この2安打のみと不振だった。なお、第3戦の適時打はCS4試合の中でチーム唯一の適時打だった(それ以外の得点は本塁打と犠飛)。オフの10月22日、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された。11月6日、捕手部門で2年連続となるゴールデングラブ賞を受賞した。不振が響いて推定年俸は5億1000万円(9000万円ダウン)になったが、それでも球界最高年俸は変わらなかった。 2015年は捕手から一塁手にコンバートされ、開幕から一塁手で出場したが、相川亮二が離脱したこともあり、急遽4月3日の阪神戦で捕手に復帰した。これを記念し4月15日に、「I'm back! Tシャツ」が発売された。4月18日、左太腿裏の肉離れで登録抹消された。7月1日の広島戦で通算350本塁打を達成した。しかし自主トレからハイペースで猛練習した影響で、開幕前に疲労が蓄積し、その結果、シーズンを通して何度も離脱を繰り返し、結局111試合の出場で打率.242、15本塁打、47打点の成績に終わった。CSのファイナルシリーズでは打率.688を記録。推定年俸は選手の減額制限である40%近くの36%(1億8400万円)ダウンを受け入れ、3億2600万円でサインした。巨人としては球団史上では金額面で過去2番目、12球団でも4番目となる下げ幅だった。 2016年は当時の監督である高橋由伸の方針で再び捕手登録に戻った。シーズン前、里崎智也は元々「自分が監督なら捕手はキャッチング・ブロッキング・スローイングが一軍レベルに達している場合それ以上の守備力に関わらず打つ選手を使う」という持論を持っていただけに、打撃に定評のある阿部が一軍でマスクを被れるかどうかに注目していた。だが、オープン戦で肩に違和感を覚えて登録抹消され、開幕二軍で迎えた。5月31日のオリックス戦で一軍復帰し、本塁打を打った。さらに、7月8日のDeNA戦から8月10日のDeNA戦まで23試合連続安打を記録し、自己最長連続安打となった。最終的に91試合の出場で規定打席到達はならなかったが、打率.310、12本塁打、52打点を記録し、4番として随所で活躍を見せた。しかし、一塁手または指名打者としての出場となり、プロ入り後、初めて捕手での出場が0のシーズンとなった。推定年俸は6600万円ダウンの2億6000万円となった。 2017年は再び内野手登録となった。3月31日の中日との開幕戦で大野雄大から本塁打を打ち、自身初のシーズン初打席での本塁打を記録し、4月1日の中日戦でも田島慎二から逆転サヨナラ3ランを打った。6月18日のロッテ戦で佐々木千隼から本塁打を打ち、通算382本塁打として原辰徳に並んだ。さらに第2打席で2打席連続本塁打を記録して通算383本塁打となり、原を抜いて球団歴代単独3位となった。8月13日の広島戦で今村猛から安打を打ち、NPB史上49人目の通算2000安打を達成した。巨人の生え抜きでは1980年の柴田勲以来37年ぶり5人目、また21世紀以降の巨人のドラフト指名選手では初の快挙であった。3年ぶり、内野手登録となってからは初めて規定打席に到達し、打率は.262と振るわなかったものの内野手転向後では最多の129試合の出場で17年連続2桁本塁打となる15本塁打・76打点を記録した。 2018年は岡本和真にレギュラーを奪われ、怪我以外の理由では初めて開幕スタメンを外れた。その後は主に代打での出場が続いたが出場機会に恵まれず、初安打は4月29日と遅れた。それでも随所での活躍が光り、10月1日のヤクルト戦では10号本塁打を打った。これで入団1年目から18年連続での2桁本塁打となり、清原和博、張本勲に次ぎ歴代3位となった。岡本の台頭によってスタメン出場は少なかったものの、1年を通して大きな怪我もなく、一度も登録を抹消されず最終的に95試合に出場。打率.247、11本塁打、46打点を記録した。 2019年は監督に復帰した原辰徳と協議し、再び捕手に復帰することを決意した。小林誠司、宇佐見真吾、大城卓三、そして埼玉西武ライオンズからFAで新加入した炭谷銀仁朗との正捕手争いとなった。しかし、キャンプ中に度重なる怪我に悩まされて、捕手は宇佐見を除いて3人体制となり、阿部は代打の切り札として開幕一軍入りした。 6月1日の中日戦で田島慎二から本塁打を打ち、史上19人目となる通算400本塁打を達成した。巨人での通算400本塁打達成は王貞治・長嶋茂雄に次ぐ3人目であり、巨人の捕手では史上初の達成となった。また、捕手の通算400本塁打達成は野村克也・田淵幸一に次いで史上3人目だった。捕手で1666試合出場しており、捕手で通算1000試合出場と通算2000本安打を達成しての通算400本塁打は野村以来2人目だった。また、本塁打王なしでの通算400本塁打は史上5人目であった。6月9日のロッテ戦で田中靖洋から本塁打を打ち、通算229人の投手から本塁打を記録というNPB新記録を樹立した。6月13日の西武戦で本塁打を打ち、通算230人の投手から本塁打を記録し、記録を更新。交流戦での通算本塁打数をセ・リーグ初となる60本塁打とした。7回には粟津凱士から二塁打を打ち、史上42人目(球団の生え抜き選手では川上哲治、長嶋、王に次ぎ4人目)の通算350二塁打を達成した。捕手として400本塁打・350二塁打を達成した選手は野村以来史上2人目、セ・リーグでは史上初の快挙であった。 その後は小林や大城がスタメンマスクで起用され続けたことで阿部は前年までと同様に代打や一塁手でのスタメン起用に終始し、捕手復帰を目指したシーズンながら結局一度もマスクをかぶる機会はなく、自身の今後について原とも協議した結果、2019年限りで現役を引退することを決断。9月23日に明治神宮野球場で行われたヤクルト戦終了後のミーティングでチームメイトに涙ながらに引退を報告する様子が巨人軍公式のTwitterとYouTubeチャンネルで公開された。9月25日には引退会見が行われた。 9月27日の本拠地最終戦(DeNA戦)で『ありがとう慎之助』と銘打った引退記念試合が行われ、2015年5月31日の楽天戦以来1580日ぶりに「4番・捕手」として先発出場した(捕手での出場自体は2015年6月6日のソフトバンク戦以来1574日ぶり)。初回は引退会見で自ら「もう一度球を受けたい」と名前を挙げ、来日初先発となったスコット・マシソンを好リード。2回は救援登板した中央大学の後輩でもある澤村と2012年の日本シリーズにおける場面を再現するやりとりを見せてマウンドで握手を交わしたあと、大城卓三と入れ替わる形で一塁手の守備に就いた。この試合で4回裏に中川虎大から公式戦最後の安打(通算2132安打目)となる通算406号本塁打を右翼席へ叩き込み、8回の守備で山本泰寛と交代しベンチへ退いた。9月28日のヤクルト戦(明治神宮野球場)がシーズン最終戦及び公式戦最後の試合となり、代打で出場も申告敬遠され、中央大学の後輩でもある鍬原拓也を代走に送られた。これについては「俺らしい。史上初じゃない? 球史に残る偉大な記録じゃないかな」とコメントした。現役最終年となったこの年は打率も3割近くOPSも.892と高水準だったが、序盤は代打メインでスタメン出場が増えたのが後半戦以降ということもあり打数は少なく、キャリアで唯一本塁打は1桁に留まった。 日本シリーズでは全4試合(1 - 3戦目は5番打者として先発)に出場し、初戦の第1打席では千賀滉大から令和の日本シリーズ初本塁打・初得点となるソロ本塁打を打ったが、チームはソフトバンクに4連敗を喫し敗退(プロ最終打席は二塁ゴロ)。第4戦終了後に対戦相手であるソフトバンクの選手たちによって背番号と同じ10回胴上げされ、19年間の現役生活を終えた。 11月1日、任意引退公示された。 2020年から巨人の二軍監督に就任。 2020年、9月16日に元木大介一軍ヘッドコーチが虫垂炎のため緊急入院したことにより、同日の対阪神戦から10月1日の対広島戦まで一軍ヘッドコーチ代行としてベンチ入りした(期間中は二軍野手総合コーチの村田修一が二軍監督代行を務めた)。 2021年も引き続き二軍監督を務めたが、二軍公式戦全日程終了後の10月5日から一軍作戦コーチに配置転換された(二軍監督代行は三軍監督の二岡智宏が務めた)。 2022年は、一軍作戦兼ディフェンスチーフコーチとして、守備部門におけるトップを務め、投手チーフコーチの桑田真澄、ヘッド兼オフェンスチーフコーチの元木大介と共に、“3大チーフコーチ”の一角を担った。 2023年は“3大チーフコーチ”体制はなくなり、一軍ヘッド兼バッテリーコーチに就任した。そして10月4日のシーズン最終戦終了後に行われた最終戦セレモニーで挨拶に立った原辰徳監督から、自身の退任とともに後任として阿部が監督に就任することが公表された。 2023年10月6日、正式に監督就任が発表された。同日に球団オーナーの山口寿一、前監督の原辰徳が同席の上で就任記者会見を執り行い、監督就任と共に背番号を原が着用していた「83」に変更、契約期間は2024年から3年間であることも併せて発表された。球団では浅沼誉夫(第2代監督)以来2人目、戦後(2リーグ制以降)では初めて捕手出身の監督であり、かつ二軍監督経験者として初の一軍監督就任でもある。 2024年毎年スポーツ報知では、毎年歴代監督本人のスローガンを書道で披露することになっている。書道初体験の阿部が初披露したその年のスローガンは「新風」である。 2024年9月27日の広島戦に8-1で勝利し巨人軍を4年ぶり39回目の優勝へと導いた。クライマックスシリーズでは横浜DeNAベイスターズに3勝4敗(レギュラーシーズン1位のアドバンテージ1勝を含む)で日本シリーズ進出を逃した。 2000年9月にはシドニーオリンピック代表に選ばれた。 北京オリンピック代表に選出され、8試合に出場した。 2009年シーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。城島が正捕手として起用されたため出場機会には恵まれなかったが、第2ラウンド1組1位決定戦では捕手として先発出場した。 2013年2月20日に発表された第3回WBC日本代表選手28人に選ばれた、2大会連続2度目の選出となった。同大会では、主将、4番、正捕手の三役を兼任した。1次ラウンドでは無安打も、3月12日のオランダ戦では自身初かつWBC史上初の1イニング2本塁打を記録した。しかし、準決勝のプエルトリコ戦では好機に3度凡退し、チームは敗戦を喫した。阿部は全7試合に出場し、チーム最多タイの7打点を記録した。 強打、強肩の捕手として知られ、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年において両リーグ最高打率となる.318、同OPS.935を誇った。スイングを始めてから腰を捕手方向に捻るツイスト打法により緩急に対応し、内角の球も切れずにスタンドに運ぶ技術を持つ。 左打者ながら左投手も苦にせず、2006年から2010年まで左投手に対して打率.283を記録し、統一球導入後の通算でも打率.327を記録している。ツイスト打法は内田順三に勧められて2004年から取り入れ、普段の練習やティーバッティングなどで腰の開きを我慢しながら反復して練習しているという。また、父からの「力に頼ることなく基礎の技術を大事に素直に打ちなさい」という教えを忠実に守っており、練習でのフリーバッティングにおいても強引に引っ張るのではなく、逆方向へ打ち返す練習を2017年の時点でも行なっていた。下半身の強靭さが必要なツイスト打法を使いこなす一方で、左打者で一塁到達4秒台後半の鈍足である。捕手でありながら強打者でもあることが高く評価されてきたが、阿部曰く捕手であるために打撃で悩む暇がなかったことが逆に良かったとしている。 スローイング面では2010年には両リーグトップの進塁阻止率を記録。アマチュア時代から強肩に定評があり、スローイングの制球も安定している。試合後のアイシングやオフの鍼治療などで肩のケアには気を配っているが、肩の消耗のため「大学時代が一番スローイングは良かったかな?」と思うこともあるという。 リード面では「直感型とデータ型に分類するのではなく、両方が必要だと思っている。リードに関しては正解がないから、臨機応変に対応できることが一番」と話している。キャプテンシーが高く評価されており、チームメイトからは「ミットを構えた時の安心感があるし、声をかけてくれるタイミングも抜群」との信頼を得ている。2009年から2014年までは捕手として戦力になれる選手がいたことや怪我の影響もあり負担の少ない一塁手としての出場も偶にあったが、2005年と2015年以降では怪我が深刻になったこともあり一塁手としての出場が急増した。 2007年から2014年まで8年間にわたってチームの主将を務めたことで、緊張感のないプレーや不甲斐ない姿を晒す選手に対しては厳しい言葉を発することがあった。また、毎年1月に行われる自主トレには、坂本勇人や小林誠司を始め多くの若手選手を自費で帯同させていた。 2011年、シーズン終盤の10月6日の横浜戦に先発した東野峻が7回2安打2失点の投球を見せたが、5四球出したことで「この成績で満足するなら野球やめたほうがいいんじゃないか」と苦言を呈した。 プロ入り1年目から正捕手に抜擢され、若手時代は投手の成績が振るわないと阿部がメディアからリード批判の標的にされ、苦しめられることも多かった。また、先輩投手にちゃんと返球しなきゃいけないというプレッシャーからイップスに陥った経験も明かしている。練習量で取り戻そうとスローイング練習を繰り返す日々を送ったが、そのせいで肩を壊してしまうこともあった。自分から周りにイップスであることを言えるようになってから精神的な変化があり改善していったという。その後、同リーグの捕手からは様々な重圧を乗り越えてきたメンタルの強さを賞賛されるようになり、谷繁元信は「入って来たときはいろんな批判がありながらそこを黙らせた。自分の成績で。メンタル的に強くないとできない」と語り、相川亮二は巨人という伝統球団で捕手を続けることの重圧を踏まえながら「慎之助は重たい責任を背負ってこれだけ長くレギュラーとして、チームの中心選手としてやってきた。そういう強さを持っているのが本当に凄い」と称えた。 総合評価指標WARにおいて、2012年、2013年にはそれぞれ9.7、8.4といずれも両リーグNo.1の数値を記録する。現役時代は左打ち、そして二軍監督としてのプロフィールでは「右投左打」と登録されているが、指導者となってからは実際にはノック等では右打としている。本人曰くメジャーリーグベースボールからの誘いはあったというが「英語が喋れないので断念した。」という。 各年度の太字はリーグ最高 2011年は規定打席に9打席不足しているが、規則により最高長打率打者となった。 -は10位未満(打率は規定打席未到達の場合も-と表記) 太字年度は規定打席到達年度、年度背景色金色は最優秀選手賞(MVP)受賞年度 各年度の太字はリーグ最高 太字年はゴールデングラブ賞受賞 首位打者:1回(2012年) 打点王:1回(2012年) 最高出塁率:1回(2012年) 最優秀選手:1回(2012年) ベストナイン:9回(捕手部門:2002年、2007年 - 2014年) ※捕手部門で9度受賞はセ・リーグ最多タイ(他に古田敦也)、8年連続は歴代2位タイかつセ・リーグ最長タイ(他に森昌彦) ゴールデングラブ賞:4回(捕手部門:2002年、2008年、2013年、2014年) セ・リーグ連盟特別表彰:2回(功労賞:2019年、最優秀監督賞:2024年) 正力松太郎賞:1回(2012年)※選手として表彰 月間MVP:6回(2004年4月、2009年9月、2010年6月、2012年6月、2012年8月、2012年9月) 日本シリーズMVP:1回(2009年) 日本シリーズ優秀選手賞:1回(2012年) 日本シリーズ特別賞 - みんなで選ぶコナミ賞:1回(2012年) 最優秀バッテリー賞:6回
2007年 投手:高橋尚成 2008年 投手:セス・グライシンガー 2009年 投手:ディッキー・ゴンザレス 2012年 投手:内海哲也 2014年 投手:菅野智之
オールスターゲームMVP:2回(2007年第2戦、2010年第1戦) オールスターゲーム敢闘選手賞:1回(2015年第1戦) ホームランダービー優勝:1回(2012年第3戦) 優秀JCB・MEP賞:2回(2004年、2005年) 最優秀JA全農Go・Go賞:1回(2011年) JA全農Go・Go賞:2回(最多盗塁阻止賞:2011年8月、最多二・三塁打賞:2011年9月) 東京ドームMVP:3回(2005年、2011年、2012年) 日韓クラブチャンピオンシップMVP:1回(2009年) セ・パ交流戦 日本生命賞:1回(2010年) スカパー! サヨナラ賞:1回(2012年8月) 「ジョージア魂」賞:1回(2011年度第7回) 日本プロスポーツ大賞:1回(2012年) スピードアップ賞:1回(2013年) 報知プロスポーツ大賞:3回(2007年、2012年、2013年) ヤナセ・ジャイアンツMVP賞:2回(2007年、2012年) 月間アットホームヒーロー賞:5回(2013年3月・4月、2014年8月、2015年7月、2016年6月、2017年3月・4月) タニタ健康大賞(2019年) 紺綬褒章:1回(2021年) 初出場・初先発出場:2001年3月30日、対阪神タイガース1回戦(東京ドーム)、8番・捕手で先発出場、5打数2安打4打点 初打席・初安打・初打点:同上、2回裏に星野伸之から右中間へ2点適時二塁打 初盗塁:2001年4月11日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、9回表に二盗(投手:井本直樹、捕手:鈴木郁洋) 初本塁打:2001年4月13日、対横浜ベイスターズ1回戦(東京ドーム)、5回裏に河原隆一から右中間へ先制ソロ 初死球:2001年4月15日、対横浜ベイスターズ3回戦(東京ドーム)、4回裏にシェーン・バワーズから 100本塁打:2005年8月10日、対横浜ベイスターズ14回戦(東京ドーム)、4回裏に三浦大輔から右越ソロ ※史上241人目 150本塁打:2008年5月3日、対東京ヤクルトスワローズ7回戦(明治神宮野球場)、9回表に五十嵐亮太から右越3ラン ※史上146人目 1000試合出場:2009年5月4日、対阪神タイガース6回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手で先発出場 ※史上430人目 1000安打:2009年6月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス4回戦(東京ドーム)、6回裏に井坂亮平から左前安打 ※史上253人目 200本塁打:2009年9月18日、対東京ヤクルトスワローズ20回戦(明治神宮野球場)、7回表に加藤幹典から中越3ラン ※史上95人目 250本塁打:2011年5月18日、対東北楽天ゴールデンイーグルス2回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回表に永井怜から右越ソロ ※史上55人目 100死球:2012年6月30日、対中日ドラゴンズ8回戦(東京ドーム)、3回裏に小笠原孝から ※史上18人目 1500試合出場:2013年4月4日、対横浜DeNAベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、4番・捕手で先発出場 ※史上177人目 1500安打:2013年4月7日、対中日ドラゴンズ3回戦(東京ドーム)、7回裏に小林正人から右前安打 ※史上113人目 300本塁打:2013年4月21日、対広島東洋カープ6回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に中村恭平から右越2ラン ※史上38人目(捕手では野村克也・田淵幸一に次いで3人目) 1000打点:2014年6月7日、対埼玉西武ライオンズ4回戦(東京ドーム)、5回裏に岸孝之から右越ソロ ※史上42人目(捕手では野村克也・田淵幸一・古田敦也・谷繁元信に次いで5人目) 3000塁打:2014年7月25日、対中日ドラゴンズ13回戦(ナゴヤドーム)、2回表に大野雄大から遊撃内野安打 ※史上53人目 300二塁打:2014年9月21日、対東京ヤクルトスワローズ22回戦(東京ドーム)、1回裏に小川泰弘から左中間へ適時二塁打 ※史上62人目 350本塁打:2015年7月1日、対広島東洋カープ13回戦(東京ドーム)、8回裏に戸田隆矢から中越ソロ ※史上28人目 2000試合出場:2017年5月20日、対横浜DeNAベイスターズ8回戦(横浜スタジアム)、4番・一塁手で先発出場 ※史上50人目 3500塁打:2017年8月3日、対東京ヤクルトスワローズ16回戦(明治神宮野球場)、1回表に星知弥から中前安打 ※史上29人目 2000安打:2017年8月13日、対広島東洋カープ20回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に今村猛から右前安打 ※史上49人目 400本塁打:2019年6月1日、対中日ドラゴンズ10回戦(東京ドーム)、6回裏に田島慎二から右越ソロ ※史上19人目 350二塁打:2019年6月13日、対埼玉西武ライオンズ3回戦(メットライフドーム)、7回表に粟津凱士から中越二塁打 ※史上42人目。 150死球:2019年8月9日、対東京ヤクルトスワローズ18回戦(東京ドーム)、5回裏に小川泰弘から ※史上5人目 月間16本塁打:2004年4月 ※プロ野球2位タイ 捕手としての年間最高打率記録:.3404(2012年) 捕手として通算400本塁打・350二塁打 ※セ・リーグ初、史上2人目 通算死球:152(左打者最多記録) 奪本塁打投手人数:233 ※歴代2位、セ・リーグ記録 交流戦通算60本塁打 ※セ・リーグ記録 オールスターゲーム出場:13回(2003年、2004年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年、2013年、2014年、2015年、2017年) 1イニング2本塁打(第3回WBCオランダ戦:2013年3月12日) 10(2001年 - 2019年) 80(2020年 - 2023年) 83(2024年 - ) 「We Will Rock You」Five feat. Queen(2001年) 「Shining Star」Backstreet Boys(2001年) 「Punk」Gorillaz(2001年) 「Nasty Girl」Destiny's Child(2001年) 「September」Earth, Wind & Fire(2002 - 2003年、2007年 - 2019年) 「Minority」Green Day(2002年)※走者なし時 「Touch the sky」Zeebra(2004年) 「Shake Ya Tailfeather」Nelly, P. Diddy & Murphy Lee(2004年) 「Lose My Breath」Destiny's Child(2005年) 「We Will Rock You(グアムDJ MIX)」Queen(2006年) 「FRIENDS」MINMI(2006年) 「サマータイム!」MINMI(2010年)※ランダム使用 「ライバル」湘南乃風(2016年)※1打席目 「前向き」lecca(2017年)※1打席目 「ど真ん中」lecca(2017年)※2打席目 「TODAY」lecca(2017年 - 2019年) 「Higher」lecca(2018年)※1打席目 「みんながみんな英雄」AI(2018年)※2打席目 「Turn Around (5,4,3,2,1)」Flo Rida(2018年9月28日のみ)※村田修一引退セレモニーに合わせて1打席目のみ使用 「Azukita」Steve Aoki(2019年開幕 - 8月16日、8月25日 - 同年終了)※1打席目 「Boom Boom」RedOne(2019年開幕 - 8月16日、8月25日 - 同年終了)※2打席目 「First Sight feat. 三浦大知」lecca(2019年8月17日 - 8月24日まで)※1打席目 「忍」lecca(2019年8月17日 - 8月24日まで)※2打席目 「熱ク」lecca(2019年8月17日 - 8月24日まで)※4打席目 2000年シドニーオリンピックの野球競技・日本代表 2008年北京オリンピックの野球競技・日本代表 2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 志村けんのバカ殿様(フジテレビ、2003年1月4日) - 「日本一の男」として当時チームメイトだった元木大介と共にゲスト出演。 中井正広のブラックバラエティ(日本テレビ) - 当番組のレギュラー出演者達との「野球対決」では、本職の「捕手」ではなく、「投手」として、出場した。 とんねるずのみなさんのおかげでした(フジテレビ、2012年12月13日) - とんねるずの2人にセ・リーグ二冠王達成記念のバットをプレゼントした。 炎の体育会TV(TBS系) 人生が変わる1分間の深イイ話(日本テレビ、2013年1月7日) - 矢野謙次と共に出演。 徳光和夫の週刊ジャイアンツ(日テレG+、2013年1月14日) - 坂本勇人、長野久義、藤村大介と共に出演。 しゃべくり007(日本テレビ、2013年12月2日) - 内海哲也、長野久義、村田修一と共に出演。 阿部慎之助の野球道(徳間書店、2020年9月29日)ISBN 978-4198650919 - ※橋上秀樹との共著。 『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。p.88 月間16本塁打記録について。「リードと打撃の両立」、入団当時投手陣の信頼を得ることに苦労したこと等 ^ 野球部かつ3年間同じクラスだった岩舘善広は、2005年1月から阿部の個人マネジャー・専属ドライバーを務めている。 ^ 8月11日の対広島東洋カープ戦で4-4の同点の延長10回二死無走者の打席で小林幹英からサヨナラ本塁打、8月15日の対ヤクルトスワローズ戦で2-2の同点の9回一死無走者の打席で藤井秀悟からサヨナラ本塁打、8月21日の対横浜ベイスターズ戦で1-1の同点の延長10回一死二塁の打席でシェーン・バワーズからサヨナラ二塁打、9月17日の対横浜ベイスターズ戦で1点を追う9回二死満塁の打席で斎藤隆から逆転サヨナラ2点適時打の計4度サヨナラ打を記録。 ^ 4月11日の対ヤクルトスワローズ戦で3点を追う6回二死満塁の打席で山部太から放った逆転満塁本塁打を含む。 ^ チームでは長嶋茂雄・王貞治・原辰徳・松井秀喜・高橋由伸に次いで6人目。 ^ 2012年シーズン開幕に際して、当時の監督・原辰徳は「ある種、慎之助のチームだから」と言っている。 ^ 巨人の背番号10を付けた選手では、2000安打達成者が3人(阿部の前の達成者は、張本勲と駒田徳広)輩出されることとなった。 ^ シーズン途中に北海道日本ハムファイターズへトレード移籍。 ^ 張本勲・衣笠祥雄・清原和博・金本知憲に次ぐ史上5人目。 ^ この回は澤村が初球を投じる前に一連のやりとりがありそのまま一塁の守備についたため、澤村の投球を受けることなく大城にマスクを託した。また澤村の登板時に阿部へのサプライズで互いの母校である中央大学の校歌が登場曲として流され、阿部が笑みを浮かべる一幕があった。 ^ 実際に2023年シーズン終了時点で一軍公式戦の現役最終打席において申告敬遠された選手は阿部ただひとりとなっている。 ^ 規定打席未満の際に不足分を打数に加え再計算しても、規定打席到達者の最高率を上回る場合はリーグ首位とする(野球規則10・22)。 ^ 2013年の表彰名は「月間アットホームクラッチヒーロー賞」 ^ プロ野球記録は中村剛也の72本。 ^ 「ポジション変更がもたらす化学変化」『週刊ベースボールONLINE』2015年2月20日。2015年3月25日閲覧。 ^ 『日刊スポーツ』2017年8月14日付4面「阿部姉妹だョ全員集合」 ^ 「【巨人・阿部 父からの手紙】東司さん「すごいことをやってのけたな」」『サンケイスポーツ』2017年8月14日。2021年8月9日閲覧。 ^ 「4番は阿部慎之助の父/掛布雅之4」『日刊スポーツ』2018年10月7日。2020年7月16日閲覧。 ^ 「【巨人】慎之助、母校・浦安中学へ帰る」『ニッカンスポーツ・コム』日刊スポーツ新聞社、2012年12月6日。2017年8月15日閲覧。 ^ 「巨人・阿部と二人三脚12年 個人マネジャー「痛いところだらけで…本当に凄い」」『スポーツニッポン』2017年8月14日。2018年1月7日閲覧。 ^ 「【巨人】阿部の高校時代同級生で個人マネ・岩舘善広氏が明かす素顔」『スポーツ報知』2017年8月14日。2018年1月7日閲覧。 ^ 中田宗男「第二章 星野監督時代のドラフト(1995年―2001年) > 2000年 またもダイエーに敗れた目玉選手の争奪戦 > 1年時から狙っていた「九州のイチロー」」『星野と落合のドラフト戦略』(初版)カンゼン、2023年10月23日、140頁。ISBN 978-4862556998。 NCID BD04189516。国立国会図書館書誌ID:033072938・全国書誌番号:23900824。 ^ 「記念式典 式辞・来賓祝辞 中央大学創立125周年記念式典に寄せて (PDF)」『中央大学』。2012年10月28日閲覧。 ^ 「「あまりに鮮烈だった」―阿部慎之助が大学時代にプロから放った“伝説の一発”」『Full-Count』2019年10月27日。2020年8月13日閲覧。 ^ 「捕手・阿部慎之助に見るリードとバッティング。」『Number Web』2004年5月6日。2021年5月20日閲覧。 ^ 「【2000安打・阿部慎之助を追う】「慎之助のジャイアンツ魂」を育てたコーチとの二人三脚(1/3ページ)」『産経ニュース』2017年8月23日。2021年5月20日閲覧。 ^ 「初打席 初安打 初打点 阿部 鮮烈デビュー 5の2 4打点 重圧なんの“開幕男”」『読売新聞』(縮刷・関東版) 2001年(平成13年)3月31日付朝刊、23面(スポーツ面)。 ^ 赤坂英一 (2009). キャッチャーという人生. 講談社. p. 204. 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久保康生(投手) 110 ウィーラー(打撃) 15 大勢 17 西舘勇陽 18 菅野智之 19 山﨑伊織 20 戸郷翔征 26 今村信貴 28 高橋礼 29 グリフィン 30 近藤大亮 31 赤星優志 32 鈴木康平 33 ケラー 36 馬場皐輔 41 中川皓太 45 畠世周 46 又木鉄平 47 森田駿哉 48 田中千晴 49 バルドナード 52 伊藤優輔 53 高梨雄平 54 直江大輔 56 石田隼都 57 髙橋優貴 58 船迫大雅 62 横川凱 63 泉圭輔 64 大江竜聖 65 メンデス 66 平内龍太 68 代木大和 90 山田龍聖 91 堀田賢慎 93 松井颯 96 菊地大稀 97 井上温大 99 京本眞 22 小林誠司 24 大城卓三 27 岸田行倫 37 郡拓也 67 山瀬慎之助 94 喜多隆介 00 湯浅大 0 増田大輝 2 吉川尚輝 5 門脇誠 6 坂本勇人 25 岡本和真 35 泉口友汰 39 モンテス 40 中山礼都 55 秋広優人 60 菊田拡和 61 増田陸 95 中田歩夢 98 ウレーニャ 7 長野久義 8 丸佳浩 12 萩尾匡也 13 梶谷隆幸 23 立岡宗一郎 38 岡田悠希 42 ヘルナンデス 43 重信慎之介 44 佐々木俊輔 50 オコエ瑠偉 51 浅野翔吾 59 若林楽人 012 三浦克也 016 千葉隆広 018 木下幹也 019 園田純規 020 戸田懐生 023 田村朋輝 026 吉村優聖歩 028 富田龍 034 森本哲星 035 ルシアーノ 041 黃錦豪 047 鴨打瑛二 063 花田侑樹 006 坂本勇人 010 大津綾也 022 亀田啓太 004 村山源 005 田上優弥 007 宇都宮葵星 008 相澤白虎 027 北村流音 003 鈴木大和 009 笹原操希 013 ティマ 031 三塚琉生 033 平山功太 037 フルプ 044 大城元 051 舟越秀虎 表 話 編 歴 三宅大輔 1934 - 1935 浅沼誉夫 1935 - 1936 藤本定義 1936 - 1942 中島治康 1943 藤本英雄 1944, 1946 中島治康 1946 - 1947 三原修 1947 - 1949 水原茂(水原円裕) 1950 - 1960 川上哲治 1961 - 1974 長嶋茂雄 1975 - 1980 藤田元司 1981 - 1983 王貞治 1984 - 1988 藤田元司 1989 - 1992 長嶋茂雄 1993 - 2001 原辰徳 2002 - 2003 堀内恒夫 2004 - 2005 原辰徳 2006 - 2015 高橋由伸 2016 - 2018 原辰徳 2019 - 2023 阿部慎之助 2024 - 現在 表 話 編 歴 金田正一 稲尾和久 小山正明 米田哲也 梶本隆夫 皆川睦雄 村山実 鈴木啓示 堀内恒夫 山田久志 江夏豊 平松政次 東尾修 村田兆治 北別府学 佐々木主浩 高津臣吾 工藤公康 野茂英雄 山本昌広 岩瀬仁紀 黒田博樹 上原浩治 藤川球児 平野佳寿 山内一弘 榎本喜八 野村克也 長嶋茂雄 広瀬叔功 張本勲 王貞治 江藤慎一 土井正博 高木守道 松原誠 柴田勲 大杉勝男 藤田平 衣笠祥雄 福本豊 山崎裕之 山本浩二 有藤通世 若松勉 谷沢健一 加藤秀司 門田博光 大島康徳 新井宏昌 秋山幸二 駒田徳広 立浪和義 鈴木一朗(イチロー) 清原和博 古田敦也 野村謙二郎 石井琢朗 松井秀喜 田中幸雄 前田智徳 金本知憲 松井稼頭央 小笠原道大 稲葉篤紀 宮本慎也 小久保裕紀 アレックス・ラミレス 中村紀洋 谷繁元信 井口資仁 和田一浩 新井貴浩 福留孝介 荒木雅博 青木宣親 阿部慎之助 鳥谷敬 内川聖一 福浦和也 坂本勇人 栗山巧 大島洋平 表 話 編 歴 1968 西城正三 1969 読売ジャイアンツ 1970 大鵬幸喜 1971 長嶋茂雄 1972 松本勝明 1973 沢村忠 1974 王貞治 1975 広島東洋カープ 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 ヤクルトスワローズ 1979 具志堅用高 1980 具志堅用高 1981 中野浩一 1982 落合博満 1983 広岡達朗 1984 衣笠祥雄 1985 ランディ・バース 1986 落合博満 1987 岡本綾子 1988 千代の富士貢 1989 千代の富士貢 1990 野茂英雄 1991 辰吉丈一郎 1992 貴花田光司 1993 三浦知良 1994 イチロー 1995 イチロー 1996 尾崎将司 1997 中田英寿 1998 佐々木主浩 1999 松坂大輔 2000 松井秀喜 2001 イチロー 2002 FIFAワールドカップ日本代表 2003 松井秀喜 2004 朝青龍明徳 2005 朝青龍明徳 2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 2007 浦和レッドダイヤモンズ 2008 石川遼 2009 石川遼 2010 白鵬翔 2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表 2012 阿部慎之助 2013 田中将大 2014 錦織圭 2015 ラグビー日本代表 2016 大谷翔平 2017 福岡ソフトバンクホークス 2018 大谷翔平 2022 井上尚弥 2023 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 表 話 編 歴 1977 王貞治 1978 広岡達朗 1979 西本幸雄 1980 古葉竹識 1981 藤田元司 1982 広岡達朗 1983 田淵幸一 1984 衣笠祥雄 1985 吉田義男 1986 森祇晶 1987 工藤公康 1988 門田博光 1989 藤田元司 1990 森祇晶 1991 秋山幸二 1992 石井丈裕 1993 野村克也 1994 長嶋茂雄, イチロー 1995 イチロー 1996 仰木彬 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 王貞治 2000 松井秀喜 2001 若松勉 2002 原辰徳 2003 王貞治, 星野仙一 2004 伊東勤 2005 ボビー・バレンタイン 2006 王貞治 2007 落合博満 2008 渡辺久信 2009 原辰徳 2010 西村徳文 2011 秋山幸二 2012 原辰徳, 阿部慎之助 2013 星野仙一 2014 秋山幸二 2015 工藤公康 2016 栗山英樹 2017 デニス・サファテ 2018 工藤公康 2019 工藤公康 2020 工藤公康 2021 高津臣吾 2022 中嶋聡 2023 岡田彰布 2024 三浦大輔 2004 イチロー 2013 田中将大 2021 稲葉篤紀, 大谷翔平 2022 村上宗隆 2023 栗山英樹, 大谷翔平 2024 大谷翔平 表 話 編 歴 1950 小西得郎 1951 水原茂 1952 水原茂 1953 水原茂 1954 天知俊一 1955 水原円裕 1956 水原円裕 1957 水原円裕 1958 水原円裕 1959 水原円裕 1960 三原脩 1961 川上哲治 1962 藤本定義 1963 川上哲治 1964 藤本定義 1965 川上哲治 1966 川上哲治 1967 川上哲治 1968 川上哲治 1969 川上哲治 1970 川上哲治 1971 川上哲治 1972 川上哲治 1973 川上哲治 1974 与那嶺要 1975 古葉竹識 1976 長嶋茂雄 1977 長嶋茂雄 1978 広岡達朗 1979 古葉竹識 1980 古葉竹識 1981 藤田元司 1982 近藤貞雄 1983 藤田元司 1984 古葉竹識 1985 吉田義男 1986 阿南準郎 1987 王貞治 1988 星野仙一 1989 藤田元司 1990 藤田元司 1991 山本浩二 1992 野村克也 1993 野村克也 1994 長嶋茂雄 1995 野村克也 1996 長嶋茂雄 1997 野村克也 1998 権藤博 1999 星野仙一 2000 長嶋茂雄 2001 若松勉 2002 原辰徳 2003 星野仙一 2004 落合博満 2005 岡田彰布 2006 落合博満 2007 原辰徳 2008 原辰徳 2009 原辰徳 2010 落合博満 2011 落合博満 2012 原辰徳 2013 原辰徳 2014 原辰徳 2015 真中満 2016 緒方孝市 2017 緒方孝市 2018 緒方孝市 2019 原辰徳 2020 原辰徳 2021 高津臣吾 2022 髙津臣吾 2023 岡田彰布 2024 阿部慎之助 表 話 編 歴 2005 ベニー 2006 ダルビッシュ有 2007 井端弘和 2008 佐藤友亮 2011 張洹三 2012 坂本勇人 2013 J.マーフィー 表 話 編 歴 1950 別当薫 1951 南村不可止 1952 別所毅彦 1953 川上哲治 1954 杉下茂 1955 別所毅彦 1956 豊田泰光 1957 大下弘 1958 稲尾和久 1959 杉浦忠 1960 近藤昭仁 1961 宮本敏雄 1962 土橋正幸, 種茂雅之 1963 長嶋茂雄 1964 J.スタンカ 1965 長嶋茂雄 1966 柴田勲 1967 森昌彦 1968 高田繁 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 末次民夫 1972 堀内恒夫 1973 堀内恒夫 1974 弘田澄男 1975 山口高志 1976 福本豊 1977 山田久志 1978 大杉勝男 1979 高橋慶彦 1980 J.ライトル 1981 西本聖 1982 東尾修 1983 大田卓司 1984 長嶋清幸 1985 R.バース 1986 工藤公康 1987 工藤公康 1988 石毛宏典 1989 駒田徳広 1990 O.デストラーデ 1991 秋山幸二 1992 石井丈裕 1993 川崎憲次郎 1994 槙原寛己 1995 T.オマリー 1996 T.ニール 1997 古田敦也 1998 鈴木尚典 1999 秋山幸二 2000 松井秀喜 2001 古田敦也 2002 二岡智宏 2003 杉内俊哉 2004 石井貴 2005 今江敏晃 2006 稲葉篤紀 2007 中村紀洋 2008 岸孝之 2009 阿部慎之助 2010 今江敏晃 2011 小久保裕紀 2012 内海哲也 2013 美馬学 2014 内川聖一 2015 李大浩 2016 B.レアード 2017 D.サファテ 2018 甲斐拓也 2019 Y.グラシアル 2020 栗原陵矢 2021 中村悠平 2022 杉本裕太郎 2023 近本光司 2024 桑原将志 表 話 編 歴 1957 豊田泰光 1958 中西太 1959 杉山光平 1960 近藤和彦 1961 塩原明 1962 岩下光一 1963 王貞治 1964 K.ハドリ 1965 林俊彦 1966 長嶋茂雄 1967 D.スペンサー 1968 柴田勲 1969 足立光宏 1970 黒江透修 1971 黒江透修 1972 長嶋茂雄 1973 高田繁 1974 山崎裕之 1975 中沢伸二, 外木場義郎 1976 B.ウイリアムス 1977 福本豊 1978 若松勉 1979 水谷実雄 1980 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 1981 平田薫, 江川卓, 河埜和正 1982 大田卓司, スティーブ, 中尾孝義 1983 田淵幸一, テリー, 中畑清 1984 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 1985 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 1986 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 1987 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 1988 清原和博, 森山良二, 郭源治 1989 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸 1990 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 1991 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 1992 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 1993 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 1994 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 1995 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 1996 大島公一, 鈴木平, イチロー 1997 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 1998 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 1999 工藤公康, 永井智浩, 城島健司 2000 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 2001 岩村明憲, 石井一久, 真中満 2002 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 2003 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 2004 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 2005 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 2006 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 2007 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 2008 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広 2009 亀井義行, D.ゴンザレス, 小谷野栄一 2010 内竜也, 清田育宏, 大島洋平 2011 杉内俊哉, B.ファルケンボーグ, 和田一浩 2012 長野久義, 阿部慎之助, J.ボウカー 2013 田中将大, 銀次, 内海哲也 2014 柳田悠岐, D.サファテ, 武田翔太 2015 明石健志, R.バンデンハーク, 武田翔太 2016 A.バース, 西川遥輝, 中田翔 2017 柳田悠岐, 内川聖一, 濵口遥大 2018 森唯斗, 柳田悠岐, 中村晃 2019 高橋礼, A.デスパイネ, 松田宣浩 2020 M.ムーア, 中村晃, 柳田悠岐 2021 高橋奎二, D.サンタナ, 杉本裕太郎 2022 吉田正尚, 山﨑福也, 塩見泰隆 2023 森下翔太, S.ノイジー, 山本由伸 2024 筒香嘉智, A.ジャクソン, A.ケイ 表 話 編 歴 1951 川上哲治, 野口明, 林義一 1952 飯島滋弥 1953 飯田徳治, 平井三郎, 堀井数男 1954 中西太, 山内和弘 1955 山内和弘, 西沢道夫 1956 森下正夫, 吉田義男 1957 大下弘, 宮本敏雄 1958 宮本敏雄, 中西太 1959 山内和弘, 中利夫 1960 森下整鎮, 金田正一, 張本勲 1961 広瀬叔功, 田宮謙次郎 1962 ブルーム, 張本勲 1963 近藤和彦, 王貞治, 古葉毅 1964 金田正一, J.マーシャル, J.スタンカ 1965 D.スペンサー, 高倉照幸, 江藤慎一 1966 広瀬叔功, 榎本喜八, 古葉竹識 1967 土井正博, 長池徳二, 大杉勝男 1968 江藤慎一, 柴田勲, 小池兼司 1969 土井正博, 船田和英 1970 長池徳二, 江夏豊, 遠井吾郎 1971 江夏豊, 長池徳二, 加藤秀司 1972 野村克也, 阪本敏三, 池田祥浩 1973 若松勉, 福本豊, 山崎裕之 1974 高井保弘, 福本豊, 張本勲 1975 山本浩二, 松原誠, 土井正博 1976 有藤道世, 門田博光, 吉田孝司 1977 若松勉, 野村克也, 王貞治 1978 A.ギャレット, 簑田浩二, 掛布雅之 1979 王貞治, B.マルカーノ, 山本浩二 1980 岡田彰布, 平野光泰, 江夏豊 1981 藤原満, 掛布雅之, 山倉和博 1982 福本豊, 柏原純一, 掛布雅之 1983 門田博光, 梨田昌崇, 落合博満 1984 簑田浩二, ブーマー, 江川卓 1985 高木豊, W.クロマティ, 松永浩美 1986 山本和範, 清原和博, 吉村禎章 1987 高沢秀昭, 石毛宏典, 清原和博 1988 ブーマー, 岡田彰布, 正田耕三 1989 村田兆治, 彦野利勝 1990 R.ブライアント, 清原和博 1991 古田敦也, 広沢克己 1992 石井浩郎, 古田敦也, 駒田徳広 1993 清原和博, T.オマリー 1994 秋山幸二, G.ブラッグス 1995 落合博満, 松井秀喜 1996 山本和範, 清原和博, 金本知憲 1997 松井稼頭央, 清原和博 1998 川上憲伸, 松井秀喜 1999 松井秀喜, R.ローズ, 新庄剛志 2000 R.ペタジーニ, 山﨑武司, 清原和博 2001 松井稼頭央, R.ペタジーニ, 中村紀洋 2002 G.アリアス, 的山哲也 2003 高橋由伸, 金本知憲 2004 松坂大輔, SHINJO 2005 金城龍彦, 前田智徳 2006 青木宣親, 藤本敦士 2007 A.ラミレス, 阿部慎之助 2008 山﨑武司, 荒木雅博 2009 青木宣親, 松中信彦 2010 阿部慎之助, 片岡易之 2011 畠山和洋, 中村剛也, 稲葉篤紀 2012 中村紀洋, 前田健太, 陽岱鋼 2013 澤村拓一, 新井貴浩, 内川聖一 2014 B.エルドレッド, 柳田悠岐 2015 藤浪晋太郎, 會澤翼 2016 筒香嘉智, 大谷翔平 2017 内川聖一, A.デスパイネ 2018 森友哉, 源田壮亮 2019 森友哉, 近本光司 2020 (中止) 2021 菊池涼介, 島内宏明 2022 清宮幸太郎, 柳田悠岐 2023 柳田悠岐, 万波中正 2024 牧秀悟,佐藤都志也 表 話 編 歴 2005 金本知憲, 中村剛也 2006 佐藤充, 松中信彦 2007 高橋尚成, サブロー 2008 金本知憲, 岩隈久志 2009 T.ブランコ, ダルビッシュ有 2010 阿部慎之助, 和田毅 2011 内海哲也, 坂口智隆 2012 杉内俊哉, 吉川光夫 2013 能見篤史, 田中将大 2014 山田哲人, 則本昂大 2015 畠山和洋, 菊池雄星 2016 鈴木誠也, 大谷翔平 2017 丸佳浩, 松本剛 2018 石山泰稚, 石川歩 2019 柳裕也, 鈴木大地 2020 (中止) 2021 D.ビシエド, 伊藤大海 2022 大山悠輔, 杉本裕太郎 2023 牧秀悟, 近藤健介 2024 才木浩人, 近藤健介 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 川上哲治 1952 別所毅彦 1953 大友工 1954 杉下茂 1955 川上哲治 1956 別所毅彦 1957 与那嶺要 1958 藤田元司 1959 藤田元司 1960 秋山登 1961 長嶋茂雄 1962 村山実 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 長嶋茂雄 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 堀内恒夫 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 若松勉 1979 江夏豊 1980 山本浩二 1981 江川卓 1982 中尾孝義 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 北別府学 1987 山倉和博 1988 郭源治 1989 W.クロマティ 1990 斎藤雅樹 1991 佐々岡真司 1992 J.ハウエル 1993 古田敦也 1994 桑田真澄 1995 T.オマリー 1996 松井秀喜 1997 古田敦也 1998 佐々木主浩 1999 野口茂樹 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 井川慶 2004 川上憲伸 2005 金本知憲 2006 福留孝介 2007 小笠原道大 2008 A.ラミレス 2009 A.ラミレス 2010 和田一浩 2011 浅尾拓也 2012 阿部慎之助 2013 W.バレンティン 2014 菅野智之 2015 山田哲人 2016 新井貴浩 2017 丸佳浩 2018 丸佳浩 2019 坂本勇人 2020 菅野智之 2021 村上宗隆 2022 村上宗隆 2023 村上頌樹 表 話 編 歴 1950 藤村富美男 1951 川上哲治 1952 西沢道夫 1953 川上哲治 1954 与那嶺要 1955 川上哲治 1956 与那嶺要 1957 与那嶺要 1958 田宮謙次郎 1959 長嶋茂雄 1960 長嶋茂雄 1961 長嶋茂雄 1962 森永勝治 1963 長嶋茂雄 1964 江藤慎一 1965 江藤慎一 1966 長嶋茂雄 1967 中暁生 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 長嶋茂雄 1972 若松勉 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 山本浩二 1976 谷沢健一 1977 若松勉 1978 水谷実雄 1979 F.ミヤーン 1980 谷沢健一 1981 藤田平 1982 長崎啓二 1983 真弓明信 1984 篠塚利夫 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 篠塚利夫, 正田耕三 1988 正田耕三 1989 W.クロマティ 1990 J.パチョレック 1991 古田敦也 1992 J.ハウエル 1993 T.オマリー 1994 A.パウエル 1995 A.パウエル 1996 A.パウエル 1997 鈴木尚典 1998 鈴木尚典 1999 R.ローズ 2000 金城龍彦 2001 松井秀喜 2002 福留孝介 2003 今岡誠 2004 嶋重宣 2005 青木宣親 2006 福留孝介 2007 青木宣親 2008 内川聖一 2009 A.ラミレス 2010 青木宣親 2011 長野久義 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.マートン 2015 川端慎吾 2016 坂本勇人 2017 宮﨑敏郎 2018 D.ビシエド 2019 鈴木誠也 2020 佐野恵太 2021 鈴木誠也 2022 村上宗隆 2023 宮﨑敏郎 2024 T.オースティン 表 話 編 歴 1950 小鶴誠 1951 青田昇 1952 西沢道夫 1953 藤村富美男 1954 杉山悟, 渡辺博之 1955 川上哲治 1956 宮本敏雄 1957 宮本敏雄 1958 長嶋茂雄 1959 森徹 1960 藤本勝巳 1961 桑田武 1962 王貞治 1963 長嶋茂雄 1964 王貞治 1965 王貞治 1966 王貞治 1967 王貞治 1968 長嶋茂雄 1969 長嶋茂雄 1970 長嶋茂雄 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 山本浩二 1980 山本浩二 1981 山本浩二 1982 掛布雅之 1983 原辰徳 1984 衣笠祥雄 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 C.ポンセ 1988 C.ポンセ 1989 落合博満 1990 落合博満 1991 広沢克己 1992 L.シーツ 1993 広沢克己, R.ローズ 1994 大豊泰昭 1995 江藤智 1996 L.ロペス 1997 L.ロペス 1998 松井秀喜 1999 R.ローズ 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 A.ラミレス 2004 金本知憲 2005 今岡誠 2006 T.ウッズ 2007 A.ラミレス 2008 A.ラミレス 2009 T.ブランコ 2010 A.ラミレス 2011 新井貴浩 2012 阿部慎之助 2013 T.ブランコ 2014 M.ゴメス 2015 畠山和洋 2016 筒香嘉智 2017 J.ロペス 2018 W.バレンティン 2019 N.ソト 2020 岡本和真 2021 岡本和真 2022 村上宗隆 2023 牧秀悟 2024 村上宗隆 表 話 編 歴 1967 王貞治 1968 王貞治 1969 王貞治 1970 王貞治 1971 王貞治 1972 王貞治 1973 王貞治 1974 王貞治 1975 王貞治 1976 王貞治 1977 王貞治 1978 王貞治 1979 山本浩二 1980 山本浩二 1981 掛布雅之 1982 田尾安志, 掛布雅之 1983 山本浩二 1984 谷沢健一 1985 R.バース 1986 R.バース 1987 落合博満 1988 落合博満 1989 W.クロマティ 1990 落合博満 1991 落合博満 1992 T.オマリー 1993 T.オマリー 1994 T.オマリー 1995 T.オマリー 1996 江藤智 1997 R.ローズ 1998 松井秀喜 1999 R.ペタジーニ 2000 松井秀喜 2001 R.ペタジーニ 2002 松井秀喜 2003 福留孝介 2004 G.ラロッカ 2005 福留孝介 2006 福留孝介 2007 青木宣親 2008 内川聖一 2009 青木宣親 2010 和田一浩 2011 鳥谷敬 2012 阿部慎之助 2013 W.バレンティン 2014 W.バレンティン 2015 山田哲人 2016 坂本勇人 2017 田中広輔 2018 丸佳浩 2019 鈴木誠也 2020 村上宗隆 2021 鈴木誠也 2022 村上宗隆 2023 大山悠輔 2024 D.サンタナ 表 話 編 歴 1950 荒川昇治 1951 野口明 1952 野口明 1953 広田順 1954 広田順 1955 広田順 1956 藤尾茂 1957 藤尾茂 1958 藤尾茂 1959 藤尾茂 1960 土井淳 1961 森昌彦 1962 森昌彦 1963 森昌彦 1964 森昌彦 1965 森昌彦 1966 森昌彦 1967 森昌彦 1968 森昌彦 1969 木俣達彦 1970 木俣達彦 1971 木俣達彦 1972 田淵幸一 1973 田淵幸一 1974 田淵幸一 1975 田淵幸一 1976 田淵幸一 1977 木俣達彦 1978 大矢明彦 1979 木俣達彦 1980 大矢明彦 1981 山倉和博 1982 中尾孝義 1983 山倉和博 1984 達川光男 1985 八重樫幸雄 1986 達川光男 1987 山倉和博 1988 達川光男 1989 中尾孝義 1990 村田真一 1991 古田敦也 1992 古田敦也 1993 古田敦也 1994 西山秀二 1995 古田敦也 1996 西山秀二 1997 古田敦也 1998 谷繁元信 1999 古田敦也 2000 古田敦也 2001 古田敦也 2002 阿部慎之助 2003 矢野輝弘 2004 古田敦也 2005 矢野輝弘 2006 矢野輝弘 2007 阿部慎之助 2008 阿部慎之助 2009 阿部慎之助 2010 阿部慎之助 2011 阿部慎之助 2012 阿部慎之助 2013 阿部慎之助 2014 阿部慎之助 2015 中村悠平 2016 石原慶幸 2017 會澤翼 2018 會澤翼 2019 會澤翼 2020 大城卓三 2021 中村悠平 2022 中村悠平 2023 大城卓三 2024 山本祐大 表 話 編 歴 投 上原浩治 捕 阿部慎之助 一 R.ペタジーニ 二 今岡誠 三 岩村明憲 遊 井端弘和 外 松井秀喜 / 清水隆行 / 福留孝介 表 話 編 歴 投 高橋尚成 捕 阿部慎之助 一 T.ウッズ 二 田中浩康 三 小笠原道大 遊 井端弘和 外 青木宣親 / A.ラミレス / 高橋由伸 表 話 編 歴 投 S.グライシンガー 捕 阿部慎之助 一 内川聖一 二 東出輝裕 三 村田修一 遊 鳥谷敬 外 青木宣親 / A.ラミレス / 金本知憲 表 話 編 歴 投 D.ゴンザレス 捕 阿部慎之助 一 T.ブランコ 二 東出輝裕 三 小笠原道大 遊 坂本勇人 外 青木宣親 / A.ラミレス / 内川聖一 表 話 編 歴 投 前田健太 捕 阿部慎之助 一 C.ブラゼル 二 平野恵一 三 森野将彦 遊 鳥谷敬 外 青木宣親 / M.マートン / 和田一浩 表 話 編 歴 投 吉見一起 捕 阿部慎之助 一 栗原健太 二 平野恵一 三 宮本慎也 遊 鳥谷敬 外 青木宣親 / M.マートン / 長野久義 表 話 編 歴 投 内海哲也 捕 阿部慎之助 一 T.ブランコ 二 田中浩康 三 村田修一 遊 坂本勇人 外 長野久義 / W.バレンティン / 大島洋平 表 話 編 歴 投 前田健太 捕 阿部慎之助 一 T.ブランコ 二 西岡剛 三 村田修一 遊 鳥谷敬 外 長野久義 / W.バレンティン / M.マートン 表 話 編 歴 投 菅野智之 捕 阿部慎之助 一 M.ゴメス 二 山田哲人 三 H.ルナ 遊 鳥谷敬 外 M.マートン / 丸佳浩 / 雄平 表 話 編 歴 1972 大矢明彦 1973 田淵幸一 1974 田淵幸一 1975 大矢明彦 1976 大矢明彦 1977 大矢明彦 1978 大矢明彦 1979 若菜嘉晴 1980 大矢明彦 1981 山倉和博 1982 中尾孝義 1983 山倉和博 1984 達川光男 1985 木戸克彦 1986 達川光男 1987 山倉和博 1988 達川光男 1989 中尾孝義 1990 古田敦也 1991 古田敦也 1992 古田敦也 1993 古田敦也 1994 西山秀二 1995 古田敦也 1996 西山秀二 1997 古田敦也 1998 谷繁元信 1999 古田敦也 2000 古田敦也 2001 古田敦也 2002 阿部慎之助 2003 矢野輝弘 2004 古田敦也 2005 矢野輝弘 2006 谷繁元信 2007 谷繁元信 2008 阿部慎之助 2009 谷繁元信 2010 城島健司 2011 谷繁元信 2012 谷繁元信 2013 阿部慎之助 2014 阿部慎之助 2015 中村悠平 2016 石原慶幸 2017 小林誠司 2018 梅野隆太郎 2019 梅野隆太郎 2020 梅野隆太郎 2021 中村悠平 2022 中村悠平 2023 坂本誠志郎 2024 山本祐大 表 話 編 歴 投 桑田真澄 捕 阿部慎之助 一 R.ペタジーニ 二 仁志敏久 三 岩村明憲 遊 宮本慎也 外 福留孝介 / 高橋由伸 / 松井秀喜 表 話 編 歴 投 石川雅規 捕 阿部慎之助 一 新井貴浩 / 栗原健太 二 荒木雅博 三 中村紀洋 遊 井端弘和 外 青木宣親 / 赤星憲広 / 鈴木尚広 表 話 編 歴 投 前田健太 捕 阿部慎之助 一 J.ロペス 二 菊池涼介 三 村田修一 遊 鳥谷敬 外 荒波翔 / 丸佳浩 / 長野久義 表 話 編 歴 投 前田健太 捕 阿部慎之助 一 森野将彦 二 菊池涼介 三 村田修一 遊 鳥谷敬 外 大和 / 丸佳浩 / 大島洋平 表 話 編 歴 1991 西村龍次 - 古田敦也 1992 岡林洋一 - 古田敦也 1993 山本昌広 - 中村武志 1994 桑田真澄 - 村田真一 1995 T.ブロス - 古田敦也 1996 斎藤雅樹 - 村田真一 1997 田畑一也 - 古田敦也 1998 佐々木主浩 - 谷繁元信 1999 野口茂樹 - 中村武志 2000 五十嵐亮太 - 古田敦也 2001 藤井秀悟 - 古田敦也 2002 上原浩治 - 阿部慎之助 2003 井川慶 - 矢野輝弘 2004 川上憲伸 - 谷繁元信 2005 藤川球児 - 矢野輝弘 2006 川上憲伸 - 谷繁元信 2007 高橋尚成 - 阿部慎之助 2008 S.グライシンガー - 阿部慎之助 2009 D.ゴンザレス - 阿部慎之助 2010 前田健太 - 石原慶幸 2011 吉見一起 - 谷繁元信 2012 内海哲也 - 阿部慎之助 2013 前田健太 - 石原慶幸 2014 菅野智之 - 阿部慎之助 2015 石川雅規 - 中村悠平 2016 野村祐輔 - 石原慶幸 2017 菅野智之 - 小林誠司 2018 大瀬良大地 - 會澤翼 2019 山口俊 - 小林誠司 2020 大野雄大 - 木下拓哉 2021 柳裕也 - 木下拓哉 2022 青柳晃洋 - 梅野隆太郎 2023 東克樹 - 山本祐大 2024 菅野智之 - 小林誠司 表 話 編 歴 76 王貞治 77 王貞治 78 若松勉 79 掛布雅之 80 山本浩二 81 江川卓 82 中尾孝義 83 原辰徳 84 衣笠祥雄 85 R.バース 86 北別府学 87 桑田真澄 88 郭源治 89 斎藤雅樹 90 斎藤雅樹 91 佐々岡真司 92 古田敦也 93 広沢克己 94 桑田真澄 95 斎藤雅樹 96 松井秀喜 97 古田敦也 98 佐々木主浩 99 上原浩治 00 松井秀喜 01 古田敦也 02 松井秀喜 03 今岡誠 04 嶋重宣 05 金本知憲 06 福留孝介 07 阿部慎之助 08 小笠原道大 09 坂本勇人 10 前田健太 11 浅尾拓也 12 阿部慎之助 13 阿部慎之助 14 菅野智之 15 山田哲人 16 新井貴浩 17 菅野智之 18 大瀬良大地 19 丸佳浩 20-21 中止 表 話 編 歴 大田垣耕造 荒井信久 筒井大助 池添修世 杉浦正則 建山義紀 宮田仁 川上憲伸 上原浩治 清水章夫 黒須隆 藤井彰人 阿部慎之助 西郷泰之 桑元孝雄 田頭欣士 福留孝介 田原隆三郎 二岡智宏 高須洋介 高林孝行 梶山義彦 船尾隆広 渡辺敦 高橋由伸 表 話 編 歴 大田垣耕造 垣野多鶴 萩野友康 林裕幸 荒井信久 中野渡進 上原浩治 矢野英司 山村路直 宇高伸次 吉野誠 佐藤宏志 愛敬尚史 的場直樹 藤井彰人 阿部慎之助 門間真 二岡智宏 山下勝己 吉見宏明 砂塚陽介 佐藤毅明 的場寛一 石井康雄 赤尾秀幸 板野真士 西澤祐介 表 話 編 歴 大田垣耕造 垣野多鶴 林裕幸 荒井信久 広田庄司 宮田仁 立石尚行 田村秀生 高橋尚成 木村昌広 山村路直 阿部慎之助 的場直樹 後藤光尊 阿久根鋼吉 キーナン・ティミィ 田頭欣士 高橋賢司 砂塚陽介 梶山義彦 上中芳仁 橿渕聡 奥村幸司 飯塚智広 表 話 編 歴 30 河原井正雄 31 太田紘一 32 石橋智 33 岩井美樹 34 野村徹 35 大島義晴 36 神山敬章 10 松田克也 11 武藤幸司 12 鎌田祐哉 14 石川雅規 16 藤井秀悟 17 山田秋親 18 田中総司 19 吉川昌宏 41 五十嵐貴章 44 出島紀彦 47 佐々木貴幸 21 石原慶幸 22 的場直樹 23 阿部慎之助 1 平野恵一 3 星川学 4 渡辺剛史 5 四之宮洋介 6 梅沢健 7 久保田智 8 梶原康司 9 阿部真宏 42 岡崎哲也 48 藤田和貴 15 荒金久雄 20 志田宗大 24 葛城育郎 25 上田高嘉 26 佐藤友亮 29 廣瀬純 43 小林大祐 45 阿部雄二 46 高橋靖 49 明平正和 表 話 編 歴 30 大田垣耕造 33 林裕幸 34 野村収 35 長崎慶一 11 高橋薫 12 森憲久 15 石川雅規 16 山田秋親 18 松坂大輔 19 杉浦正則 20 川越英隆 23 小池秀郎 21 阿部慎之助 22 的場直樹 27 古田敦也 1 平馬淳 2 工藤賢二 3 松中信彦 4 高橋賢司 6 初芝清 7 野村謙二郎 8 沖原佳典 9 阿部真宏 5 井出竜也 10 梶山義彦 24 飯塚智広 25 鷹野史寿 26 赤星憲広 表 話 編 歴 内田俊雄 伊藤義博 松岡憲治 12 和田毅 14 石川雅規 15 吉見祐治 16 山村路直 17 山田秋親 19 松井光介 28 新垣渚 29 久保裕也 20 小山良男 21 石原慶幸 22 阿部慎之助 1 藤谷大樹 2 木元邦之 3 大須賀允 4 米山学 5 梶原康司 8 松枝久雄 9 阿部真宏 11 鈴木良二 23 田中洋平 10 佐々木健悟 24 結城充弘 25 藤田和貴 26 廣瀬純 27 肥田高志 表 話 編 歴 30 大田垣耕造 33 林裕幸 34 野村収 35 長崎慶一 11 土井善和 12 河野昌人 13 渡辺俊介 14 吉見祐治 15 石川雅規 16 山田秋親 17 杉内俊哉 18 松坂大輔 19 杉浦正則 54 黒木知宏 2 鈴木郁洋 21 阿部慎之助 22 野田浩輔 3 松中信彦 4 平馬淳 5 中村紀洋 6 田中幸雄 8 沖原佳典 9 野上修 1 田口壮 10 梶山義彦 24 飯塚智広 25 廣瀬純 26 赤星憲広 表 話 編 歴 30 後藤寿彦 31 山下大輔 32 荒木大輔 33 應武篤良 11 寺原隼人 15 須田喜照 16 篠原貴行 18 久保裕也 19 館山昌平 23 藤井秀悟 28 加藤康介 35 中村隼人 52 中野渡進 10 阿部慎之助 20 黒須隆 1 東出輝裕 2 井端弘和 4 前田新悟 6 西郷泰之 7 井口資仁 25 後藤武敏 3 葛城育郎 5 衣川隆夫 8 佐藤友亮 9 鷹野史寿 24 高橋由伸 43 上坂太一郎 表 話 編 歴 77 星野仙一 88 田淵幸一 80 山本浩二 72 大野豊 11 川上憲伸 13 岩瀬仁紀 14 小林宏之 16 涌井秀章 18 ダルビッシュ有 19 上原浩治 27 藤川球児 28 長谷部康平 60 成瀬善久 10 阿部慎之助 22 里崎智也 39 矢野輝弘 6 井端弘和 7 西岡剛 17 荒木雅博 25 新井貴浩 36 宮本慎也 50 川﨑宗則 55 村田修一 5 和田一浩 9 大村三郎 23 青木宣親 29 森野将彦 41 稲葉篤紀 表 話 編 歴 77 星野仙一 88 田淵幸一(ヘッド兼打撃) 72 大野豊(投手) 80 山本浩二(守備走塁) 11 川上憲伸 13 岩瀬仁紀 15 田中将大 16 涌井秀章 17 成瀬善久 18 ダルビッシュ有 19 上原浩治 21 和田毅 28 藤川球児 47 杉内俊哉 10 阿部慎之助 22 里崎智也 39 矢野輝弘 2 荒木雅博 3 中島裕之 6 宮本慎也 7 西岡剛 25 新井貴浩 52 川﨑宗則 55 村田修一 23 青木宣親 31 森野将彦 41 稲葉篤紀 46 佐藤隆彦 表 話 編 歴 83 原辰徳 72 伊東勤(総合) 71 山田久志(投手) 92 与田剛(投手) 81 篠塚和典(打撃) 63 高代延博(内野守備走塁) 73 緒方耕一(外野守備走塁) 11 ダルビッシュ有 14 馬原孝浩 15 田中将大 16 涌井秀章 18 松坂大輔 19 岩田稔 20 岩隈久志 22 藤川球児 26 内海哲也 28 小松聖 31 渡辺俊介 39 山口鉄也 47 杉内俊哉 2 城島健司 10 阿部慎之助 29 石原慶幸 5 栗原健太(追加招集) 6 中島裕之 7 片岡易之 8 岩村明憲 9 小笠原道大 25 村田修一(途中離脱) 52 川﨑宗則 1 福留孝介 23 青木宣親 24 内川聖一 35 亀井義行 41 稲葉篤紀 51 イチロー 表 話 編 歴 88 山本浩二 78 東尾修(投手総合) 99 梨田昌孝(野手総合) 92 与田剛(投手) 81 立浪和義(打撃) 63 高代延博(内野守備・走塁) 73 緒方耕一(外野守備・走塁) 75 橋上秀樹(戦略) 11 涌井秀章 14 能見篤史 15 澤村拓一 16 今村猛 17 田中将大 18 杉内俊哉 20 前田健太 21 森福允彦 26 内海哲也 28 大隣憲司 35 牧田和久 47 山口鉄也 50 攝津正 2 相川亮二 10 阿部慎之助 27 炭谷銀仁朗 1 鳥谷敬 3 井端弘和 5 松田宣浩 6 坂本勇人 7 松井稼頭央 41 稲葉篤紀 46 本多雄一 9 糸井嘉男 13 中田翔 24 内川聖一 34 長野久義 61 角中勝也 表 話 編 歴 1位:阿部慎之助(逆指名) 2位:上野裕平(逆指名) 3位:三浦貴 4位:根市寛貴 5位:川本大輔 6位:山下浩宜 7位:小野剛 8位:李景一 VIAF 日本 阿部慎之助 日本の野球選手 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手 首位打者 (NPB) 打点王 (NPB) 最優秀選手 (NPB) NPBオールスターゲーム選出選手 NPBオールスターゲームMVP アジアシリーズ選手 野球日本代表選手 オリンピック野球日本代表選手 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表選手 2009 ワールド・ベースボール・クラシック選手 2013 ワールド・ベースボール・クラシック選手 ワールド・ベースボール・クラシック優勝選手 アジア競技大会野球日本代表選手 日本のアジア競技大会銀メダリスト 日米大学野球選手権大会日本代表選手 名球会 読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の監督 日本の野球監督 紺綬褒章受章者 中央大学硬式野球部の選手 安田学園高等学校出身の人物 千葉県出身のスポーツ選手 1979年生 存命人物 最高出塁率 (NPB) Pages using the JsonConfig extension 外部リンクがリンク切れになっている記事/2017年10月 ISBNマジックリンクを使用しているページ 野球に関する記事 プロジェクト人物伝項目 2024/11/26 11:30更新
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abe shinnosuke
阿部慎之助と同じ誕生日3月20日生まれ、同じ東京出身の人
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